【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

晩夏の囁き

2008-08-31 17:07:16 | 趣味の器(壺)~その他


   夏休み最後の今日は、
  写真のような久し振りの青空となりました。
  子供達へのこの夏、最後のプレゼントですね。

   その代わり、少しだけ夏に逆戻りの感が、
  ありますが、ここの所、ぐずついた天気で、
  夏を忘れていましたので、
  丁度いいのかも知れません。

   ところで冒頭の写真は、昨日の薔薇です。
  季節が季節ですから昨日の蕾が、たった1日で、こんなに開きました。
 
   微笑んだと言うより、笑った・・と言った方が、いいのかも知れません。
  本当に、薔薇には一喜一憂させられる私です。でも、とても愉しい一憂なのですが・・。 

   この写真を撮った後、昨日の記事にも
  記ました、ベニシアさんの如く、
  薔薇にしっかり声掛けして、
  切り取らせて貰いました。

   薔薇を切り取る時の心の逡巡は、
  何度回数を重ねても、未だ変わらずです。

   「・・・・・花をむやみに切って来ちゃ
  いけなかったんだからね」 
  「あたしも、ちょっとそんな気がしたの。
  摘んだりして美しい命を縮めちゃいけないって思った事は
  思ったんだけど ―― あたしだって、
  もし林檎の花だったら、摘まれるのは嫌ですものね。・・・」
          
                                       【「赤毛のアン」 第8章】

   これは、言うまでもなく、マリラ と、アン の会話です。
  花のためには切り取るのが、いいのだとは分かっていても、このアンのように、
  もし自分が、薔薇だと考えたら・・。やはり躊躇(ちゅうちょ)してしまいますね。

   さて、写真は今年の紫陽花です。
  と言っても、ドライフラワー。

   今年は、なぜか紫陽花が不調で、
  このタイプのものは、たった1輪だけ咲いた、
  私にとっては大切な大切な紫陽花です。

   早速、手持ちの壺に挿しました。
  土物の結構大きな壺です。

   ただ、頂き物で、
  どこの焼物かは全く分かりません。

   焦げ茶色と渋いグリーンの色合が、
  見ていて飽きません。

   良く似ていますが、
  いつもの信楽焼ではないと思うのですが・・。

優しい雨

2008-08-30 16:54:40 | 香る庭の花綴り


 


   午前11時頃には、一旦上がった雨ですが、
  今朝は久し振り “朝から雨”。
  でも、それは音もなく静かな雨です。

   この所、ゲリラ豪雨などと称され、各地に
  様々な被害をもたらしている、そんな雨とは
  比較にならないような優しい雨です。

   その証拠に、雨には本当に弱く、
  すぐお辞儀をしてしまう庭のカンナが、
  窓越しに背筋をピンと伸ばし、
  赤い花を咲かせているのが見えます。

   そんな雨にも関わらず、今朝は、
  朝顔の花が、とりわけ賑やかでした。

   目の覚めるような青を初めとして、白、紫、
  薄紫色・・。花びらに、雨粒を受けながらも元気です。

   今夏は咲いた時期が遅かった分、
  その遅れを一気に取り戻そうとしているかのようです。

   日本の夏の風物詩である朝顔は、暑い夏の朝、殊の外涼やかで、欠かせませんが、
  朝顔にとって今頃の気候は案外、最適なのかも知れませんね。

   そして、極めつけは薔薇。涼しくなったせいか、今盛んに蕾を付けています。
  そんな中で、この今にも綻びそうな薔薇を見つけた時、心は弾みます。

   “ピンクの薔薇を一輪摘んで、ジェーンは露を顔一面に振りかけた。
  薔薇で顔を洗うなんて考えてもごらんなさい!”

                                   【「丘の上のジェーン」 第13章】

   実際には、薔薇の露で顔を洗うのは無理かと思いますが、
  少なくとも、目は覚めますものね。

   でも、その発想が素敵で、こんな感性で、ずっといられたら・・なんて、
  思ったものです。きっと毎日が楽しいでしょうから。

   ところで、話はもう一度昨日の記事、『英国人ベニシアの庭物語』 に。
  昨日も記しましたが、彼女は、ハーブには必ず、
  「今日は切ってもいいですか?」 と声掛けするのだとか。

   常に、“ありがとう” の心を持って接していると、それに必ず応えてくれるのですね。
  彼女によれば、日本人が食事の時、「頂きます」 「ご馳走様」 と言うのと、
  同じ感覚だそうです。英国には、そんな習慣はなかったとも。

   そうそう、窓辺に、ハーブのゼラニウムを植えれば、
  蚊が家の中に入って来ないそうです。
  このゼラニウムは、沢山種類があるので、色々楽しめるのもいいですね。

    「ローズゼラニウム」、「アップルゼラニウム」、
  「レモンゼラニウム」 、「ペパーミントゼラニウム」
等など・・。
  窓辺に置くと、ハーブの風も、同時に感じる事が出来ます。

   これは、『アンの世界』 にも共通していて、
  窓辺に、このゼラニウムの鉢を置いていたのが、思い出されます。
  
   そう、アン が、「ポニー」 と名付けた花。
  マリラ との二人の楽しい会話さえも・・。

終わりのない庭物語

2008-08-29 16:32:07 | ハーブと香り雑学


   今日は、こんな空で明けました。
  雨は降っていません。
  それどころか、薄日が射しています。

   ただ、ここ2、3日、蒸し暑く、
  まるで梅雨のような天気です。

   そうそう、今日は、この夏初めて
   「蛁蟟(ツクツクボウシ)」 の声を
  聞きました。

   そのように思い込んで聞くからか、
  本当に 「つくつくぼうし・・」 と
  鳴くのですね。

   この蝉には、様々な伝説があると言います。その一つに・・。
  旅の途中、病気で亡くなった筑紫の人の魂が、蝉になって、
  「筑紫恋し、筑紫恋し・・」 と鳴いたとか。
  蝉の声を言葉として捉えた、日本人ならではの発想ですね。

   そして、こちらは今朝の
  「ヘブンリー・ブルー」 です。

   目の覚めるような青色と違って、
  ほっとする優しい青。

   さて先般、終わったオリンピックでは
  久し振りにテレビに熱中しましたが、
  最近では、ほとんどと言っていい程、
  テレビを見なくなった私です。

   昨日の夜の事、何気なく
  テレビ欄を見ていましたら・・。

   ふと、NHK 教育テレビ欄、
  『京都大原・英国人ベニシアの
  庭物語』
に、目が留まりました。

   副題には、「生活にハーブを・コテージガーデンの魅力・貴族を捨て日本へ」
  などの文字が並んでいます。思わず、興味をそそられました。

   早速、この番組を見たのは、言うまでもありません。概要を述べますと・・。
  彼女は、57歳。日本人の山岳カメラマンと1992年に結婚して、
  京都大原で、築100年の古民家に暮らすようになったと言います。

   勿論、庭は荒れ放題。家は、昔ながらのしっかりした造りの家。
  梁と柱を生かして、自分達で、少しずつ、少しずつ・・手を加えて行ったと言います。

   荒れた庭には、土を入れ替え、沢山のハーブや季節の花を植えました。
  それは、かつて自分が住んだ、スペインやインド・・などにも、こだわり、
  花壇に名前を付け、色別にするほどの熱の入れようです。

   そんな彼女ですから、ハーブでお茶や料理は勿論の事、石鹸、シャンプー、
  腐葉土、防虫剤なども全て手作り。それは徹底しています。

   その合間には、野の花のスケッチに散歩に出掛け・・。
  何だか、ターシャ・テューダを連想させますね。
  注目は、その家。日本家屋なのに、実に英国的なのです。

   これまで英国の家やその暮らしは、憧れを持って眺めて来ました。
  数々の雑誌や、写真などから、“あんな風にしたい、こんな風にしたい・・”
  ~なんて。でも、どこかで諦めがありました。

   ここは、英国ではない、石造りの家でもなければ、洋風でもないと・・。
  でも、それはある種、逃げでもあったのでしょうね。

   あの古い日本家屋が、見事に英国風なのですから。憧れの東屋も、あります。
  庭にテーブルを置き、ハーブティーを飲んだり、食事をしたり・・。
  友人達との団欒の場所にもなっています。

   彼女は言います。ハーブを摘む時は、ハーブに向かって話しかけるのだと。
  そこにいる妖精達が他所に移動出来るように・・。
 
   「今からお茶を飲みたいのですが、切ってもいいですか?」
  ~そして、こうも言います。

   “庭は、季節と一緒に生きている。
  毎日の花や虫との出会いに感謝し、
  それだけで胸が一杯で、満たされている。
  花が咲き、虫が飛んでいるだけで、ハッピー。
  生きているのが、いい気分。”
と。

   そして、やはり彼女もこんな風に・・。
  「幸せは、自分の心の中に見つけるもの」 だとも。
  素敵な1時間でした。

余韻の中で・・・

2008-08-28 17:13:34 | リラのお気楽ユメ日記


   こちらは、天気予報通り、
  久し振りの雨となりました。

   と言っても、午前10時頃から
  ですが・・。降ったりやんだり。

   それでも、起床時には真珠色の
  空でこそ、ありましたが、
  まだ薄日が射していました。

   尤も、もっと早い時間には、
  部屋の中がカーテンを透かして、
  オレンジに染まる程の朝焼け。

   思わず、もう朝・・? と、思ったものです。
  カンカン照りの、あの夏の日の太陽が輝いているような・・。

   それこそ、写真に撮れば良かったのですが、まだまだ起きる時間ではなく、
  半分寝呆け眼。それに私は・・薔薇色の夢の中に? いたのですから・・。

   「朝焼けは雨の元」 なんて、昔から言いますが、本当にその通りですね。
  そう言えば、『アンの世界』 でも、そんな風に言っていましたね。
  午後には、写真のように青空も戻って来たのですが、又曇り・・。

   ところで、今日の私。昨日の映画の余韻に・・未だに、どっぷり浸かっています。
  朝、目覚めた時も、薔薇の素敵な壁紙のある、大きなベッドに眠っているヒロイン、
  “セシーリア” さながらの気分に、なっていましたっけ・・。
 
   パパッと勢い良く、着替えを済ませたかと思うと、これも今度は大股で、
  「スタ、スタッ・・」 と、廊下を歩く・・。映画では靴ですので、「カッ、カッ!」 ですが・・。

   尤も、あんな大邸宅ではありませんので、すぐに行き止まり。
  そこで、ハタと気付くのです。いつもの事ながら・・。笑ってしまいますね。

   「ビロードの絨毯じゅうたんよ。それに絹のカーテン!・・・・・
  でもね、やっぱりこういうものの中では
  落ち着いた気分になれそうもないのよ。
  この部屋には、あんまり色々な物があって、
  しかもみんな、あんまり素晴らしいもんで、
  想像の余地 がないのね。
  貧乏な者の幸せの一つは ――
  沢山想像出来るものがあるという所だわね。」
         
                                       【「赤毛のアン」 第29章】

     こちらは、裏のお宅から、
    「北海道に行って来たから・・」 と、
    頂きました。 

     ゼリーは、まだ頂いていないのですが、
    生キャラメルの、美味しかった事! 

     とろ~っと、お口の中でとろけます。
    何でも、行列をして買われたのだとか・・。

     私が行った頃は、ロイズの生チョコが
    人気でしたが、今はこんなキャラメルも・・。
    ちっとも知りませんでした。

映画 「つぐない」~生涯に一度だけの夢

2008-08-27 17:37:50 | 映画の香り




   真珠色の空で明けた今日という日。
  と言うより、“雲が重く垂れ込めた空” と
  言った方が、いいかも知れません。

   でも雨は、降っていません。
  それにしても・・。

   この所の虫達の演奏会は、日増しに
  その数を増やし、賑やかさを増しています。

   初めは、独唱だったものが、
  いつの間にか 「デュエット」 に 。

   そのうち 「トリオ」 になり、はたまた
  「クァルテット」、「クインテット」 と・・。
  
   昨夜も、そんな虫達の演奏会を
  楽しませて貰いました。今宵も・・。 

   さて今日も、昨日と、ほぼ同じような
  空の下(もと)、イギリス映画、
  「つぐない」 を観て来ました。

   やはり、これも前回(20日)の映画、
  「ラフマニノフ~ある愛の調べ」 と同じく、
  4月に中央で上映されたものが、4ヶ月遅れで、
  街の映画館に掛かったというものです。

   この映画も、私にとっては何の逡巡もありません。
  何より大好きなイギリス映画ですし、今、最も時めく美しい女優、
  キーラ・ナイトレイ の出演なのですから。

 彼女の高貴な令嬢役が、ぴったりの美しさは、それだけで絵になりますし、
イギリスの美しい田園風景や、咲き乱れる花々・・。もう、うっとりです。

   タイプライターの、リズミカルに
  響き渡る音や、蜜蜂の羽音、
  美しいピアノの奏でる旋律・・。

   それらの音を効果的に使い、
  場面、場面を際立たせています。

   そして、上流階級の、
  お城のような邸宅のインテリアにも、
  興味をそそられるに、
  十分なものでした。

   ビクトリア朝の家具や、
  パステルカラーの美しい、大きな薔薇の壁紙等など・・。
  
   前半は、そんな画面にも魅入らされてしまったものです。
  映画は、1930年代の戦火が忍び寄るイギリスが舞台です。
  
   高級官僚の美しい娘、セシーリア(キーラ・ナイトレイ)と、
  医師を目指していた、使用人の息子、ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)。
  身分違いを越えて、愛している事に初めて気付いた夏の日。

   多感な少女の潔癖さと、美しい姉への嫉妬から重大な嘘をついてしまった妹、
  ブライオニーによって、運命を引き裂かれてしまう二人・・。

   ロビーは、刑務所から一兵卒として、戦線に駆り出され・・。
  その彼に、「待っています。戻って来て」 と、手紙を出し続けるセシーリア。

   その妹も、嘘の重さに生涯、苦しみ、償いをするというストーリーです。
  小説家になった彼女の告白。どんでん返し・・。

   嘘の重さを痛切に感じた映画でしたし、同時に哀しさと切なさも。
  兎にも角にも格調高い、素敵な映画でした。

   なお、原作は、イアン・マキューアンの 「贖罪(しょくざい)」(新潮社刊)。
  原作を読んでみたくなりました。

和の憩い

2008-08-26 17:17:38 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編

「昨日の薄紫の朝顔」


   今朝も涼しい朝を迎えました。朝方は、チラッと小雨。
  そよそよと、レースのカーテンを揺らす風は、すっかり秋の風です。

   つい一週間前までは、「暑い、暑い・・」 と、連発していた気がするのに、
  まるで嘘のようです。

   典型的な朝の花、朝顔も今では一日中、咲くようになりました。
  そして、(何度も言っていますが) 色を変えて、楽しませてくれてもいます。

   でも、どんな青い花も、紫の花も・・最後は、ピンクになって終わるなんて・・。
  こんな花も、珍しいですね。



   さて、今回は、あまり間隔が、
  空(あ)いていないと思うのですが、
  『カフェ 「薔薇の詩(ポエム)』 の
  開店です。(前回は、【こちら】

   暑い時は、蝋燭や、しかも、こんな
  色の帯のランチョンマットなんて全然、
  使う気になど、なりませんでした。

   でも、ここに来て、
  やっと、その気になって来ました。

   勿論、まだまだ本格的な秋では
  ありませんが、秋って、こんな
  楽しみ方が出来るから、いいですね。
  いいえ、もう待ち切れなくなったのかも知れません。

   今日も “和” に、こだわってみました。
  カップは、やはり土物に。今日も信楽焼です。

   見ただけで・・いかにも手作りっぽいですね。
  (確かに手作りなのですが)

   帯は、5月に叔母に貰った物。
  こうして、ランチョンマットに衣替え。

   ランプを・・蝋燭を・・灯し、花を飾り、
  珈琲タイムの時間です。ほっと寛ぐ時間・・。
  お気に入りの薔薇の額も一緒です。

   そして、ティーベル代わりの土鈴は、
  南部鉄のこけしです。

   南部鉄ですので、涼やかな響き・・。
  「リリン、リリン・・」 「リリン、リリン・・」

   今日は、何だか人恋しくて、友達に電話してみました。
  空しく呼び出し音が鳴るだけ・・。当然ですよね。いきなりですもの。

   「・・・僕らは羽目をはずさない範囲で、
  やりたい放題の事をしようよ。
  清潔にはするが、清潔にし過ぎるという事はしない。
  怠けはするが、怠け過ぎはしない。
  いつも狼より三歩位先を行く程度にするんだな。・・・」

                               【「丘の上のジェーン」 第15章】

   今日も、大好きなモンゴメリーの作品から。先日と同じく父娘の会話です。
  夏休みを父娘で、P・エドワード島で過ごす事への・・。こんな父親、素敵です。 

往く夏

2008-08-25 16:06:42 | 四季のスケッチ


   朝の空は、
  こんなカラッとした空でした。

   日中は、まだまだ暑いけれど、
  朝晩は、しっかり秋を感じています。

   ここの所、静かだったのに、
  今日は蝉の鳴き声も・・。

   それも、
  「スィ~ッ、スィ~ッ・・」 の方です。

   それは、まるで往く夏を惜しんで
  いるかのようで、煩(うるさ)いなんて、
  思うどころか、不思議な事に、哀愁さえ感じる始末です。

   そうそう、今日は蝶や蜻蛉も飛んで来ました。
  見慣れない蝶も、来ていましたが、なかなか止まってくれないのです。
  ヒラヒラ~、気持ち良さそうに飛んでいるだけ・・。

   そして、こちらは昨日も咲いていた、
  「薩摩の紫(ゆかり)」。

   昨日は青色の方が勝っていましたが、
  今朝は、こんな薄紫色になりました。
  (白く見えますが本当は薄紫色)

   この朝顔も青くなったり、紫色になったり、
  白色が増したかと思うと、はたまた後退したり・・。
  まるで七変化です。

   ところで・・。ほとんど、かけっ放しにしている
  ラジオから今日も流れて来たのは、
  「庭の千草」 の曲。

   丁度、今頃の季節の情景なんだそうですね。
  原曲のアイルランド民謡では
  「夏の名残りの薔薇」 と、なっています。

   その詩は、「夏の名残り」 と言うように、
  なぜか切ない、哀調を帯びたものになっています。

   アイルランドの国民的な詩人、トマス・ムーアの詩に、
  ジョン・スティーブンソンが、曲を付けました。
  日本語の訳詞と比べてみると、とても面白いです。



            
           夏の名残りの薔薇

       一人寂しく咲いている 
      他の花々は 既に枯れ散り
  近しき花も芽も消え失せた 美しい薔薇色を 
  思い起こせば ただ溜息をつくばかり

  なんじを一人残しては行かない その体に思い煩う
    美しきものと共に 汝も行き眠らん
  ベッドの上に まき散らした汝の花弁
  汝の仲間たちは 庭で香りもなく枯れ果てる

  直ぐに私も後を追うだろう 友情が崩れ去り
     愛の光輪から 宝石が雫れ落ち
  真の心が枯れ果て 愛する者がいなくなったら
  この荒涼たる世の中で 誰が一人生きられようか?


           庭の千草 日本唱歌

   庭の千草も虫の音も 枯れて寂しくなりにけり
   ああ白菊、ああ白菊 一人遅れて咲きにけり

   露もたわむや菊の花 霜におごるや菊の花
   ああ、哀れ哀れ ああ、白菊 人の操もかくてこそ

天地の光の煌めき

2008-08-24 16:10:38 | リラのお気楽ユメ日記


   昨日の雨で、すっかり洗われたせいか、
  「今朝は、空気がピカピカ
  光っているわね。」
と・・
  そんな気持ちにさせられた朝でした。

   「薩摩の紫(ゆかり)」 の朝顔は、
  今朝は、青と白色が勝りました。

   それにしても、昨夜は久し振りの雷。
  雷は嫌いですが、光のショーをしっかり見物? 
  させて頂きました。

   それにしても、今年は殊の外、
  雷が多かったように思います。その雷・・。

   雷の多い年は豊作なんだそうですね。
  これは科学的にも証明されているそうです。
  空気中の窒素が稲妻によって、もたらされる雨に溶け、
  それが吸収されて、肥料の役目を果たすとか。

   「稲妻」、「稲光」。しっかり “稲” の字が使われていますものね。雷と言えば・・。
  もう、すっかりお馴染みになりましたね、これもアンと同じモンゴメリーの小説に、
  次のような父娘の会話があったものです。本当に洗練された会話です。

   “・・・ある夜、ひどい雷が鳴った。
  青いつるぎのような稲光がひらめき、
  雷鳴はランタン丘中、バリバリと音を立てた。・・・・・
   「怖いかい、ジェーン?」”
   「いーえ。ただ ―― 体裁が良くないわ。」
  「上手い事を言うね。あんな雷は、こっちの体面をつぶす侮辱だよ。
  だが、じきに通り過ぎてしまうよ。もう、通り過ぎる所だ。
   『天の柱は震え、神の非難に驚けり』・・・・・」

                                   【「丘の家のジェーン」 第21章】

   さて、冒頭の写真。私の脳裏には、
  先日来の映画の光景が、しっかり、焼き付いて離れません。

   今から100年前のアメリカ。外出する時、男性は、スーツ姿。
  手には当たり前のように帽子を取り・・。

   女性と言えば、裾まで引きずる長いドレス。頭には、花飾りのたっぷり付いた帽子。
  乗り物は、時に馬車。何と優雅なのでしょう。溜息を持って眺めたものです。

   汽車に乗る時も同じ。皆、精一杯、お洒落しています。
  今では、Tシャツとジーンズが定番のアメリカでさえ、そんな時代だったのですね。

   そんな時代背景を念頭に、又々、想像の世界に入り込んでしまいました。
  一応、革のトランクなんて持っていますが、(アンティークな物も)
  この私にしても実際には、ほとんど使いません。

   そして、私の中にある鈍行のイメージは、
  昔ながらのそれですから今時、そんな旅が出来る筈もありませんね。

   なまじ、出来たとしても、目的地の近くまで新幹線で行って、
  少しの区間、単線に乗る位の事でしょう。

   映画の世界は、確かに不便な時代です。
  外国に行くのは、まだ船が主流の時代ですから、何日も何日も、かかったのでしょう。

   でも、お洒落心には、完全に魅了されてしまいました。
  時代背景があるとは言え、あの時代の、今にはない “美” は素晴らしいと思います。

さらば、夏の日

2008-08-23 17:22:22 | 趣味の器(壺)~その他


   夜半から降り出した雨は、
  朝にはやんでいました。
  
   でも、今日は降ったりやんだりの
  生憎の天気・・。

   しかしながら、あの夏の日の
  激しい雨とは違って降っているか、
  いないような静かな雨です。小糠雨。

   従って今日も過ごし易くなっています。
  これからは、一雨ごとに
  秋に向かって行くのですね。

   ・・と、ここまでは、午前中の事。
  午後になってからは、お日様も照って来て。
  でも、天気は相変わらず不安定です。

   雨にも関わらず、朝顔は今日も元気。
  真っ白な朝顔が花開いたかと思えば、目の覚めるような青色も・・。

   ただ、冒頭の写真の朝顔だけには、いつもバッタが一緒なのです。
  逃がしても逃がしても、又次の日にはやって来ます。
  他の色の朝顔には、全然、寄って来ませんのに・・。余程、お気に入りなのですね。



    さて、こんな日は、お茶でも・・と、
  思っていましたら・・。「ピンポ~ン!」。
  又々、お隣さんです。
  
   奥様がご実家に帰っていらしたとの
  事でお土産を・・。
  何でもご実家は長野と新潟の県境とか。

   何と言う、グッドタイミング!! 
  早速頂いたのは、言うまでもありません。
  黒蜜をかけて頂く、きなこ餅です。美味!!

   そうなると・・。蝋燭を立て、和の雰囲気で。
  今日のような日には蝋燭が良く合いますね。

   そして庭からは、これもアンよろしく
  お花も採って来ました。手持ちの花瓶へ。

   急須は、南部鉄瓶、茶碗は萩焼を
  取り出して来ました。(お茶の色が薄いのは、光の加減です)  
  そうそう、蝋燭と言えば・・。

   “ジェーンはランプより蝋燭ろうそくの方が好きだった。
  消え方がいかにも、優美である。
  薄く煙が棚引き、蝋燭の芯は、くすぶり、ちょっと荒々しい
  目配せをしてから、こちらを暗闇の中に残す。”
       
                                   【「丘の上のジェーン」 第22章】

   100年前は、ランプの油も蝋燭も非常に貴重です。
  この ジェーン も、使い差しの蝋燭を何本も取って置いて、
  急な時の夜の勉強に備えています。

   一方、こちらは癒し? のために。
  でも、蝋燭一つにもこんな思い入れがある事を知って、ちょっと嬉しくなりました。
  それにしても、“消え方の美” ってあるのですね。

   細い棚引く青い煙は、確かに優美です。
  私がお香を好きなのも、案外、そんな所にあるのかも知れません。

 

夏の名残り

2008-08-22 16:27:18 | 四季のスケッチ


     暑い、暑いと言っていたのが、
    まるで嘘のような、
    爽やかな朝を迎えました。

     空も、高くなっていて、
    もうすっかり秋の空!!

     北の空には白い半月の
    「有明の月」 も・・。

     そう言えば、明後日24日は、
    「下弦の月」 なのですね。

     つい最近まで、あんなに暑くて、
    アン でなくても、「今年は、秋がやって来るのかしら・・」 なんて、
    思ったものです。四季のある日本に生まれた幸せを思います。

 
                                           「薩摩の紫(ゆかり)」
 
   さて、写真は申すまでもなく、朝顔です。
  例年より開花が1ヶ月遅く、今が盛りの筈なのですが、
  なぜかもう “夏の名残りの 「朝の美人」” と、いう気がしてなりません。

   色も、ある日は紫色が強くなったかと思えば、青色だったり。かと思えば・・。
  右の 「薩摩の紫」 は、白色も加わり、模様さえも変わってしまったかのよう。
  勿論、一日のうちにも・・時間の経過と共に、その色はピンクに変化します。

   朝顔と言えば、どうしても盛夏の花と言ったイメージがあり・・。
  こんな夏の名残り? の朝顔ですから、どうしても、
  ある種の物哀しさを感じてしまうのかも知れませんね。

   名残りも然(さ)る事ながら、そろそろ夏の終わり・・という、
  今のこの季節も、あながち無関係ではないでしょう。そう言えば・・。

   “・・・そうだ、それが人生なのだ。
  喜びと苦痛・・・希望と不安・・・変化。絶えず変化するのだ! 
  変化せずには、いられないのだ。
   古いものを放し、新しいものを胸に入れ、
  それを愛するようになり、又、それも順に放すのだ。
   春は美しくはあっても夏に屈せねばならず、
  夏は秋の中に身を没する。誕生・・・結婚・・・死・・・”

                                  【「炉辺荘のアン」 第35章】

   あの前向きの典型のようなアンでさえ、夏の終わりには、こんな気持ちになるのですもの。
  秋のみならず、夏の終わりも・・人を哲学者にするのかも知れません。