雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン71 料理に合うビール

2025-03-16 16:03:16 | Weblog
写真はパブのギネスの黒ビール。

【クリーミーで重くない味わい】
イギリスといったらパブ。語れるほどではないけれど、ちょいちょい食べに(飲みに)行っては、その雰囲気と味を楽しんでいました。

まず、前提として私はビール党です。それは単独ではなく、料理のお供として。やわらかなプチプチ感が適度に胃を刺激し、食事をおいしくしてくれます。炭酸水だと、私には逆にきつくて、料理への溶け込み方が違うように感じます。
アルコール度数は5%以下が理想。一度買って、その後、飲まなくなったビールは表示を見ると、5%を超えたものばかりで、自分でも驚くほど。

その意味で、雲南滞在時によく飲んでいた大理ビール(大理啤酒)は究極でした。価格の安さもさることながら、のど越しよく、食欲を刺激してくれて、しかもアルコール度数が、多くても2.5%。1%以下もあるという、ある意味、おそろしいラインナップなのです。日本で飲んだらどういうふうに感じるのかはわかりませんが、雲南は高地で気圧が低いため、この度数で十分、さわやかに感じるようです
(浙江省から配送されたポテトチップスの袋や化粧品の袋は常にパンパンに膨れ上がっていました。雲南の省都・昆明が標高1890メートル、大理は街の中心部が1974メートル、4000メートル級の蒼山を抱える地域なのです。)

現在でも日本人の昆明滞在者のブログを読むと

「大理ビールは、アルコール度数みると、気が抜けるけど、おいしい」

なんて書き込みがみられます。
 一方で白酒(バイチュウ)と呼ばれるコウリャンなどを蒸留したアルコール度数のたいへん強いお酒も人気の土地柄でした。

風土とアルコール飲料のラインナップのなかでビールの立ち位置が変わり、度数や好みが変わってくると思うのですが、イギリスのビールも、スコッチウイスキーの存在があるからか、それほどアルコール度数が高くなくて(5%以下。4%台が多い)、それでいて、食事にとても合う。
私にとって最高のビールでした。

 とくにギネスの黒ビールには感激しました。見た目と違って苦みがなく、とてつもなくクリーミー。おなかにもたまらない。そして食事の、とくに肉の煮込み料理の味を高めてくれるように感じます。アルコール度数は4パーセント台。(以来、日本でも缶ビールで特別な日に愛飲するようになりました。)

ちなみにイギリスで黒ビールは「ブラックビア」では通じず「ダークビア」。
「黒」ビールじゃなくて、「暗」ビールなんですね。

 ギネスビールは、アイルランド発祥のビールで、「ギネス世界記録」の「ギネス」でもあります(現在は別会社に売却済)。
 ウィキペディアの「ギネスビール」の項目をみると、アイルランドのダブリンから発酵前のホップを加えたギネス麦芽汁抽出物が世界各地に送られ、一定の指導の元に各地に「ギネスビール」が作られていることを知りました。
 そうやって作られたナイジェリアのギネスビールはイギリスに逆輸入されているほど人気で度数は8%近く。マレーシアでは、意図的に酸っぱい地元のビールを加えて味を調えているとか。

 近年、各地のコカ・コーラの味の違いに目覚めて旅の楽しみに必ず飲んでいましたが、これに各地のギネスビールを飲む楽しみが加わりそうです。
          (つづく)
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二度目のロンドン70 ひしめく空間ウエストミンスター寺院2

2025-03-09 15:40:19 | Weblog
写真はテムズ川からみて左から国会議事堂と右・ビッグベン(修復中)その奥にそびえるのがウェストミンスター寺院。すべてを包括しているのがウェストミンスター地区となる。

【二人の女王】
見どころは数あるなかで、私が一番驚いたのが、かのエリザベス一世とスコットランド女王メアリ・スチュワートの墓がお隣同士だったということです。

大航海時代に英国を一等国に押し上げたエリザベス1世、その彼女が死に追いやったいとこのスコットランド女王メアリ・スチュアート。

その二人の墓碑が通路を挟んだ両側に対峙していたのです。

じつは、メアリ女王の息子が、エリザベス一世の次の代のイングランド王(ジェームス1世)になった後で、母親の墓を立派に作りなおしたのでした。
 その時にエリザベス一世より少し高い位置に据え、エリザベス一世より豪華なつくりにして、さらに「彼女が王になるべきだった」と墓碑に記したのです。

その墓碑を見たとき、歴史のため息が聞こえるような、なんともいえない思いがこみあげてきました。この二人に限らないのですが、王家の墓には生前の姿を彷彿とさせるような等身大の石灰岩の精巧な石像がお棺の上に安置されているのですが、その美しさからもただならぬものを感じます。

ちなみに最初にメアリ女王が埋葬されたのは、ロンドンの北115キロの場所にあるフォザリンゲイ城の近くにあるピーターバラ大聖堂でした。同城は彼女が最後の幽閉生活を送ったところで、1587年2月8日に処刑された場所。のちに息子であるジェイムス1世が、この城を跡形もなく破壊するよう命じ、ほぼ実行されました。

メアリーは死の数年前にラテン語で「 《 Virescit Vulnere Virtus 》 我が終わりに我が始まりあり」という文言と、火の中で甦る鳥フェニックスを刺繍に残していました(※)

彼女の息子が英国王となり、1612年にウェストミンスター寺院に再埋葬され、その系統が今の英国王にまで連綿と続いていることは、予言の成就にほかなりません。

二人の女王についてはあまりにも多くの小説や戯曲となっているので、いろいろと恐ろしい話や脚色が調べれば調べるほど出てきてしまうのですが、上記のことは実際に遺されているものから事実といえます。いやはや、濃い。

墓碑を見ていると、時の経つのを忘れてしまうほど、今も歴史の只中にある寺院なのです。

また、別料金ですが、ウェストミンスター寺院の上部の回廊をめぐることもできます。私は行っていないのですが、今度、機会があれば、上から見る景色にもチャレンジしてみたい。一足ごとに歴史を「踏む」だけではなく「眺め」られそうです。

参考文献:
ウェストミンスター寺院(『スケッチブック』ワシントン・アーヴィング Washington Irving著 吉田甲子太郎訳 1870年7月イギリス版初出、1957年新潮文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001257/files/59898_70731.html

※メアリー・スチュアート 1 | ルーヴルアンティーク アンティークジュエリー&オブジェhttps://www.louvreantique.com/column/mary-stuart-queen-of-scots-france-16th-century-and-elizabeth-england-history-antique-jewelry-74/
(2025.3.9閲覧)

https://www.japanjournals.com/feature/holiday/16172-westminster-abbey.html?cookie_7322f43f046a00f75ec149fe9a9d99a8=accepted
(2025.3.9閲覧)
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二度目のロンドン69 ひしめく空間ウエストミンスター寺院 1

2025-03-02 15:52:05 | Weblog
ウエストミンスター駅近くの路上の夕方。私が住んでいたベイズウオーター駅周辺にくらべてわりとわき目も降らず歩く人が多い。朝ほどではないが。
そんな中、路上でセントバーナード犬を連れてアコーディオンを奏でる男性を発見。警官が笑顔で寄り添う心温まる光景、かと思っていたら、路上で犬を見世物にして飼うのは動物虐待の疑いあり、で、検挙されがちな事象だとNHKBSプレミアムで流れていた英語の映画で知り(タイトル忘れ)、のちに衝撃を受けた。

【敷石がわりのビッグネームの墓碑】
地下鉄のウエストミンスター駅を上がると、ちょうど通勤の時間らしく、人々が足早に通り過ぎていきます。9時半の開門に向けてちょっと早めに着いたのですが、すでにウエストミンスター寺院には行列ができていました。

見た目とは違い、5分も待たずに入れたのですが、見物客との距離は近く、荘厳な寺院を一人、静かに楽しむ、ということはなかなか難しい状況です。

多いのは人だけでなく、埋葬者も同様です。足元には墓碑が敷き詰められたような状態なのです。前にも書きましたが、欧米の教会に行くと、代々の司祭の墓碑などが床に敷かれていて、日本人としては踏まずに歩きたいところなので、ジグザグと不審者のような歩み方になってしまうのですが、この寺院ではそれもほぼ不可能。欧米の方々と同じように墓碑を踏み進むしかありません。

おそらくは敷石を墓碑にした程度のフラットな発想なのでしょう。この考えなら日本で江戸時代に行われた「踏み絵」も、意味はなくなります。というのも「踏み絵」は、地面においた、踏んでもよい位置にある、通りの一部なのですから。

また、日本だと寺の建物内では祈るだけ、墓地は外です。ところがウエストミンスター寺院はじめ、イギリスの寺や聖堂では司祭や街の有力者の墓は建物内にあるのです。いままでも欧米で見られた風景なのに、あまりの墓碑の多さに、改めて考えずにはいられなくなってしまう。

そうした選ばれし人々がこの寺院に3300人いて、墓碑となっていたり、モニュメントになっていたりするのでした。

車いすの物理学者として有名なホーキンス博士の墓もありました。2018年6月15日に遺灰が納められており、私が行った2019年7月22日時点では、この寺院では一番新しい墓碑でした
(参考https://www.kaminotane.com/2018/07/05/3079/)
歴史をふりかえると、今に連なる寺院が建立されたのが11世紀半ばのアングロサクソン系最後の王で敬虔なキリスト教徒だったエドワード懺悔王。1065年に亡くなった際にこの寺院に埋葬されました。翌年、ウィリアム1世は前の王が眠るこの寺院で戴冠式を行い、以後、イレギュラーなよほどの事態がない限り、ここで行われています。
 現王のチャールズ3世(チャールズ皇太子時代が長いので、なかなかなじみませんが)の戴冠式もエリザベス2世のご葬儀もここで行われていました。ユーチューブ他で中継されて、日本に居ながらにして見られる贅沢を味わった方もいることでしょう。

もっといえばチャールズ3世の長男夫婦の結婚式も、ウエストミンスター寺院。1000年もの長きにわたってイギリスの王家にとって、いかに重要な寺院かということがわかります。

しかし、最近ではホーキンス博士が入ったものの、ほとんど新たに埋葬する余地はほとんどなくなっているのです。じつは近年では王家の人が埋葬されることはなくなりました。

中継でみたエリザベス2世の葬儀は、たしかにここでした。でも、埋葬地はウインザー城なのです(2022年9月19日)。彼女の両親も夫もその上の世代も同様。なんと王族が最後に埋葬されたのは1760年のジョージ2世までさかのぼらなければならないのでした。
                 (つづく)
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二度目のロンドン68 自然博物館 下 頭が沸騰⁉

2025-02-23 15:50:49 | Weblog
自然史博物館の地階の恐竜エリア。恐竜は見上げるほど大きいものから、子犬程度の小さいものまで様々あった。ほんものの迫力が、想像力を刺激する。

【ひとけのないエリアも含め、膨大】
展示は大英帝国が世界中から収集し、その後も収集し続けている様々な動物や昆虫のはく製や標本、鉱物などにも膨大なスペースが割かれていますが「実物から感じろ」方式で解説は少な目。展示の解説は日本の国立科学博物館のほうが日本語だし、わかりやすいです。すべてを平等に展示しているので、そもそもどれが目玉なのか、よくわかりません。

自然科学の態度としては、じつに正しい。

とはいえ、やはり印象深いのは地階へと続く薄暗がりの空間に組み立てられた恐竜の骨格やジオラマゾーン。骨格にしてもジオラマにしても、怖いと感じるより先に愛が詰まっているのを、恐竜骨格のポーズからも感じました。

一歩進むごとにワクワク。あんな生き物がかつて地球にいて、主役となって闊歩していたなんて、と素直に童心にかえってしまいます。

恐竜時代に繁茂した植物が泥炭地でパックされ、きれいな水に浸かったまま保存され(科学的には二酸化ケイ素が木質の細胞内に浸透してできた)石化した珪化木(けいかぼく)は、一時期、私もはまった化石なので、その巨大さと丁寧な展示に、いとおしさも増してしまいます。

クジラを中心にとした大型哺乳類の骨格の展示も1階と2階からぶち抜きで眺めることができて、まるで大型ジャンボジェットの格納庫にきたみたいな迫力です。

国立科学博物館の規模を想像していたら、それが数館たばねたような大きさと展示で、部活動で地学部所属だった私としては、じっくりと見たいものが次から次へと現れるので、とてもすべてを見るには至りませんでした。大英博物館同様、数日かけて、今日は、この部屋、次回はあの部屋、と見たほうがよさそう。

なんといっても世界中から集められた標本だけで4億点、写真のなかった時代におもに書かれた動植物を中心とした博物画50万点以上、書籍100万冊以上という、それぞれのコレクションだけでも、世界有数の規模。バックヤードもとてつもない規模で収蔵エリアが12万㎡、職員800人なのだとか(2015年段階)

私自身はたどりつきませんでしたが、火山、地震コーナー(レッドゾーン内)には阪神淡路大震災と東日本大震災の研究例の展示があって、地震の体験コーナーもあるそうです。まったく地震のない国の人にとって地震は想像すらできないできごとなのかもしれません。

参考:
「平成27年度海外科学系博物館視察研修報告」『全科協News Vol.46 No.3』(全国科学博物館協議会、平成28年5月)
https://jcsm.jp/.wps/wp-content/uploads/2022/05/vol46no3.pdf
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二度目のロンドン67 自然史博物館でデジャヴュ 上

2025-02-16 10:09:35 | Weblog
ロンドンの自然史博物館の柱下部の彫刻。このように動植物をあしらったさりげない彫刻物があちらこちらにある。「リバティ」百貨店の手すりの彫刻たちと雰囲気と同じだ。同じ時代の建造物なので、この手の装飾がはやっていたのだろう。
( 2度目のロンドン12 憧れのリバティへ 下 - 雲南、見たり聞いたり感じたりhttps://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/0fc15fd5abb1c009bca29509d8418d4f)

【無料のスタンスとボランティア精神】
ハロッズから徒歩20分ほど(約1.5キロ)の自然史博物館にも足を伸ばしました。ハイドパークの南側では何度か言及している1851年にロンドン万国博覧会が行われました。その跡地の一角を1862年に大英博物館の自然史部門を移転するために購入し、現在では独立した博物館となっています。このあたりの建物の多くは万国博覧会に通じてしまうのです。

入場料は大英博物館と同様に無料で、寄付を投入できるボックスが置かれています。

日曜日のせいか、日本のラッシュアワーのように込んでいました。日本のラッシュアワーで数十年鍛えられた身としては、なされるままに、ゆっくりと進んでいきました。入口付近を過ぎれば、巨大な博物館に吸い込まれるように、やがて人もばらけて、じっくり見ることができました。だから慌てる必要なまったくありません。たとえ人がまったくいなくてもゆっくりと進みたくなるほど見どころがいっぱい。

建物は1880年に完成したロマネスク様式の黄色みがかった石造りで、大聖堂の内部のようなクラシカルな雰囲気。ところどころに動植物をあしらった彫刻も気になるところです。


正面入り口から入ると、頭上には巨大なシルナガスクジラの骨格標本が悠然と泳ぎ、2階付近をめぐる美しい回廊を眺め渡しているかのよう。回廊は各研究室をつなぎ、現代とヴィクトリア時代をうまく交差させています。あれ? なぜ私は「研究室」とわかったのかしら?

ほぼ毎夏、日本でも放映されるBBCが子供向けに作る恐竜と冒険家風の科学者と子供が織りなすアドベンチャー番組。つい子供と一緒に見ていたのですが、そこでは定番の光景だったのです。またBBCのドキュメンタリーでもしょっちゅう登場します。

あの二階のドアから小さな恐竜が現れて、かくれんぼしていたなあ、あそこあたりで、気づかないで人が歩いていて…、なんて映像が脳内再生されるほどで、懐かしさすら覚えるのです。ロンドンは、歩けば、何かしらのロケ地に知らないうちに行ってしまうほど、映像作品の宝庫。ここもEテレ好きなら、意識せずにロケ地めぐりになることでしょう。
                        (つづく)
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二度目のロンドン ハロッズ② 宝石のような神戸牛

2025-02-09 15:40:43 | Weblog
【クマの「プーさん」の原点】
ハロッズはちょうど夏のバーゲンシーズンで日曜ともあってとても混んでいて、試着室は長蛇の列。食料品コーナーも充実していて、ひときわ目立つところには神戸牛もありました。うやうやしくガラスのドームカバーに覆われ、ひときわ目立つショーケースに入れられていて、まるで宝石のようです。

さらに地階には、こんなにあるの? と驚くほどのハロッズグッズがせいぞろい。ハロッズのビニールバックは知っていましたが、ほかにも、各種バッグや洋服やボールペン、ペンケース、手帳などの文具やアクセサリー、ファブリックリネンまで。

いずれも落ち着いた、いかにもイギリス的な色合いで、必ず「Harrods」という文字が金や茶、黒で刺繍されていたり、印字されていたりします。

人形の種類も豊富で、くま、うさぎ、ライオン、キリン、馬、などいずれもほどよい大きさのぬいぐるみが並んでいます。ふにゃっとした感じが愛らしい。作者ミルンが息子のために書いた『クマのプーさん』のモデルとなったくまのぬいぐるみはハロッズで買ったものだったとか。なるほど。いずれのぬいぐるみもクマのプーさんの挿絵から飛び出たようで、どこか温かみもあり、おしゃれでもありました。

当時は円高だったので、妥当な値段だった上にバーゲンでお安くなっていたので、娘のおみやげにハロッズのナイロン製のショルダーバックを購入しました。金文字の刺繍に金色のファスナーがアクセントとなった落ち着いたオリーブグリーンのバッグを娘はとても喜んでくれました。今も使っているのですが、バックの要となるファスナーが甘く、持っていると自然と開いてしまうのが難点。

定番ものはともかくとして、バーゲン価格になったものというのは、何かしら帯に短し、たすきに長し、なのでした。 


     
※以下、重い話です。いま、ハロッズを取り上げる場合、この問題を避けることはできないと考えたので触れます。

【ハロッズの声明】
 現在、ハロッズの公式ホームページにアクセスすると2023年9月19日のBBCの放送でアルファイド氏の従業員女性に対する性的虐待が報道された件についてと断り書きがあります。

 現在のハロッズはオーナーが変わっているとして

 「過去を覆すことはできないが、このような行為が今後決して繰り返されないようにする一方で、現在、私たちが抱いている価値観に基づき、組織として正しいことを行う決意を固めている」

 との声明で締めくくられています。

 ショッピングサイトである公式ホームページのアクセスしやすいところにこの文言を掲げたハロッズからは、覚悟を感じます。社会の雰囲気が掲げさせたのかもしれませんが。私も今回、ぬいぐるみの種類を見たいというだけでアクセスしてこの件を知ったので、とまどい、驚きました。

 ただBBCの報道は、ジャニーズ問題と同様、加害者本人が故人となってからでした。アルファイド氏が亡くなったのが2023年8月30日なのです。

 支援する側と社会があきらめないこと。今日(2025年2月9日付け)の東京新聞のALS支援の記事にあったことばなのですが、巨大な壁に対する方法は同じで、これを灯に進むしかないのでしょう。

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二度目のロンドン65 ハロッズ① まるでテーマパーク

2025-02-02 11:55:36 | Weblog
ロンドンの老舗高級百貨店ハロッズの中央エレベータホールの最上階。写真では切れてしまったが、天井画は、深い紺地に金の太陽やら光線が立体的に貼り付けれたエジプト文明らしい太陽信仰的な造形となっており、全体を圧している。

【古代エジプトに染まる】
地下鉄ナイツブリッジ駅近くにあるロンドンの老舗百貨店ハロッズ。エジプト人がオーナーだったことは知っていましたが、実際に行くと予想以上にエジプト色が強くかった。

まるでテーマパークです。

中央エレベータからに向かうと、ツタンカーメンの黄金のマスクらしき、金に青の色彩の入ったモニュメントが上層階から見下ろし、その胴体はスフィンクスというお姿が目に飛び込みます。
 
その周囲はまるで王家の谷かピラミッドの内部のような石造りを模倣し、雰囲気よくオレンジの間接照明に照らされた壁画や柱の数々。この雰囲気が下層階から上層階まで途切れなく続くのです。

 世界的ファッションブランドがずらりとならぶ売り場も容赦なくエジプト文明とコラボ。なかなかの迫力で、壁からも目が離せません。


 ハロッズの歴史は近代ロンドンの歴史でもあります。もとは食品雑貨店。1834年にはハロッド氏が紅茶に特別な興味を示して今日のハロッズの元となる店を開業。
 さらに2年後のロンドン万国博覧会をにらんで、1849年に現在の場所に店を移し、徐々に百貨店としての頭角を現していったそう。そうして王室御用達にもなったのでした(現在は御用達ではない。ウィキペディア「ハロッズ」およびハロッズのホームページより)

 だから、紅茶は特別においしいし、ハイドパークのなかでもロンドン万博の遺跡のような建物のオンパレードのような場所に近かった、というわけです。
エジプト色が強いのは1985年から2010年までエジプト出身のファイド兄弟が所有していたため。(現在はカタールの政府系投資ファンドであるカタール・ホールディングスが所有。)
 ちなみにアル・ファイド氏の長男ドディーの名はある一定以上の年齢の方はご記憶にあることでしょう。1998年の自動車事故でダイアナ元妃とともにお亡くなりになりました。その事件をきっかけに王室とは亀裂が入り、以来、王室御用達を拒んだ経緯が今も尾を引いているのです。

 それにしても2020年夏にハロッズを訪れたときはカタール系の所有だったとは! 大英博物館の目玉の一つがピラミッドからの出土物なのでエジプト文明はイギリスとのなじみがよく、ある意味、広義のイギリス的といえなくもないのかも。ちょっと苦しいけど。
(つづく)
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二度目のロンドン64 袖振り合うも他生の縁

2025-01-26 14:10:27 | Weblog
ハイドパーク南側にあるエリザベスゲートを出て、少し南にいくと、地下鉄ナイツブリッジ駅があり、ハロッズがすぐそばにある。その間を埋めるかのように続くスロン・ストリートとその路地裏には高級ブランドショップから小さなパブやショップまでが密に軒を連ねる。のどやかさの漂うノッティングヒルとは違った景色が広がっていた。
写真は、その路地裏にあるパブにて。

【隣人との軽やかなコミュニケーション】
当ブログの二度目のロンドン58でも少し触れましたが(https://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/f73a914a8cbbc90c644cefb69035104b)ビクトリア公園から148番バスで帰宅しようとしたときのこと。なぜか、途中で道が片側封鎖の憂き目にあい、あらぬ方向で降ろされてしまいました。そして別のバスに集団で乗り換えました。

いつものことなのか慌てる客は一人もおらず。後ろの席のコロンビア出身のおばさんとジャマイカ出身のおじさんの世間話が聞こえてきて楽しい時間を過ごせました。

内容は「どこ出身なの?」という会話なのですが
(別のバスに乗ったときも、乗り合わせた隣同士で「Where are you from?」とやっていたので、そういうお国柄なのか?)
その会話の弾み方がすごい。
ファミリーヒストリーをお互いに話しはじめ、最後には意気投合。まるでセッションのようなリズムでした。

音楽ってこうやって生まれるのかもしれないな、などと思いつつ、数日後に行ったノッティングヒルズのポートベロー道路沿いに繰り広げられるフェステバル北側の最終地。音楽会場に、なんと、あのバスでお目にかかったジャマイカのおじさんがいたのです。ほんもののミュージシャンで、たゆたうようなレゲエを披露していました。

音楽の生まれる街! ちょっと雰囲気的には吉祥寺などの中央線界隈の匂いがします。



 そこからバスで南下。ケンジントン宮殿脇のヴィクトリア時代の風情の薫るブティック通りを横目でみて、ハロッズ周辺の入り組んだ路地裏に行きました。

パブが立ち並ぶ一角でフライドポテトとコロッケと牛肉のワイン煮と黒ビールを注文。シェアハウス近くのいつものパブより、値段も高く、メニューも張り込んだわりには、ぼやけた味で、ビールで流し込む感じとなりました。

でも場所がいいのか、雰囲気がいいのかお客さんでほぼ満席です。店内も古くからのパブのしつらえが残っていて雰囲気は重厚。犬連れで散歩中に立ち寄った方も複数いました。

ワンちゃんかわいいな、と、目を細めていたら、隣に座って食事をされていた常連らしきおばさまが、私に向かって軽やかに

「エンジョイ!」

と声をかけて立ち去っていきました。

びっくりしました。
一陣の風が通り過ぎていくようなさわやかさ。こういう心遣いは、沁みます。

見ず知らずのお隣さんに気軽に声をかけるフレンドリーさとあたたかな気遣い。島国にたくさんの民族の攻防があったからこそ生まれた文化なのでしょうか? いや、昔の日本もそうだった? 
 ともかく、ごく普通の人々のこういうなにげないふるまいに気品を感じました。
(つづく)
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二度目のロンドン63 ウェストエンドでミュージカル

2025-01-19 12:29:49 | Weblog

平日午後2時半にミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」を見に行きました。日本ではミュージカルの舞台は数回、見た程度で、どちらかというと歌舞伎などが好きなのですが、やはり本場のものは本場で見てみたい。

ウエストエンドの片隅、チャリングクロス駅のほど近く、すぐ横にはテムズ河が流れ、歩行者専用のハンガーフォード橋がかかるいかにもロンドン、という場所にありました。プレイハウス劇場(THE PLAYHOUSE)です。

ここでは初演より演出を替えての再演をかけることが多いらしく、現在は映画にもなった「キャバレー」が上演されています。これが特別なのではなく、ウェストエンドでかかっている舞台は「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」「マンマ・ミーア」など一度は映画でもみたものがほとんど。シェイクスピア劇も何度も何度も再演され、黒澤明監督が演出すると「マクベス」が「蜘蛛巣城」という、戦国時代の武将の話になるように、演出の妙を楽しむのも舞台のだいご味なのでしょう。

有名ミュージカルなら英語がわからなくても、筋が追える安心感があります。といっても、わかっているのは家人で、私の知識はユダヤ人一家のなにかの話、昔、森繁久彌さんが長らく演じていたミュージカル、という程度。
開場とともに入ると二階席の、滑り落ちそうな階段上の席でした。始まる前から客席は薄暗く、足元がおぼつかなかったのですが、開演前のピリピリとした緊張は伝わってきました。

いざはじまると、姉妹たちと頑固で愛情あふれる父、やさしくしっかり者の母、と土台がしっかりしていたので、英語はほどほどでもすっと世界に入っていくことができました。

かつて日本のミュージカルで感じた気恥ずかしさや、無理な発声がなく、動作も自然で納得できました。小さな劇場とはいえ、かなり舞台からは遠かったのですが、没入感があったのは、役者と演出の妙でしょうか?

ただ、私と同じように観光客らしき人が、元々は私の後方の席だったのに、途中から私の前の空いている席に移動してきて、とても見ずらくなってしまったのは残念。日本でも、こういうことはたまにありそうですが、落ち着きのなさがすごすぎた!

舞台はガーディアン紙で最高の5つ星の評価だったそう。舞台もほのかな明かりで私ごのみ(目にやさしい)。劇場はというと値段がちょっとお高くなるアッパー席はガラガラ。一方でお値段お安めの席はほぼ満席。つまり私の前に来た人は、安い席から高い席に、勝手に移動した、というわけです。

あと演者の声をマイク越しではなく、地声で聞けたらなおうれしい。小さい劇場でも、難しいのでしょうか?
帰りはテムズ河沿いに歩いてビクトリア公園へ。ロンドンは緑深い公園がそこら中にあって、散歩したくなるのです。

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二度目のロンドン62  まぼろしのワゴン

2025-01-12 14:32:50 | Weblog
ソーホー地区にある「辻利茶舗」。日本の抹茶は世界でも人気。そのさきがけの店ともいえる。2016年4月に同地に開業し、2019年時点でも賑わっていた。現在は、ロンドンに2店舗ある。
 ちなみに「辻利」はもともと京都の宇治の創業だが、全国にのれんわけが進み、それぞれが別会社として経営されている。こちらの店舗は北九州市小倉市の抹茶専門店。上海、シンガポール、カナダ、インドネシアなど和カフェをベースに世界展開を図っている。
参考:https://www.tsujiri.co.uk/location
   https://kokura.keizai.biz/headline/1555

【言葉いらずで好きなものを】
 1990年8月末に降り立ったロンドンで
 添乗員さんが

「ロンドンでおいしいもの、ってここよ」

といって、連れて行ってくれたのが、ソーホーにある飲茶(ヤムチャ)の店でした。
 薄暗がりの広々とした店内にたくさんの円卓が並び、ほぼ満席。我々もその一角を占め、頻繁に店内を中国人ウエートレスの運ぶステンレスのワゴンがまわっています。テーブルの近くにきたときに、ちらりと見ては、気に入ったお皿を指さすだけで、どんどん食べたいものが食べられる。しかもアツアツ、ホカホカ。
 気分は爆上がりでした。

 はじめての自腹の海外で、大学生だった私は、ヨーロッパの、首都のロンドンで中華料理、という取り合わせに目を白黒させ、そのおいしさとエキゾチックな雰囲気に酔い知れました。添乗員さんにひたすら感謝した、50日にも及ぶヨーロッパ旅行最後の日の晩餐でした。

それから四半世紀ぶりにソーホー地区を再訪しました。

土曜の夕方のチャイナタウンは、もうすごい人です。さまざまな人種が入り乱れるなか、当時のうすーい記憶を頼りに店を探したのですが、やはりわからず。唯一ワゴンサービスをしている、という「新世界大酒家New World Chinese Restaurant」は、つい最近、閉場した、と張り紙があり、工事中(現在、ウェブで調べると、やはり閉店していました。)

 そこで、ワゴンサービスはないけれど、2018年にミシュランガイドに掲載され、トリップアドバイザーなどのステッカーが誇らしげに貼ってある「Beijing Dumpling」(意味:北京・小麦粉の皮で包んだもの)で蒸し物などを食べました。かなりの賑わいで小籠包などが飛ぶように売れていました。

ワゴンサービスは、横浜中華街では健在ですが、「回転ずし」ですら回転せずにタッチパネルで注文が主流の現在では、もはや古き良き、なのでしょう。コロナ禍も経て、少しでも人の手を経ないマナーおよびフードロスの観点からも消えゆく伝統なのかもしれません。
                        (つづく)

※年が明けまして、はじめての更新です。今年もよろしくおねがいします。
私の周りでも、ここ数十年、まったく平熱だった人までもがインフルエンザなど、呼吸器系疾患にかかっています。どうぞ、お気をつけてお過ごしください。かかってしまった方は、医療機関にかかると治りが早いように思います。お大事にされてください。(医療なしでがんばると、たいへんです。)


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二度目のロンドン61 紅茶天国

2024-12-22 15:47:52 | Weblog
写真はロンドンのトワイニング店、かと長らく思っていたが、この記事を書くにあたって調べると「TWG」という別の紅茶店だった。

【紅茶天国】
イギリス、といえば紅茶の国。『不思議の国のアリス』でもしょっちゅうティーパーティーが開かれています。そもそもイギリスが中国に戦争をしかけたアヘン戦争のきっかけは「紅茶」でした。
そのような歴史をもつ国なので、ロンドンには世界的に名の通った紅茶専門店が集中しています。

ロンドンにはじめて行ったときには、ツアーの添乗員さんに、たしかフォートナム&メイスン(Fortnum & Mason )に導かれ、古風な出窓のある空間でさくさくアツアツのスコーンにたっぷりとクリームとジャムをお供に、アフタヌーンティーを楽しみました。ホイップクリームが苦手な私がするすると食べられることに驚いたものです。

さて、今回。ナショナルギャラリー前のトラファルガー広場近くには立派なガラス張りの紅茶専門店「TWG」がありました。トワイニング(TWININNGS)の本店なのかしら? 周囲に漂う高雅な香りに導かれ、高級ブティックのように敷居の高そうな、ピシッとした黒めの服装の従業員の目線に怖気づかないように足を踏み入れると、まるで紅茶博物館。
 世界各地の紅茶が、天井までそびえたっています。茶葉が見えるようにビーカーに入っていたり、おしゃれなお茶缶に入っていたり、はたまた日本でもおなじみのお歳暮にそのまま使えそうな色とりどりのティーバックで箱付めされていたり。

セイロンティーもあれば雲南ティーもありました。

しかも雲南ではなじみがあっても、中国規模となるとちゃんとしたお茶専門店でしかお目にかかれない、雲南ティーの茶葉を固めて直径25センチほどの円盤状や四角い盾のように固めた「雲南七子餅茶」までありました。立派な額には入ってはいましたが、ちゃんと売り物として。(これは正確にはプーアル茶です。それほど幅広い品ぞろえなのです)

ただ値段はお高めで、手が出ませんでした。そしてトワイニングと長らく思っていたお店。今回、この記事を書くにあたり、改めて調べると、トワイニング本店はテムズ河方面にあり、この店はシンガポールの「TWG」という別会社でした。ロンドンのこの店舗は2018年5月にオープンしたもので、2008年創業のシンガポールの紅茶専門店です。
(参考 https://ameblo.jp/sucre163/entry-12376179895.html。
高島屋でも販売されていました。)

ともかくロンドンでは紅茶専門店が各所にあるのでその後も、見つけると入っては買っていました。有名店の個包装タイプのティーパックは、なぜかクイーンズウェイ周辺のスーパーマーケットではお目にかかれず。多くは茶葉をスプーンで量って入れるタイプでした。日本では緑茶やほうじ茶を急須で入れている私にとっては、たしかに紅茶をポットで入れる方が普及しているのは、納得です。

【ミルクティーならハロッズ】
私の好みはミルクティー。そして面倒くさがりのためティーパックが好き。さらに貧乏性なのか一つのティーパックで一日中、入れ続けてしまう。

そんな私が一番、気に入ったのはハロッズ(Harrods)でした。

 数種類、購入したのですが、いずれも何杯入れても味わいにぶれがでず、ふくらみのある香りが続きます。とくにハロッズ定番のイングリッシュブレックファスト(№14)は、ミルクティーとして最高の味で、大事に大事に日本に帰ってからも飲んでいました。

そして日本でも探し求めました。すぐに手に入ると簡単に考えていたのです。でもトワイニングやフォートナム&メイスンは日本でも売っているのに日本ではたとえ、紅茶の品揃えのいい高級食料品店で探したとしてもハロッズはみつからないのです。Amazonなどでは、イギリスから直接、買う並行輸入品はあるものの、やっぱり送料などを考えると・・。

今、日本で入手できないので、最後のハロッズ№14の個包装1つを宝物として密閉容器に保存したままです。飲みたいけど、もったいなくて飲めない。お気に入りが見つかるというのは、ある意味、煩悩です。

                          (つづく)

※今年も早いもので年末となりました。一年間、お読みくださり、ありがとうございました。激動、激変の時代に気持ちが浮き立ちそうになりますが、そういうときこそ、ゆったりとした時のはざまや身近に目をこらしたいものです。
みなさまにとって、よいお年をお迎えください。
 来年は1月12日の更新の予定です。

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二度目のロンドン60 たっぷりゆったりナショナルギャラリー②

2024-12-15 11:16:06 | Weblog
写真はナショナルギャラリーの前のトラファルガー広場にそびえ立つネルソン像を上部にいただくネルソン記念柱。

【ひそやかなるフェルメール】
静かで小さく暗い部屋に、フェルメールの絵画が2点、置かれていました(16号室)。《ヴァージナル前に座る若い女性》と《ヴァージナル前に立つ女》でした。日本でフェルメール作品を見るには、たいてい人の頭の向こうを仰ぎみる感じなので実に贅沢な空間です。その人気のなさに軽い驚きすらありました(国立西洋美術館のフェルメール作品は真贋論争があるので、ひとまず除外。)

 この部屋が小さく、しかも迷路の袋小路のような場所にあるので、気付きにくいからかもしれません。もしかすると、そおっと見てほしい、という、ナショナルギャラリーの意図が反映されているのかもしれません。

ほかにも充実したオランダ絵画には目を見張りました。オランダで各所めぐって、ようやく見られたいろいろな時代、傾向の絵が一同にぎゅっと集まっている感じです。レンブラントは本国よりレベルが上の作品かも、とおもうほどの迫真の絵の数々。実際にそうかといわれるとわかりませんが、展示されているだけでも18作品以上。たたみかけるような展示枚数に圧倒されるのです。

【エキセントリックな筆致が迫る】
またヤン・ヴァン・アイク、ルーベンスなどなど。
ゴッホの絵はオランダ絵画の間ではなく43号室にありました。「ファン・ゴッホの椅子」「ひまわり」など、荒々しいタッチをじっくり鑑賞できます。
 ガラスでおおわれている、ということもないので、絵に没入できるのです。筆のタッチが直接、迫ってくる感じ。ゴッホの椅子の絵や森の力強いタッチ、カニの荒々しさなどみていると、私が高校の美術の時間に描いていたタッチに似ている、なんて錯覚も。少し、落ち着かず普通ではない、エキセントリックな感じ。とにかく間近に感じられて、想像がふくらみます。

 質、量ともにすごいコレクション。効率よく見て回るガイド情報もネットにあふれていますが、気の向くままに散歩して、虚心坦懐にみてまわるのも楽しい美術館です。

外に出ると、雨はすっかりやんでいて、青空にネルソン提督の下の噴水周りや日本橋三越のライオン像のモデルとなったライオン像に憩う人々でにぎわっていました。
          (つづく)
※次回はナショナルギャラリー周辺です。
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二度目のロンドン59 たっぷりゆったりナショナルギャラリー①

2024-12-08 11:46:20 | Weblog
ナショナルギャラリーにて。美術の教科書に出てくる名画と、その解説板がずらりと並んでいた。

【行かなきゃ損のコレクション】
ロンドンは一年中、雨が多いとあって、どしゃぶりの中、トラファルガー広場に降り立つと、すでにカラフルな雨具の人でいっぱいでした。まるで雨などないかのように雨具なしで歩く人もいるのは、ロンドンっ子あるある?

広場の中心にそびえ立つネルソン提督の記念碑から東が高い丘、西が下町と街の色合いがくっきりと分かれている印象です。その東側にあるすり鉢状に広がりを見せる急な階段を登ったところがナショナルギャラリー(国立美術館)。ギャラリーは東側の富裕層が住むウェストエンドのヘリにあたっているのです。

開館時間の10時ぴったりに荷物検査を済ませると、広びろとした天井に明るい照明があたるなか、整然と絵画が並ぶ展示空間が始まりました。

これだけ名画だらけの有名な美術館(2300点以上。分館含めると3000点)なのに、大英博物館と同じく入場無料。寄付を受け付ける箱が入口各所に置かれているだけの奥ゆかしさ。チケットを払うゲートがまったくない。あらためてイギリスの寄付文化に敬意を表したくなります。ロンドンのあらゆる場所で感じるこの文化。ロンドンオリンピックがボランティア主体で成功したのは、このお国柄のおかげだと、納得です。

コレクションは1800年代前半から1930年代までに寄贈、もしくは買い集めたものが多くを占めています。

イタリアのルネサンス期の宗教画が多く、ミケランジェロの描きかけの素描、レオナルド・ダヴィンチの油彩や素描も当たり前のように壁にかかっています。

部屋をまたぐと時代は飛んで、モネの「スイレンの池」(41号室)。この池に橋が描かれた風景画の前ではカメラを構える人が順番まちをしていました。さほど大きくもなく、派手さもない一枚なのですが、こってりした人物がどこにもいない、繊細な色調の、やさしくふんわりとした絵画に、欧米の人も惹かれるのだなあ、と実感。私もお気に入りの一枚となりました。いまは、スマホの待ち受け画面となっています。

絵画は部屋ごとに年代別に並んでいるのですが、名品ぞろいすぎて、一つの絵に没入してしまい、次の絵画にうつると、テーマが全然違っていて、気持ちがあちこちに飛んでしまうという気持ちのハレーションがおきてしまい、なかなかたいへんでした。
                            (つづく)
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二度目のロンドン58 ポートベローのサマーフェス(ノッティングヒルのフリーマーケット)2

2024-12-01 11:57:32 | Weblog
写真は、アックラム・ビレッジ・マーケットのパエリア。6枚の大きなパエリア鍋に、少しずつ具材の異なったパエリアがぐつぐつと煮込まれていた。プロパンのガスボンベまで鮮やかな赤色をしていて、祭りと一体化していた。

【国際ストリートフード】
 ポートベロー通りをさらに進むと、南欧や中東やアフリカからの人たちによる屋台市が出現しました。トマトベースでぐつぐつ煮込み中のパエリアから、中東系の各種サラダ、ビーガン料理、アフリカ系のにぎやかな色のついた木製の小物などなど。

「アックラム・ビレッジ・マーケット(Acklam Village Market) インターナショナル・ストリート・フード」(国際屋台めし)と銘打たれていて、飛び入り参加も可能なライブパフォーマンスも繰り広げられています。

まるで日本の昔なつかしい神社のお祭りのような既視感。大人たちにまじって中学生くらいの子たちが、近所の祭りの縁日を楽しんでいる様子でわきあいあいと買い食いに興じていました。

さきほどのフリマとはずいぶんと雰囲気は違いますが、同じ通りなのです。ぎゅっと詰まった感じも、ロンドンの一面なのでしょう。

 そういえば、このあたりのバスに乗ると、アフリカ系の方々をよく見ました。同じアフリカ系の人とたまたま隣りに座ったという二人の会話が、抑揚ある発音とリズムとうねりがあって何かの歌のよう。

「どこからきたの?」
「今日も渋滞しているね」
 というなんてことない会話なのですが、BBC放送で流れるイギリス英語とはだいぶ違っていました。ミュージシャンなのかもしれません。

 ロンドンは、どの地域でも高級住宅街と公共住宅エリアが道一本隔てて近接した街づくりとなっているそうなので、お祭りも重層的なのかもしれません。いまや日本も国際的になっているので、神社の屋台もそうなっていくのかもしれません。

ちなみに、この国際屋台村の先にも、古着などのマーケットは続いていました。ポートベローマーケットはロンドン最大、というのはこの距離もあるのでしょう。

【ポートベローマーケットの歴史】
 ポートベローのマーケットは、1865年から続いていて、すでに160年の歴史があるそう。 ちょうどポートベロー通りがノッティングヒルとパディントンの大規模新興住宅地開発地区を結ぶ通りとして、農村から変貌をしていき、1864年に通りの北端に鉄道が通り、ラドブロークグローブ駅が開業した同年、ポートベロー農場が修道女たちに売却されました。
そのようにして出来上がった通りで、イの一番に始まったのがポートベローマーケットなんですね。
参考:Portobello Road - Wikipedia

※現在の状況をネットで見ると、土曜日は「アートマーケット」として、若者が描く絵画も含めた骨董市を開いているようです。日曜日に現在、行われているかは確認してからお出かけください。
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二度目のロンドン57 ポートベローのサマーフェス(ノッティングヒルのフリーマーケット)1

2024-11-24 14:47:52 | Weblog
写真はノッティングヒルの高級住宅地の人だけが入れる共有庭園に貼られていたポートベローサマーフェステバルについての張り紙。大勢の人が訪れることを警戒して「あなたの安全のために抜き打ちで荷物検査を行うことがあります」と書かれている。祭りのにぎわいと治安とのバランスは高級住宅地ならより一層、悩ましい問題なのだろう。

【ポートベロー通りのマーケット】

「二度目のイギリス⑦」の回で触れていたhttps://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/c850579c776c2263ddaa186d73212631でポスターにあったノッティングヒルの青空マーケットに行きました。

 ガイドブックによると、ロンドン各所で行われている青空マーケットのなかでも最大クラス。とくに骨董市が立つ土曜日は2000以上の店がひしめき合い、身動きが取れないほど、とのこと。でも今回でかけたのは通常の土曜日ではなく、ポスターにあった2019年7月21日の日曜日の「ポートベローサマーフェスティバル2019」です。

 10時半ごろに家のあるベイズウオーターからノッティングヒルエリアを目指して歩きます。どこまで行っても静かな日曜の朝です。あれ、おかしいな、と惑いつつ地下鉄ノッティングヒルゲート駅まできたとたんに雰囲気がいっぺん、同じ方向に向かう人々でいっぱいになりました。

 いずれもわくわくした足取りで、確信に満ちています。駅から10分ほどの距離をその人たちに付いていくと、にぎやかなマーケットが見えてきました。

 街区の中心から周辺へと同心円状に描かれた道路の一つであるポートベロー(Portobello Road)通りに沿って小さな露店が約1キロにわたってひしめき合っています。道がもともともっている歴史的な風貌とよくマッチしていて、予想通りおしゃれな雰囲気です。家にあった古本から、使い込まれたさまざまな洋食器、絵はがきに古着、手作りのアクセサリーなどなど。店先を見ていると、出店者の好みがくっきりと見えてきて楽しい。

【透かし模様だった!】

洋食器を並べた台をじっくりと見て

「これ、さわっていい?」

と台の後ろに立つ、抜けるように白い肌にクリンクリンの豊かな金髪の若い女性たずねると

「どうぞ。この食器はおばさんが使っていたの。ずいぶん前のものらしいわ。」

と、一つひとつ丁寧に説明してくれました。この日曜日は近所の人たちのガラクタ市的性格だとポスターに書かれていた通りでした。

 家から持ち運んだだけ、といわんばかりに、どの品も、もうちょっと磨きこめばいいのに、と心配になるほどの状態。触れると手にほこりはつくし、優雅な模様のへこみには長い年月による黒ずみが入り込んで模様を色付けしています。
 白地に細かく植物紋の透かしが入った上品な平皿が気に入りました。皿をひっくり返すと「Wedgwood」の文字。ブランド品です。でも本来なら、より豪華にみせていたであろう縁に描かれた銀色は、ところどころ剥げ落ちていました。

 値段交渉するまでもなく

「2ポンドでどう?」

 というので、即決。娘のみやげにしました。

 帰国後、買ったお皿を丁寧に洗剤に付けて洗ったら、あら不思議。灰色の植物文様と思っていたものは、透明の透かし彫りに変身。



もともと高級住宅地にある立地なので、近所の人が主体のマーケットは、なかなかに掘り出し物があふれていました。

※参考
Events — Portobello Road Market

                              (つづく)
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