【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

和時間のススメ

2011-01-31 16:15:55 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


   




   起床時の今朝の居間の気温は、7度。あっさり今冬の最低気温を更新です。
  そう言えば、昨夜のPC上の気温は0度でしたっけ。雪ではなく、凍てつく朝。

   昨夜、休む前に見た、
  いかにも “冬の空” といった夜空に思わず見惚(と)れたものです。

   しんと静まり返り、辺りを覆う透明な空気は独特なものがありますね。
  さすが、午後になると雲が出て来ましたが、
  午前中は雲一つない快晴になりました。





                                 夏樹静子作 「風極の岬」 より



     この処、三浦綾子三昧の私。
    上の記述は、夏樹静子の小説の冒頭部分ですが、
    それにしても北海道尽くしですこと!

     三浦綾子の北海道は当然と言えば当然ですが、
    夏樹静子は珍しいのではないでしょうか。

     これこそ、今回の 「三浦綾子本」 探しの副産物で、
    読まないまま、そのままになっていたものです。











   この本は短編集ですので、
  お風呂の中で読む事に。

   (本が汚なくなりますが
  手持無沙汰でどうしようも
  ありませんので)

   さて、今日も本の感想・・
  というのでは、うんざりですね。

   1月最後の今日は、
  『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』 の
  開店と致しましょう。

   1月最後・・何気なく記した私本人が驚いています。もう・・。
  明日から2月なのですものね。

   今日のカップは、ひょっとしましたらこれまでに UP しているかも知れません。
  実は 【以前】 にも紹介した、ベニシアさんの本に
  同じカップを見つけましたので、嬉しくなって。カップは信楽焼です。
  今日は 「和時間」 としましたが、このカップ、洋風にも合いますね。     

愛という名の幻想

2011-01-30 17:27:17 | 心の宝石箱




   寒い事は覚悟して起床した
  割には朝から太陽燦々。

   こちらは今日も冬日和です。
  一方で日本海側は連日の大雪で
  大変なようですね。

   ただ、外気温は相当低く
  なっています。(午後5時現在)
  今夜は雪が降るかも知れません。

   そうそう、まだ明けやらぬ
  空には昨日の朝も見た、
  有明の月と仲良く並んで、ひと際輝く金星も。

   つい数時間前に見たサッカー、ゴールの瞬間が思い出されます。
  キラキラ光る金星は、まるでお祝いのように輝いていて・・。

   あの時は、もう午前2時を過ぎていましたものね。
  ヒヤヒヤの連続でしたが、兎にも角にも優勝、おめでとうございます。
   


     さて私は・・と言いますと今日も三浦綾子の小説を。
    あれから 『自我の構図』 を読了。
    息つく暇もなく、次は 『天北原野』 です。

   この本は随分、以前に読んだ事がありますが、
  主人公が 「絵の教師」、「定山渓」 ・・といった断片的な記憶はありました。

   でも、長い年月の空白は、どこでどう変わって行ったのでしょうね。
  微妙にすり替わっています。

   実際には主人公の南慎一郎は絵の教師ではなく、高校の国語教師。
  絵の教師(新進画家)は同僚の藤島壮吉であり、慎一郎は藤島の弟子という訳です。
  又、定山渓と思っていたのは天人峡の間違いでした。

   物語は ・・ “慎一郎が師を越える才能を見せ、日展に初出品、初入選、
  おまけに協会賞まで取るという活躍への藤島の嫉妬と心の葛藤。(藤島は落選)

   又同時に、その絵のモデルは藤島の美しい妻、美枝子。
  慎一郎と藤島、2人だけの天人峡への写生旅行での藤島の転落死から” ・・ 始まります。
  それは当然の事ながら様々な憶測を呼び・・。

   慎一郎と藤島との友情の脆さもそうですし、(絵は藤島の勧めで始めた)
  慎一郎を中心とする藤島の妻美枝子及び、慎一郎と妻の由紀、
  由紀の姪雅子との関係等など。
  
   誰にでも巣食う、自己中心的な人間のエゴイズム。
  愛というものについて、これも又、
  不確かなものだという事を突きつけられた気がします。
  それについては、作中の雅子が上手い事を言っています。







(略)・・・ その由紀の変わりようを眺めながら、
雅子は、人間の良さというものなどは、いったん
事があると、たちまち崩れて
醜く変わるものだと、恐ろしい気がした。
自分の中にも、自分のまだ知らない醜さが
いくつもあるようで、それが恐ろしかった。
<砂糖の入ったコップの水は、
いくら振っても、その甘さは変わらない> と、
誰かが言った言葉を雅子は思い出した。
人間はちょっと揺さぶられると、
甘いと見えたものも、あるいは辛く、
あるいは苦く変化するのだ。・・・(略)
              三浦綾子作 「自我の構図」 より
 

美意識の行方

2011-01-29 15:58:58 | 心の宝石箱






   10度をほんの僅か下回った今朝は、
  こんな縞模様の空で明けました。

   南の空には、昨日より
  より細くなった有明の月が。

   思いの外冷えたようで如露の水は、
  カチカチに凍っています。

   そうそう寒さで震えていたであろう
  薔薇は・・切り取って1輪差しに。



   今日は昨日より1段階綻びました。
  あの寒さの中で・・又、こうして
  切り取った後も着実に歩を進めて
  いる薔薇に感動さえ覚えます。

   さて又々並んだ本は、
  申すまでもなく三浦綾子の本。

   昨日やっと探し出した、
  『天北原野(上下)』 と
  『泥流地帯』 です。(1冊は続巻)

   そもそも本を探し出すのにこんなに
  苦労しているのは、一つの本箱を壺専用の飾り棚にしたからなのですが、
  ここに来てしっぺ返しをくらっています。

   残りの本箱に詰められるだけ詰め、
  それでも入り切らない物は、大きなトランクの中や壺など様々な所へ。
  これでも結構整理したのですが、溜まる一方の本。

   ただ今回探す事で思わぬ効果も。買ったまま読んでいない本も多数。
  当分、手持ちの本だけで十分間に合いそうです。
  その上、乱読、斜め読みの私の事ですからあらかた忘れていますし。
  









   




   その、あらかた忘れている中から取り出したのは、『自我の構図』。
  先日も記しましたが、彼女の本は主人公が立派過ぎて凡人の私などは恥じ入るばかり。

   そんな中で、こちらはいずれも信仰に無関心な人ばかりで気楽に読めます。
  とは言え、相変わらず作中の言葉には、ハッとされっ放し。

   昨日の今日ですので、やっと半分読んだばかりですが、
  このまま一気に読み進めそうです。








(略) ・・・ 「全然夜のない夜を、
いつまでも話し合うなんて、果てしのない夢を
見ているみたいで、楽しいでしょうね」
「明ける事のない夜か」
「そうですわ、明ける事のない夜、
暮れる事のない昼」・・(中略)

いわばこれらは、用なき会話であった。
だがあまりにも用のある会話ばかり交わしている
日常の中で、それは貴重なひと時に、
慎一郎には思われた。
由紀との会話は、あまりに散文的であった。

(中略) ・・・ 物価が高くなったとか、
そんな会話ばかりである。
それは必要な会話かも知れないが、
絵を描く助けになる言葉ではなかった。           
               三浦綾子作 「自我の構図」 より 
 

春隣の薔薇

2011-01-28 16:48:58 | リラのお気楽ユメ日記




   今朝も初めはおずおずと
  顔を出した太陽。

   南の空には三日月の有明の
  月が美しい姿を見せ・・。

   かと思えば風花も。
  チラチラと舞い、寒い朝に。

   ただ今日の太陽は、昨日ほど
  気分屋さんではないようです。

   日中は、この季節にしては暖かくなりました。
  でも、これで平年並みかも知れません。

   この処、かなり寒い日が続いていましたので、
  少々感覚が狂っているかも知れませんから。

   さて、冒頭の写真。
  一昨日、動いたように感じたのは錯覚ではなかったようです。

   ちょっと小振りですが、例の紅い薔薇、
  リラ版 「公爵夫人の薔薇」 がやっと微笑んでくれました。

   初めて蕾を確認してから一体、何カ月になるでしょう。
  随分待たされましたが、さすが公爵夫人です。
  スクッと背を伸ばし、凛とした佇まいは溢れるばかりの気品。

   折しも昨日触れた 『塩狩峠』 の作品中の言葉が頭を過(よぎ)ります。
  「花が咲く事も決して当たり前な事ではない」 ~本当にそうですね。
  ましてや、いくら四季咲きと言っても冬に開花する難しさは身に沁みて感じてもいます。








(略)・・・ 信夫は深くうなずいた。
頷きながら、自分が今日感じた
薔薇 の美しさを思い出していた。
この地上のありとあらゆるものに、
存在の意味があるように思えてならなかった。
(中略)
「・・・ この自分も又何らかの使命を帯びている
存在ではないかと、改めて考えさせられたよ。
花には花の存在価値があるんだな。
花を見て美しいと思い、不思議と思う心が
与えられているかどうかは、
やはり僕達にとっては大きな問題なんだろうね」
(中略)
「・・・ 死んでしまえば一切が無になる、
という考え方もあるだろう。
だが見るもの聞くもの全てに、自分の人格と
深い関わりを感じ取って生きて行く生き方も、
ある訳だからね」
                 三浦綾子作 「塩狩峠」 より


   





   上の会話は、『塩狩峠』 の中の主人公、信夫とその親友吉川の会話です。
  何と思慮深い会話なのでしょう。哲学的ですらあります。

   そうそう見つからなければ、もう1度買い求めようと思っていた、
  『天北原野(上下)』 が見つかりました。
  『泥流地帯』 と一緒に。楽しみが増えました。

運命の摂理

2011-01-27 16:17:27 | 心の宝石箱

【散った薔薇と三浦綾子の本】

   起床時の気温は、今季最低気温に並ぶ8度。
  いかにも寒そうな空と、その空からはチラチラと風花も舞っていたものです。

   しかしながら初めはおずおずだった太陽も、その後はいつもの貌に。
  又、引っ込み・・。そんな事を繰り返しています。今日の太陽は気分屋です。

   “(略)・・・ その日の夜明けは真珠のように白く、
  ダイヤモンドのように透明だった。
  駅の裏にある高い香りの若樅の林は霜に覆われていた。
  冷たい有明の月は西の雪の原の上にかかっていたが、
  黄金色の綿毛のような朝日は炉辺荘の楓林の上に
  輝いていた。・・・ (略)”
               【「アンの娘リラ」 第18章】



   さて、三浦綾子に没頭している、ここ何日かの私。今度は、『塩狩峠』 を読了。
  実はこの本、どうやら読んでいたつもりで読んでいなかったようです。

   その一方でブログ友達によって、こぞって紹介されていた、
  『あのポプラの上が空』 に至っては、完全に読んでいないと思っていたものです。
  しかもご丁寧にも “何とロマンティックな題名!” ~なんて思っていたのですから。

   それなのに文庫本ですが、最新刊を買っているではありませんか・・。
  そう言えば、あの頃は斜め読みの最たる時期。
  
   次から次へと買い求め、サ~ッと読んでは、すぐ忘れていたに違いありません。
  尤も 『海嶺(上中下)』 は、読まないまま本箱の肥やしになっていたようです。
  彼女には珍しい時代物。ただ肝心の『細川ガラシャ夫人』、まだ出て来ません。

   そうそう、『塩狩峠』 の事。実話だったのですね。
  明治時代、まだキリスト教が 「ヤソ」 と呼ばれ、人々から迫害されていた時代。

   とは言っても主人公の信夫は両親とは違い、最初から信者だった訳ではなく寧ろ否定的。
  それには複雑な事情があるのですが、ここでは省きます。

   小説の最初の舞台は東京の本郷。
  生涯の友となる吉川との出会いと、その妹のふじ子・・。
  (その吉川は高等科4年の時に夜逃げ同然に北海道に引越すのですが・・)

   読み進めて行くうちにち父親である貞行の言葉を初めとした登場人物の言葉に、
  どれだけハッとさせられた事でしょう。思わず自分を顧み、自己嫌悪・・。

   ひたむきな愛と信じる心。
  特に、吉川のいる北海道に行ってからの信夫の生き方には心を打たれました。
  魂を揺さぶられる・・というのは、こういう事を言うのでしょうね。

   最後があまりにも悲し過ぎて言葉がありませんが、
  その悲しみに耐えられたのも信仰のせいでしょう。
  壮絶な生涯・・こんな生き方もあるのですね。

(略)・・・(きれいだなあ)ふっとそう思った時、
信夫は思わずハッとした。
(こんな美しい花が、この汚ない土の中から咲くなんて・・)
それはいかにも不思議だった。(中略)
(花ばかりじゃない。
朝が来て一日があり、そして夜が来る。
この事だって決して当たり前ではないのだ。
宇宙のどこかには、一年中夜の所もあれば、
一日中昼の所もあるに違いない。
いや、この地上にだって、
薄暮のような場所があるではないか)



(略)・・・人の好意を受け取る事にかけては、
ふじ子は天才的ですらあった。
ほんのちょっとした好意でも、それをふじ子が受け止める時、
限りなく豊かな想像を加えて、
一つの楽しい童話や詩となった。
                        三浦綾子作 『塩狩峠』 より
  

赤い魔法

2011-01-26 15:13:56 | 煌きの硝子(ランプ含む)


   今朝も起床時の気温は11度。昨日と全く同じです。雲、一つない空。
  こちらは今日も冬日和。晴天は嬉しいのですが、空気はカラカラ。
  雨が降りません。

   ただ、今日は昨日と違い、午後から “ガミガミおばさん” が出没。
  少しだ開いた窓から、ガタゴト建具を揺らしています。そのうるさいこと!
  所謂(いわゆる)、エミリー 言う処の、北風ですね。

   ところで私は部屋のあちこちに硝子を置いています。
  透明のものから青や赤の色付き、はたまたクリスタルだったり。
  
   又、それは花瓶だったり容器だったり、かと思えば単なる置物だったり。
  それらが朝昼晩と光を受けて、様々な顔を見せるのです。
  
   朝日が反射して部屋の隅っこのクリスタルの瓶がオレンジの光を点滅させているかと思うと、
  薔薇や水仙を入れた花瓶は、いち早く春を運んで来てくれています。

   それらは、春を招じ入れる事に役立っていると何だか誇らしそう。
  夜などは、あちこちにオレンジの明りが灯ります。電灯の光を映し込んで。
  思わぬ所に思わぬ灯りで、ハッとする事もしばしば。

   話が前後しましたが、冒頭の写真。今日は暖かみがあって元気の出る赤色を。
  私は、色は青が好きですから硝子物も7割近く青物と言っても過言ではありません。
  ですから、赤は数少ないですけれど。

   そう言えば、琉球硝子の工房で赤色が一番出しにくい色だと聞いた事があります。
  それに冬は赤っていいですね。赤の似合う季節かも知れません。


   


華の生涯

2011-01-25 15:22:18 | リラのお気楽ユメ日記


   暖かい! と思って目覚めた朝。
    意外にも窓の外は白い世界。

   と言っても家々の屋根が白く
      なっている程度で、
  道路や木々に積もるという事は
       ありません。

     その証拠に如露の水は
    凍っていませんでしたから。
  
     これも久し振りです。
  当然、日溜りには春の気配も・・。

   さて長い間、私の心をわくわくさせ、
  毎日の暮らしに彩りを添えてくれた
     もの・・と言えば、薔薇。

       その最たるもの、
     リラ版 「白い貴婦人」。 
   所謂、バニラ色の薔薇。(写真左)

   元々、なぜか俯き加減でしたが、
  開花し、お顔が大きくなったせいか、その重みで一層深々とお辞儀を。

   一方、例の紅い薔薇。
  一見、何も変わらないようですが、堅く閉じていた花びらが微かに動いたようです。
  例年のこの時期でしたら、中身は空洞と言う事が良くありましたから、
  今年は本当に頑張ってくれました。

   ところで薔薇を見ていますと、
  昨日の 「わが愛を星に祈りて」 の主人公に、つい重ね合わせてしまいます。
  あまりにも美しくて、儚い・・。

   僅か20歳の命。カリエスなんて病気すら遠くなってしまった現代。それにしても・・。
  一昨日も記しましたが、9月に初版本が出され、僅か3ヶ月で150刷とは驚異的な数字です。
  
   となれば、それより前に1大センセーション巻き起こした、
  「愛と死をみつめて」 は、想像を絶する数字だったでしょう。

   折しも先日の新聞記事には・・。あるエッセイストの手記なのですが、
  今は書店も売れる本しか売らなくなったものですから、お役ご免になったとか、ならないとか。

   その方が訴えていらっしゃいましたっけ。
  「1冊でいいから本を買って下さい。それも古本なんかではなく、新刊本を」 と。
  
   出版業界の状況も、ガラッと様変わりしてしまいましたものね。
  それにしても「わが愛を星に祈りて」 は、もう半世紀も前の本なのですね。 

清しい青春との邂逅

2011-01-24 16:16:18 | 心の宝石箱


   今朝は、くっきりはっきりした
  冬の空ではなく、ちょっと
  ぼんやりした薄紫色の空。

   今朝も暖かい! 
  ~なんて思ったものですが、
  如露の水はやはり凍っています。

   ただ一時のような大気の
  冷たさはありません。

   そうそう、ミモザの樹。
  3、4日前に地植えをしたのですが、
  心なしか背丈が伸びたように感じます。

   いくら何でもそんな事はないと思うのですが、3年もすればかなりの大木になるとか。
  勿論、ちゃんと生育すれば・・の話ですが・・。



   さて、冒頭の写真。
  昨日、本箱の片隅から見つけ出した本です。
  去年の夏、主人の実家の本棚から見つけて驚喜して持ち帰ったものです。
  
   しかしながら、いつの間にか見当たらなくなってしまい、
  もう失ってしまったとばかり思い、半分諦めていた古い、古い本。
  その本の名前は、『わが愛を星に祈りて』。

   題名からしてロマンティックだとお思いになりませんか・・?
  佐伯浩子(仮名)という北海道に住む、ある女高生の日記です。
  同級生との淡い初恋を描いたもの。
  
   昨日も触れましたが、この本は当時相当話題になったようですね。
  レコードも出され、映画化もされたとか。(いずれも高田美和)

   「愛を愛とも知らないで・・」
  「雪割り草の花びらに願いをかけた日もあったのに・・」
~♪
  
   清純で胸キュンの歌詞が踊ります。
  この本の後書きにも書かれていますが、その少し前には、
  全国的に話題をさらった 『愛と死をみつめて』 が出版されています。
  
   そんなこんなで・・昨夜は一気に読み上げてしまいました。
  やはりと言いますか・・彼女もカリエスでお亡くなりになるのですね。
  あろうことか、20歳の若さで。
  
   この病気は奇しくも三浦綾子と一緒。
  そして、この物語の舞台も・・またしても北海道です。

   それにしても高校生らしからぬ、しっかりした文章。
  悲しいけれど、ある種の清々しさを感じたものです。
  真っ直ぐ前を見つめ、自分を律し、日々勉学にいそしむ・・。

   高校生ですから当たり前の事なのに、どうしてこんなに感動するのでしょう。
  同時に誇り高き生き方にも。華奢で理知的な容姿が想像されます。

   ところで今度は、三浦綾子作 『塩狩峠』 が出て来ました。
  同時に渡辺純一の 『氷紋』 も。『塩狩峠』 は、早速読み始めています。

   そう言えば三浦綾子と同様に渡辺純一の本も一時、貪(むさぼ)るように読みましたっけ。
  と言っても初期の作品、医学物に限りますが・・。
  最近の作品は、傾向が変わったようで? 少々、食傷気味なのです。

コバルト色の空のむこうに 何があるのでしょう
白く雪残る尾根のむこうに 何があるのでしょう
みどり茂る森のむこうに 何があるのでしょう

いいえ そこに何があろうと
知らなくてよいのです
今の私が知りたいのは 貴方の心なのです
               佐伯浩子 高校2年の8月29日

二度目のランデヴー

2011-01-23 17:17:57 | 心の宝石箱


   昨日より3度近く気温の
  高い朝を迎えました。

   今日も冬日和。
  晴天が続きます。
  
   寒さの方も昨日辺りから
  やっと平年並みの気温に。
  
   さて、今日は早速本題に
  入る事に致しましょう。
  
   今日のタイトルでもある、
  「二度目のランデヴー」 は、
  【先日】 から引き続き、
  三浦綾子の小説を。

   今回は、タイトルに惹かれた、
  『残像』 を読了。
  
   この物語の舞台は1970年代。
  所謂、昭和の時代ですね。

   札幌に住む中学校長一家。
  気弱で世間体を気にする父親と何事にも感動しない母親。そして冷酷な兄。

   冷たい隙間風が吹く家庭。渦巻く愛憎、そして崩壊・・。
  それらの心理的な葛藤など、見事に描いています。

   奇しくも先日読了した 『裁きの家』 では大学生の息子が母殺しを計画。
  今回は、父親の子殺し・・? に発展します。
  尤も、どちらにも最後に大どんでん返しがありますが・・。

   勿論、この本も何十年振りかで手にした本です。
  ほとんどは “忘却の彼方” 状態ですが、
  淡く記憶の根底に眠っていた部分もありますから、それを突如思い出してみたり・・。

   ただ前回は私自身、この家の美しい一人娘、弘子の目線で読んでいたと思うのです。
  でもあれから年を重ねた今は、父親の気持ちや、
  さり気なく描かれた昭和の時代の風景描写にもハッとさせられます。

   ところで、自宅の蔵書には誰しも特別な思い出がありますね。
  そう言えばひと昔前は蔵書印なんて押して、ご満悦だった輩(やから)も。

   今回、それら昔の本を引っ張り出してみて、ちょっとした時空の旅に出た気分です。
  勿論、小説ですから書き込みなんてしていません。
  ただ挟(はさ)んであった青色インクのレシートに、その時代の香りを嗅いでみたり。



   上の本は今日出て来ました。
  でも必死になって探している、
  『天北原野(上下)』 と
  『細川ガラシャ夫人』 はまだ。

   そうそう、去年の夏、
  実家から持ち帰り、
  その後、失っていた本、
  『わが愛を星に祈りて』 も
  出て来ました。

   1965年12月10日 第150刷 と
  あります。定価340円。初版が同年の9月20日。
  
   この事からも、この本が信じられないような大ベストセラー本だという事が分かりますね。
  (因みに 『赤毛のアン』 は、昭和29年7月28日 発行、平成4年3月20日 101刷)

(略)・・ぶらぶら歩いて行くと、しまい忘れたのか、
国旗を出している家があった。
真っ白な地に鮮やかな赤い日の丸は、
いかにも真新しく見える。
「建国の日か」 呟いて栄介は薄笑いを浮かべた。(中略)



(略)・・55歳という年齢は、まだ老いたという年ではない。
20年の歳月は、洋吉にとっては必ずしも長くはなかった。
むしろ短い気がする。
洋吉は20年前の日を、ついこの間のように
鮮やかに思い出す事が出来る。
「人は誰でも長く生きたいと願う。
だが老人になる事を人は願わない」

西欧の誰かの言葉を思いながら、
洋吉はなるほどその通りだと苦笑した。
                       三浦綾子作 「残像」 より
   

心、ほっこりお茶時間

2011-01-22 16:08:08 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


   少々寝坊した朝は、すっかり日が高くなっています。
  反射的に目を遣った居間の気温は 9度。

   かなり寒い朝。
  そう言えば昨日も今日も如露の氷は凍っていますもの。

   それにしても、ここ何年かの冬は暖冬で、
  このまままでは日本の四季がなくなるのでは・・なんて心配もしたものです。

   「障子を開けば、玉屑ぎょくせつ霏々ひひ乱れて斜に飛び、
  後山も雪の為におぼろなり」

                      徳富蘆花著 「自然と人生」 より 

   「玉屑」とは雪の事であり、「霏々」 とは、雪や雨がしきりに降るさま。
  こんな美しい言葉も四季のある日本だからこそ生まれたものでしょう。
  
   四季の移ろいを肌で感じて来た日本人ですから。
  又、雪解け水が育む農作物への影響や飲料水の枯渇も忘れてはなりません。

   全てが曖昧になりつつある昨今、失ってからでは遅い・・と痛切に思います。
  勿論、大雪に見舞われた地方の方の苦労は偲ばれます。

     さて、前置きが長くなりました。
    1週間振りに 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』 の
    開店と致しましょう。

     今日は、これも久し振りカントリーで。
    このいかにもカントリーらしい器は 「ナルミ」 です。

     実は、このカップをずっと
    探していて、ひょんな所から
       見つかりました。

   それこそ、あっちこっち探しても
   見つからず、もうすっかり諦めて
    いましたら、1番手直の場所に。
   まさに 「灯台もと暗し」 ですね。

   そして人間の記憶のいい加減さ。
   初めは探していた物とは気付かず、
     “こんな物が出て来たわ”
        ~なんて。

       裏を見てびっくり。
    白地にオレンジの模様・・とは
       思っていましたが、
     もう少し複雑な模様かと。
   案外、こんなものなのでしょうね。