【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

和飲(ワイン)茶会はいかが・・?

2011-02-28 16:16:18 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


 
「これは凄く美味しい いちご水 ね、アン。
 私いちご水 ってこんなに
 美味しいものだとは知らなかったわ」
 
 「気に入ってほんとに良かったわ。
 好きなだけあがってね。(中略)」

 アンが台所から戻って来ると、ダイアナは2杯めの
 いちご水 を飲んでいるところだった。
 そして更にアンに勧められると、
 ダイアナは別に異議もなく3杯めにかかった。
 コップは大振りのものだし、いちご水 は美味だった。
                    【「赤毛のアン」 第16章】  


     雨の週明けとなりました。
    暖かい雨です。断続的に降る雨。
    
     ただ、この雨を境に寒の戻りがあるそうですね。
    一旦、春を見た分、寒さが気になる処ですが、
    (今回は違うにしても)これからは一雨ごとに
    暖かくなる・・という季節である事には違いありません。
    明日からはもう3月ですものね。

   今日は午後にはお天気、回復するとの事でしたが、
  いつの間にか雨も上がり、ついさっきまで薄暗かった部屋も、
  窓辺のレースの反射もあって、次第に明るさを増して来ています。



     さて、「和飲」=「ワイン」 なんて、ダジャレもいい処ですが、
    今日は、そのワイン(葡萄酒)で、
    『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』、開店と致しましょう。
    と言いますのも・・。

     アン ファンの方でしたら、もうお分かりですね。
    ↑ の 「いちご水」 とは、マリラ お手製の葡萄酒だったのですから。

   お陰でダイアナは、すっかり酔っぱらってしまい、
  バーリー小母さんを怒らせてしまったという訳です。

   それにもう一つ、冷蔵庫の中に、すっかり忘れていたチョコレートを発見。
  勿論、バレンタインデーの。何だか得した気分。
  私も、そのチョコレートを頂きながら、いちご水? でお茶会・・という訳です。

   「(略)それはイの字で始まって、綺麗な赤い色をしてるものよ。
  あたし、赤い色の飲み物って大好きよ。あんたは?
  他のどの色のより倍も美味しい味がするわ」

                                     【「赤毛のアン」 第16章】

今、アヴォンリー時間

2011-02-27 16:53:18 | 私の手作り夢時間


 
(略)レイチェル・リンド夫人は自分の始末は勿論の事、
 その上に、他人の世話まで焼くだけの
 腕前を持っていた。
 
 主婦としての手腕はたいしたもので、
 裁縫の集いの中心ではあるし、
 日曜学校の経営から外国伝道婦人後援会の重鎮と
 いった具合でありながら、
 しかもなお何時間でも台所の窓下に座って、
 木綿の刺子の布団を刺す余力があった。

 「16枚も作ったんだとさ」 とアヴォンリーの主婦たちは
 声をひそめて話し合うのだった。
                       【「赤毛のアン」第1章】  


   こちらは今日も大層、
  暖かい朝を迎えました。
  空も晴れ渡っています。

   お天気は下り坂との事ですが、
  今の処、その気配はありません。

   そんなうららかな今日、
  先日の小鳥、ジョウビタキが
  訪れてくれました。

   今日は、たまたまカメラを
  持っていましたから、ラッキーと
  ばかりに構えたのですが・・。

   ピンとを合わせている間に、
  またもや逃げられる始末です。

   折角絵になる場所に
  止まってくれましたのに残念です。

   (こちらの写真は、小鳥が逃げて
  行ってしまった後の薔薇の木です。
  心なしか淋しそう・・)



     さて、今日の写真。
    マリラ もそうですがリンド夫人
  例に洩れず至って働き者のようです。
    
     勿論、外に出て働くというのではありませんが、
    当時は現在と違って電気やガスもない、
    厳しい生活環境ですものね。

   それでも暇さえあれば、
  キルトや編物に精を出しているのですから頭が下がります。そんなこんなで・・

   今日は私も 「アヴォンリー時間」 の中にいます。
  時計の針は、ゆっくり、ゆっくり・・。

   リンド家の台所の窓からは街道を一目で見渡す事が出来るそうですが、
  私もリンド夫人よろしく、今日は道路側の窓辺に。
  
   お裁縫道具入れも、ブリキ缶に色を塗った素朴な物がいいですね。
  (木製、ブリキ缶、私の手描きです)

   そう言えば先日の 【古いトランク】 からは、
  キルトの本と共に沢山の布地も出て来ました。
  何だか、ワクワク。でも時間が・・。

     そうそう、今私はアガサ・クリスティーも読んでいるのですが、
    次の件(くだり)には思わず苦笑。
    久し振りに針を手にした私と同じですから。

   

春はアン気分

2011-02-26 15:35:55 | 私の手作り夢時間


 
「(略)ジョシー・パイが レース編 で1等賞をとったのよ。
 本当に嬉しかったわ。
 そして喜んであげられたのが、また嬉しかったの。
 あたしが良くなって来た証拠ですもの、
 そうでしょう、マリラ? 
 ジョシーの成功を喜べるなんて。
                        【「赤毛のアン」 第29章】


   今日からは寒くなるという
  事でしたが、まだまだ昨日までの
  余韻が十分、残っています。

   おまけに今日は快晴ですから、
  日光を出し惜しみしていない分、
  暖かく感じられるのでしょうね。

   でも、どうやら連日の気温更新
  だけは止まったようです。

   さて、こちらの写真。
  ここ何日か春の気配を感じましたら・・。
  
   いいえ、春そのものでしたが、
  不思議ですね・・。
  ロマンティックな気分になりました。

   そうしますと・・。
  いつの間にかレース糸を取り出し、
  こんな 「襟飾り」 を編んでいました。

   と言いますのも、↑ ジョシー・パイ
  編んだのは、とても美しい襟飾りだったそうですから。

   そして 「縁飾り」 はソフィア・スローン が教えてくれた、
  この上なく優美な新しい編み方・・。
  ~なんて。尤も私が編んだのは、短時間で編めるからでもあるのですが・・。

   ただ、今、こうして写真で眺めていて、黒のレース糸にすれば良かったと。
  でも、使い回ししますので、この色が無難ですね。(白に見えますが、アイボリーです)

   それにしても昨日の映画。
  今日の私は、ともすれば主人公のセラフィーヌの歩いている姿が、
  脳裏に浮かんで離れません。

   美しい森があり、緑の草原があり、小川もありました。
  ピンクや黄色の花咲く、可愛い野の花も・・。
  手には籐の籠を持ち、花を手折ってそこに入れるセラフィーヌ。

   あんな風に、ドタドタ歩かなければいいのに。
  風にしなう枝のような・・そう、アンのような歩き方をすればいいのに。
  何度思った事でしょう。尤も余計なお世話ですけれど。

   「あんたのスタイルには、
  どこかとても素敵なところがあるのよ、アン。
  頭の上げ方に威厳があるのね。
  それで全体の恰好がいいのね・・(略)」
         
                                 【「赤毛のアン」 第33章】

   帰り道、背筋を伸ばして歩いている私がいました。
  単純です。  

映画 「セラフィーヌの庭」~描くことが生きること

2011-02-25 18:02:38 | 映画の香り
   今日も又々、昨日の暖かさを更新。
  起床時の気温も何と17度近く。

   こうして前日の気温を
  上回る事、4日連続。
  動けば汗ばむような陽気です。

   しかも今日、2月25日はわが町は、
  昔から寒い日の特異日でしたのに。
  
   そんな中、向かったのは
  これも地元の映画館。
  
   今月19日(土)からフランス映画、
  「セラフィーヌの庭」 がかかって
  いますから。(2年前の映画なのですね)

   この映画館、昭和の趣きたっぷりで、
  館独自の企画も豊富。
  
   企業努力している映画館です。
  こんな映画館には何とか
  協力したいですものね。

   今日は、ポイントが溜まりましたので、
  無料で観させて頂いたのですが、館内には、たった2人きり。

   “こんな事で大丈夫かしら・・?” と、ついつい余計な心配も。
  長く存続して貰いたいだけに気になります。

   フランス映画は、音楽のような言葉を聞いているだけで優雅な気分になりますね。
  1番はイギリス映画ですが、フランス映画も大好き。と言っても随分、久し振りですが・・。
  


   さて、今日の映画。
  フランスに実在した女流画家(1864-1942)、セラフィーヌ・ルイの伝記物です。

   彼女は大きな屋敷の掃除や洗濯(川で)などをしながら、
  僅かな賃金で、食べる事も儘ならない、
  ひっそりと孤独な、その日暮らしの生活をしています。
  
   尤も彼女には、「自然」 という友達がいますから、
  そんな風には思っていなかったかも知れませんね。

   悲しい時には植物と話し、草原の大きな木に登って
  風に吹かれながら遠くを眺める・・。
  又ある時は、たった1人水の中に入り、無心になって水と戯れる・・。

   ここまで記せば・・そう、アンを連想してしまいますね。
  実際は、似ても似つきませんが・・。

   こんな事を言いましたら、世界が絶賛した名演技の
  セラフィーヌ役の女優、ヨランド・モローに申し訳ないですね。
  愚鈍なまでのセラフィーヌ役を見事に演じていましたから。

   そんな彼女の唯一の楽しみは絵を描く事。讃美歌を歌いながら。
  その絵は不思議な魅力を持ち、絵の具の調合も彼女自身の手による特殊なもの。
  (それは肉屋の豚の血であったり、教会の蝋燭だったり)

   その彼女をいち早く見出したのは、ルソーを発見し、
  天才ピカソをいち早く評価したドイツ人画商、ヴィルヘルム・ウーデ。
  彼女の生活も少しずつ変わり、やがて時代の荒波に。それにしても・・。

   「悲しい時は木を撫でるといいわ。
  植物や動物と話すと悲しみが消えるのよ。これは間違いないわ」


   悲しんでいるウーデに、こんな風に説いたセラフィーヌ。
  純粋無垢な心の持ち主には間違いないでしょう。   

   しかし、絵が多少売れてくると、
  そんな彼女にも物欲が出て来てしまうのですね。

   いつの間にか、パリで個展を開くことが夢になっていたセラフィーヌ。
  これまで栄誉などというものにはまるで縁の無かった人間が、束の間見せられた淡い夢。
  
   しかしながら大敵は、荒れる時代の波(第一次世界大戦、大恐慌)と、
  彼女自身の純粋過ぎる精神にあったとは、皮肉です。

セピア浪漫のお茶タイム

2011-02-24 17:58:17 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


 
 食堂では囲炉裏に漂流木の火がゆらゆらと揺れて、
 捉えどころのない海から生まれた色を
 焔に織り成していた。(中略)

 ジム船長のお茶は酒のように豊潤だった。
 アンが褒めると、ジム船長 は子供のように喜んだが、
 さり気ない無頓着を装った。
 
 「コツはクリームをけちけちしないことですよ」
 と、ジム船長 は上機嫌で説明した。
 オリヴァー・ウエンデル・ホームズの名を
 聞いた事がなくとも、この作家の
 『偉大なる人物は小さなクリーム入れを好まない』
 という意見に賛成したに違いなかった。
                      【「アンの夢の家」 第9章】


   今日は、太陽こそ少々、
  日光を出し惜しみしていますが、
  昨日以上の暖かさとなりました。

   何だか日々、
  気温を更新しているよう。

   尤も、このまま春・・
  という事はないでしょうけれど。

   でも、ついつい期待感を
  抱かせてくれる昨今です。



   さて早速ですが、今日のティータイムは、再び海のイメージで。
  先日の三浦綾子著 『海嶺』 もそうですが、そこから 『赤毛のアン』 の
  ジム船長を思い出し、又、司馬遼太郎著 『坂の上の雲』 と・・。

   少々、時代は前後しますが、いずれも100年以上も前。
  又々、今度は別の古地図の額などを引っ張り出して来た私。
  
   となれば・・そう、「セピア色のお茶時間」 です。
  漂流木の火こそありませんが、
  こんなセピア色にはランプや蝋燭の焔が合いますね。

   ~なんて、ちょっぴり気取ってみたものの、
  地図が逆さまです。何ともいい加減な私。

   ともあれ、こんな風ですと、ちょっとした海の浪漫ですが、
  実際には海は厳しいものがありますものね。
  
   『海嶺』 では船は難破しますし、『坂の上の雲』 は軍艦。
  『赤毛のアン』 のジム船長も海では相当苦労したようですから。
  
   でも、海の男ってなぜでしょう、みんな素敵。
  そうそう、今日の革のトレー(絵)、ジム船長のつもり。
  そんなこんなで・・今日の空(2枚目の写真)でさえ、海に見えてしまう私です。

   今日のお茶請けは生協から届いた、野菜そのままの油菓子。
  カリカリ、ポリポリ・・歯触りの良い、(音も)ちょっと堅めのお菓子、大好きです。

すみれ慕情

2011-02-23 15:37:57 | ハーブと香り雑学


 
 ウィローミアの向こうには 「すみれの谷」 がある ――
 アンドリュース・ベルさんの大きな森の陰にある小さな、
 青々とした窪地に付けた名前だ。
 
 「無論、今は菫なんかないわ」
 アンはマリラに話した。
 「でも春になると数え切れないくらい咲くって
 ダイアナが言うのよ。
 ああ、マリラ、目に見えるようじゃないの?
 ほんとにあたし、息が止まってしまいそうな気がするわ。」
                        【「赤毛のアン」 第15章】  
 

   一気に春が来て3日目。
  今日も春日和? が続きます。

   夜は夜で月光の神秘。
  明りを付けなくてもサ~ッと一条の光。

   おまけに今の月は、月を見ながら、
  眠りに着く事が出来るという
  絶好のロケーション。

   それにしても今日は、
  昨日以上の暖かさ。何と4月上旬とか。
  桜の咲く頃の陽気です。

   そんな陽気に誘われてか、
  いつかの小鳥も・・。

   今日は連れ立ってやって来たの
  ですが、敏感で音だけに反応して
  逃げて行ってしまいます。

   小鳥と一緒に写真・・
  ~なんて、いかにも 『アンの世界』
  ぴったりですのに、残念。

   さて、春と言えば、菫の季節ですね。
  私は薔薇も好きですが菫も大好き。
  
   この二つの花は好きな花の
  双璧と言って良いでしょう。
  対照的な花ですけれど。
  
   ところで、2年目の 「匂い菫」。
  この菫、種がこぼれて増える・・と
  聞きましたのに、相変わらずです。
  
   一重ではなく八重だったから・・?
  色々と思う処ですが、この菫、
  我家で一番日当たりの良い場所、
  リラの根元に植えたものです。

   リラの花も、なかなか咲きませんし、
  (今年こそ・・と思っているのですが)
  七不思議の一つです。

   勿論、株はちゃんとありますので、
  花が咲くのを楽しみにしています。

   今日は一足先に、そのポプリを。
  と言っても三色菫と、この秋のセージなど。

   菫と言えば、アン もこよなく愛している花。
  それは マリラ の紫水晶のブローチを、“おとなしい菫たちの魂” と讃えるほど。
  そう言えば、アンも薔薇・・好きでしたね。

春風を誘うレース編み

2011-02-22 16:33:56 | 私の手作り夢時間



 「(略)今朝は、寝部屋の窓の外にある
 桜の木にも名前を付けたのよ。
 雪の女王 というのにしたの。真っ白なんですもの。
 勿論、いつもあんなに花を付けてる訳じゃないけれど、
 でも、咲いていると想像出来るでしょう?」
  
                         【「赤毛のアン」 第4章】 


   今朝は、起床時から
  何もない空で明けました。

   ただ少々、霞が立ち、
  空全体が珊瑚色・・いいえ、
  今日は朱鷺(とき)色に。

   自分で朱鷺色なんて言葉を
  使いながら、日本には何と美しい
  言葉があるのかと驚いています。

   朱鷺色を敢えて英語で言うなら、
  「ピーチピンク」 でしょうか・・。

   尤も桃色をそのまま英語に
  訳しただけなのですが・・。   

   一方、日本語には、同じピンクに
  どれだけの言葉があるでしょう。

   ざっと思い付くだけでも、
  牡丹色、桜色、桃色、珊瑚色・・
  そして朱鷺(とき)色。

   青味を帯びたピンクから黄色味を帯びたそれまで、
  微妙な色の違いを言葉で表現しているのですね。素敵な感性。
  せめて、これらの言葉を使う事によって廃(すた)れる事のないようにしたいものです。

   さて、のっけから少々、話が逸(そ)れてしまいました。
  こちらは今日も昨日以上の暖かさになりました。
  今日などは、外でお茶してもいいくらいに。

   昨日などは “冬が名残り惜しい・・”
  ~なんて言って置きながら、勝手なものですね。やはり気持ちは外に。
  人間の性(さが)とは、こんなものなのでしょうか。

   ところで昨日は、すっかり忘れていた、
  『赤毛のアンの本』 の副産物を与えてくれた屋根裏部屋(実は納戸)のトランク。
  一緒に昔編んだ、レース編みをも運んで来てくれました。(冒頭の写真)

   丁度、小窓のカーテンが汚れていましたので、幅の合うのをみつくろって。
  寝部屋ではありませんが、アンの部屋と同じ、東向きの窓。

   勿論、今は桜の季節ではありませんが、この小窓から桜が見えるような気がして。
  そう言えば、今日は3月下旬の気候だとか。

   となれば、そろそろ桜・・ですものね。
  ~なんて、相変わらずの 『想像の余地』、フル回転です。
  何だか私ったら、すっかりアンしています。

   それにしても窓にはレースが合いますね。特にこれからの季節は。
  写真では分かりませんが、一応薔薇模様になっています。(方眼編み)

   今気が付いたのですが、薔薇はレース編みでも描けるのでした~。
  暫く休んでいましたが、又、始めようかしら・・? この窓にぴったりしたものを。

   そうそう、昨日の林檎、今日は木の梢に。
  アンと言えば、どうしても林檎ですものね。そして三つ編みの敷物。
  アンの真似をして林檎に齧(かじ)り付いた子供の頃を思い出します。

本日はアン日和

2011-02-21 16:01:51 | 心の宝石箱




   昨日の、太陽は出ているのに
  白い空・・から一転して、
  今朝は、ほんのり珊瑚色に
  染まった空となりました。

   気温も、ぐんぐん上がり、
  一気に春が訪れたようです。

   この時間になっても
  雲は全くありません。快晴。

   でも意外や意外、
  今、私は少々複雑な気分。

   勿論、春の訪れは嬉しいのです。
  でも殊の外、寒かった今年の冬ですのに、
  なぜか名残り惜しい気がしています。自分でも不思議。

   一つには雪に閉じ込められるという、
  『アンの世界』 の疑似体験が出来た事。(全然、お話になりませんが)

   それは思いの外、家時間が充実していたからに他なりません。
  又、折も折、三浦綾子の世界にどっぷりでしたから。
  思えば、「晩冬」 などという言葉に反応したのも、こういう事なのかも知れませんね。



   さて、こちらの写真。
  相変わらず暇があれば私は、
  ごそごそと三浦綾子の本を
  探しています。

   「細川ガラシャ夫人」 が
  未だに見つからない事も
  あるのですが、これが大掃除
  一歩手前の大仕事。

   でも今日は、こんな嬉しい
  副産物がありました。

   屋根裏部屋の(実際には納戸)
  古いトランクの中から出て来たのは
  自分でも完全に忘れていた、
  『赤毛のアンの本』。

   三浦綾子サマサマです。
  今日は、久し振りに原点に
  戻ってみました。

   そうそう、肝心の三浦綾子の本は、
  『雪のアルバム』 1冊、出て来たきり。

   この本も持っていた事すら忘れ、表紙の裏のあらすじを読んでやっと・・という状態。
  それも、ほんの微(かす)かな記憶しかありません。
  恐らく私の事ですから、タイトルに惹かれて求めたに相違ありません。
  
   後残るは、腰の高さまである叔父に貰った、
  アメリカ製の大きな大きなトランク・・(これも相当古い)これしかありません。
  トランクと言いますと・・アンの、こんな件(くだり)を思い出します。

   “・・・(略)グリーン・ゲイブルスの私の部屋の床に、
  べた一面、真鍮しんちゅうびょうが打ってある奇妙な、みすぼらしい、
  小さな馬の毛織のトランクが置いてあった。・・・
  これはミス・エミリーのものだが、ミス・エミリーが亡くなる時、
  私の所へ届けて欲しいと頼んだとの事だった。(中略)

   私達は 古いトランク を開けた。(中略)
  中には少しも色せていない青いモスリンに、
  ひときわ濃い青い色の花模様を散らした古雅な、美しい、
  時代遅れの服が入っており、その下に飾り帯、黄色の羽根扇、
  枯れた花の一杯入った封筒があった。
  箱の底から小さな茶色の本が出て来た。”

                                  【「アンをめぐる人々」 8.】

19世紀浪漫の渦の中

2011-02-20 15:36:56 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


   太陽は出ているものの白い空・・という休日の朝。
  そう言えば昨夜、休む前に眺めた満月のお月様も朧月でしたっけ・・。(18日が満月)
  今日も暖かい朝を迎えました。

   さて、タイトルからも分かりますように、
  私は今日も音吉達、3人を引きずっています。

   繰り返しになりますが、故国を目の前にして、その土さえも
  踏めなかった彼らの心情を思いますと、その無念はいかばかりかと思います。
  一方、少しばかり冷静になった頭で当時の世界に目を向けて見ますと・・。
  
   19世紀は激動の時代。ヨーロッパ各国の覇権主義が世界を席巻。
  奴隷制度、植民地政策、等など・・。とどまる事を知りません。
  それは、この 『海嶺』 の中でも垣間見る事が出来ます。

   伊勢湾を望む小さな村社会しか知らなかったあの時代、
  図らずも世界を知る事になった音吉達・・。(勿論、望んだ事ではありませんが)
  そこに運命の力を感じる・・と思うのは、穿(うが)ち過ぎでしょうか・・。

   「・・・(略)だからこれには両面からの見方があるわ。
  全てこの世の物事には両面があって当然なんだけど」

                                【「アンの青春」 第28章】

   それにしても、上の言葉、上手い表現ですね。
  音吉達を助けた、イギリスにしても清国にアヘンを売っています。
  
   マカオで音吉達のめんどうを親身になって見、
  一緒に聖書を和訳した、ギュツラフにしても、そのアヘンに深く関わっているのですから。

   日本の対応にしても現在の目で見れば、“何と非道な事を・・”
  と思いますが、鎖国制度の中ではある意味仕方なかった・・と言えるのかも知れません。

   音吉達も、その後広い視野で世界を見た訳ですから、
  きっと理解出来たのでは・・と虫の良い? 解釈をしています。
  (尤も彼らが、お上に対して恨みを持つのは当然です)



     さて、小説は浪漫と言うより荒波の方がピッタリですが、
  そこはお手のものの私。

     古地図など引っ張り出したものですから、
    19世紀浪漫に、たっぷり浸っています。
    こんな風に、トレーも古地図で。

   という訳で、(前置きが長くて遅ればせながら)
  『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』 の開店です。
  
   アラッ!? 海と言いますと・・久し振りに ジム船長 も思い出してしまいました。
  私の中の 「想像の余地」 全開です。

   今日もテーブル周りは、青い海の色をイメージして。
  カップは 「九谷焼」。季節の椿柄です。       

海に刻まれたドラマ

2011-02-19 16:10:37 | 心の宝石箱


   4日振りに雲一つない
  快晴の朝を迎えました。

   それでも早い時間には霞が・・。
  春が近い事を教えてくれて
  いるのかも知れません。

   そんな晴れた空に立つ霞の事を
  晴烟せいえん と言うのだそうですね。

   お昼の空も、こんな刷毛で
  ス~ッと描いたような空になりました。



   さて、三浦綾子著 『海嶺(下)』(全3巻) を読み終えました。
  最後まで読み終え、時代の運命に翻弄された彼らが可哀想で・・呆然としています。
  
   「海嶺」 とは、作者自身によれば “大洋底に聳(そび)える山脈上の高まり” とか。
  人目に触れずとも、大海の底には厳然と聳える山が静まり返っている・・。
  
   すなわち自分自身は知らないながらも日本の歴史に深く関わった、
  音吉達3人を、この 「海嶺」 になぞらえていたのですね。

   それにしても故国に帰る事だけを願い、
  懸命に生きて来た彼らの気持ちを思うと、胸が痛みます。
  (この巻では別に漂流して助けられた九州、肥後組4人も加わります)

   尤も、このような結末の予測は、
  巻頭に示されていた航路地図で容易に想像出来ました。
  
   それでも、ひょっとしたら・・と淡い期待も抱いていたものです。
  いいえ、願望と言った方がいいかも知れません。

   前回も申しましたが、この本は実話を元にした小説です。
  音吉達の乗った船が遭難したのが、1832年11月。
  
   イギリスの船(イーグル号)に助けられ、最後はアメリカの船(モリソン号)・・と、
  変遷を辿るのですが、浦賀に接近したのが1837年7月30日。
  遭難から5年も経っています。
  
   そして、ペリー浦賀来航の30年も前なのですね。
  折しも、世は天保の飢饉(ききん)で騒乱の最中。
  大坂で、「大塩平八郎の乱」 が起こったのもこの年です。

   彼らを連れて来たモリソン号は、幕府に気を遣い大砲を片付け、
  文書を携え、民間の船として入港したものの、聞く耳どころか大砲で追いやられる始末。
  やむなく薩摩藩に再度働きかけるも、同様の扱い。
  
   ここでは最初、岩吉からも薩摩藩の武士が事情を聞き、
  肉親の元に帰れると約束したものですから、それが覆されたどころか、
  大砲の仕打ちですから(期待が大きかっただけに)もっと悲惨です。

   あとがきに7人のその後が記してありましたが、
  2度と故国の土を踏む事はなかったようです。

   そうそう、今日のテーブル周りは青い海を感じて。
  カップも深い海の色を。背景には古い世界地図も配して見ました。
  
   北アメリカからハワイ、ロンドン、アフリカ、マカオ、日本。
  あれから170年経った今でも地図では遠いです。