先日の続きです。全部で7つのお墓と言うかスペース?穴?があり、前回とは別のを紹介します。
ここでは前回の穴より多人数の骨が出て来てます。同時に色々な埋葬品(副葬品)が出て来るんですが、かなり立派でキレイな物が多いようです。画像の陶器なんかも状態が良く、デザインも素敵です。この場所で不思議なのが、画像一番奥まった場所から水が染み出して来るんですが、普通そんな場所に埋めないはずなんですけどね?まぁ数百年経っているから地殻とか水の流れが変わってしまっただけなのかな?
前回も書きましたが神秘的な場所で、昔の人がここをお墓にしようと考えたのも頷けます。今は発掘作業中ですが普段は誰もいず、ほぼ全方向を石灰岩に囲われたその中に入ると変な話し非常に強い物、もしくは矛盾しているんですが非常に静かな物、を感じます。
その一番高い位置には御嶽の跡があります。残念ながら祠も香炉も残っていませんが、琉球王朝時代の航海安全を祈願した大切な拝所だったようで、現在の市街地にある美崎御嶽と同じ役割と言って良いのかな?
それ程大きな御嶽ではなかったようですが辺りより一段高くなっていて、キチンと石垣で囲まれ階段もあり、かつてはこの島の重要な貿易拠点であった川平湾の守り神だったのかも知れません。
最後は土肥先生(形質人類学・医学博士)と文化財課のOさんです。オイラが行った時も作業の手を止めて色々と説明してくれました、ありがとうございます。発掘師のTさんもいて丁度休憩時間になったのでおやつを頂きました(笑)。このような考古学の専門家、地元の発掘師さんなどのお陰でこの島の新たな歴史が一つ一つ紐解かれて行くのです!
土肥先生とは途中、以前オイラが見つけた古墓に行ったんですが、時間があまりなくジックリ見れませんでした。またおこしの際はご教授お願いします。
#川平湾 #かつての重要貿易港 #航海安全祈願 #考古学
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