[8月24日14:00.天候:晴 東京都江東区豊洲 敷島エージェンシー]
敷島エージェンシーのボーカロイドプロデューサーである井辺翔太は、応接室で、親会社の四季エンタープライズの社員と打ち合わせをしていた。
「うちのボーカロイドをですか?」
「ええ。何でも昔、こちらのボーカロイドは以前、ミュージカルに出演して大成功を収めたとか……」
「“悪ノ娘と召使”ですね。あれは私も観客として見ましたが、実に素晴らしい出来だったと思います。とてもロイドが演じているようには見えませんでした」
中でも最大の見せ場が、鏡音レンがギロチンに掛けられて首を落とされるシーン。
この為だけに、レンの頭部は胴体と切り離しができるように改造されたくらい。
即ち、ギロチンの刃が首に当たると同時に、頭部と胴体が切り離され、観客にはあたかも本当に首が跳ね飛ばされたかのように見えるという演出だ。
「四季エンタープライズさんで、ミュージカルを?」
「ええ。井辺プロデューサーもご存知でしょうが、四季エンタープライズはアイドル事業部門自体が新しいもので、屋台骨は映画制作です」
「はい。社長の敷島から伺っております」
「ミュージカルなどの舞台制作も当社の屋台骨の1つなんですが、ここ最近、恥ずかしいことに映画部門と比べると、やや景気の悪い状態で……。そこでテコ入れの為に、そちらのボーカロイドにお願いできないかなぁと思いまして」
「鏡音リン・レンは売れっ子で、だいぶスケジュールが埋まっていますが……」
「ですよねぇ……。こちらとしては、初音ミクさんをお借りしたいのです」
「初音さんですか。尚更、スケジュール調整の厳しいコを御指名されましたね」
「いや、ハハハハ……」
「どういったものですか?」
「タイトルはズバリ、“初音ミクの消失”です」
「“初音ミクの消失”?まさか、あの東京決戦の再現とか?」
「いやいや。そうではなくて、井辺プロデューサーは原作の小説をお読みでない?」
「小説が原作ですか。分かりました。初音さんは社長直属のボーカロイドですので、この件につきましては敷島の意見を直接聞こうと思います」
「すいませんが、よろしくお願いします」
井辺は親会社の舞台制作部門の社員をエレベーターホールまで見送った。
事務所に戻ろうとすると、
「おっ、鏡音リンさん、いたんですか」
廊下の所で小首を傾げ、にこやかな顔で井辺を見る鏡音リンの姿があった。
「ねぇ、プロデューサー。新しい仕事ならリン、いつでも頑張るよ?」
「頼もしい言葉です。が、あいにくと今のは、初音さんに来た話です。何ぶん大事な話ですので、社長の意見無しには承諾できませんので」
「みくみくも大変だねぇ……。昔は社長の意見でスパッと行けたのに……」
「それだけ皆さんが売れているということですよ。会社も親企業の下請けとはいえ、割と大きくなりましたし、昔のように仕事が来るだけでありがたい時代とは違います」
「ふーん……」
「まあ、鏡音さんにお仕事が来たら、その時またお願いしますから」
「うんっ!リン、頑張るね!」
リンは特徴的な頭の大きな白いリボンを揺らしながら、事務所の奥へと走って行った。
「失礼します」
井辺は社長室に入った。
「ああ、井辺君か」
「今ちょっと、よろしいでしょうか?」
「ミクのミュージカル出演オファーの話か?」
「そうなんです。スケジュールの調整が少し複雑ですが、話自体は悪い物ではないと……」
「うん、そうだな」
敷島は頷いた。
「では、この話はお受けするという方向で……」
「いや、断る方向だよ」
「は?それはやはりスケジュールが……」
「“初音ミクの消失”、タイトルからして、実際その歌を歌うシーンがあると見た」
「まだプロットは受け取っておりませんが……」
「いいや、恐らくあるはずだ」
「どうしてその歌を歌うことが断る理由になるんですか?」
「東京決戦の時に歌った歌だからだよ」
「……と、仰られても、私はその時その場にいませんでしたから……」
「シンディからバージョン・シリーズに送られていた電気信号を、あれで全部メチャメチャにしたんだ。だから、かなりこっちの有利に進めることができた」
「はい、それは伺っています」
「その原理を平賀先生に聞いたら、知らないと仰るんだ」
「は?」
「アリスにも聞いてみたさ。そしたら、『ボーカロイドの歌がもたらす電波信号への影響については未解明だ』って言うんだよ」
「と、いうことは……」
敷島は机の横に控えるシンディを見ながら言った。
もちろん今ここにいるシンディは、東京決戦で狂気の行動を繰り返した個体とは違う。
前の体とはほぼ同一の設計で、ソフトウェアなど全てを移植したものである。
「あの東京決戦の勝利自体、全て運だったってことだよ。“初音ミクの消失”がバージョン連中の電気信号に悪影響を及ぼすという予想は立てられていて、それが当たっただけのことだ。詳しい原理が分かっていないのなら、平賀先生の所の学会でも発表できないしね」
「ですが、CDやネット配信などでは、彼女の歌が普通に……」
「そうなんだよな。あの時、あの歌を歌ったのはミクだけじゃないからな。というか、ボカロ全員で合唱したんだ。そのせいかもしれないしね」
「はあ……」
「とにかく、理由がはっきりするまでは、許可できんよ。向こうさんには俺から連絡しておく」
「分かりました」
井辺が社長室を出ると、
「シンディ。お前も、東京決戦の時にあの歌を聴いたんだろ?どうだった?」
「頭が痛くなってしょうがなかった。ミクのせいだと分かったから、ブッ壊してやろうと思ったわ」
「……それは初耳だな。頭が痛くなった?」
「ええ。まるで頭部を開けられて、中の人工知能を直接ドライバーでグリグリされるような……」
シンディは自分の頭を指さした。
「マジか。エミリーは何とも無かったはずだが……」
「いえ、そんなこと無いはずよ」
「ん?」
「じゃあさ、どうしてエミリーはあなたと一緒じゃなかったの?」
「えっ?……と……そりゃあ……」
「とにかく、社長の判断は正しいと思うわ。他のボーカロイドがやる分にはいいと思うけどね」
「まあな……」
[同日17:00.天候:雷雨 宮城県仙台市青葉区 東北工科大学・南里志郎記念館]
また同じ時間、空を黒い雲が覆ってゲリラ豪雨が降る中、エミリーはピアノの前に座った。
https://www.youtube.com/watch?v=KYWd8f6qsAo
今度は無限ループする曲であったが、エミリーはこれも3コーラス分ほど弾いた所で終わらせた。
1人寂しくピアノを弾く哀しさと、遠く離れた妹達と共に、再び共演したいという思いを鍵盤に乗せて弾いたのだった。
敷島エージェンシーのボーカロイドプロデューサーである井辺翔太は、応接室で、親会社の四季エンタープライズの社員と打ち合わせをしていた。
「うちのボーカロイドをですか?」
「ええ。何でも昔、こちらのボーカロイドは以前、ミュージカルに出演して大成功を収めたとか……」
「“悪ノ娘と召使”ですね。あれは私も観客として見ましたが、実に素晴らしい出来だったと思います。とてもロイドが演じているようには見えませんでした」
中でも最大の見せ場が、鏡音レンがギロチンに掛けられて首を落とされるシーン。
この為だけに、レンの頭部は胴体と切り離しができるように改造されたくらい。
即ち、ギロチンの刃が首に当たると同時に、頭部と胴体が切り離され、観客にはあたかも本当に首が跳ね飛ばされたかのように見えるという演出だ。
「四季エンタープライズさんで、ミュージカルを?」
「ええ。井辺プロデューサーもご存知でしょうが、四季エンタープライズはアイドル事業部門自体が新しいもので、屋台骨は映画制作です」
「はい。社長の敷島から伺っております」
「ミュージカルなどの舞台制作も当社の屋台骨の1つなんですが、ここ最近、恥ずかしいことに映画部門と比べると、やや景気の悪い状態で……。そこでテコ入れの為に、そちらのボーカロイドにお願いできないかなぁと思いまして」
「鏡音リン・レンは売れっ子で、だいぶスケジュールが埋まっていますが……」
「ですよねぇ……。こちらとしては、初音ミクさんをお借りしたいのです」
「初音さんですか。尚更、スケジュール調整の厳しいコを御指名されましたね」
「いや、ハハハハ……」
「どういったものですか?」
「タイトルはズバリ、“初音ミクの消失”です」
「“初音ミクの消失”?まさか、あの東京決戦の再現とか?」
「いやいや。そうではなくて、井辺プロデューサーは原作の小説をお読みでない?」
「小説が原作ですか。分かりました。初音さんは社長直属のボーカロイドですので、この件につきましては敷島の意見を直接聞こうと思います」
「すいませんが、よろしくお願いします」
井辺は親会社の舞台制作部門の社員をエレベーターホールまで見送った。
事務所に戻ろうとすると、
「おっ、鏡音リンさん、いたんですか」
廊下の所で小首を傾げ、にこやかな顔で井辺を見る鏡音リンの姿があった。
「ねぇ、プロデューサー。新しい仕事ならリン、いつでも頑張るよ?」
「頼もしい言葉です。が、あいにくと今のは、初音さんに来た話です。何ぶん大事な話ですので、社長の意見無しには承諾できませんので」
「みくみくも大変だねぇ……。昔は社長の意見でスパッと行けたのに……」
「それだけ皆さんが売れているということですよ。会社も親企業の下請けとはいえ、割と大きくなりましたし、昔のように仕事が来るだけでありがたい時代とは違います」
「ふーん……」
「まあ、鏡音さんにお仕事が来たら、その時またお願いしますから」
「うんっ!リン、頑張るね!」
リンは特徴的な頭の大きな白いリボンを揺らしながら、事務所の奥へと走って行った。
「失礼します」
井辺は社長室に入った。
「ああ、井辺君か」
「今ちょっと、よろしいでしょうか?」
「ミクのミュージカル出演オファーの話か?」
「そうなんです。スケジュールの調整が少し複雑ですが、話自体は悪い物ではないと……」
「うん、そうだな」
敷島は頷いた。
「では、この話はお受けするという方向で……」
「いや、断る方向だよ」
「は?それはやはりスケジュールが……」
「“初音ミクの消失”、タイトルからして、実際その歌を歌うシーンがあると見た」
「まだプロットは受け取っておりませんが……」
「いいや、恐らくあるはずだ」
「どうしてその歌を歌うことが断る理由になるんですか?」
「東京決戦の時に歌った歌だからだよ」
「……と、仰られても、私はその時その場にいませんでしたから……」
「シンディからバージョン・シリーズに送られていた電気信号を、あれで全部メチャメチャにしたんだ。だから、かなりこっちの有利に進めることができた」
「はい、それは伺っています」
「その原理を平賀先生に聞いたら、知らないと仰るんだ」
「は?」
「アリスにも聞いてみたさ。そしたら、『ボーカロイドの歌がもたらす電波信号への影響については未解明だ』って言うんだよ」
「と、いうことは……」
敷島は机の横に控えるシンディを見ながら言った。
もちろん今ここにいるシンディは、東京決戦で狂気の行動を繰り返した個体とは違う。
前の体とはほぼ同一の設計で、ソフトウェアなど全てを移植したものである。
「あの東京決戦の勝利自体、全て運だったってことだよ。“初音ミクの消失”がバージョン連中の電気信号に悪影響を及ぼすという予想は立てられていて、それが当たっただけのことだ。詳しい原理が分かっていないのなら、平賀先生の所の学会でも発表できないしね」
「ですが、CDやネット配信などでは、彼女の歌が普通に……」
「そうなんだよな。あの時、あの歌を歌ったのはミクだけじゃないからな。というか、ボカロ全員で合唱したんだ。そのせいかもしれないしね」
「はあ……」
「とにかく、理由がはっきりするまでは、許可できんよ。向こうさんには俺から連絡しておく」
「分かりました」
井辺が社長室を出ると、
「シンディ。お前も、東京決戦の時にあの歌を聴いたんだろ?どうだった?」
「頭が痛くなってしょうがなかった。ミクのせいだと分かったから、ブッ壊してやろうと思ったわ」
「……それは初耳だな。頭が痛くなった?」
「ええ。まるで頭部を開けられて、中の人工知能を直接ドライバーでグリグリされるような……」
シンディは自分の頭を指さした。
「マジか。エミリーは何とも無かったはずだが……」
「いえ、そんなこと無いはずよ」
「ん?」
「じゃあさ、どうしてエミリーはあなたと一緒じゃなかったの?」
「えっ?……と……そりゃあ……」
「とにかく、社長の判断は正しいと思うわ。他のボーカロイドがやる分にはいいと思うけどね」
「まあな……」
[同日17:00.天候:雷雨 宮城県仙台市青葉区 東北工科大学・南里志郎記念館]
また同じ時間、空を黒い雲が覆ってゲリラ豪雨が降る中、エミリーはピアノの前に座った。
https://www.youtube.com/watch?v=KYWd8f6qsAo
今度は無限ループする曲であったが、エミリーはこれも3コーラス分ほど弾いた所で終わらせた。
1人寂しくピアノを弾く哀しさと、遠く離れた妹達と共に、再び共演したいという思いを鍵盤に乗せて弾いたのだった。