【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

夢の花の海

2009-01-31 16:16:16 | 心の宝石箱


   昨日の午後から降り出した雨は、
  朝にはやんでいました。

   しかしながら時折、降っているか、
  いないか分からないような霧雨も・・。

   今朝も昨日同様、暖かい朝に・・。
  起床時の居間の温度も全く同じ15度。

   昨日の雨は、この季節には
  珍しく暖かい雨でしたので、
  ほとんど暖房を消していたものです。

   そんな事もあって、庭の花達は個々に蕾を付け始めたものが、
  見られるようになりました。花達にとっては嬉しい春が、もうすぐですものね。

   ところで、昨日の冒頭の写真の詩、
  「白い花が一面に・・」 云々・・のフレーズは・・。
  
   尊敬するターシャさんの言葉でもあります。
  その言葉とは・・。

   「想像してみて。
  真っ白なデージーが、
  庭を埋め尽くす様子を・・。
  真っ白な花がキラキラと輝いて、
  まるで夜空の星のようよ。
  目の前で沢山の星が
  輝いているのよ。」


   ターシャさんは、「デージー」 ですが、
  「ノースボール」 しかり、「マーガレット」 しかり。
  白い花が庭を覆い尽くす姿って、素敵ですね。

   もう随分前になりますが、マーガレットで庭を一杯にした事があります。
  マーガレットは多年草で、何もしなくても2、3年は持ちます。

   それをいい事に放って置きましたら、やがて木になり枯れてしまいました。
  株を再生して行かなければならないのですよね。それを怠ったばかりに・・。
  そしてもう一つ、私の脳裏に強く残っている文章・・。

   “5月も終わりに近い土曜日、パリから汽車で
  1時間ほどの、シャトルという町に行く事にしました。・・・・・
  急に線路の両脇が少し高くなって、崖が汽車の窓を暗くした、
  その時でした。溢れるような紫色が、窓を覆いました。
  満開の リラの花 だったのです。
   リラ は蕾の時は赤いワイン色を帯びた紫ですが、
  開くと藤紫に変わります。
   小さな金平糖みたいな花がびっしり寄って房を作り、
  緑の葉を背に咲きます。
   咲いた花を見ていると、きらっきらっと、
  空に瞬く星を思わせるのは、きっと尖った花弁の形のせいでしょう。
   一瞬過ぎた窓に見えたリラは赤い紫から藤紫に、
  濃淡美しく溢れ咲いていました。”
      
                               【「素敵なあなたに」~暮らしの手帖版】

   ここでも、“星” なのですね。お花は、1輪だけの花も素敵で清楚です。
  でも、それらが群れを成した時、それはそれは圧巻です。

   先の白い花しかり、「ラベンダー」 しかり。それは花の絨毯にも例えられますね。
  そして、このリラのトンネル、桜のトンネルも・・。(桜のトンネルは、『アンの世界』 でも)

   想像だけで、こんなに素敵なのですから・・実際に見る事が出来ましたら、
  きっと声を上げて感動してしまうのでしょうね。

  ※  なお勝手乍ら、明日のブログは、お休みさせて頂きます。
    どうぞ、よろしくお願い致します。  

揺れる灯り

2009-01-30 16:16:16 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編
「ノースボール」


   今日の起床時の居間の気温は、何と15度。
  そう言えば・・昨夕には、まるで春一番のような風も吹いていましたっけ。
  でも、まさか・・ですよね。

   今の所、雨は降っていませんし、
  午前中には真珠色の空からぼんやり? した太陽も顔を覗かせていました。
  午後に入ると、さすがにいつ降り出しても、おかしくない空になっています。



   さて、昨日までの
  “薔薇色の陽が射す午後” から、
  打って変わって今日は、
  “真珠色の淡い光の射す午後”。

   でも、これは、
  ちょっとロマンティック過ぎますわね。

   でも、こんな日だって最近の私は、
  ちっともイヤではありません。
  その理由は・・。もうお分かりですね。

   オレンジの灯りに癒されますから。
  となれば・・
  ついでに 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)』 も、オープンしてしまいましょう。

   何とも気紛れなお店ですので、開店時間はまちまち。
  おまけに不定期と来ています。
  
   それでも、お通りがかりになられた時、
  入口に大きなリースが掛けてありましたら・・
  お店は、開いております。

   どうぞ、お気軽にお入りになって下さいね。
  ~なんて。
   
   今日のカップは、可愛らしくカントリーで。
  イングランド製です。
  
   『赤毛のアンの手作り絵本』 などにも、
  紹介されている物と同じです。
  
   土物もいいけれど、偶にはこんなカップも、
  しばし、童心に戻れるのではないでしょうか・・。
  
   一客ずつ、(多くても二客)求めたカップには、
  その時々の思い出も、刻まれていて・・感慨に耽るのも楽しいですね。
  
   そして・・。ティーベル代わりの土鈴は、冬の味覚、下関の河豚(ふぐ)。
  思わず吹き出してしまいそうなユーモラスで、愛嬌のある顔。
  
   「カラ、カラ、カラ・・」 と、意外に大きな音を出します。
  何だか写真を撮って貰って嬉しそうです。薫り高い珈琲が入りましたよ~。

ペチュニアの孤独

2009-01-29 17:30:00 | 香る庭の花綴り


   夜明けは、昨日とほぼ同様の空。
  その後は俄かに違ったものに・・。

   でも、冬の鋭角的なものではなく、
  昨日に引き続き、優しい空です。

   この所、小鳥の 「チュン、チュン」 と
  囀(さえず)る声を
  耳にするようになりました。

   近付く、春の足音を感じているの
  でしょうか・・。

   いよいよ、“冬が春の言葉を待ち構えるようになった・・・”
                                    【「アンの夢の家」 第17章】
  という事なのでしょうね。

   今日は、昨日以上の暖かさに
  なりました。

   ただお天気の方は、
  午後から真珠色の空に・・。
  
   どうやら、この良いお天気も、
  そろそろ下り坂のようです。

   ところで、冒頭の写真。 
  ここに来て春のように穏やかな日の
  せいもあって、寒さに震えていた?
  三色菫が頭をもたげ、にっこり
  微笑んでくれるようになりました。
  そんな中で・・。

   こちらにも何度か記した事のある
  ペチュニアの姿が妙に寂しそうです。

   現在、どうしても鉢植えの花は、
  圧倒的に三色菫が占めています。 

   ペチュニアは、去年からの越冬組。
  ですから、その数は僅かです。

   それに、変色と痛みが激しい事から
  ポプリ作りも、やめました。
  そんな事もあって、ついつい・・。

   でも、それは私の心の
  反映かも知れませんね。

   心のどこかに・・ペチュニアを構わない事への後ろめたさがあったのでしょう。
  いいえ、あったに違いないのです。長く咲いてくれている事は、大層嬉しいのに・・。

   さて、話はガラッと変わります。
  右の写真は、ご覧の通りの壺です。

   それも、ごく平凡な。と言うより・・。
  すこぶる実用的なものですね。サイズは大。

   実はこの壺、実家の物置で眠っていた物です。
  こんな物が、我家では移動式珈琲テーブルとして、
  活躍しています。庭では鉢置き台としても・・。

   種明かしをしますと・・。
  中には箱に入った珈琲カップなどが入っています。
  (ただ、何を入れたのかを忘れてしまうのが難点)
  
   そして、口には大きさに合った、トレーを。
  その上にクロスを掛けて、
  簡易テーブルの出来上がり。
  
   こんな壺が、あちこちに転がっています。
  勿論、ちゃんとした木製のテーブルもあります。
  それも円形が好きで、そればかり。
  
   でも、こんな壺があるだけで、“和”を感じたりするものです。それより・・。
  外でお茶が楽しめる季節でしたら、気分転換も出来ますが、
  今の冬の季節は、どうしても家の中に籠りがち。それなら・・

   今日はお花を見ながら、窓際に寄せて・・とか、廊下の隅だって、
  俄かに、ティーコーナーに早変わり。そんな事も、心楽しいひと時なのです。  

暮らしの中のフィットネス

2009-01-28 16:00:00 | リラのお気楽ユメ日記


   今朝は、
  こんなに澄み切った空になりました。
  そのせいか、ググッと冷えた事!

   でも、どんなに寒くても、力強い
  太陽のお出ましは有り難いですね。

   一時に比べて日の出の位置も、
  東寄りに変えて行っています。
  それは毎年、寸分も違(たが)わずに。

   月もそうですが、遥か昔からどれだけ
  人々が心の拠り所にしていたか・・。
  分かる気がします。

   いつもでしたら、午後になると雲が
  出て来るのですが、今日はこの時間に
  なっても雲一つありません。

   青 ― 青 ― 青、一色ですが、
  薄~い水色の空です。優しい空。
  
   しかしながら、『アンの世界』
  空とは少々、違うようです。

   “・・・・・冬によくある晴れ
  渡った、寒い眩しいような
  一日であった。・・・
  空は鋭いばかりに青かった。雪のダイヤモンドは強烈に輝いた。
  強張こわばった樹木は裸で恥知らずであったが、
  一種の鉄面皮の美しさを備えていた。
  丘は水晶の投げ槍を放った。・・・”
        【「アンの夢の家」 第16章】

   さて、昨日も記しましたが、最近私は、“和の佇まい” というものに魅かれております。
  “和” と言いますと、少なく共・・私の今のゴチャゴチャ生活の対極にあるものです。

   何も置かれていない畳の間に床の間。広々とした空間。そして正座。
  ある意味、堅苦しいかも知れませんが、
  日本では、何百年もそんな生活と共に、歩んで来たのですよね。

   勿論、今の私に純和風の暮らしなんて、到底無理です。
  でも、心のどこかに昨日も申しました、気品と秩序、
  同時に、“和” の持つシンプルな美が、気になってなりません。

   話は変わりますが、高峰秀子さん。
  彼女は、拘(こだわ)りの生活をして来られた方で、知られています。

   趣味の本など、あらゆる分野で、その名前を目にしたものです。
  以前は、骨董のお店も持っていらしたとか。

   その彼女がある年齢を境にして、手放す事を決められたのだとか。
  私なんかのガラクタと違って、それこそ高価な物でしょう。
  物が捨てられない私などは、その清々しさに、胸を打たれます。

   そう言えば、今はもうお亡くなりになりましたが、
  黒柳徹子さんのお母様も、世界中から集めた・・それこそ、
  アンティークなビーズのバッグを、ある時同様に手放されたと、
  お聞きした事があります。

   彼女も、お花が好きでしたね。
  全て花で埋もれている冷蔵庫を、以前にテレビで見た事もあります。

   好きな物に囲まれて暮らしたい私です。
  でも、だからと言って、こんなに物が増え続けては・・。

   私の事ですから、思いきって処分して折角の空いた空間も・・・
  今度は別の物が収まっていたりするのではないかと・・。いやはや・・。

“和” への憧憬

2009-01-27 16:16:16 | 心の宝石箱


 
 

   起床時の居間の気温は12℃。
  体感的には、随分寒く感じましたが、
  一昨日よりも3℃も上がっています。

   そう言えば、昨夜も・・。
  寒いに違いありませんでしたが、
  ダブル暖房はしなくて済みました。
  そして、そして・・。

   今朝は、いつもの時間の、
  日の出がありました。

   日の出前、俄かに明るくなり、
  やがて太陽が顔を出す・・久し振りに、そのセレモニーに立ち会う事が出来ました。

   そして、これも久し振りに力強い日の出です。
  『アンの世界』 の、樅の木では決してありませんが、
  そう、目印は、あの丘のこんもりした丸い木。(以前より少しだけ東に移動しています)
  そして、↓ こちらのフレーズも何度、引用した事でしょう。

   「朝日が、あの長い丘を昇って来て、あの尖った樅の木の頂きから
  輝いて出てるのを見てると、素晴らしいのよ。毎朝、違うのよ。
  あの朝日を浴びると、心まで綺麗に洗われる気がするわ。・・・」

                                        【「赤毛のアン」 第33章】



   「私達は皆、死に向かって行くのよ。でも決して恐れる事はないの。
  それより大切なのは、今この時を精一杯生きる事。
  どんな瞬間も生きている事の喜びを感じ取る事。
 
   『朝日の輝きが、風に揺れる枝が、心を満たしてくれるの。』
  その喜びを忘れずに生きて行きなさい。
  自然の中で季節と共に生きる。
  それがどんなに素晴らしいものか。
  毎日はいつも輝いているのよ。」


   さて、言うまでもなく、こちらは、
  ターシャ・チューダ
  言葉です。 ↑
  アンの言葉と、何と似ていますこと! 

   それにしても・・薔薇色の陽が射す、
  白い冬の日の午後、お茶を頂きながら、
  こんな雑誌をパラパラとめくるひと時も
  何とも言えない貴重な時間です。 →

   アンの家のような洋風もいいけれど、
  こんな “和” の世界にも憧れます。

   思わず背筋をピンと伸ばしてみたり・・。それは紛れもない “静” の世界。
  そこに見えるのは、“気品” と “秩序”。“和” とは、そんな気がしてなりません。 

早春便り~水仙の香り

2009-01-26 16:37:57 | 四季のスケッチ


   厳しい寒さが続きます。
  雪こそ降らないものの、
  今年一番の寒さを
  更新しているのではないでしょうか。

   昨夜は、ストーブ一つでは、
  なかなか部屋の温度が17度から
  上がらず、とうとうエアコンと共有。

   ただ私は、エアコンは苦手です。
  火がないと、なぜか落ち着けません。

   ですから絶対ストーブ派。
  なので・・ファンヒーターなども、
  とっくに物置行きです。
  
   尤も、ストーブの前から
  動けなくなってしまうのは、困りますけれど。

   今日も太陽は、おずおずとしか
  出て来てくれません。
  典型的な冬空です。

   そんな朝、庭の水仙が
  寒さに震えていました。昨日は
  そうでもありませんでしたのに・・。

   その様子が何だか哀れで、とうとう
  鋏(ハサミ)を入れてしまいました。

   これまで花を切る時は、いつも、
  何らかの心の逡巡がありましたが、
  今日こそは何の迷いもなく・・。

   「木々が眠りながらお話するのを聞いてごらんなさい。」 
  「きっと素敵な夢を見ているに違いないわ。」
        
                                        【「赤毛のアン」 第2章】

   アン だって、こんな風に言っていますものね。
  木だってお話しているのですから、きっとお花もそうですね。

   そうそう、肝心の水仙は・・。途端に生き生き!
  おまけに、そんなに沢山でもありませんのに、香りにクラッ!
  甘い香りに包まれています。外は、真冬の寒さですのに、一気に春の香りです。

   去年の 【パンジー】 もそうですが、こうして挿し花にする事によって、
  外では気付かない香りに気付かされる事って、ありますね。
  外の広い空間では、その芳香・・どうしても分散されてしまいますものね。
 
   ところで、この水仙。
  お正月の花としても、親しまれていますが、実際は早春の花だそうですね。

   尤も 『アンの世界』 では、5月から6月に登場します。
  その素晴らしさを、次のようにもアンは言っています。

   「まるで、この庭には月の光と日光を一緒にした、
  絨毯を敷き詰めてあるようだわ。・・・」
         【「アンの青春」 第13章】

   兎にも角にも、こうしていち早く咲いてくれ、お正月に活けられている、
  水仙を見ると、その健気な姿に、いじらしささえ覚えます。

   水仙は、英語では、「ダフォルディル」 と 「ナルシス」 という呼び名があるそうです。
  「ナルシス」 の呼び名は、どなたも神話の美少年で、ご存知ですね。

   「ダフォルディル」 とは、何もかも含めて一般に言う 「水仙」 の事で、
  「ナルシス」 は、その中の種類名との事。
  因みに 「日本水仙」 は、「ヒガンバナ科」 なのだそうですね。

   何の映画だったか忘れましたが、昔の映画で前述の 『アンの世界』 の、
  描写にあったような水仙の群生を見た事があります。そうそう、写真でも・・。
  でも、肉眼ではまだ・・。一度でいいから見てみたいものです。        

焔色に染まった冬の日

2009-01-25 17:17:17 | 心の宝石箱

【三色すみれ】




昨夜辺りから一段と冷え込んで
来たと思いましたら・・。

今朝は、
周辺の家々の屋根に薄らと雪!
  
今年は去年のように
本格的な雪はまだですが、
それでも寒さに変わりありません。

折角、太陽が顔を覗かせても、
その都度、厚い雲に覆われ、
やっと顔を出したのは、午前8時頃。

それでも、お日様って有り難いですね。
光に包まれると、途端にパ~ッと優しい光景が広がりますから。



こんな訳ですから、折角のいい
機会でしたのに、↓ のような
光景には、ついぞ、
お目にかかれませんでした。

それにしても、
何とロマンティックなのでしょう!

   









“ぐっすり眠っている赤褐色や灰色の野や森に
白い花びらがひらひらと舞い始めた。

間もなく、遠くの山腹や丘には紗のような肩衣かたぎぬがかかり、
ぼおっとした幽霊のように見えた。
それはあたかも、色青褪めた秋の花嫁が髪に
霧のヴェールを被り、冬の花婿を待ち受けているかのようだった。”

                  【「アンの愛情」 第7章】







   




さて、今日は家の中にどっぷりです。
今日のように寒い日は、どこにも出掛ける気がしません。

家から一歩も出ないで、気ままに過ごす休日も偶にはいいですね。
こんな日は、暖炉? の傍で、パチパチはじける音・・
いいえ、薪のはぜる音を聞きながら、読書がいいですね。~なんて・・。

『世に棲む日々』 を、やっと読み終わって、息抜きに読み始めたのは・・。
夏樹静子著 『量刑』。私にとっては、お得意の推理小説です。

特に松本清張、森村誠一、そしてこの夏樹静子の3人は、私の中のベスト3。
ほとんど読んでいると言っても過言ではありません。
(尤も、ここ何年かはご無沙汰ですが・・)

これも、もう癖になって音読していますが、さすがに読めない字はありません。
なので、スイスイ・・。結構分厚い本ですが、もう半分近くまで読みました。

内容は、ふとした事から起こしてしまった交通事故。
ごく普通の生活を送っていた主人公の女性が、轢き逃げ、
おまけに死体遺棄までしてしまう・・。

交通事故というものは、得てしてそんなものですが、
(轢き逃げ、死体遺棄は別にしても)日常的に起こり得る事で、
ある意味、戦慄ものです。

それが、あまりにも悪質で残酷だという事から、死刑を求刑され・・。
しかし・・そこには、秘められた重大な真実が・・という具合に、ハラハラドキドキ・・。

その裁判の全容が細かく描かれた、小説です。
折しも裁判員制度も、もうすぐスタートします。まさに今、ぴったりの本ですね。

早春の花色に誘われて

2009-01-24 17:17:17 | 香る庭の花綴り
「ヒマラヤ雪の下」




ツンと肌を刺す冷気。
そう、この感覚! 久し振りに
凛とした冬の空が戻って来ました。

この後、庭に回ってみましたら・・。
西と北の空には雲一つない青空が
広がっていました。

思わず、深呼吸!! くっきり、
はっきりした空になっています。

ただ少しだけ北風が出て来たようです。
これも少しだけ開けた小窓から
風が入り、カタコトとドアを揺らしています。

北風は・・エミリー によれば、「がみが女」 でしたわね。
こんな風に、少々小煩(うるさ)い? のも、
「がみがみ女」 と言われる、所以(ゆえん)なのかも知れません。

さて、冒頭の写真は、「ヒマラヤ雪の下」(ヒマラヤユキノシタ)です。
つい2、3日前に探した時には気付きませんでしたが、
ラベンダーの葉っぱの下に、身を潜めるようにして咲いていました。

葉っぱは大きくて平べたいのに、花は小さくて可憐です。
こんな風に遠慮がちに咲いているものですから、
毎年気付いた時には、いつも春の気配が、そこかしこに漂う頃・・。

そんなこんなで、この花に出会うのは・・私にとっては、
【“もうすぐ春・・”】 の季節、ですから大層、気持ちが華やぐ花なのです。

でも、今年に限っては・・こんなに早く見つけました。
その分、蕾でしたけれど・・。

   





“・・・早くも暮れ行く冬の 薄暮の窓辺 にアンは座った。
日は沈み、風も落ちていた。
青白い、寒々とした月が
西の紫色の雲の堤の後ろから顔を出していた。
空の色はせてしまったが、西の 地平線 のひとひらの
黄色が益々輝きと強烈さを増して来て、あたかも、
はぐれた微光が全て一カ所に集中しているかのようだった。
僧侶の行列のようなもみ に縁取られた遠くの丘が、
それを背にして黒く、くっきり浮かんでいた。
その物凄い夕焼けのどぎつい光を浴びて冷たく、
活気なく横たわっている、しんとした白い野を見渡しながら、
アンは吐息を洩らした。・・・”
             
                 【「アンの愛情」 第18章】



1月も後半になりますと・・。
一頃に比べれば、
めっきり日も長くなりました。

私も、アン同様、
「薄暮の窓辺」 は、
大好きです。

生憎、地平線もなければ、僧侶の
行列のような樅の木もありません。

でも、想像の世界では、
そんなもの、いくらでも描けますものね。

尤も、今は・・一昨日の映画の森の中の光景も、
ダブっているのかも知れません。

ところで、同じ 「ヒマラヤ雪の下」 を謳った、星野富弘氏の詩を見つけましたので、
以下に記して置きます。やはり、先日の 「蔓日々草」 と同じように強い花でしたね。







               
        ヒマラヤユキノシタ

        私が苦しんでいた時
        どんなに寒くても咲く
        強い花ですと
        この花をくれた人
        今年も冷たい冬が来て
        あの花が咲きました

                             ~「風の詩」 より

煌く雫の宝石

2009-01-23 16:16:16 | リラのお気楽ユメ日記




やはり今朝も、
暖かい朝となりました。

毎朝、ある種のワクワク感を持って、
雨戸を、カーテンをと開けるのですが、
その瞬間は、いつも何とも言えない、
心の高ぶりを覚えます。

アンの言うように、一度として同じ
朝はなく、毎朝違った朝の顔が、
ありますものね。

今朝は、昨日の映画のシーンも
よぎったり・・。(映画の後は、いつもこうなのです)

そして前述のように、暖かい朝でしたから、雨上がりという事もあって、
庭に出てみました。思わず、紅葉(もみじ)の木に釘付け。

木の枝全体が小さな小さな水滴で覆われ、まるでビーズをくっつけたように、
キラキラ、光り輝いているのです。これこそ、自然のイルミネーション!

その輝いている全体像を写真に撮りたかったのですが、上手く行きません。
周りの木を見回して見ましたが、そんな風に自然の宝石をまとっているのは、この紅葉だけ。

それに、未だに落ちなくて頑張っている、紅葉の葉っぱに拍手。
「良かったわね、落ちなくて。こんなご褒美を貰えたのですから・・」
~なんて。

こんな事をしていましたら・・。
他愛もない事なのですが・・それこそ、アッと言う間に、時間って、経ってしまいますね。

さて、 右上の写真。今朝のように、霧がかかっていますと・・。
何の変哲もないすぐ目の前の山も、昨日のアルプスのように思えない事も? ありません。
そして、こんな風にも思えたり・・。↓

   




“・・・立ち込めた静けさの中に街道の遥か向こうの方から
微かに聞こえて来る妖精のような調べが漂い満ちて来た。
それはそりに一杯に乗った集会へ向かう、
ホワイト・サンドの若い人々の賛美歌であった。・・・”
     
                【「アンをめぐる人々」 13.】

   



そうそう・・。先にもチラと書き込みましたが、
昨日の映画のリラの部屋の、ドラム缶のような丸い窓・・。

いつもの雨戸開けですが、私ったら・・すっかりその気になっていました。
森の中の一軒家でリラは・・。

「あのきつねのテトゥ、来ていないかしら・・?」 なんて思って、
その窓を毎日、眺めていたのですものね。

そう言えば、目の前の・・あの山には一体何が・・? 
イノシシが出たと聞いた事はありますが、狐(きつね)はいないのでしょうか・・?

映画 「きつねと私の12か月」~出会いと別れの物語

2009-01-22 19:49:47 | 映画の香り


   今朝も相変わらずの、
  真珠色の空で明けました。

   それでも、おずおずと? 
  太陽も出てくれ・・。
  しかし、暖かい朝!

   暖かいのは、本当に有り難いの
  ですが、この所の気温の上下降の
  激しさには、驚かされます。

   気温は、とっくに春浅き頃のそれ。
  でも、その頃独特の
  “春の匂い” は、流石に感じません。

   それもその筈、まだ大寒を迎えたばかりなのですものね。  

   そんな中・・。
  つい先日には 「室内と戸外の優劣」?
  に、負けてしまいました、フランス映画、
  『きつねと私の12か月』 を観て来ました。

   今日こそは、「室内と戸外・・」 なんて
  我儘が許される筈はありません。

   折角 “ジュリアンの君” に頂いた券の、
  有効期限は明日(23日)までなのですから。
  
   それなら、こんなに暖かい今日、
  出掛けない法はありませんものね。

   と言っても、これは出掛けるまでの話。
  映画が終わって外に出てみると、雨・・。やはり冷たい雨となりました。
  いつもの事とは言え、又々、前置きが長くなってしまいましたね。

   この映画は勿論、予告編の段階で、絶対観ようと決めていたものです。
  以前にも申しましたが、何より言葉そのものが音楽のように美しい、
  フランス映画である事。

   その上、美しいアルプスの風景しかり、
  少女と可愛いきつねの愛の物語・・と、来ているのですから。

   特に、スクリーンに広がるフランス・アルプス地方の四季は、圧巻です。
  (その割には、なかなか重い腰が上がりませんでしたけれど)

   映画は、10歳の少女リラが、美しい紅葉に染まる秋の午後、
  学校帰りに山道で、1匹の狐(きつね)に出会う事から始まります。

   一目で、その狐の愛らしさに恋に落ちた彼女は、
  その狐に会うために、毎日、毎日・・辛抱強く待ちます。

   ある時は巣窟の前で、又ある時は木の上で・・。
  森の中ですから、狐だけでなく狼(おおかみ)や、他にも怖い動物が沢山いるのですが・・。

   その狐に、“テトゥ” と言う名前を付けたリラ。
  次第に・・少しずつ・・二人の距離は縮まって行くのです。

   私は、犬を飼うのだったら柴犬と決めているほど、柴犬が大好きです。
  このテトゥが柴犬にも似て、凛々しくて可愛くて・・。

   折しも・・と言いますか、奇しくも・・。昨日、径の向こうには何が・・? 
  なんて、想像を逞(たくま)しくしたものです。
  おまけに少女の名前も偶然にも、リラ。

   10歳の少女に戻って、あの径の向こうの・・美しい森の中を、テトゥと一緒に駆け回って・・。
  そんな錯覚さえ、今日の映画は抱かせてくれました。

   しかも、フランスのアルプスの森を・・。
  (正確には、フランス南東部アン県のルトール高原とイタリア・アブルッォ地方)

   いつもの事ながら、音楽のようなフランス語と、美しい森の中の光景が、
  浮かんでは消え・・離れません。映画って、本当にいいですね! 
  森って、本当に素敵ですね!

   「・・・今は森の中が素敵なのよ。
  羊歯も繻子地のような葉も、いろんな木の実も、
  森のものはみんな眠ってしまったの。
  まるで誰かが春が来るまで森のもの全体を木の葉の毛布で、
  くるんでしまったようよ。
  きっとね、虹のスカーフを付けた炎色の妖精が最後の月の夜に、
  抜き足差し足でやって来て、そうしたんだと思うわ。・・・」

                                    【「赤毛のアン」 第30章】