リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

すっぽかす人、しない人、注意力不足の人

2023年11月18日 | 日々の風の吹くまま
11月17日(金曜日)。☀。寒いけど、晴れ上がった空は寒さを感じさせないからいいね。ゆうべはがんばっていつもの就寝時間近くまで起きていたので、けさの目覚めもいつもの時間にかなり近づいた午前7時。これで、夜になって晩ご飯の後で大あくび連発にならなければしめたもの。南の方の空が赤みがかっていて、ベーカー山の辺りにちらほらと朝焼け雲。日の出は午前7時28分で、ただし手前に山があればその分だけ太陽が空に顔を出すのが遅くなる。ナイトガウンのままでカメラ片手にうろうろしているうちに、ベーカー山のほぼ頂上から日の出。うわぁ、まぶしい。




おっはよぉ~

カレシの予定表によるとレッスンが4つもあって忙しそう。もっとも近頃の若い人はドタキャンは元よりひと言もなくすっぽかすのも当然の権利というのが世界共通の行動規範になっているようで、こっちの生活時間をむだに消費されているいるような気になることが多い。もちろん、すっぽかし屋はどのみち真剣じゃないから2度、3度と続いたらカレシの方からすぱっと切り捨てて、その時間枠にリクエストして来ている人を「面接」して入れたりするので、別に問題はなさそうだけど、すっぽかし常習犯が圧倒的に若い男性なのはどういう心理なんだろうな。失礼だよな。まじめに英語に取り組んでいる人たちはきちんと事前にキャンセルを連絡して来るから問題なしで、こっちは圧倒的に女性が多いんだって。特に東南アジアやイランあたりの女性は独立心旺盛で将来に大きな夢を持っている人が多いから上達もハイスピードで、カレシも熱の入れ甲斐があるってもの。平等だの何だのと言いながら、この違い、何なんだろうな。

カレシが(例外的に熱心さでは女性に引けを取らない)ユウ君のレッスンをしているのを聞くともなしにPCの前に座っていたら、マウンテンビュークリニックから電話で、検査所から結果が入っていて、シャサヴァン先生がワタシと話したいそうなので、明日の10時40分はどうか。きのうの朝に検査をしたばっかりなのに早っ。でも、ドクターの方から話があると言って来られると、心臓がドッキンとしてしまうよね。何か問題がなければいいけど、今回は電話診療だそうだから、特に大きな問題はないんじゃないかな。診察や健診の結果などの記録については、保健省が集中管理しているの医療データベースに医療関係者がアクセスできるので、カレシの場合はスラニナ先生の診察記録があるけど、何年も医者にかかっていないワタシの場合は健診の検査結果以外に記録がないので、シャサヴァン先生から質問があるんだろうな。かかりつけのドクターとしては古典的な診療スタイルの先生なのかもしれない。まあ、ほんとは完全に医者いらずの健康体だったわけじゃなくて、ちょっとした不具合は「年を取ったせい」で片づけて来たから、何が出て来ても驚かないかな。薬も好きじゃないのもので、内心ではいくらか心配でも「ああ、そうなんですか」で終わるんじゃないかと思う。

午後、ユウ君のパートナーのハナちゃんに用事ができてレッスンがキャンセルになったので、スーツケースを地下2階の収納ロッカーに持って行くついでに、1ヵ月くらい使っていない車を出してバッテリがどんな状態かチェック。何とかエンジンはかかったから、何となくそこらをドライブして来てひと安心。来週の水曜日にシルクドソレイユの『KOOZA』を観に行くのに、いざ出かけるという時にエンジンがかからないなんてことになったらエライこっちゃ。昔は何度かそんなことで大げんかしたっけな。カレシはどうもADDの傾向があるとわかって来たし、カレシ自身も注意力不足にうすうす気づいているようだから、最近はうまぁ~く誘導できるようになったけど、何しろ大変なものぐさだからねえ。ま、とにかく車のバッテリは大丈夫なようなので、次は表示が3本になっているガソリン。ほんと、これだから、年を取ったからって病気になっている暇なんかないじゃない・・・。

朝飯前に血液検査

2023年11月18日 | 日々の風の吹くまま
11月16日(木曜日)。🌤。朝の気温は0度。晴れているせいもあるだろうけど、もしかしたら雪でも降るんじゃないかと思ってしまいそうな寒さ。まあ、クリスマスシーズンだから、マザーネイチャーもそれに合わせているのかもしれない。モールはクリスマスの飾りつけが済んでいるし、道路向かいのマンションではもうバルコニーにライトを飾ったところがかなりあるし、我が家のあるマンションも規約によってきのうから(1月15日まで)バルコニーのクリスマス飾りが解禁になったし、あちこちで救世軍のボランティアがシャンシャンと鈴を振って「社会鍋」への寄付を呼び掛けているし、今年もそう言う季節なわけね。

今日は新しくかかりつけの家庭医になったシャサヴァン先生が請求を出していた検査。血糖値の測定が入っていて朝ご飯なしということで、カレシ9時、ワタシ9時10分に予約を入れてあったので、朝はのんびり。検査所はマンションの裏口から有料駐車場を抜けてすぐそこ1分と言う便利さなので、朝ご飯抜きでも特に問題なし。帰って来たら朝昼兼用のブランチにしようということで、フリーザーから小分けしてあったベーコンを出しておいて、最初の予約の10分前にいざ。医療ビルの5階の検査所に入って、受付の列に並んで、順番が来たら氏名、生年月日、住所、電話番号を予約データを突き合わせて検査票ができたら、「少々遅れています。椅子に座ってお待ちください」。待っていると次から次へと人が入って来て行列はあっという間にドアの外まで溢れそうな勢い。医療分野の人手不足を反映してか、ここも事前の予約オンリーになっている。でも、5分ほど待ってカレシが「採血台3番」に呼ばれ、さらに2、3分してワタシが「1番」。窓際の細長いスペースに採血台が4つあって、先に採血を済ませたカレシは尿検査のボトルを持ってトイレへ。ワタシも大小の採血チューブ3本分を採血してもらって、ボトルをもらってトイレへ。

この検査所は大きなチェーンだけあってけっこう手際がいいから、帰って来たらまだ9時半を過ぎたばかり。近いから空きっ腹で行って空きっ腹で帰って来てもへっちゃら。さっそく刻んだベーコンを炒め始めて、玉ねぎを加えてさらに炒め、マッシュルームとミニピーマンのスライスを加えて、ちょうどいい色合いになったところで溶き卵4個分。スクランブルと言うよりもオムレツ風卵焼きに近い感じにまとめて、フライパンの中で2つに分けて仕上げ。ブリオシュローフのスライスをトーストして、出来上がった卵焼きを載せて、ちょっと遅い朝ご飯(またはちょっと早いランチ)が済んだら10時半。ウォーキングに行って来たら、まだ昼前なのにもうのんびりムード。

おかげで帰って来て以来(というか、クルーズ中から)滞りっ放しだったことがかなり前進したので、寄港地ごとのフォルダに保存して来た旅の写真をチェックする余裕ができた。全部で2千枚近くあるもので、ピンボケを削除したりして整理するのはひと仕事以上。でも、どうやらこの週末中に書きかけのままになっているザダールとトリエステ、ヴェニスの3日分のブログ日記を仕上げて、その前の写真なしでアップした分には改めて写真を追加できそうな見通し。やれやれと言う気分で、角の酒屋に行ってプリマスジンを2本買って、ヴィクターの店で晩ご飯の肉を調達。ヴィクターもお父さんのペトロも満面の笑みで何かいい事があったのかと思ったら、2日前にヴィクターと奥さんの間に第1子誕生。うわっ、おめでとぉ~。男の子で名前はエドワード。この次に店に来たときにはぜひぜひ写真を見せてねっ。

手荷物の迷子騒動と人生のお荷物

2023年11月17日 | 日々の風の吹くまま
11月15日(水曜日)。☁🌧☁🌥。寒いなあ。朝の気温1度。山並みは冠雪、ベーカー山も大雪が降ったのか、白さが増して凛とした感じ。まあ、11月も半分過ぎて、後1ヵ月もしたら冬至なんだもん、時間の足は早まるばかりと、何となく焦りを感じてしまったり・・・。

帰って来て1週間で、そろそろ時差ぼけから回復する頃合いだけど、この先1週間後から夜のお出かけが目白押しだから、ほんとに何とか振り切らないとならないのに、まだ晩ご飯の後のうたた寝が深すぎて、ベッドに入ってからは目が覚めてばかり。何でも、自律神経失調には血糖値の乱高下もからんでいるそうだから、船旅の間は連日の外食のようなもので、ボリュームたっぷりのものを食べて、いつもはクッキー1枚ずつで済ませるデザートも選り取り見取りでリッチなのを食べたりしていればさもありなん。それにしても、私たちと同年代の人たちが慣れた様子で食べている量を見て、カレシが「オレたち、すごい少食になったもんだな」と言って、そこのところはワタシもいたく同感。みんなどう見ても70代、80代なのに、ステーキの1枚や2枚軽く平らげてしまいそうな食べっぷり。我が家なんかステーキは1枚を2つに切り分けて食べて、それで満腹になっているのに・・・。

トラベルエージェントのジェフが「クルーズはどうだった?」とメールして来たので、行きと帰りの手荷物の迷子騒動の顛末を添えて返信したけど、初めにワタシのスーツケースを積み残されそうになって、帰りは2人のスーツケースが立ち往生したと言うのは、ただの偶然じゃなくて、何かもっと因縁的な意味があるんじゃないかと思ってしまう。もちろん、偶然であることは間違いないのに、人間の思考はそういうことになるとつい何かあるんじゃないかと、未来や過去とのつながりを想像して、意味を探ってしまうものらしい。だからこそ、占い師と言う商売が生まれたんだろうな。本質的に人間は知りたがり屋なんだよね。いつからそんなに知りたがり屋になったのか知らないけど、これも進化のうち。知りたがり屋のくせに自力で答を探そうとしないのは何をかいわんやだけど・・・。

その好奇心が人間を人間たらしめているということはわかるけど、21世紀に入ってからのソーシャルメディアの世界は、健康的な知りたがりというよりも、みんなが知っている(かもしれない)ことを知っていないと不安で、情報をかき分けて「知っているべきこと」を知るにはその情報が玉石混交で溢れ返っているために、手っ取り早く「教えてちゃん」になってしまっているんじゃないかという感じがする。説明はいいからとにかく「答」を教えてくれというのは、いかにもデジタル思考と言う感じで、昔ながらのアナログ思考にとっては三歳児を相手にしているような気分になることがある。まあ、人間は多かれ少なかれ「お荷物」を抱えて人生と言う旅をしているわけで、今回の手荷物の迷子騒動が何かを象徴しているんじゃないかと、つい勘繰りたくなってしまう。ひょっとしてその「三歳児」がお荷物になっているとか・・・?

自律神経失調症の一種かもしれない

2023年11月17日 | 日々の風の吹くまま
11月14日(火曜日)。🌤。三連休明け。そろそろ本気を出して普通の日常に戻りたいもんだけど、まだ元気なのは朝と午後だけ。晩ご飯の後になるとどうしても眠くなって来て、あくびを連発した挙句にベッドに横になると、そのまま1時間くらいぐぅ~っと眠り込んでしまうから困る。で、はっと目が覚めて起きると足元がふらふら。ほんとに時差ぼけなのかなあ、これ。

去年の検査で血糖値が少しばかり高めだと言われて、おまけにアジア人は遺伝的に膵臓が小さくでインスリンの量が少ないために糖尿病になりやすいという医療記事を読んだりしていたので、そっちの方が気になっていたんだけど、ググって出て来る糖尿病の症状はほとんどないから、ほんとにいわゆる糖尿病予備軍なのか疑問。そこへして、出発前の準備などのストレスのせいか横隔膜がぴくついたり、咳が出たりするので、もしかして最近いろんな疾患との関連で注目されているらしい迷走神経の問題じゃないのかな。そこでそっちの方を調べてみたら、迷走神経の異常が糖尿病につながることがある一方で、糖尿病が進むと迷走神経の損傷につながるという記事があって、何かよけいに混乱して来ちゃった。

それで迷走神経についていろいろ調べていたら、それが自律神経(特に副交感神経)と大いに連携していて、故障の場所によってそれぞれに違う症状がいろいろと出て来るんだそうで、そういうのがこれまであまり注目されていなかったというのは不思議だけど、地味過ぎて研究の対象になりにくかったらしい。ワタシの場合はGERD(胃食道逆流症:昔ほどひどくないけど)、足がピりつく感覚、(太っていないけど)腸にときどき軽い痛み、(いつも脳内でキンキンしているので気にならなくなった)耳鳴り(頭鳴り?)が当てはまるけど、どれが直接関係あるのかわからない。まあ、血圧も血中酸素も正常で厄介な病気があるようでもないから、たぶん自律神経失調症の一種なんだろうけど、つまるところ、根本的な要因はストレスと時差ぼけということになるのかな。人間を含めた生き物は生きているというだけでかなりのストレスなわけで、若い頃は精神論でも何でも駆使して対処できても、年を取って来れば身体が言うことを聞かなくなるんだろうと思う。

そこで、じゃあどうすればいいのかということなるけど、どうやらビタミンB12の不足が関わっているらしい。加齢とともにビタミンB12の吸収力が低下するので、サプリが必要なんて書いてある。そっか、そんなもんいらんとバカにしていたワタシだけど、要するに年相応にってことだな。水溶性だから不要なら排出されてしまうそうだし、とりあえずサプリを買って来て試してみるのも悪くはなさそう。よし、思い立ったが何とかで、買い物に行ったついでに買って来ようっと。それにしても、迷走神経とはよく言ったもんだ・・・。

時差ぼけの話

2023年11月16日 | 日々の風の吹くまま
11月13日(月曜日)。🌤。土曜日の祝日の振り替えで、今日は三連休最後の日。起床8時過ぎ。ほぼ平常の時間に戻った感じで、疲れも取れてエネルギーが戻って来た気分。と言っても、まだ元気なのは何となく日のあるうちだけと言う感じは残っているから、眠り足りないのかもしれない。でもそこはそれ、夜になってあくび連発になったら迷わずベッドに倒れ込んでうたた寝しちゃえるあたりが時間に縛られないリタイア暮らしのいいところで・・・。

まあ、ヴェニスで朝の3時に起きて船を降りて、バンクーバーまでの飛行はずっと「日中」で睡眠と言えるような睡眠を取れなかったのが大きかったんじゃないかな。要するに、帰って来て寝るまで24時間以上起きていたことになるから、徹夜したようなものかな。昔はそんな芸当ができたけど、それはあくまでも今よりずっと若かった昔の話。考えたら、2年前にも朝の3時に起きてバルセロナのホテルを出て、だいたい同じ時間のエールフランスの便でパリに飛んで、そこでバンクーバー行きに乗り換えて帰って来たんだけど、あの時はどうだったんだろうと思って、あの年のブログを調べたら、あはあ、やっぱり時差ぼけから抜けるまでざっと1週間・・・。

帰って来た時のバンクーバーが雨がちで、昼だというのに日が差していなかったから、体内時計をスムーズにリセットできなかったのかもしれない。でも、一般には時差ぼけがひどいのは東の方に向かって飛んだ時だと言われているみたいだけど、バンクーバーから東へアムステルダム経由でローマに飛んだ時は、2人とも船に乗る2日目にはほとんど回復していたので、私たちは常識の逆を行っているのかな。もしかしたら飛んでいたのが夜だったからかな。(ワタシは食後は座席をフラットにして少し眠ったし。)でも、日本から帰って来る時は東の方に飛ぶのにひどい時差ぼけは起きないんだけど、あれは飛んでいるのがいつも夜だからかな。ワタシは出発したらさっさと時計を行く先の現地時間にリセットしてしまって、それまでの「生活時間では今何時」なんてことは考えないから、けっこう時差ぼけに対して抵抗力があったんだけどなあ、とつらつら考えていて思い出したのが夏時間から標準時間への切り替え・・・。

北アメリカより1週間早く標準時間に戻るヨーロッパでは、船に乗る日の朝に時計の針が1時間戻ったんだけど、バンクーバーで時計が変わったのは1週間後だから、その間ふだんより時差が広がっていたということ。でも、帰って来た時には切り替えが済んでいたんだから、あんまり関係はないかな。西ヨーロッパとの時差は9時間だけど、日本は17時間先で日付変更線があるんだけど、そう言うのは関係があるんだろうか。要するに、地球が丸いのがいけないんだよね。さて、来年の9月に日本に行くときは、3週間近くかけての船旅だから時差の影響はほとんど感じないと思うんだけど、実際はどうなのか興味津々・・・。

日常が戻ったところで携帯の故障

2023年11月15日 | 日々の風の吹くまま
11月12日(日曜日)。☁。きのうは1日中眠気との戦いだったような感じで、2回もがっちり寝たのに11時になるかならぬかの時間でお手上げ。カレシのココアもワタシのムッシュ・ヘネシーも棚上げしたままでベッドに直行して、またもや瞬間的にぐ~。身体が要求していたからだとしても、きのうの2人はほんとにへろへろだった。で、けさはかなり元気になって、7時半に起きたわけだけど、2日目が胸突き八丁なら、今日から先は楽になるってことかな。

朝ご飯を食べながら携帯をいじっていたカレシが「バッテリが0%になってる」。ワタシはカレシがもうけっこう長いことスマホの調子が良くないと文句を言い続けていたので、あ、またかいな。充電コードを持って来て、ACでやってみたけど、充電しそうでしないらしく、「バッテリがダメになったんだ」。あ、そ。うん、信用できるかどうかわからないところで取り替えてもらったバッテリだから、お古だったのかもしれないよ。どっちにしても、それよりずっと前から文句を言うたびに買い替え時だと言ったのに、何だかんだと先延ばして来たから、今になって突然「その時」が来て慌てるわけよ。その時になったらもうワタシにはできることはないから、いうなれば自業自得ってこと。でもまあ、ちょっとだけ助け舟。買い替えるならTelus(電話会社)の店がモールにあるし、その隣にはスマホの修理や中古スマホの販売をしている店があって、どちらも日曜日の今日はモールが開く11時に開店。後はお好きなように。

PCの前に座って思案しているようだったカレシが「まずバッテリを取り替えてデータを移せるようにしてから、そのうちに買い替える」という行動計画を提案して来たので、携帯と財布を持ってモールへ。最初に2階でウォーキングをするのかと思ったら、まずは1階の修理やに直行。三連休の中日のせいか他に客がいなくて手持ちぶさた気味のお兄ちゃんに携帯を見せて充電しなくなったと言ったら、さっそく店の充電コードをつないでみて「バッテリは大丈夫ですよ」。ええ?「コードの不具合かもしれませんね」。ええ、そんなことある?「コードを持って来てください。チェックしますから」。はあ。さっそく回れ右して家に戻って、コードとACプラグを掴んでポケットに突っ込んでとんぼ返り。持参したコードを試したら「つながりませんね」。なぁ~んだ。ということで、新しい充電コードをなぜか2本買って、ウォーキングを2周に端折って、帰ってすぐに充電開始。画面を睨んでいたカレシ、「もう5%になった」。

やれやれ。クルーズ中のネット接続の不調(ワタシは問題なし)もどうやら充電の不具合によるパワー不足が原因だったみたい。それにしもて、問題が起きた時に自分で解決を図る行動を取らず、人の助言も聞かず、ひたすら不調、不具合、不興を愚痴るばかりと言う人、けっこういるよねえ。カレシもそのひとりなわけで、どういう心理なのかワタシには推し量りかねるけど、本人にとってストレスなだけじゃなくて、来る日も来る日も同じ愚痴を聞かされる方にもストレスが溜まるんだよね。そうでなくても身近にいる人間にとっては、パーソナライゼーションのせいで助け舟をだすこともままならないもどかしさがすごくキツイんだから。ま、とにかく携帯の「不具合」が解決したということで、ここしばらくは「愚痴前線は平穏」ってことになるかな。ほんとにもう、やれやれ。

時差ぼけは2日目が一番きつい

2023年11月14日 | 日々の風の吹くまま
11月11日(土曜日)。☁🌧。戦没者追悼記念日。第一次世界大戦の休戦協定が発効した1918年11月11日午前11時を記念して設けられた「休戦記念日」が再度の世界大戦を経て、さらには一向になくならない戦争の戦死者を追悼する日になったもの。午前11時にはハードロック専門のラジオ局さえも番組を中断して、沈黙の中で胸に刺さるように悲しいtapsと呼ばれる葬送ラッパを流す。もっとも、終わった瞬間からまた賑やかなロックが流れるんだけど・・・。

就寝は10時過ぎだったから少しは平常に近づいたものの、まだまだ時差ボケが抜けていなくて、揃って目を覚ましたのは5時過ぎ。睡眠時間は十分だし、もうひと眠りするには目が冴えてしまっていたので、ベッドの中であれこれとおしゃべり。普段はこんなふうに集中的に突っ込んだ会話をすることがほどんとないから、またとない機会ということで悪くはないかな。帰って来てからストレス性の咳がひどくなったのは、クルーズは楽しかったけど、常に漠然としたストレスを感じていて、思ったほどリラックスできなかったからだと思うと言ったら、「オレにできることはオレがやるから、1人で抱え込まないでオレ言ってくれよ」。そうだねえ、自分でできることは自発的に自分でやってくれると助かるんだけど、まあ、50年近く一緒にいていわゆる「有言実行」タイプじゃないことはわかっているので、その気持だけありがたくもらっておくね。

今日はいよいよ洗濯。クルーズ中に(各階にある洗濯室で)一度洗濯したので、持ち帰った汚れ物はそれほど多くなくて、帰り道に着ていたものを足しても1回で済む量。カレシが洗濯機の使い方を覚えたいというので、ステップバイステップで「実演」。視覚的思考が苦手で、目で見て覚えるタイプじゃないので、たぶんすぐに忘れてしまうと思うけど、最近はしきりと「家庭経営」に参画したいという意思表示をしていることでもあるし、どんなうまく機能しているシステムでもバックアップがなければ障害が起きた時に機能停止になってしまうんだから、今からでも二人三脚体制を構築するのは有意義だと思うよ。(どこまで実行できるかは別の話だけど。)

そんなこんなで一見して普通の日常に戻ったように見えるけど、それは午前中だけの話で、午後になると2人ともバッテリが上がってしまって、普段は昼寝をしないワタシまでが目を開けていられなくてベッドにバタン。小1時間ほどぐっすり眠って、はたと目が覚めて慌てて起きたら身体がよろよろ。なんとなく自律神経(あるいは迷走神経)がおかしいみたい。いつもの時間にマティニで乾杯して、晩ご飯は帰って来て初めてまともま料理で分厚いアヒまぐろのしょうが焼き。まあ「普段着」っぽいねと言っていたのが、7時過ぎに昼間よりもさらに猛烈な眠気。何とかベッドに辿り着いて、ごろんと横になった瞬間から深い眠りに急降下。はっと目を覚ましたのが8時過ぎで、ふらふらしながらリビングに行ったら、ソファで眠っていたらしいカレシが「キミもクラッシュしちゃったのか」。うん、何だか睡眠薬を一服盛られたような異常な眠気だった。地球の裏側から帰って来たのが木曜日の午後だから、2日目の今日は時差ぼけの影響が一番きついと言われる日だけど、それにしてもこんな強烈なのは初めてだな。やっぱり寄る年波には何とかってことか・・・。

楽しい旅だったけど、やっぱり我が家が一番だね

2023年11月13日 | 日々の風の吹くまま
11月10日(金曜日)。🌧☁。目が覚めたのは午前3時。寝たのは午後7時だったから、睡眠時間としては申し分ないんだけど、何せもうヨーロッパの時間じゃないんだから困りもの。かと言ってまた眠るわけにも行かず、3時半過ぎには起床。カレシがシャワーをすると言うので、シャワーの水音は意外と響くから、静まり返っている丑三つ時を避けて6時過ぎまで待つように注意。ほんとに自分の鼓動が聞こえそうなくらいの静けさで怖いくらい。

こんな時間に朝ご飯を食べるのも何なので、2人と手持ちぶさたで何となくスマホいじり。メールをチェックしたら、あら、エールフランスから。何と「手荷物はバンクーバーに向かっています」というメールで、追跡ページのリンク付き。良かったぁ。さっそくリンクを辿ってみたら、Missing baggage(行方不明の手荷物)と言うページがあって、きのう空港でもらったファイル番号と苗字を入力すると、シンプルなタイムラインが表示されて、手荷物のタグの番号ごとに状況が分かるようになっている。それによると、スーツケースは2個とも私たちがきのうバンクーバー空港にいた頃に「未着」が記録され、数分後に「所在確認」になり(探さなくてもわかっていたってこと)、現在は「In transit(輸送中)」。つまり、パリ発エールフランス374便で(たぶん)大西洋上を飛行中ということで、到着予定は午前11時25分。

配達業者から直接連絡するとのことなので、午後は出かけられないから、早々と8時に買い出し。冷蔵庫にはシーラが買っておいてくれた朝ご飯の材料しかないので、カレシもサラダを作る野菜を買うということで、珍しく揃ってスーパーへ。嵩張る野菜類と果物の他に重たい液体(牛乳やオレンジジュース、りんごジュースにワタシのにんじんジュース)、卵、ほぼ1キロのコーヒー、カレシのココア、ランチ用の冷凍食品の類、晩ご飯用まぐろ、カレシが「衝動買い」した缶詰や瓶詰の類等々で、トロリーとエコバッグ2つがいっぱいになって、トロリーの車輪は軋むし、カレシはバッグの手が指に食い込んで痛いとこぼすし、ワタシはトロリーを引っ張る腕が肩から抜けそうになるし、ジジババの買い出し風景は目も当てられないね。それでも当座の食べ物には困らなくなって、元の日常に戻るという実感に肩も心も軽くなった気分。カレシがスープがいいというので、冷凍のボルシチミックスにキャベツとポテトとビーツを加えて、残っていたブリオシュローフをトーストしてランチ。しばらくして「手荷物はバンクーバー空港に到着しました。配達の準備ができ次第お知らせします」と言うメール。おお、お帰りなさいっ。

すっかり安心して、写真を整理したり、書き損ねたブログ記事を書き始めたりしてだらだら過ごしているうちに、追跡ページの表示が「配達の手配が完了」になり、午後4時少し前、玄関のエンタフォンから「配達です」。大急ぎでカレシと一緒にロビーに下りて行って、玄関の外で待っていた宅配の人からスーツケース2個を受け取って来て、とりあえずマティニで乾杯したけど、エールフランスの取り扱いのスムーズさにはいたく感心。晩ご飯の後でスーツケースを開けて、シルバーシーの(おしゃれな)ランドリーバッグ2つを洗濯室に運び、おみやげをカウンターに広げ、衣類や洗面用具の類はしまうところにしまって、地中海クルーズの旅は「完」。今夜は大嵐の予報で、眠くなって来た頃には、ごうごうと言う風の音と窓を撃つ雨の音。でも、今夜はぐっすり眠れるな。










旅の空から~さようなら、シルバームーン号

2023年11月13日 | 日々の風の吹くまま
11月9日(木曜日)。☁(ヴェニス)☁(パリ)☁(バンクーバー)。いよいよ帰国。午前3時に目覚ましで起床。気温は7度。スーツケースはゆうべのうちにタグをつけて廊下に出しておいたので、空港で受け取ってエールフランスのカウンターで預けるだけで済むから楽なもの。ただし、バンクーバーに着くまでは中身にアクセスできないから、荷造りのときにはすぐに必要なもの(特に処方薬)を入れないように気を付けないとね。バスの出発が午前4時15分なので、 忘れ物がないかキャビンの中を総点検して、そうっと廊下へ出て、エレベーターで3階デッキへ。カードキーでタップアウトして「下船」。テントの中に並んでいるスーツケースの中から自分のを確認すると係の人がバスに積み込んでくれて、私たちはバスに乗り込んで座席でゆっくり。けっこう大きなバスにかなり数の人が乗り込んで来て、やっぱり「おうちに帰る」からなのか早朝にしてはみんなにこやか。まあ、いくら上げ膳据え膳でも10日もそれをやっていると少々飽きて来るもので、そのあたりはみんな同じらしい。



ヴェニスの空港はマルコポーロ空港と言う名前(ちなみにローマはレオナルドダヴィンチ空港)で、玄関で運ばれて来たスーツケースを引き取って、エールフランスのカウンターでパリ行きの便に搭乗手続き。前日にオンラインでチェックインするようにメールが来たときにさっさとチェックインを済ませて、搭乗券を5階デッキの受付前にあるPCで印刷してあったので、荷物を預けるだけ。そのまま搭乗ゲートに行ってオレンジジュースを買って来てひと息ついて、午前6時55分発パリ行き1327便に搭乗。EU域内のいわば短距離の「国内線」だから、ビジネスクラスは普通の3列の真ん中を空席にして2人で使う形で、機材によってはひじ掛けにテーブルをかけ渡してあったりする。ヴェニス~パリの便はエアバス220-300で、モニターはないけど充電用のUSBポートがあった。飛行時間は2時間で朝食付き。エコノミークラスの搭乗が終わってさて、となったところで機長が出て来て、「機内システムのモニターの故障で、修理のために出発が少々遅れる」。そう言えば乗務員が操作するパネルが消えたままで、「シートベルト着用」のサインも点いていない。知ぃらないっ。

結局ヴェニスを40分遅れで発ったので、パリでの乗り換え時間はわずか45分。シャルルドゴール空港はやたらとバカでかいところだし、EUを出るので出国管理があるから、乗り継ぎに間に合うかな。と言うわけで、ターミナル2Fから2E‐Kを目指して歩け、歩け。セキュリティチェックが不要で、出国管理が込んでいなかったのはラッキーそのもので、ゲートに着いた時はちょうどビジネスクラスの搭乗(と言っても搭乗口のあるターミナルまでバスで行くんだけど)が始まる時で、 そのまま外で待っているバスに直行。通勤ラッシュ並みにぎっしりになったところで、バスは別の町に行くんじゃないかと思うくらい延々と走って搭乗ターミナルへ。座席に落ち着いてやっと、ああ、間に合ったぁ。離陸してしまえば、後は10時間のフライトをワインを傾けながらのんびり映画でも見て過ごす(『Crazy Rich Asians』を2回とディズニーの名作『Fantasia』を2回)だけ。定刻より早めに着いて、キオスクでパスポートをスキャンして、手荷物のカルーセルの方へ行く途中でなぜかアナウンスで2人の名前。エコーがひどくて何なのか聞き取れなかったので、半ば無視して荷物が出て来るのを待っていたけど、あれ、出て来ないよ。

その後の話を端折ると、エールフランスのカウンターを見つけて、アナウンスがあったんだけど、と言ったら「あなた方の手荷物は到着便に乗っていませんでした」。はあ?つまりは、乗り継ぎの便に乗り損ねたってことかいな。そうだろうなあ。わずか45分で大量の手荷物を下ろして仕分けして、乗り継ぎ便ごとに別のトラックに積んで遠い搭乗ターミナルまで運んで積み込んで、なんてのはまずできっこない話。「大丈夫、明日はエールフランスの便があるので、それで来ます。到着したらお宅までお届けしますね」。へえ、私たちの手荷物は花のパリで1泊かあ。ま、優雅にお過ごしあそばせ。と言うことで、未着の手荷物の届に住所氏名と電話番号を記入して、それを税関職員に渡して出口へ。出かけたときと同じ運転手(マシャールさん)が名札を持って待っていたので、我が家へ直行。留守番のシーラに迎えられて、ああ、我が家に帰って来た。手荷物が届かなかったおかげで帰り着いてすぐに洗濯を始めなくても良かったのは不幸中の幸いかな。ま、今夜は早寝・・・。

旅の空から~ドゥブロヴニク~伝統と歴史の宝庫

2023年11月08日 | 日々の風の吹くまま
11月5日(日曜日)。🌧☁。無事にドゥブロヴニクに接岸。夜の間それほどひどく揺れなかったので、大した暴風ではなかったらしい。でも、La Terrazzaに朝食に行ったら、いつもは賑わっている船尾のベランダが閉鎖になっていて、あちこちに椅子が散乱して、一部はひっくり返っていたのでびっくり。風に押されてデッキをうろついていたらしい。そういえば、私たちは念のためにベランダのテーブルを逆さまにして、オットマンも逆さまにデッキチェアの上に置いて寝たけど、ときどきどこかでゴトゴトと椅子やテーブルが動いているような音がしていたっけ。




今日のツアーのテーマはクロアチアの伝統。最初はドゥブロヴニクの郊外?のコナヴァレと言う村での養蚕と生糸作り。このあたりでは15世紀から養蚕が盛んで、何でも女性が子供のころから蚕を育てて、繭から取った生糸を紡いで結婚前に自分のアイデンティティを示す刺繍で一生分の胸飾りや衣服を作ったんだそう。でも、女性が亡くなるとそのすべてが埋葬されたり焼かれたりして何も残らなかったのが、収集と保存の運動を始める女性グループができて、私たちが訪れたアントニアさんという画家のアトリエもそのひとつということだった。ギフトショップになっているアトリエの2階で、アントニアさん手作りのハーブジュースやお茶をご馳走になりながら、リーダーの女性が蚕を育てるテクニックを説明して、冷凍してあったという繭を熱湯に入れて糸を取り出して赤い布に巻きつけたのを近くの女性に渡し、それが手から手に渡って室内を一周しても糸は切れることなくポットの中の繭につながったまま。長い時には1個の繭から何と900メートルもの糸が取れると言うからびっくり。


カイコと卵と繭

繭から絹糸を

引っ張っても切れない

黄色いのは精製前の糸



次は農村地帯にある粉ひき小屋。まずオーナーのイヴォさん(40前後?)の自家製のワインとグラッパでのどを潤して、昔は水車を使っていたけど、今はモーターで碾き臼を動かしてトウモロコシの粉を作っていると説明。大きくて平たい臼が回りだすと、トウモロコシの粒がぽろぽろと穴から落ちて行って、縁から大きな箱の中にフワッ、フワッと粉が吐き出されて来るのがおもしろい。さらに森の中の道を怒涛のように流れる小川を渡って上流にある昔ながらの水車小屋を見学。イヴォさんがスイッチを入れると小屋の外で小川の水を流す樋が水車の上に移動して、水しぶきを上げて回りだし、石造りの小さな小屋の中でゴトン、ゴトンと粉ひき。何だかグリムの童話に出て来そうな風景だったけど、やっとのことでユーゴスラヴィアから離れて自立を果たしたクロアチアの民族の伝統を守ろうと言う心意気が伝わって来て感動的だった。



トウモロコシを入れて・・・

挽かれた粉が・・・

森の中の水車小屋

最後はテレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』で有名になった旧市街をそぞろ歩き。大聖堂に向かって歩いて行く花婿花嫁に遭遇したり、小道を覗いたら急な階段が丘の上に向かっていたり、ドラマは見たことがないけど、コロナの初期にクロアチア生まれのチェロ奏者ハウザーがこの端の城塞の上でひとりでテーマ曲を演奏していた。式を終えて記念写真を撮っていた新郎新婦、お幸せに。帰りのバスではガイドのローザさんが古代ギリシャから古代ローマの支配、そしてその後のヨーロッパの混沌とした歴史にもまれ続け、ソ連の崩壊とともにユーゴスラヴィアから分離しようとしてセルビアとの戦争を経なければならなかった(子供だった彼女も家族とともに安全を求めて避難しなければならなかった)波乱の歴史を語ってくれて、常に覇権を争って来た人類の歴史を凝縮したようなヨーロッパ史に魅せられているワタシにはまるで大きな窓から果てしなく広がる世界を眺めているような、何よりも刺激的なツアーだった。それと同時に、人間は遠い古代から今に至るまで連綿と同じことをやって来ているんだと言う気もして、ある意味で、精神的な「大海原と大空が出会うところ」を見たと言えそうな気がする。




大聖堂に向かう花婿と花嫁


坂道の代わりに階段・・・

お幸せに!


旅の空から~大海原と大空が出会うところ

2023年11月07日 | 日々の風の吹くまま
11月4日(土曜日)。🌤。今日はどこにも寄港せずにイオニア海からアドリア海へとひたすら航海するDay at Sea。朝食の時間も30分遅い7時半からで、その時間になっても「Still Relaxing(まだリラックス中)」の札がかかっているドアが多いし、レストランもほぼがら空き。みんな朝寝坊を決め込んで、飲み過ぎ食べ過ぎ遊び過ぎ消耗したバッテリの充電をする日。のんびり朝ご飯を食べていたら、遠い水平線にクルーズ船の船影・・・。



朝食も軽めに食べて、ひと息ついたところで10階デッキのジョギングトラックでウォーキング。船首から船尾まで8周すると1マイル(1.6キロ)と表示してあって、けさは走る人、歩く人でけっこうな賑わい。船には小さいフィットネスジムがあってトレーナーもいるんだけど、潮風に吹かれながらのジョギングの方が気持ちがいいってことだろうな。歩いているのはほとんどがシニアで、杖をついている人も多い。デッキから見えるのは空と海と水平線だけ。ロッド・スチュワートの『Rhythm of My Heart』の「Where the ocean meets the sky I'll be sailin'」のところを口ずさみながらてくてく、ぐるぐる。気温はそれほど高くないけど、日が差してくるとさすがに汗ばんで来る。来年の9月のクルーズでは太平洋のど真ん中でこのDay at Seaが連続6日もあるんだけど、来る日も来る日も海と空だけってのはどんな感じかな。船乗りには太古の昔から見慣れた風景だろうけど・・・。

午後になって緊急のアナウンスがあって、今夜から明日にかけてドゥブロヴニクの辺りは最大風速が17メートルの風が吹くと言う予報だそうで、接岸の許可は出ているので最善を尽くすけど、船の安全確保のために中止する可能性もあるというニュース。つまり、沖で三角波に揺られてDay at Seaを過ごすってことかな。まあ、接岸できたらツアーのスケジュールに変更はないそうなので、うまく行くといいね。でも、今夜から船が揺れるだろうな。クルーズ船は最新のフィンスタビライザーが横揺れを最小限に抑えてくれるので、海の上と言う感覚はほとんどなくて、船酔いする人もまずいないんだけど、海が大荒れになると話は別。初めて乗った5年前のクルーズでは香港を出港してから通過した台風の余波にあって大揺れになって、揺りかごの中で寝ているような(ワタシには心地良い)感じで、翌朝は船酔いで起き上がれない人がかなりいたということだった。ちなみに同じクラスの船室でも船の中央に近いほど料金が高くなるのは、そのあたりが一番揺れが少なくて需要が高いからなんだそうな。

今夜は2度目のフォーマルナイトで、午後6時以降はほとんどのレストランでタキシードかスーツとネクタイ着用、女性はカクテルドレスかパンツスーツ。でも、いまだにそんなことをやっているのはシルバーシーだけだそうで、船室以外でのショーツやジーンズはご法度であることには変わりはないけど、2つのレストランでは特別にノータイOKだし、特にシニアの女性は家庭着に見えなければ何でもお目こぼし。カレシはめんどくさいと文句、文句だけど、何千人も乗っている海の上のディズニーランドとは違うんだということを示すためにある程度の「格式」を保たねばならぬということかと思ったけど、リピーターのクラブVenetian Societyのレセプションで若い世代(30~40代)がまるでハリウッドのセレブみたいな服装でしきりと自撮りしているのを見て、ソーシャルメディアにアップして友達を羨ましがらせてもらうことで若い富裕層の需要を開拓しようと言う魂胆じゃないのかなとナットク。そうでなければジジババばかりの豪華クルーズは先細りだもんね。それにしても、クルーズの日数累計が100日を超えると特別割引やアップグレードがあるんだけど、今回の最高日数は何と1800日以上で、つまり丸々5年。かなり高齢の女性のようで、仮に年平均100日クルーズしていたとしても18年以上。いったどれくらいかかったんだろうと思ってしまうのは庶民の性だけど、ゆうにン十億円か、いやそれ以上。はあ・・・。

旅の空から~マルタ~22年ぶりに来てみたら

2023年11月06日 | 日々の風の吹くまま
11月3日(金曜日)。⛅🌤⛅。ちょっと早めに目が覚めて、どこまでマルタに近づいたかなあと外を見たら、あはっ、セントエルモ要塞。なつかしいなあ。首都ヴァレッタの先端にある要塞が船の右舷に見えているということは、そっかグランドハーバーに入るんだな。新しくできたクルーズ船ターミナルはたぶんリゾートエリアに近いマルサムシェットの港の辺りにあるんだと思っていたけど、なるほど22年前でもグランドハーバーの方が高級リゾート言う印象だったもんな。そう、私たちにとってマルタは22年ぶり。うん、再構築のハネムーンとして来たこのマルタで25周年を迎えて、それ以降は2人の起点を一緒に暮らし始めた日にリセットして、次の25年に踏み出した思い出の地がこのマルタ。



マルタと言う地中海の小さな島国がどんなところか2人ともまったく想像がつかなった「異国」で、何のしがらみもなかったからこそ、やり直しの出発点として大きな意義があったのかもしれないな。そういう感傷的な思い入れがあるから、シルバーシーのカタログでこの航海を見つけたときは、ほぼ即座に行こうよってことになって、そしてけさ、そのマルタに到着。カレシとまた来ようねと言ったあの時から22年(しかもカレシと文通を始めてちょうど50年)経って、ほんとにまたカレシと一緒に来たなんて、やっぱり感慨深いものがあるね。でも、`何だかマペースでのんびりとして見えたマルタもEUに加わってからかなり発展したという印象で、リゾート地帯のセントジュリアンズのあたりには昔はなかった高層ビルがにょきにょき。変われば変わるもんだと思うけど、21世紀の22年なんて悠久の昔なんだろうな。

今日はグランドハーバーの向こう側のつながった中世に聖ヨハネ騎士団が本拠地にしていた「スリーシティーズ」のウォーキングツアーとダイサという昔ながらのボートでの水上観光。セングレアからヴィットリオーサ(別名ビルグ)、コスピクアを見学する予定で、特にヴィットリオーサの聖堂のドームは港の向こう側の首都ヴァレッタやマルタの最初の首都だったムディナから堂々とした風格が見えていたっけな。いつの間にかできていたクルーズターミナルからバスでセングレアまで行って、第二次大戦をめぐる戦争博物館が入っている要塞の中を見学。マルタはいたるところ要塞だらけで、すぐ北のシチリアと同様、古代のフェニキア人を始めとして地中海を航行したありとあらゆる民族がこの島に行き当たっては住み着いた歴史の標本。地図を見るとイタリアがシチリアを蹴っ飛ばしたら小石(マルタ)がぽろっと落ちたようなイメージだから、なるほど。ヴィットリオーサの狭い路地のレストランでの軽食ではアンチョビの丸ごとフライがおいしかった。一番小さい町コスピクアを歩いて、最後にボートツアー。ダイサと呼ばれるボートはかって水上タクシーとして活躍していたものが、今は観光用モーターボート。漁船のルッツに似ているけどダイサは平たくて、ルッツと同じく舳先に魔よけの「ホルスの目」が描かれている。小さなボートに6人ずつ乗って、お兄ちゃんが2本のオールを操って船着き場を離れたら、モーターで港巡り。グランドハーバーには(どんなセレブか知らないけど)スーパーヨットが何隻も停泊していて、マリーナにはヨットやプレジャーボートがずらり。コンテナ船がひしめきガントリークレーンが林立するバレッタの反対側のマルサムシェットの港とは対照的だな。底の浅いボートだから水しぶきが肘の辺りまで上がって、振り向いたときに口に飛び込んで来たしぶきのしょっぱさと来たら、太平洋の塩味に慣れていると口が曲がりそうなくらい濃い味。船着き場に戻ったところで、段ボール箱を抱えた2人の男が中身(アイスクリームのコーン)を護岸とボートの間にどばっ捨てたのでびっくり。それを見つけた船頭のお兄ちゃんが「犯人」と腕を振り回しての口論。観光客が船に乗り降りするところなんだから、そりゃあ怒るよね。






イギリス領時代の置きみやげ(エドワード7世の時代のもの)

趣のあるマルタの窓



ダイサのレースの練習?


海にごみを捨てた人に抗議

んっとに、もう・・・

聖ヨハネ騎士団のシンボル、マルタ十字

マルタ特産のミニ洋ナシ(バンビネラ)

とっぷり日が暮れて、ライトアップした聖堂のドームと水先案内のボートがマルタを離れるシルバームーン号を見送ってくれた。つかの間の再会だったけど、また会う日まで、さよなら、マルタ。





おまけ:街角で見たドアノッカー






旅の空から~シラク―サ(シチリア)

2023年11月05日 | 日々の風の吹くまま
11月2日(木曜日)。☀。夜の間にティレニア海側のパレルモからシチリア島の南側をぐるっと回ってイオニア海に面したシラクーサに入港。ベランダから見ると、何ともまあ平べったいところ(ウィキペディアによると標高17メートル)で、紀元前8世紀にコリント人が建設して以来、東西南北から渡って来た民族による覇権の奪い合いが続いた歴史の背景要素のひとつかもしれないな。シラクーサの夏はかなり暑くて、過去には48度を記録したことがあるそうで、11月だというのに今日の予想最高気温は26度(少々暑すぎらしい)。


シラク―サに入港~と奥にエトナ山が見える

市民が「レモン絞り」と呼んでいる大聖堂のドーム

今日のツアーのタイトルは「Classic Siracusa」で、その名の通り、古代ギリシャ時代の遺跡。まずは何千人もの捕虜や奴隷によって石灰岩を伐り出していた古代の採石場跡である考古学公園。洞穴がいくつも残っているうちで「ディオニシウスの耳」と呼ばれる幅は狭くて耳の穴の形をしている奥の深い洞窟に入って、みんなで「ヴォラーレ」を歌ってみたら、あは、ヴぉ~ぉ~らぁ~ぁ~れぇ~と洞窟中に反響して愉快。中での話し声が8倍も増幅されて外にまで聞こえるので、内緒話をしたらだだ洩れだったそうな。


採石場/監獄の遺跡

オリーブの木


ディオニシウスの耳

洞窟を出たら、次はギリシャ人が紀元前5世紀に作った円形劇場跡。石灰岩を削って作ったもので、観客席は67段もあって、1万5千人から2万人近くを収容できたというから、Arts Clubからしたら羨望の的なんてもんじゃなさそう。そんなところで役者の声が通ったのは、海(舞台背後)からの風と仮面が声を増幅したせいなんだって。古代ギリシャ劇の仮面にはそういう実用的な用途があったなんて、先人の知恵はすごい。おもしろいのは、古代のギリシャもローマもひな壇に座るのは男だけで、女性席は別の場所にあったというところで、そのくらいセクシズムの歴史は長いのだ。(ポンペイの競技場もそういう作りだった。)観客席側に上る途中で石ころを踏んだカレシがバランスを崩して転倒する一幕があったけど、壮大な劇場の舞台の跡を見下ろして、ワタシが役者だったら絶対に一度は演じたいと思うエウリピデスの『王女メデア』の一幕を想像してうっとり。




石灰岩の採掘に使われた湧き水は今も健在

公園を出たら迎えに来たバスに乗ってクルーズ船ターミナルまで。そこから歩いて5キロくらいのシラクーサ大聖堂へ行く予定だったけど、遠いので希望者だけということになって、私たちは転んでぶつけたカレシの膝が気になるし、何よりも日が照って暑くて熱中症になりそうなので残留組。ランチをして、シャワーを浴びて、ちょっと昼寝をして、5時過ぎに5階デッキのバーへ。マティニを注文して、韓国人らしい若いバーテンさんとカクテル作の秘訣などを談義。どんな職業でもプロは素人からの質問に懇切丁寧に答えてくれるものらしい。自分の技に自信があるからだろうな。手ほどきや見よう見まねで、あ、なぁるほどっと膝を叩くのがワタシの学び方なので、こういう機会はいつも願ったりかなったりといったところ。夕食は日暮れを見ながらピッツァとワイン/ピール。シチリアの夜が更ける午後10時、シラクーサを出港して一路マルタへ。

旅の空から~パレルモ(シチリア)

2023年11月04日 | 日々の風の吹くまま
11月1日(水曜日)。⛅🌧ハロウィンから一夜明けて今日は「万聖節」。キリスト教のすべての聖人を祝う日で、今は主にカトリック教会が主流らしい。イタリアでは今日とあしたの「死者の日」で、教会へ行ったり、墓地に行って死者を弔ったりして、家族が集まって食事をしたりする日と言う話。何となくお盆とお彼岸をごっちゃにしたような日だけど、根底にある人間の信条は宗教にかかわりなく同じなんだろうと思う。

ゆうべイタリア本土を離れた船はけさ午前8時にシチリア島のパレルモに入港。海に向かって恐ろしく切り立った崖がある山がそびえていて、あとは普通に平地と言う感じ。山の上に古そうな建物が見えたのでびっくり。世界の中心だった地中海のど真ん中あたりにある島と言うことで、2700年前に航海民族フェニキア人に始まって、ギリシャ人、ローマ人、カルタゴ人と、交易のために行き交う船が次々と立ち寄ったり難破したりしては、ちょうどいい場所だから征服しちゃおうということで、パレルモは世界でも一番多く征服された都市とことになっている。そういうことで(次に行くマルタ島もそうだけど)シチリア島は要塞だらけと言う感じ。ご飯が済んだらさっそくバスに乗って観光へ。最初の目的地は船から見た四角ばった山。きのうのアマルフィ海岸ほど険しくはないけど、つづら折りの道を登って行って、3分の2くらいのところにある展望台で写真撮影。港に私たちの船がいた。山のてっぺんに見えていた建物は修道院らしい。



ジグザグの道は歩行者と自転車専用



山から下りたら、次は広々としたビーチを散策してから、パレルモ大聖堂へ。さすがカトリックの国だけあって、どこに行っても不釣り合いなくらいの大聖堂がある。海と要塞と大聖堂は地中海文明を象徴しているのかもしれない。おしゃれなブランドショップが並ぶヴィア・ローマを進んで行ったら、突然バスが立ち往生。前のバスも立ち往生。よく見たらその前のバスも立ち往生。祭日と言うことで道路事情が違うとは聞いていたけど、1メートルくらい進んでは立ち往生して、動いているよりも止まっている時間の方が長いくらい。よぉく見ると、ずっと前の方で大勢の人が集まっていて、ズームインして取った写真を見たら、なんとチューバを抱えた黒服の人が数人いたり、飛んだり跳ねたりで踊っているらしい人がたくさんいたりで、広い道路を塞いでしまっているもので、観光バスが1台ずつ右折を余儀なくされているらしかった。その右折場所から先はミュージックフェスか何かで交通止めになっているけど、そこへ向かってぞろぞろとてんで勝手に歩いている人たちが‘渋滞を起こしているわけ。ゆうに30分近くかかって右折して回り道をして。やっとのことで大聖堂に通じる公園に到着。観光シーズンはもう端境期だから、カトリックの祭日とあってミサに参列する地元の人出の方が多くて、観光客向けの馬車や遊園地みたいな乗り物の利用者はまばら。







最後の巨大な劇場はバスの中から見るだけで、船に向かう途中でバスの窓にぽつぽつ。バスを降りて船に向かって歩いているとポチポチと雨粒が顔に当たって、あら、It means business(本気だ)。船室に戻って、‘ちょっと身づくろいをして5階デッキのバーに降りる頃には雨。今夜のドレスコードは「informal night」で6時以降はプールデッキやオープンレストラン以外は女性はドレスかスラックス、男性はジャケット着用(ネクタイは任意)と言う決まりなので、着替えに船室に戻った頃にはスコールみたいな雨で、地面をたたくが雨が強い風に押されて埠頭のコンクリートを洗っている感じ。すごいなあといいながら、4階デッキのレストランAtlantideでテーブルに着いた頃は猛烈な雷雨。こんな空も海も全体が一瞬明るくなるような派手な稲妻はバンクーバーではまずないなあ。おかげで隣のテーブルのカップルと会話が始まって、シカゴに住んでいるけど、息子一家が大阪に住んでいるので来年の秋に会いに行って、コロナの前に行ったときに大好きになったお好み焼きをたくさん食べるという話から日本食談義になって、実に楽しいひとときだった。こういう「一期一会」の触れ合いもクルーズ旅行の楽しみでもある。

旅の空から~ナポリ~アマルフィ海岸は波高し

2023年11月02日 | 日々の風の吹くまま
10月31日(火曜日)。☁。ハロウィン。ナポリ2日目。今日はアマルフィ海岸へ6時間のツアーだけど、何かお怪しげな曇り空。バスは3台で、高速道路に入って見えて来たヴェスヴィオ山も平たい頂上に雲がかかって、ますますぺたんこ。ポンペイに行かなかったカレシに、あれがヴェスヴィオ山だよと教えたけど、ふ~ンと言う生ぬるい反応。そうだろうな。我が家からいつも見えている山々とは高さからして違うし、おしとやかって感じだもん。高速を走っているときにガイド(ロザンナ)から、マイオリからアマルフィに行く予定だったけど、波が高くてフェリーが全便欠航になったので、ルートを変更してマイオリで3時間の自由時間ということになったとアナウンス。

マイオリは英語なら「メジャー」と言う意味で、陶器タイルで有名らしい。その前に「マイナー」を意味するミノリという村があって対になったリゾートエリア。海から有名なアマルフィの町の風景を見られないのは残念だけど、その海が荒れ模様じゃ危険極まりないからしょうがない。高速を降りてからは、つづら折りの連続みたいな山道を登って行くのに、道路が狭いものと対向車線の車(ほとんどが小型車)とすれ違うのにひと苦労。でも、バスと石垣の間に挟まってにっちもさっちも行かなくなった車の助手席から手が出て来てサイドミラーをたたんで、そろそろとすり抜けた車には感心。イタリアのドライバーは辛抱強くて運転上手。メタボな車を乗り回しているアメリカやカナダのドライバーにはとってもできない相談。でも、ジグザグに進むおかげで山側と海側の両方の写真を撮れたのはめっけもの。






展望台のようなところで10分程バスを降りて写真を撮って、今度は海岸までまたジグザグと山を下りて、ミノリの村を抜けて、崖の上にそそり立つお城の下の下を回る道路を降りるとマイオリ。教会前の広場でバスを降りて、3時間後に同じ場所に集合と言うことで解散。メインストリートは海岸沿いのプロムナードだけらしくて、シーズンを過ぎて店じまいをしているところも多いから3時間も自由と言うのはけっこう不自由と言う感じ。ビーチより高いプロムナードを歩いていてもときどき波しぶきが飛んで来るくらいの大波が打ち寄せていて、フェリー乗場のチケット売り場には「全便欠航」のお知らせが貼ってあった。とりあえずプロムナードを歩いて行って、まじはトイレ探し。イタリア語でToiletteと書いてあるところを探したけど見つからないまま裏通りのようなところに入り込んで、ランチタイムでもあるからレストランに入ってトイレに行くか、ホテルで聞いてみるかのどちか。プロムナードに戻って最初に目に着いた大きめのホテル(Hotel Panorama)の閑散としたロビーの受付で聞いてみたら「どうぞ、どうぞ」。うわ、助かった。カレシと交代でトイレを使わせてもらって、グラツィエを連発して、やれやれ。



さっぱりしたところでランチ。ナポリはピッツァの発祥地だから、ピッツェリアがいたるところにある。イタリア人は外で食べるのが好きなようだけど、私たちには寒いので中に入れるLa Vela(帆)というところ。奥ではお兄ちゃんが長い棒で石のオーブンから焼きあがったピッツァを取り出しているところ。大きさを聞いたら「ディナー皿いっぱいの大きさ」というので、ワタシはナポレターナ、カレシはマリナーラ。本場のピッツァは北米流のピッツァソースじゃなくてシンプルなトマトソースだからさっぱりした味わい。最初のピッツァはトマトソースとモッツァレラチーズだけの「マルゲリータ」だそうで、ナポレターナはその上にアンチョビをちょこっと散らした程度。赤ワインが良く合って、丸々1枚をナイフとフォークで切り分けて食べきったらおなか一杯。集合場所に戻る途中で開いていたおみやげ屋でマグネットとふきんをゲット。良く歩いてくたびれたけど、おなかが減らないので、船に戻っても夕食どころじゃなくて、バーでカクテルを1杯。後で軽食のルームサービスを頼んで、待っている間に乗船したときにラムが開けてくれたシャンペンの残りで乾杯。カレシに薬を渡してコップに水を入れようとしたら「もうのんだ」。え?シャンペンで薬を飲んだの?うは、世界中の大富豪でもシャンペンで薬を飲むなんて考えつかないだろうねえ。大富豪じゃないからできるずっこけで、バケーションモード満開になったみたい。