旧大浜町浄水場跡を見た後は、明和の大津波(1771年)にちなんだポイントを載せて行きます。「タコラサー石」です。タコと関係あるのかと思いきや、胴が太いヘビの事だそうです。その蛇が昔この岩の側で住んでたからとこの名が付いたって事なんだけど、タコラサーの意味が全く分かりません。いつか分かる時が来るでしょう・・・か?
それも気になる所なんですが、この場所は「明和大津波遭難者慰霊之塔」が直ぐ傍にある場所で、標高64m。当時津波を逃れ助かった数人がココで焚火をしていたら他の方達も集まって来て、しばらく共同生活をしていたそうです。 それが直接の理由ではないんですが、慰霊之塔をここに作るにあたっては相応しい場所だと言う事が分かります。
慰霊之塔から見える宮良集落。津波は石垣島東北沖から来たと言われています。
この岩は「地境石」と言われていて、宮良と白保のそれぞれ2つづつ、4つの小字の境界線にあると言われています。近い存在に沖縄には印部石(しるべいし、ハル石)と言うのがあり当時では考えられないほど精巧な地図を作るのに使われました。では石垣の地境石は・・・、実際の境界線とは少しズレてるけど良しとしましょう(笑)。実はこの岩も島の太平洋側の海岸に沢山ある津波石の一つで、明和の大津波によってココまで運ばれたと言う事が科学的調査で証明されています。この辺りの海抜は25~30mですから、それ以上の津波高だったと言うのは間違いない訳です。また過去2400年間で9回の大津波が来たんではないかと言う研究結果もあります。
もともと琉球列島と言うのは地球の歴史上非常に危なっかしい場所で、その中でも特に恐ろしい石垣島近辺。台湾の原発も近く風向きは大抵石垣に向かって来ます。3.11のあと沖縄や石垣に移住してきた人達は、どうしてこっちを選んだのか不思議です。