【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

美しき言葉遊び~その2

2012-01-31 16:45:16 | 心の宝石箱







「何を読んでいるの?」
「ピクウィック」

「その本を読むといつもひもじくなっちまうのよ。
その中には美味しそうなものが
どっさり並べてあるんですもの。
登場人物は始終ハムや卵やミルクポンスなどを
大いに楽しんでいるようじゃないの。
あたし、ピクウィック を読んだ後、
たいてい戸棚を掻き回しに出掛けるのよ」
                  【「アンの愛情」 第20章】
 【注 : (英)ディケンズ著 「ピクウィック・クラブ」
ピクウィックという好人物を中心とした珍道中を描いた作品】

 




   久し振りに雲一つない
  快晴の朝を迎えました。

   今朝は、これも数日振りに
  庭の如露の凍結を見た位ですから
  すこぶる冷えました。

   それでもゴミ出しの時に見た空は
  青 ―― 青 ―― 青。

   つい柄にもなく、先日読んだ
  ばかりの吉屋信子の文章を
  思い出したりして。

   「空は陶器の青みに晴れていた」 
                             ~吉屋信子著 「安宅家の人々」
   

   その空を満喫して家に戻って見た空は、もう写真の空に。
  ただ全体ではなく、そこだけ橋のように雲が掛かり、
  太陽は、まるでお月様のようです。でも、これが “刹那の移り目” なのだと思ったり。

   ここ最近の空は、ここからすぐさま冬の空に戻り、
  出し惜しみする事が多かったのですが、今日はそんな事はありません。
  結構、気前がいいようです。終日の冬日和となりました。
  



                             【水栽培で咲いた「金の成る木の花」】
   さて、ここ最近、武者小路実篤や
  吉屋信子の小説に接し、日本語の
  美しさを再認識している私。

   そんな折、ヴェンスラオ・デ・
  モランス という人物を知りました。
  (過去の関連記事は こちら【1】【2】

   小泉八雲と同時期に来日し、
  その後永住したポルトガル人。

   彼は日本人の道徳性の素晴らしさは、
  日本語にあるのではないかと着目。

   日本語ほど尊敬語、丁寧語、
  謙譲語の多い国は世界に
  類を見ないのだとか。

   相手を尊敬し思いやる心と、
  自己を抑制し慎む謙虚な心が、
  その言語を増やし、それがそのまま
  礼儀に繋がっていると・・。

   更に侮蔑(ぶべつ)語や下品な
  言葉は極端に少ないと言います。

   “日本語は耳に快く響き、
  今日話されている言葉のうち最も美しいものの一つ”

  とまで称えてくれています。日本人として有り難いですね。

   折しも由紀さおりが日本語で歌う 「1969」 が、
  今アメリカで、ヨーロッパで、大ブームになっていますものね。
  言葉は分からなくても “癒やされる” と言って。

   一方、現在の日本。
  東日本大震災では、世界に道徳心の高さを賞賛されましたが、
  残念ながら衰退の方向に向かっている事は、多くの人が感じている事でしょう。

   英語が話せる事は素晴らしい事です。
  でも、だからと言って日本語の素晴らしさに気付かず、
  粗末にしている現実を見た時、暗澹(あんたん)としてしまいます。

   ところで吉屋信子全集と一緒に持ち帰ったのが写真の三島由紀夫本。
  『豊饒の海』 の第3巻、「暁の寺」 には往生しましたが、
  やはりその余韻は未だにくすぶっていますから。

   ここには7作品、収録されています。
  敬遠していた三島作品ですが、そのうち読んでみようかな・・と。

   そうそう、今日の引用文。
  『アンの世界』 ではレース編みや詩に限らず、
  日常会話の中に本の話題も豊富です。それに重なる武者小路、吉屋文学。

   今更、あの時代に戻りたいとは思いませんが、
  こんな閉塞感のある今の時代だからこそ、
  変に自虐的にならず、誇りを持って生きたいですね。    

高潔な人間愛 ~ 「安宅家の人々」

2012-01-30 16:22:56 | 心の宝石箱

【次々と開花する 「金の成る木の花」】


壁暖炉の火は音立てて燃えていた。
―― この森の中に厳しい霜柱が立ち、
肌に沁みる風のはげしい冬の日々だった。
その頃雅子は、
義兄のピアノの稽古を手伝った後、
その暖炉の前で、毛糸編物をしていた。
(中略)
雅子のたゆまず動かす編棒の手許に注ぐ
伏目の睫毛まつげが美しくっていた。

「それ、譲二の?」 宗一が問う。
「あら、お義兄様のよ、
クリスマスには間に合わせますわね」
雅子は編物から目を離して
義兄を微笑んで見た ――
             【吉屋信子著 「安宅家の人々」】


   




   今日も太陽と共に朝を迎えました。
  気温もほぼ昨日と同じくらい。
  庭の如露の凍結もありません。そんな中・・。

   およそ、1ヶ月になりますね。
  金の成る木の白い小さな花が見頃を迎えています。

   今年は例年になく花芽を沢山付けたのですが、
  その花芽が一斉に開く・・というのはないようですね。

   勝手気儘に1輪ずつ開いては閉じ・・を繰り返しています。
  言ってみれば、完璧なる自己主張の花かも知れません。

   そしてこの花を見る度、いつも思うのですが、
  この肉厚の葉に、およそ不釣り合いな見るからに可憐な花、
  ちょっと意外です。

   もし試験で隣に繊細な葉があって、「どちらでしょう?」
  ~なんてありましたら、絶対に間違えてしまうでしょう。


   前置きが長くなりました。
  昨日の続きとさせて頂きます。 

   吉屋信子著 「安宅家の人々」。
  昭和26年(1951) の作品です。

   読み始めて暫くしてフジテレビ系列、
  お昼のテレビドラマで見た事を
  思い出したものです。

   尤も舞台は養豚場がホテルに、
  時代も現代に変更されていましたが。

   放映は随分昔のように思って
  いましたが、4年前だったのですね。

   テレビでは雅子役が小田茜、
  国子役が遠藤久美子だったようです。

   尤も小田茜を観月ありさと間違えたり、
  国子役は名前さえ知りません。
  記憶のいい加減な事と言いましたら・・。

   当然の事ながら、
  ここではテレビドラマからは離れさせて頂きます。

   ドラマという性格上、仕方ないのかも知れませんが、
  タイトルのように “高潔な人間愛” を
  描いているようにはとても思えませんでしたし。












【吉屋信子著 「安宅家の人々」】


   




   ところで最近、とみに注目するのが小節の冒頭部分です。
  ここだけ読みますと、淡々と書かれた描写は、
  大好きな松本清張を連想。

   さしずめ推理小説なら、どんな事件が
  待っているのかと、わくわくする処でしょう。

   そうそう、その物語とは・・。
  近江商人である安宅宗右衛門が一代で築いた莫大な財産は、
  宗右衛門の死後、長男宗一と腹違いの次男譲二に譲られます。

   ただ、長男宗一は早くに亡くなった母親の美貌を受け継ぎ、
  眉目秀麗ながら生来の精神薄弱。

   安宅家に長年、仕えていた執事の娘国子と結婚し
  (させられ?)、その国子は広大な養豚場を経営して
  必死に働き、宗一を支えます。

   一方、次男の譲二は大学出ですが、
  放蕩(ほうとう)息子。

   事業をするも、ことごとく失敗。
  この譲二には若く美しい妻、雅子が。

   とうとう最後の砦(とりで)、
  軽井沢の別荘も手放す事になり、養豚場の離れ(役宅)
  に移り住む事から始まる、様々な心の葛藤と人間模様。

   もし、ここで次男の嫁雅子が悪い女性であるなら、
  骨肉の争いとなるのですが、姿形ならず、
  心まで美しい雅子は、宗一の良き理解者でもあり、
  又、国子とも信頼関係を結び、支えます。

   宗一にテニスを教え、ピアノも親切に丁寧に教える雅子。
  いつしか宗一は優しく美しい雅子に淡い恋心を・・。

   雅子にとっても精神薄弱でありながら、
  それ故に神の如く無垢な心を持つ、
  宗一との心の触れ合いは、唯一の安らぎとなるのです。

   それにしても複数の家族が一つの場所で生活する難しさ。
  当然の事ながら、色々と問題が起こるものですね。

   予期せぬ事も。
  結局、譲二の裏切りなどで、
  譲二夫婦はここから出て行く事になるのですが・・。

   ともあれ、この小説は現代にも十分通用します。
  「赤毛のアン」 にも言える事ですが、
  小節の素晴らしい処ですね。

   精神薄弱をそのまま、その他の障害や認知症にも
  置き換える事が出来ますから。
  幸福を求める権利は、誰にもあるのですものね。

美しき言葉遊び

2012-01-29 16:22:36 | 心の宝石箱
 








「大ぼらなんて言ってはいけませんよ、
ディビー。嘘とおっしゃい」
学校の先生らしくアンはたしなめた。
(中略)
「それは 流行はやり言葉 ですもの。
小さな子供が 流行言葉
使うのはよくありません」
               【「アンの青春」 第10章】


   




   今朝は雲一つない日の出を迎えました。
  朝から太陽燦々です。そのわりに風花、チラチラ。

   随分、寒く感じられ、そう言えば・・
  今日は気温が下がるような事を言っていましたから、
  さては本格的な雪・・? ~なんて期待したのですが、ほんの一瞬だけ。

   ところが午前9時前には、どこから現れたのか、
  太陽はすっぽり雲の中に。その後は出たり入ったりを繰り返しています。

   でも例え朝のひと時に過ぎませんが、
  太陽の恩恵に与(あずか)った事は、良しとしなければ。

   武者小路実篤ではありませんが、日々是好日ひびこれこうじつ(毎日が良い日)
  と行く事に致しましょう。折角の1日ですものね。








   



   さて、吉屋信子著 「安宅家の人々」 読了。
  昔、何作か読み、唯一覚えている事と言えば、
  文体が美しいという、ただそれだけ。

   それこそ今回、何十年振りかで手にしたという訳ですが、
  その、もう微かになっている記憶に間違いはありませんでした。
  日本語の美しさが脈々と伝わるような・・そんな本。

   昨年もそうですが、私は “読書の秋” より “冬” の方が進むようです。
  最近ではすっかり減りましたが、元来は外出も好き。

   秋はお天気も良いですし、紅葉なども気になって
  落ち着いて読書している気分にならないのかも知れません。

   その点、冬は寒いので外出する気も失せますから、
  心おきなく読書に集中出来るという訳です。そう、ストーブの前で。

   ところで今日の引用文の 「流行(はやり)言葉」。
  現代こそ、それのオンパレードといった処ですものね。
  省略言葉など、その最たるものでしょう。

   確か前回の武者小路実篤本でも 「流行言葉」 云々・・を
  作中で見ましたが、それをやんわりと注意していましたっけ。
  そう言えば・・。




「光彦、その服装は何ですか!」  
  
「いえ、これ今 流行 で、
お店の人に似合うと言われたものですから」
  
「あなたは人に似合うと言われれば、
似合いもしないのに着るのですか!」


   こちらは言葉ではありませんが、(つい時間潰しに)
  偶然にも偶々、付けていた大昔のテレビの再放送の中の会話。

   思えば昔の親は、こんな風に子供に注意していたものですね。
  当時は私なども、うるさくて嫌だな・・と思っていたものですが、
  だからと言って、今日のように親が注意しなくなった事がいいとも思えません。

   「ファッションがその人の暮らしの表現であるように、
  言葉も又、その人の生き方の表現であり、
  感受性、美意識の証し」
  

   ~何かの本で読んだ事があります
  アララ・・。又々、やってしまいました。

   今日は、「安宅家の人々」 の感想を記す筈でしたのに。
  「流行言葉」 から思わぬ脱線。感想は明日以降に。

   最後に相田みつをの、そのものズバリ、
   「日々是好日」 の素敵な詩を見つけました。
  以下に記します。今日も大事な1日が・・過ぎて行きます。





   

今日もほっこり冬時間

2012-01-28 16:33:36 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編








「この浜辺の光と影の効果は見事ですわね」
アンも同意した。

「うちの 小さな裁縫室
港を見晴らしていますので、
窓際に座って目の保養をするんですよ。
色も影も2分と続いて同じじゃありませんものね」
                  【「アンの夢の家」 第10章】


   



   真珠色の空で明けた今日。
  その空からオレンジの太陽が顔を覗かせたのは午前8時過ぎ。

   昨日は今年初めて室内の気温が10度を切りましたが、
  今日は10度とちょっと。たった1度の差ですが、
  如露の水の凍結はありません。

   「たかが1度、されど1度」 と言った処でしょうか・・。
  日中は、ちょっとだけ寒気が緩んだ気がします。









     さて、およそ10日振り位でしょうか・・。
    『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』、開店と致しましょう。

     今のように寒い冬の季節は、
    ほっこり身体の芯まで温まる飲み物がいいですね。
    そんな時、美味しい甘酒はいかがでしょう。


   私の場合、朝は生姜紅茶、
  日中は、こんな風に甘酒と・・

   身体を温める事に
  余念がありません。

   今日は甘酒ですので、
  “和” でとも思ったのですが、
  “和” は、いつも楽しんで
  いますものね。

   今日は “カントリー” と
  致しましょう。

   甘酒ですから大きめのカップの方がいいですものね。
  幸い例のお気に入りのカップがありますから。

   その 【カップ】 とは男の子(ギルバート)、女の子(アン)、
  そして花柄の3種類あります。その中の今日は花柄で。

   カントリーと言えば、これも久し振り “リンド夫人の部屋” へ。
  いいえ、今日はアンの “小さな裁縫室” かしら・・?。

   「アンの夢の家」 のように海は見えませんが、
  わが家で唯一、道路に面している部屋。

   そして相も変わらず、“蝋燭(ろうそく)の光と影”。
  癒やし効果は見事です。

   今は窓を閉め切っていますので外の音は聞こえませんが、
  気配は分かります。アラッ・・これって、
  しっかりリンド夫人していますね。失礼遊ばせ~。  

春の鼓動

2012-01-27 15:56:06 | 香る庭の花綴り










冬の樹々は天に義足を投げ出していた。
それから暖炉の側の少女の裸体は、
燃える薔薇のように見えるのだが、
窓に歩み寄ると、それは造花である事が露見して、
寒さに鳥肌立った肌は、けば立った天鵞絨ビロード
花の一片に変貌するのであった。
                【三島由紀夫著 「詩を書く少年」】









   昨日以上の
  冷たい朝を迎えました。

   起き抜けの気温も、
  とうとう10度を切る事に。

   昨日は薄らといった如露の水の
  凍結も(まだ水が動いていました)
  今朝は、ほとんど動きません。

   外は恐らく氷点下なのでしょう。
  それにしても厳しい寒さとは
  思えない程、澄んだ優しい空。

   さて、冒頭の写真。
  いの1番に花芽を付けた、こちらの 【匂い菫(ニオイスミレ)】 。

   初めて、その存在を確認してから今日で、およそ 10日 。
  あまりの寒さに “シマッタ~!” と思っているのかも知れませんね。

   菫の特性とは言え、俯く風情の楚々とした菫を見ていますと・・
  何だか可哀想で、せめて他の仲間はいないかと探してみたものです。

   他には、まだやっと緑の小さな蕾を付けたばかり。
  とは言え、10日前にはその蕾の存在さえ、なかったのですから、
  後、もう少しの辛抱ですね。菫の1人旅は、もう少し続くようです。











                                【「海老草(エビソウ)」】
   今年の冬は秋が
  長かったせいなのか・・

   (はたまた気付かなかった
  だけかも知りませんが)

   冬になってもその名残りの色が、
  あちこちに残っていて目を奪われます。

   その中で薔薇の木。
  花も然る事ながら、
  葉っぱの美しいこと!

   自然の醸し出す色に感嘆しています。
  女王の中の女王ですね。

   そうそう上記の引用文。
  “冬の樹々は天に義足・・”
  云々(うんぬん)。

   氏らしいと言えばそれまでですが、
  凡人には思い付きもしない感覚。

   やはり天才ですね。
  その感性には凄みさえ感じます。

   ところでこちらの海老草の葉っぱ、
  秋の初めの頃からこの状態のままです。

   所によっては、
  その葉っぱを真っ黒にしているのもありますのに。
  見るも無残な姿。ここでも薔薇の美を思わずにはいられません。  

悠々自在の人生観

2012-01-26 17:45:28 | 心の宝石箱









―― あたしが学校から帰ると
いつでも火を燃やしといてくれます。
(中略)
中に硬木の薪を詰めますと、
薔薇色がかった赤い色に輝き、驚くべき熱を発散し、
どんなに心地良いかお分かりにならない程です。
あたしは今、ストーブの前に座り、
その小さな炉辺に足を載せ、
膝の上であなたへの手紙を書いております。
                  【「アンの幸福」 最初の1年4.】










   


   目覚まし時計がけたたましく鳴り響いた朝。
  又鳴り、止めて・・を繰り返して。

   今朝ばかりは暖かい所から出たくないばかりに、
  ぐずぐずしていたものです。

   それでもやっと抜け出し見た空は、
  こんな力強い日の出。

   起き抜けの階下の居間の気温は、10度。
  昨日と同じですのに、より寒さを感じます。

   午前9時頃までは燦々と輝いていた太陽も、その後は出たり入ったり。
  チラチラと風花も舞って。そうなりますと・・。
  今日は、ストーブの前から離れる事は出来ません。









芸術の世界においては、
世間とはまるで違う法則が行われている。
世評が高く、画が飛ぶように売れ、
戸締りしても、その戸締りをこじあけて
多くの金が飛び込んで来る村野が、
茅屋ぼうおくに住んで訪れる人もなく小さな貧しい画を
描いている小次郎にややもすると
嫉妬を感じるのだった。
そして小次郎自身、自分の方が
勝利を得て来た事を感じているのだ。
                    【武者小路実篤著 「暁」】


   



   さて、昨日に引き続き、今日も武者小路実篤です。
  今日は 「暁」 を。

   この作品が書かれたのは、昭和17年。
  戦争中ではありますが、まだまだ余裕のあった時期のようです。

   天才肌ではないけれど、1人でコツコツと腕を磨き、
  気に入った作品だけを精魂込めて描き上げる・・

   「馬鈴薯1つ描けたら立派な画家である」
  そんな60歳になる1人の画家の物語。

   従って売れる絵は描きませんから生活は至って貧しい・・という訳です。
  そんな彼が娘の冬子の幸せのために 一念発起し、初めての個展をする事に。

   ここでも親友村野と家族の温かい援助があった事は言うまでもありません。
  ついに100号という大作を描き、個展は大成功。
  めでたし、めでたし・・という小説です。
  
   今回は、精進すればやがては実を成し、
  花開くという物語ですから、気持ち良く読めました。

   でも氏の作品は、このような作品がほとんどで、
  「愛と死」 のような悲劇は特別のようですね。
  
   そう言えば、それさえも最後には人生を随分、
  前向きに捉えていましたっけ。
  こんな氏の人生観は、見習いたいものですね。

   ところで今回の小説。上記のように貧しい画家とあります。
  それでも、その貧しい画家の家の母子の会話には驚きます。美しい!







【「武者小路実篤著 「暁」】


   美しいと言えば・・。実家から母の愛読書、吉屋信子集を持ち帰りました。
  小学生の頃、少年少女文学全集で 「あの道、この道」 でしたっけ・・?
  彼女の本を読んで、いたく感動した事を思い出しました。

   こちらの本、何作か読んだのですが、今ではどれを読んだのかさえ忘れています。
  この中に 「女の友情」、「暴風雨の薔薇」 というのがあります。
  何だかロマンティック。次は、これにしようかしら・・?

屋根裏の癒やし気分

2012-01-25 16:53:16 | 心の宝石箱






今夜、小説を読んだ。悲しい最後 である。
私はみじめでたまらないので、
この小節の幸福な結末を作り出した。
私の小説は必ず最後を幸福にしよう。
「現実に忠実」 であろうとなかろうと構いはしない。
当然そうなるべきだという点でそれは現実に
忠実であり、この方が余計忠実と言える。
                【「エミリーはのぼる」 第16章】



   起き抜けの気温は丁度10度。
  さすがに今日は、
  冷たい朝を迎えました。

   写真のように今朝も最初は
  おずおずと頼りない太陽
  でしたが、その後は
  たっぷりの日射し。

   日射しさえあれば・・。
  この恩恵に感謝です。
  久し振りの冬日和となりました。






   さて。次は何を読みましょう・・?
  本箱を探していましたら・・。

   シミのある、こんな古ぼけた
  文庫本が出て来ました。
  
   例の武者小路実篤の 「愛と死」。
  絵も描く彼の見覚えのある表紙です。
  
   私が再読したのは全集の方でしたが、
  それこそ、ページはセピア色に
  変色したこちらの文庫本。

   こちらで読めば良かったと・・
  ちょっぴり後悔も。やけに懐かしくて。

   武者小路実篤の、この 「愛と死」 と
  もう1つの 「友情」 は、どなたでも
  1度は読んだ事のある本でしょう。

   実は私もそう。
  今日はもう1つの代表作、
  「友情」 の感想を。
  屋根裏部屋気分の、セピア色のこの部屋で。

   「愛と死」 は、誰もが羨む美男美女のカップルでしたのに、
  幸福の絶頂から最後の最後、奈落の底へ突き落されてしまいます。
  運命の悪戯と片付けるには余りにも惨(むご)く、言葉もありません。
  
   小説の中の出来事とは言え、
  悲劇で終わるのはあまり気持ちの良いものではありませんね。
  一方、「友情」 も失恋で終わります。
  
   それはそうと、「愛と死」 の方は1回きりしか読んでいませんでしたが、
  こちらの 「友情」 は2、3回は読んだのではないでしょうか・・。
  主人公の野島の名前も覚えていましたし。

   でも今回読んでみて、何と都合の良い解釈をしていたと言いますか・・
  人間の記憶のいい加減さに驚きもし、同時に呆れてもいます。
  
   野島が杉子の事を好きなのは、その通りなのですが。
  先に親友の大宮に杉子との恋を打ち明けられ、
  心ならずも親友のために骨を折る・・。
  でも杉子は、野島の方を心秘かに思っていた・・と。

   結果は全く逆。
  先に親友の大宮に恋を打ち明けたのは野島であり、
  その大宮は親友のために自分の恋心を抑え、協力するのです。

   いよいよ大宮は、それに耐えられなくなり巴里に行くのですが、
  あくまでも野島の恋を応援し、杉子はあくまでも野島を拒否。
  果ては自分の心を伝えるために巴里にいる大宮に手紙を書くのです。

   今回読んで感じた事。
  私だって野島より大宮の方が断然、いい。
  なのにどうして・・野島に思い入れ? が強かったのでしょう。

   さては、その当時・・私も片想いしていたのかしら・・?
  ~なんて、思いは尽きません。

   そうそう、先日も記しましたが、この小説の書かれたのは大正8年。
  言葉の美しさ以外には現代との違和感は全くありません。

   それにしても言葉の美しさ以外には・・~なんて、ちょっと変ですね。
  又、大正時代の女性も意外に積極的だった事にも随分驚いたものです。

   この本に限らず再読して改めて感じる事。
  人は、その時々の年齢や環境によって受け取り方や興味の持ち方も違って来ます。
  
   又、時を経る事によって新たな発見もありますものね。    
  時間が許せば、たまには再読してみるのもいいかも知れません。

   今日は屋根裏部屋の雰囲気で。いいえ、逃避行かも。
  屋根裏部屋は環境的には厳しいかも知れませんが、
  秘密の部屋雰囲気と、ロマンが溢れているようで好きなのです。

風花&綿帽子の浪漫

2012-01-24 18:13:58 | 路傍の花~道草




「・・・今は森の中が素敵なのよ。
羊歯しだ繻子しゅす地のような葉も、いろんな木の実も、
森のものはみんな眠ってしまったの。
まるで誰かが森のもの全体を
木の葉の毛布でくるんでしまったようよ。
きっとね、虹のスカーフを付けた炎色の妖精が
最後の月の夜に抜き足差し足でやって来て、
そうしたんだと思うわ。・・・」
                  【「赤毛のアン」 第30章】



   久々に朝の早い時間に
  顔を出した太陽。

   冬の太陽は、
  おずおずと、でも大胆に。

   日本列島を強い寒波が
  襲っているようですね。

   先週の1週間予報では
  この週明け、こちらも最高気温が
  4度になるとかならないとか。
  
   心配していましたが、
  思った程ではありません。
  
   今日も起き抜けの居間の気温は13度ありましたから。
  ただ日が落ちるに従って、さすがに冷えて来ました。
     


                                    【冬空を彩る赤い実】
   さて今日は野暮用で街へ。
  帰り道、寄道しようと思って
  いましたから(例の私だけの場所へ)
  一応カメラを持って出たものです。

   しかしながら用事を済ませて
  帰る頃には俄かに雲行きが怪しくなり。

   案の定、チラチラと
  風花が舞い始めました。

   こうなれば、アン気分よろしく、
  森の中・・~なんて、
  寄道する気も失(う)せてしまって。

   そうそう 「ぶなの木屋敷」 ならぬ、
  例の 【ポプラの木屋敷】 が、
  解体されている現場にも。

   紅い蔦が絡まり、この辺りでは珍しく
  木々でこんもりした、このお邸。
  少々古いけれど典型的な日本家屋。

   大層趣きがあって
  気に入っていただけに残念です。

   いつも横目で眺め、「想像の余地」 を膨らませていましたっけ。
  跡地には今風の家が建つのでしょうね。きっと。

   そんなこんなで。残念ながら、アンお勧めの 「冬の森」 はお預けです。
  本当に “行きは良い良い、帰りは怖い・・” ~♪ 状態。

   とは言え、手はかじかむ程寒かったものの、風花はチラッ止まり。
  家に着く頃には青空も。何だか肩透しを喰らった気分です。

   せめてもの写真は 「蒲公英(タンポポ)」 とその綿帽子。
  今では1年中咲いていますから、ちっとも珍しくありませんね。
  
   でも私にとって蒲公英と言えば、どうしても春のイメージ、希望の花。
  そう言えば、既に 「カラスノエンドウ」 も咲いていました。
  そしてもう一つ、冬空を彩る赤い実は、空まで届きそうな? 大木です。

埋火(うずみび)

2012-01-23 15:46:16 | 四季のスケッチ

【「小手毬(コデマリ)」】




至る所に、血を吸ったような
ロシヤタンポポが朱くはびこる。
北海道にはないタンポポだ。
野に一面に咲く
このタンポポを見ていると貴乃も淋しい。
朱色がなぜ淋しいのか、貴乃は不思議だ
                 【三浦綾子著 「天北原野」】



   随分、久し振りのような
  気がした太陽。

   しかしながら折角の太陽も
  すかさず雲に覆われ、
  かなり出し惜しみしています。
  そんな所へ・・。

   いつも接している南の窓ではなく、
  明り取りの西の窓から垣間見える
  空は青い!

   俄かに信じられない気がして
  確かめたものです。一面の青空。
  
   何だか嬉しくて。「万歳!」 と叫び出したい気分。“アレッ・・?” これって。
  先日来からの小節の手紙の文章みたい。何とも単純な私です。




   さて、先日は 「冬の篝火(かがりび)」
  と感じた紅葉(もみじ)の落葉。

   さすがに日を経ると
  枯葉になって来ました。

   それが今は残り火・・いいえ、
  木の間に紅葉の枯葉が入って、
  まるで埋火(うずみび)のよう。

   それにしても真っ赤な落葉が
  なぜか哀しくて、それが胸の奥に
  微(かす)かなしこりとなっていました。

   季節外れのそれが1番の原因かとも思うのですが、
  枯葉ならまだしもその葉っぱが色鮮やかだったのも余計に。

   そんな所へ見つけたのが上記の文です。1年前に読んだ 『天北原野』 の中に。  
  落葉は秋、タンポポは黄色という先入観もあるのかも知れませんね。
  でも不思議です。

   ところでアース色の最後の一葉を身に纏(まと)ったまま新芽を付けていたリラ。
  長いこと頑張っていた最後の一葉も雨で落とされたようですね。
  
   朝日を受けて輝いています。
  今年の願いは、ただ一つ。今年こそ、花が咲きますように。

慟哭~「愛と死」 より

2012-01-22 16:56:16 | 心の宝石箱






女中無躾ぶしつけや家政婦の横柄おうへいと絶えず
戦いながら、本多はもはや自分の感覚の全てが、
女共の持ち込む今風の容儀や言葉使いに、
耐えられなくなっているのを知った。
どんなに善意で勧めてくれても、
「わりかし」 とか 「意外と」 とか、
何気なく口をついて出る流行はやり言葉、
立ったままふすまを開けたり、口へ手も当てずに
大声で笑ったり、敬語を取り違えたり、
(中略)
そういう事全てが感覚の嫌悪を誘って、
その嫌悪を抑える事が出来ずに一寸ちょっとした小言を
言うと、どの女もその日のうちに暇を取った。
       【三島由紀夫著 「天人五衰」~「豊饒の海」 第4巻】


   今日も真珠色の空で明けました。これで3日連続。
  おまけに “寒い~!” と思って目覚めた起床時の居間の気温は13度と少し。
  
   昨日が暖か過ぎたのであって、ちっとも寒くないではありませんか。
  人間の・・いいえ私の感覚のいい加減さ。呆れてしまいます。


   さて、テレビ映画を見た事からの
  原作回帰ですね。

   武者小路実篤著 「愛と死」
  再読了。ついでに 「友情」 も。

   映画の中の言葉以上に、
  原作中の言葉の美しさに
  改めて目を見張る思いです。   

   先日の映画、「世界に賭ける恋」
  では主人公の職業や交通手段等の
  違いはあるものの、ほぼ原作に
  忠実に描かれていました。

   そうそう巴里(パリ)とか
  伊太利(イタリー)といったように
  都市名が漢字でしたけれど。

   でも今となっては、
  それさえも新鮮ですね。

   ところでこの作品が書かれたのは
  昭和14年と言います。

   それでも時代の差は、ほとんど感じません。
  それどころか、まるで音楽のように文章を読み進めて行ったものです。

   尤も、あの時代に家に女中がいて、(敢えてこの言葉を使わせて頂きます)
  送別会の出来る洋風の大広間がある・・。
  上流階級という事もあるのかも知れませんが・・。

   それは「友情」にも言えます。
  こちらは時代はもっと遡ります。何と大正8年。

   やはり夏休みに海のある別荘に出掛けたり、
  ましてやこの時代に、ヨーロッパにもサッと行けるのですから相当な経済力ですね。
  
   「愛と死」 の方は、相思相愛。
  先日の映画でも触れましたが、ヨーロッパ外遊に出掛けた恋人の男性(村岡)と
  日本で待っている女性(夏子)との頻繁な手紙のやり取りが中心です。

   今なら、さしずめメールのやり取りといった処でしょうか。
  ですから、ほとんど違和感はありません。

   ただ、大きな時間差と敬語で溢れている手紙とは、
  雲泥の差ですけれど。
  
   繰り返しになりますが、(敬語もそうですが)言葉の美しさ。
  つい今は・・と思ってしまいます。

   今日の引用文でもある、三島由紀夫の小説が書かれたのは昭和45年。
  (小説中の時代設定も同じ頃です)
  「愛と死」 が書かれてからは、30年余り経っているのですね。
  
   その三島由紀夫から現代までは、かれこれ40年余り。
  今では、もっと乱れているのですものね。
  “世界中で男言葉と女言葉があるのは日本だけ”
  
   ~日本の文化であり、それと男女平等とは
  何の関係もないと思うのですが、(ジェンダーフリーはもっと厭ですけれど)
  そんな名の下(もと)に、乱暴な言葉遣いが多くなったように思います。
     
   CMでさえ、女性が男言葉で喋っている昨今。
  敬語さえも消えつつあるようで悲しくなります。
  そう言えば、どこかのテレビ局でも廃止・・なんて。

   これも時代の流れ? でしょうか・・。
  でも、ちっとも美しくありませんけれど。

   話が逸れました。
  村岡の帰りを一日千秋の思いで待っていた夏子。

   帰国の途に就いた所で届いた電報は、夏子の突然の死。
  幸せの絶頂から一気に奈落の底へ。運命の残酷さを思います。


 【武者小路実篤著 「愛と死」】