


「何を読んでいるの?」 「ピクウィック」 「その本を読むといつもひもじくなっちまうのよ。 その中には美味しそうなものが どっさり並べてあるんですもの。 登場人物は始終ハムや卵やミルクポンスなどを 大いに楽しんでいるようじゃないの。 あたし、ピクウィック を読んだ後、 たいてい戸棚を掻き回しに出掛けるのよ」 【「アンの愛情」 第20章】 |
ピクウィックという好人物を中心とした珍道中を描いた作品】



快晴の朝を迎えました。
今朝は、これも数日振りに
庭の如露の凍結を見た位ですから
すこぶる冷えました。
それでもゴミ出しの時に見た空は
青 ―― 青 ―― 青。
つい柄にもなく、先日読んだ
ばかりの吉屋信子の文章を
思い出したりして。
「空は陶器の青みに晴れていた」
~吉屋信子著 「安宅家の人々」
その空を満喫して家に戻って見た空は、もう写真の空に。
ただ全体ではなく、そこだけ橋のように雲が掛かり、
太陽は、まるでお月様のようです。でも、これが “刹那の移り目” なのだと思ったり。
ここ最近の空は、ここからすぐさま冬の空に戻り、
出し惜しみする事が多かったのですが、今日はそんな事はありません。
結構、気前がいいようです。終日の冬日和となりました。

【水栽培で咲いた「金の成る木の花」】

吉屋信子の小説に接し、日本語の
美しさを再認識している私。
そんな折、ヴェンスラオ・デ・
モランス という人物を知りました。
(過去の関連記事は こちら【1】【2】 )
小泉八雲と同時期に来日し、
その後永住したポルトガル人。
彼は日本人の道徳性の素晴らしさは、
日本語にあるのではないかと着目。
日本語ほど尊敬語、丁寧語、
謙譲語の多い国は世界に
類を見ないのだとか。
相手を尊敬し思いやる心と、
自己を抑制し慎む謙虚な心が、
その言語を増やし、それがそのまま
礼儀に繋がっていると・・。
更に侮蔑(ぶべつ)語や下品な
言葉は極端に少ないと言います。
“日本語は耳に快く響き、
今日話されている言葉のうち最も美しいものの一つ”
とまで称えてくれています。日本人として有り難いですね。
折しも由紀さおりが日本語で歌う 「1969」 が、
今アメリカで、ヨーロッパで、大ブームになっていますものね。
言葉は分からなくても “癒やされる” と言って。
一方、現在の日本。
東日本大震災では、世界に道徳心の高さを賞賛されましたが、
残念ながら衰退の方向に向かっている事は、多くの人が感じている事でしょう。
英語が話せる事は素晴らしい事です。
でも、だからと言って日本語の素晴らしさに気付かず、
粗末にしている現実を見た時、暗澹(あんたん)としてしまいます。
ところで吉屋信子全集と一緒に持ち帰ったのが写真の三島由紀夫本。
『豊饒の海』 の第3巻、「暁の寺」 には往生しましたが、
やはりその余韻は未だにくすぶっていますから。
ここには7作品、収録されています。
敬遠していた三島作品ですが、そのうち読んでみようかな・・と。
そうそう、今日の引用文。
『アンの世界』 ではレース編みや詩に限らず、
日常会話の中に本の話題も豊富です。それに重なる武者小路、吉屋文学。
今更、あの時代に戻りたいとは思いませんが、
こんな閉塞感のある今の時代だからこそ、
変に自虐的にならず、誇りを持って生きたいですね。