たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

池上梅園、池上本門寺から川端龍子記念館・アトリエ「龍子公園」へ

2016-02-29 12:27:41 | 社会見学

めったに歩くことがない大田区に行った事を書いています。
有名著名人が眠る本門寺の墓地を一回りした後、15分ほど歩き、
近代日本画の巨匠・川端龍子記念館に行きました。





案内によると、大田区立龍子記念館は、
龍子が文化勲章を受章したのを機に1963年に設立されたという。
1991年からは大田区の運営になっているそうです。
「筆線のモダニズム」という企画展が開催中でした。



入り口の外観は美術館とは思えない異風な建物でした。
脇に回ってみるとなるほど、美術館だと合点できます。



龍子の画業を示す巨大な作品が展示されています。
洋画から日本画に転向された龍子の絵画表現は、
たにしの爺が抱いている、従来の日本画のイメージを超えています。
奔放な発想で描出されている大きな構図に圧倒されました。



館内のショーケースには実際に使っていた画材・画具や、
数十種もの絵の具が展示され、制作現場がリアルに見られます。
龍子の代表作といえば当館には所蔵されていませんが、
切手にもなっている「愛染」という屏風絵が知られています。



この記念館に行かれたら絶対、見逃してはならない施設があります。
作品観賞もさることながら、「龍子公園」となっている、
川端龍子の居宅・制作アトリエの見学するこができます。







門を入ると白梅や紅梅がほころんでいて、そこに池が在ります。
この池こそ龍子の庭園動植物の作品の原点になっているという。



太平洋戦争終結の2日前、昭和20年8月13日、
当時60歳だった川端龍子の家の庭に爆弾が直撃しました。
爆弾で家は破壊されたが離れのアトリエは無事で、龍子自身も助かりました。
巨大な窓ガラスも割れずに残り、現存しています。







庭には爆弾で大きな穴があきました。
その跡、穴には水が染み出し池になりました。
その池にコウホネや萱を植えて庭の池として、
戦争の記憶として残してきた「爆弾散華の池」です。





龍子は爆弾が落ちた瞬間、草花が砕け散る様子を幻視して、
「爆弾 散華 」という絵を描いています。
またこの池に生息する蛙やはじめ水生生物に関心を寄せ、
蛙や河童、鯉の題材にした絵も多く書かれています。







見学コースはこの池から始まって、
当時のまま残る巨大日本画製作用のアトリエ、
竹を組み合わせた天井の造りや静謐さを秘めた庭園、
こだわりに満ちた居室の外周などを巡ります。
コースの脇には、ボケの赤い花が目に入りました。



 

学芸員のガイドがとても詳しく、日常がリアルに紹介されて、
龍子の日本画の制作過程を知ることが出来ます。

本日のGoogle検索画面のロゴです。



   今日は「うるう日」でおまけの日です。
アメリカでは「うるう年」のシンボルはカエルだという。
「うるう年」を英語で「Leap Year」といいます。
これは、通常365日が366日になることで、曜日がずれる、
つまり「曜日を跳び越える=leapの年」に由来している。
 カエルはぴょんぴょんと跳ぶことから、
 カエルがシンボルになったようです。

ここでトリビアな雑学を披露します。
川端龍子も池のカエルが好きでした。
「うるう年」のシンボルもカエルです。
 座布団一枚。恥ずかしい。