【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

遠い日の宝物

2011-03-31 16:47:57 | 私の手作り夢時間



 「それからティリー・ボールターは午後ずっと
 ビーズの指輪 をはめさせといてくれたの。
 あの屋根裏部屋にある古い針山から
 真珠玉 を少し少し取って指輪を作ってもいいこと?」
                      【「赤毛のアン」 第15章】 


   起床時こそ少々、冷えたものの、今日は大層暖かくなりました。
  気が付けば3月も今日で終わりですものね。

   例年なら桜の開花宣言に一喜一憂の時期でもありますが、
  今年ばかりは、あまりそんな話を聞きません。

   自然の脅威を目(ま)の当たりにした私達。
  同時にその自然は何事もなかったように穏やかな春を連れてやって来ます。

   いつも快適な気温に保たれた空調。夜も眩いばかりの照明。
  煌めくイルミネーション。はたまた飽食と・・。

   限りある資源ですのに、ずっと続くとばかりに享受して来た・・。
  知らぬ間に積み重ねて来た人間の奢りを自然が警告して来たような気がして。
  いいえ、痛烈なしっぺ返し。

   それにしても3月11日からは時間が止まったような日々。
  私達でさえこうなのですから避難している方達のお気持ちは、いかばかりかと。
  今月は長かったのか、短かったのか・・。答えは見つかりません。


  
     さて、今日の写真。
    気の重い事の続く昨今、
    遠い少女の日々に戻ってみました。 

   1番の近道は、こんなビーズのアクセサリーではないでしょうか。
  何と言っても、ビーズの指輪は、アヴォンリーの女の子たちの間では大変な宝物でしたもの。

   その中でも、ティー・ボールター の指輪は水色の物。
  アン のそれは、大きな真珠玉。
  
   ~なんて。こんな他愛のない事に心を遊ばせています。
  ビーズの指輪は、ほんの少しの時間で作れるのもいいですね。

   ポプリケースの瓶は、真珠玉やスパンコール、ビーズの入れ物にも。
  きらきら光るこれらの物を眺めているだけで日頃の憂さを忘れます。

瑠璃色花景色

2011-03-30 18:12:38 | 香る庭の花綴り





 「よく来てくれたわね、アン
 と彼女は言った。
 「今日は又特別綺麗に見えること。
 菫の花 を持って来てくれたのね。
  を選んだのは賢明よ。
 だってあなたに1番似つかわしい花ですものね」
 「内気な 野菫 ? いやあね」
 「葉蔭に隠れた秋の宝石ってところかしら」
 「どういう風の吹きまわし、ローラ
 いつもはずけずけ失礼な事ばかり言うのに!」
                 【A・クリスティー作 「娘は娘」】


   今朝は白い霞と共に明けました。
  この処、朝晩の寒暖の差は
  激しいけれど、日中はストーブを
  消す穏やかな日々が続いていました。

   今日は例外のようで、
  幾分、肌寒くなっています。

   でも、こんな事を繰り返しながら、
  暖かくなって行くのでしょうね。

   そんな中、「匂い菫」 を初め、
  「ヒヤシンス」、「蔓日々草」 と・・
  
   大好きな瑠璃色の花が
  次々と開花しています。

   それにしても匂い菫・・
  やはり嬉しくて。こちらでも
  もう何度目の写真アップでしょう。

   1度は白色の蕾の菫を見て、
  青色を諦めた事もありました。

   結果は逆で結局、青色だけに。白色は影も形もありません。
  思えば、白色の蕾を見た時・・瞬間、がっかりした私。
  
   まさかとは思いながら、私のそんな気持ちの反映では・・? 
  ~なんて思うと、白色菫に申し訳ないような気がして。

   ところで、上記の記述。 
  A・クリスティーの小説の抜粋ですが、偶然にもアンとローラ。
  
   言うまでもなくアン は、「赤毛のアン」 ですが、ローラ は 「大草原の小さな家」。
  それはそれとして 「赤毛のアン」 同様、菫の話題が豊富で今、興味を持って読んでいます。
  イギリスでは 「菫の花売り娘」 なんて、いるのですね。
  
   そうそう余談ですが、同じA・クリスティーの 「パディントン発4時50分」。
  昨日、やっと読み終えた事を付け加えて置きます。

春の日の幻想

2011-03-29 15:53:53 | 私の手作り夢時間










 ジョン・ヘンリー・カーターとデーヴィーの2人で
 白い雄鶏2羽の死刑執行を行い、
 アンがそれを料理する下ごしらえをしたが、
 いつもなら、いやでたまらないのに、
 この肥えた鶏の行き着く先を思うと、
 尊い仕事のように思われた。
 アンはマリラに向かい、
 
 「あたし、鳥の羽根をむしるのは好きでないけれど、
 手だけに任せておいて、
 心はその仕事に入れていなくても
 気が済むからありがたいわ。
 手は羽根をむしり、心は銀河を彷徨さまよっているのよ」
                    【「アンの青春」 第16章】 


   





   今日も昨日に引き続き、雲一つない快晴の朝を迎えました。
  でも、その寒いこと!

   しかしながら日中は大層、暖かくなりました。昨日以上に。
  今は朝晩と日中の寒暖の差が激しくなっています。
  体調管理には気を付けないといけませんね。











   





   さて、今日の写真。冬の間は家の中でじっとしていた我家の鶏たち。
  今日は、暖かい日溜りの庭に下りて来ました。

   狭い庭をあちこち移動していましたが、やがて・・「ハイ、ポーズ!」
  ここでは デイヴィー たちのお腹の中に治まる事もなく、無事ですから。

   ~なんて。今日の 『アンの世界』 の描写は、
  ロマンティックの欠片(かけら)もありませんが、これが現実ですものね。

   実は、これらは 「ドア・ストッパー」。
  中にレンガ半個とポリエステル綿が入っています。従って重量感はたっぷり。
  それにしても、こんな日は、お得意の 「想像の余地」 が広がります。その光景は・・。

   晴れ渡った今日のような朝はアンマリラ は早速、お洗濯でしょうか。
  庭には今日も駒鳥が遊びに来ています。そしてそこには偶々、 ギルバート も。
  この時とばかり、双子のデーヴィー達の世話は彼に頼み・・。

   ポプラと樺の木の間に渡したロープには、
  洗い上がったばかりの大きなパッチワークキルトが・・。

   ベッドカバーでしょうか・・? 気持ち良さそうに風に揺れています。
  勿論、ここは夏には、ハンモックが揺れますけれど。
  春の日の他愛のない幻想でした~。

春を呼ぶレースのカーテン

2011-03-28 17:22:37 | 私の手作り夢時間



 床は綺麗な敷物で覆われ、
 高い窓には薄緑色のモスリンの カーテン
 そよ風になぶられていた。
 壁には金糸、銀糸の壁掛けこそなかったが、
 林檎の花模様 の壁紙が貼ってあり、
 アラン夫人から贈られた絵が2、3枚掛かっていた。
 ミス・ステイシーの写真の飾ってある所が
 部屋中で1番の名誉の場所で、
 その下にアンはいつも新しい花を挿して置いた。
                    【「赤毛のアン」 第33章】 


   雲一つない晴れ渡った空で明けた今朝。
  そのせいか、起床時は真冬並みの寒さです。

   ただ今日は太陽が日光を1日中、出し惜しみしませんでしたし、
  3月も下旬のこの季節ですから、光は既に春そのものです。
  日中は気温も大層、暖かくなりました。

   ところで私は、レースが大好き。
  それはレース編みに限らず、
  レース生地に至るまで。

   そんな訳ですから、当然スカートも
  レース物を何着か持っています。
  
   時は、春。
  ウキウキ気分で
  今年もそのスカートを取り出しました。
  
   ガ~~~ン!! 入らない!!
  寒さにかまけて運動もせず、
  甘いものを頂き、
  家の中ばかりにいた報い。

   そんなこんなで、悲惨な現実に
  遭遇しましたが、写真のような
  カーテンに蘇りました。(冒頭の写真)

   ご覧のように窓カーテンではなく、
  暖簾(のれん)風に。
  スリット部分を利用しました。

   そして、こちらの紫のスカートもアウト。気に入っていたのに残念です。
  こちらも解(ほど)き、文庫本棚のカーテンにしようと・・。
  
   そうそう、【先日】 のレース編み、やっと最後の縁編みに入りました。
  合間、合間の作業ですので、なかなか進みませんが、もう少しで出来上がりです。

カントリーに包まれて

2011-03-27 16:50:50 | 私の手作り夢時間



 早春のある日、蜜のように色淡く甘い陽の光は、
 クインスリー大学の赤レンガの建物と
 その構内一杯に燦々さんさんと照りそそぎ、
 若芽を吹き出したかえでにれの木の間越しに、
 そこここの小径の上へ金色や茶色で、
 とりとめのない格好の版画をまき散らしていた。
 太陽は・・青い頭を覗かせている蒲公英たんぽぽ
 しきりにそそのかし、早く咲け咲けと
 せきたてているようだった。
                  【「果樹園のセレナーデ」1.】 


   今日も寒い朝を迎えました。
  ただ、ひとたび庭に目を遣(や)れば、あちこちに一杯に芽吹いています。
  
   一時に比べれば、見違えるサマ。
  『アンの世界』 に住む ジェーン でさえ、次のように言っています。

   “もうすぐ 4月 である。
  まだすっかり春とは言えなくても、
  少なくとも春の見込みがつく訳である。”

                               【「丘の家のジェーン」 40.】

   一方、見込みがつかないのが福島原発を初め、災害復興。
  私などは僅かの募金と祈る事くらいしか出来ませんが、
  この上は被災地に、1日も早く春が来る事を待ち望んでいます。






   さて、冒頭の写真。本当に久し振り、絵筆を取りました。
  薔薇と葡萄しか描かない私ですが、今回は敢えて林檎を。

   そう言えば、『アンの世界』 でも林檎は、すっかりお馴染みですものね。
  これからは林檎も仲間に加わるかも知れません。

   それにしても相変わらず古めかしいこと!
  「アンの部屋」 的な、カントリーっぽい雰囲気が出ていればいいのですけれど。

   ご覧のように素材は木材で、元はビデオラックでした。
  ビデオは整理しましたので、文庫本立てに。丁度、納まりました。
  下が回転しますので、取り出し易くなっています。

   ところで、震災に遭った友人の事。
  本人も家も被害がなかった事は、先日も伝えましたが、
  今では電気、ガス、水道のライフラインが整ったそうです。

   未だに物資不足がテレビでも盛んに言われていますので、
  何か足りない物を・・と思い、電話をしたのですが、間に合っているとの事。
  ただ、ガソリンだけは10リットルしか入れられないそうです。
  
   あれだけの災害なのに、友人の居住区は、皆さん被害はなかったそうです。
  こんな風に記せば、町全体が被害の少なかった所では? と思いますね。

   でも、壊滅的な被害・・と報じられ、
  津波にさらわれている家屋をどれだけ映像で見たでしょう。そんな町。

   おまけに地震発生時の午後2時46分は、車で走行中だったとか。
  そして、その時は、たまたま山側の道を走行。
  もし海岸側を走っていたら命はなかった・・と、声は震えていました。

   生と死の狭間、運命の分かれ道・・
  単なる運の良さだけでは片付けられない何かがあるような気がして。
  
   口で言うのは簡単ですが、その境界線は・・?
  ~なんて思うと、そこで思考停止に陥ってしまいます。
  こうなれば、神のみぞ知る・・? という事なのかも知れませんね。

春を誘うティータイム

2011-03-26 17:30:17 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編



 ミス・マープル は、狭い小ざっぱりした四角な
 庭に望む、裏手の居間を占めていた。
 そこには花瓶敷きだのドイリーなどが沢山あり、
 陶器の装飾品も豊富に揃い、
 大きなジェイムズ1世時代の1組の家具や
 鉢植えの羊歯しだが二つ置いてあって、
 厳しいまでに清潔だった。
 ミス・マープルは 暖炉 の側の大きな
 椅子に座って、忙しそうに編物をしていた。
         【A・クリスティー作 「パディントン発4時50分」】 


   こちらは今日も
  寒い朝を迎えました。
  
   ただ、その後は日射しが
  ふんだんにありましたから、
  家の中にいる限りは
  随分、暖かくなっています。

   日射しはすっかり春ですもの。
  でも、昨日はこの調子で
  失敗したのでしたね。

   ~なんて思っていましたら・・。
  午前11時半頃、大粒の雪。

   でも一時のように寒くありません。ストーブだって消していましたから。
  それもほどなくやみ、又、太陽。今日は何度か、そんな事を繰り返しています。
  
     さて今日は、この処の鬱屈(うっくつ)感を
    払拭するべく、こんな花柄のカップを用意しました。 

     このカップは友人からの誕生日プレゼント。
    アラッ!? その前に。少々、久し振りですね、
    『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』 の開店です。

   本当は、テーブルクロスも春らしいものに変えようと思ったのですが、
  今日はパス。次の楽しみに取っておきましょう。
    
   でも、庭から匂い菫の花を摘んで来ました。ついでにサイネリアも。
  春らしい香り・・とでも言うのでしょうか。いい香り!
  
   それにしても春を感じたから菫を服につける・・。
  何とロマンティックなのでしょう。 
  

小さき花の花の海

2011-03-25 18:00:08 | 路傍の花~道草

【仏の座(ホトケノザ)】
 羊歯しだや星花や鈴蘭や真紅の草の実が
 ずっとその径に沿って茂り、
 空気にはいつも快い香気が漂っていた。
 木々の梢では小鳥がさえずり交わし、
 風がひそひそささやき合ったり笑ったりしていた。
 時折、じっと静かにしていると、
 うさぎが道を横切って飛んで行くのが見られ、
 たまにはアンとダイアナもそれに
 突き当たる事があった。
                  【「赤毛のアン」 第15章】 


   起床時こそ晴れ渡って
  いたものの、
  その後は、晴れたり曇ったり。

   野暮用で外出したのですが、
  今日は肌寒くて。

   家にいる時は太陽燦々で
  暖かかったものですから、
  薄着で出た事が悔やまれます。

   帰りは向かい風をまともに受け、
  おまけに自転車なものですから
  泣きたい気分。一体、何をしているのでしょうね。

     今日は久し振りの道草。
   アンの径とは少々違いますが、
     想像の世界は自由です。

   私は、『アンの世界』
       ひとっ飛び。

    それにしても羊歯や星花、
       鈴蘭に比べ、
    「仏の座(ホトケノザ)」 や
  「烏野豌豆(カラスノエンドウ)」 は、
    いかにも日本的な名前ですけれど。

       でも、それさえも
     今年は、より愛しく思えます。

     小さな小さなこれら野の花に
      今年も出会えた事に感謝・・
   ~なんて柄にもなく殊勝な気持ちにも。
    いつまで続くか分かりませんが・・。

   ところで、こちらでもペットボトルの水、売り切れになっていました。
  今回の地域とは全然、関係ありませんのに。
  原発の危機の回避以外、仕方ないのかも知れません。   

心を纏う衣服

2011-03-24 17:15:17 | 心の宝石箱

【リラの木】



「私達はそれから逃げる訳には行かないのよ ――
 例えお天気の話をしている時でさえもね。
 (中略)
 自分の気持ちのいい床に
 ぬくぬくともぐり込む時は、
 気持ち良くしている事が恥ずかしくなるんです。
 多勢の人がそうしていないのに、
 自分が楽々としているのは悪い気がしますのよ」
                   【「アンの娘リラ」 第11章】 


   今朝は、一面真珠色の空で
    明けました。寒い朝。
     そう言えば・・。

   今日24日は彼岸明けなのですね。
  いつの間にか・・? もう・・?
     3月も残り後、1週間。

     「暑さ寒さも彼岸まで」
    と言いますが、今年ばかりは
   そういう訳には行かないようです。

   それでも着実に春を感じ、芽を膨らませている草花たち。
  “今年こそ花を咲かせてね” と願うリラの木を初め、
  去年よりは相当遅れましたが、蔓日々草もいよいよです。

   一方、“こちらの花は何だったけ?”
  名前を忘れてしまった花も。

   いいえ、何度確かめても
  すぐに忘れてしまう花。

   毎年の事ながら、こんな
  他愛のない事に時間を忘れます。

   こんな時、決まって頭を
  過(よぎ)るのは被災者の方たち。

   それは私だけでなく、
  日本中の、恐らくほとんどの方が
  同じ気持ちでしょう。

   テレビを見ていましても、
  居酒屋を経営されている方までが、
  「お酒を飲んでワイワイ騒ぐ事が申し訳ないような気持ちになる」
  ~なんて仰言っていらっしゃいましたから。

   あれだけの震災ですから、ショックでしたけれど、
  私達までが、いつまでも落ち込んでいては仕方ありませんね。
  それに過剰な自粛は、そろそろ考えた方がいいのでは・・と思います。

   ところで、昨日の夕刊に次のような記事を見つけました。
  私などは全然気付きもしませんでしたが、さすが服飾デザイナーですね。
  綿入れのちゃんちゃんこ、そう言えばありましたね。
  
    


 食べるものも着るものも不十分な避難所で、
 暖房設備もなく寒さに耐えておられる人々に
 北国の人の辛抱強さを見る思いです。

 一方で衝撃を受けた事もありました。
 自宅に留まった人も避難所にいる人も、
 誰も 綿入れ を着ていない。
 暖を取る時はすっぽり毛布を羽織っている。
 都会と同じ軽そうなコートで歩いている。
 20年以上前、生活着を求めて東北を
 歩いた事があります。(中略)

 でも、東北にはまだまだ残っていたのです。
 綿入れ の暖かさ、刺し子 の丈夫さ、
 角巻き の堂々たる美しさなど。
 寒さを防ぐ先人たちの知恵に
 強く惹かれました。(中略)
 
 私達は捨てたのだと思います。
 電気の便利さ、安全性に頼り切った暮らしと
 引き換えに。
            【森 南海子(なみこ)╱ 服飾デザイナー】 

当たり前の奇蹟

2011-03-23 19:01:31 | リラのお気楽ユメ日記





 「(原発事故が治まる事を) 『信ぜよ!』 です」
 と、スーザンは叫んだ。
 「いいえ、オリバーさん、
 私は信じちゃいません ―― 知っているのです。
 そんな事を私は案じているんじゃありません。
 私が案じるのはその苦労と犠牲ですよ。
 ですが、玉子を割らなければ
 オムレツは作れませんからね。
 私らも神様を信じ、気を大きく持つんですよ」
                   【「アンの娘リラ」 第11章】 


   昨日よりは少々寒かったものの、
  今朝は太陽と共に迎えました。

   何もない空ではなく、
  ポカン、ポカンと浮かぶ雲。

   そう言えば昨夜、
  休む前に見た空には、
  まるで日本地図のような雲が
  浮かんでいましたっけ。

   そして庭には、
  あっちこっちにラッパ水仙が・・。
  去年以上に咲き乱れています。

   これも先日の 「匂い菫」 同様、
  祈りの姿で。

   その菫は、一頃に比べれば、
  大層増えました。

   この菫、白い花芽を付け、
  その後、すみれ色になるのですね。
  初めて気付きました。





   ところで、上記の記述は、『アンの世界』 の非常時のもの。
  冒頭の記述も、本来は “戦争に勝てる事を” となっています。

   非常事態には、今回のように自然災害もあれば、戦争もあります。
  一旦、事が起これば人々の暮らしは、ガラッと変わりますものね。

   いつの世もこれと似たような事は、世界のあちこちで起こっていますが、
  日本も地震の活動期に入ったと言われています。

   ごく当たり前に行われる日常生活も、
  どんなに貴重なものかという事に改めて気付かされます。
  だからこそ、1日、1日を大切に生きて行かなければならないのですが・・。

   今回は地震だけでなく、津波や原発事故も加わりました。
  原発事故は放射能汚染が気になります。それは健康被害も。

   だからと言って、スーザンではありませんが、
  私達は、その電気を使って生活して行かなければなりません。
  少々、頼り過ぎて来た、きらいはありますけれど。

   そうそう、事故が起きた福島原発とは違い、
  同様の被害を受けた女川原発は大丈夫だったようですね。
  その施設の一部は住民たちの避難場所にも提供されたとか。

   1人の住民の言葉が印象的でした。
  「人は原発から遠くに逃げるけれど、
  原発に向かって避難するのは、全国でうちだけですよ」
  福島原発の事故が1日も早く治まりますように。

ちょっとだけ後戻り

2011-03-22 17:22:17 | 心の宝石箱


 ついに 蝋燭ろうそく が溶けた。
 あぶらの小さな池の中でパチパチ撥ね、
 シューと言って消えてしまった時、
 ようやくエミリーは現実に立ち返り、
 吐息と共に身震いした。
 時計を見ると2時だった。ひどく疲れて寒かった。
 しかし物語は書き終わったし、
 今まで書いた中で最上の出来である。
                  【「エミリーはのぼる」 第1章】 


   今日は晴れたり曇ったり。気温は昨日とほぼ同じです。
  今ではストーブも、朝の短時間で済むようになって来ました。

   そして庭に出ますと、プ~ンといい香り。
  その香りを辿って行きますと、「匂い菫」 や 「ヒヤシンス」 の咲く一角に。
  
   おまけに 「沈丁花」 の香りまで漂って来て。
  お向かいのお宅に目をやりますと、いつの間にか満開になっています。
  香りのお裾分けをして頂くなんて有り難いですね。


【ホッと心和むオレンジの灯り】


   私は蝋燭やランプが大好きですから、
  それに関連するグッズも(蝋燭立など)持ち合わせています。
  今日はランプに油を補給。いざという時、すぐに使えないと困りますから。

   今回の震災で、改めて電気以外のものが見直されている訳ですが、
  いかに電気に依存して来たかが良く分かります。
  電子レンジ一つ、使えなくても青くなりますから。

   これらは、これまで趣味で補助的に使って来ましたが、
  これだけ(蝋燭やランプだけ)となりますと、やはり暗いですね。
  かと言って沢山並べれば・・ここは、どこの世界? となりますから。

   でも、上記の 『アンの世界』エミリー などは、
  蝋燭1本で書き物をしています。
  食事をする程度なら、それでも何とかなりますが、書き物は・・。

   とは言え、仄かなオレンジの灯りは柔らかで優しく、
  暗さを補って余りあるものがありますけれど。
  私達は、あまりにもの明るさに慣れてしまったのかも知れませんね。

   震災からこのかた、日々の暮らしを見つめ直しています。
  ちょっとだけ昔の生活に後戻り。となれば、私は又々、『アンの世界』 に。
  そこには、そのノウハウが一杯ありますから。

   そうそう先日も記しましたが、三浦綾子著 『泥流地帯』 もその一つ。
  その記述が何となく心に残って、最近サツマイモを朝食に頂いているのですが、
  耕作の言う通りだな・・~なんて思ったものです。

   それは美味しいけれど、すぐお腹が空くという事。
  尤も、それは大変な勘違いでしたけれど。と言うより、早とちり。
  
   薯は薯でも、サツマイモではなく、馬鈴薯でした。北海道ですからそうですよね。
  でも薯類は、同様にお腹が空くようです。お米の有り難さを痛感しています。
  
   そう言えば、田畑を流された、耕作や拓一達の兄弟の祖父母は、
  福島県の出身だったのですよね。

   そこから北海道に新天地を求め、開拓したのですが、これからという時に・・。
  でも、拓一や耕作兄弟たちの手によって見事に復興しました。