雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のとうがらし8

2011-01-30 15:12:05 | Weblog
                     
写真上はらっきょうの唐辛子漬け「水晶らっきょう」、写真下は「香辣醤」と「湯池老醤」。いずれも宜良の市場にて(2010年夏撮影)。写真左はらっきょうの唐辛子漬け「水晶らっきょう」、写真右は「香辣醤」と「湯池老醤」。いずれも宜良の市場にて(2010年夏撮影)。
「醤」は豆板醤の雲南版。様々な「醤」があるが、なかでも「湯池老醤」は雲南でも人気が高い。宜良の近くにある陽宗海、別名「湯池」は文字通り、湯の沸く池。いまでは温泉ホテルとそれに隣接するゴルフ場もある観光地にもなっている。この池の熱水と清水の混ざる部分がとくに、地元の新鮮な唐辛子に合うとして地元の人がよく醤の原料に使っていた。なかでも明の崇禎年間(1628年から1644年・崇禎帝は明代最後の皇帝)に趙家に伝わる醤が有名だった。清朝になってこの趙家伝来の醤が宮廷献上品の調味料となり、一気に名を挙げ、現在まで続いている、という。

【「火鍋」店から入院?】
 雲南では10年ほど前から四川や重慶などの激辛地区からやってきた唐辛子をベースにした真っ赤に煮えたぎる「火鍋」料理が人気で(日本にも上陸しており、予約でいっぱいという人気店も出ています。日本では居酒屋の上ランクのような店ですが、雲南ではファミレスのような位置でお手軽です。)、冷え込む季節が続くと、家族連れなどで大繁盛します。そんな時に新聞を飾るのが

「真っ赤な火鍋料理の食べ過ぎで胃腸がただれて、病院に駆け込む患者が急増!」

 の記事。お年寄りが病院の廊下で点滴を受けている写真も添えられています。若いころから食べ慣れていないお年寄りを中心に、体が受け付けなくなるほど、日本の常識では考えられないはまり方をしてしまうのです。

 前々回にご紹介した本『トウガラシ讃歌』によると、唐辛子の辛み成分カプサイシンには、適度の量なら体の発汗を促し、脂肪の蓄積を抑える効果がある一方で、多量に摂取すると胃粘膜がやられてしまう、ことが実証されています。また唐辛子を食べ付けると、より刺激を求めて多量に摂取したくなる「唐辛子中毒」ともいえる現象についても言及されています。どうやら、唐辛子の持つこれらの性質が、冬の雲南で病院へと人々を走らせてしまう、というわけです。

【辛さはお好みで、が雲南流】
 ただ雲南では、四川省や湖南省のように辛さを追求する、というよりは、さわやかな香りをも楽しむ傾向がまだまだ強いように感じます。
 臭豆腐の粉唐辛子和え、太刀魚や川魚を唐辛子でまぶしたもの(若干、酸味がある。)、粉唐辛子をまぶして発酵させた、真っ赤な味噌(市場でも10種類以上はタッパーや瓶に盛られている)、らっきょうのとうがらし浸け・・・など、雲南には数多くの唐辛子まぶし保存食があります。

 唐辛子が雲南の食卓に欠かせないのは、今や常識ですが、いずれも、ごはんの友としてちょっとずつ使ったり、スープに一かけ混ぜたりする程度で、家によって使う程度も変わり、辛さの調節は自由自在。唐辛子は「旨み」を引き出すためのアイテム、という使われ方です。

 また四川や重慶由来の「火鍋」店は別格として、普通の雲南の鍋店なら、スープは肉のガラや魚でとったコクのある白湯(バイタン)スープで刻み唐辛子や、唐辛子の油漬け、など店によって、それこそ秘伝のざまざまなものを取り皿に各々入れて、各自で味の調合ができるようになっています。
 そう、まだまだ雲南では誰もが唐辛子味に慣れている、という前提での調理にはなっていないのです。だから、日本人の私でも違和感なく食べられるものが多いのです。

【唐辛子ロード】
『 唐辛子の文化誌』によると、中国では唐辛子を使った食事をよく食べるのは四川省と湖南省で、その地域で食べられている仮説の一つとして、次のように挙げています。
「これらの地域にはシルクロードとして知られるようになったビルマ(現ミャンマー・筆者注)国内の陸路を通じて、かつて絹をインドのトウガラシと、その他の香辛料とを交換していたということがある。」
 雲南は、まさに四川―ビルマルートの通商路、この仮説から考えると唐辛子ロード上に位置します。唐辛子文化の半端ではない奥深さは、そのあたりの歴史にも潜んでいるのかもしれません。
                              (雲南のとうがらし、おわり)
                    

*とうがらしの回、おわりです。最後は長めになりましたが、長文を最後までお読みくださり、ありがとうございます。
                     
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雲南のとうがらし7

2011-01-23 14:34:11 | Weblog
小とうがらしの漬け物。宜良にて。2010年夏撮影。

【小米辣】
 他に「小米辣(シャオミーラー)」もよく見かけます。石屏県でヤクザまがいの買い占め事件があった、あの小とうがらしです。

 雲南の市場には、定番の真っ赤な唐辛子に混じって、あまり辛そうには見えない薄緑色の小指の爪程度の大きさの唐辛子の漬け物が大瓶に浸かって売られています。「泡小米辣」というのですが、「小米辣」は唐辛子の中では鋭い辛さがなく、皮が薄いため、塩をまぶして発酵させると、いい味になる、というわけ。(皮が薄く、小さいので粉とうがらしにするには採算が合わないのだそう。)ビタミンが豊富で味が濃い、と地元では人気の食品です。「泡」と付くのは乳酸発酵すると、白く泡だつためなのでしょう。
 ちなみに宜良の市場には黄緑色の小米辣まるごとを真っ赤な唐辛子刻みであえて浸けた漬け物もありました。

 ちなみに「小米」とは、「アワ」のこと。日本では「雑穀米」コーナーや、小鳥のえさコーナーで見られる、まん丸で黄色い小粒の穀物です。この「アワ」と上記の唐辛子とはなんの関係もないのですが、小さくて丸い唐辛子の形から、そう呼ばれるようになったのでしょう。

ちなみに、唐辛子で人気の高い乳酸発酵の漬け物としては、もう一つ「泡皺皮辣」があります。ピーマンがシワシワになった感じで、赤いもの緑のもの、紫がかったものなどがありました。「小米辣」よりは酸味が強く、やや辛みが多い味でした。

【子供のおやつにも】
 さて、「小米辣」は、雲南の野菜栽培基地として注目を集めている雲南中部の「通海」や、雲南省西部のミャンマー国境に近い地域などでおもに栽培されています。雲南省の中では湿度が高く、太陽の照りつける雲南省西部でタイ族が多く暮らす町・瑞麗の子供たちのおやつにもよく食べられているとか。(2010年、4月26日、互連網より)

 じつは、娘の通った昆明の幼稚園の給食にも、肉と山盛りの「小米辣」の炒め物がよく出されていました。子供達は、なんの躊躇もなく、ぱくぱくとほお張っていましたが、娘は「赤くないのに、辛い~!」と、ほとんど手を付けることはありませんでした。雲南の子供達は、よほど小さい頃から辛さを鍛えているようです。     (つづく)

*唐辛子の奥が深くて、どこで終わりにすればいいのか。あと少しでひとまず完結させるつもりなのですが。
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雲南のとうがらし6

2011-01-16 14:06:14 | Weblog
写真は、硯山県の高速道路から降りて10分ほどの道路にて。(2004年10月撮影)。「中国稼依辣椒(とうがらし)城」へと続く道には、山積みのとうがらしがいっぱい。この鎮だけで300戸はいるという唐辛子農家が少しでも有利に売りさばきたいと、商人が通るのを待っているのを鋭い目つきで待っていた。

【中国西南地域最大のとうがらし専門市場】
さらに省外への流通を目指して、硯山県を通る高速道路(遠く広州からベトナムへと続き、北上しては昆明へと続く道)のターミナル近くに2002年には、今までの市場を改装して4.7ヘクタールの唐辛子卸売市場「中国稼依辣椒(とうがらし)城」を開設、今や中国西南地域最大の唐辛子の集散基地となっています。現在、雲南の90%以上の小とうがらしがここを通過して国内外へと渡っているそうです。

 ちなみに2003年に硯山県の地を訪れた時には、自慢の唐辛子を山積みにして、買い付けにくる商人を待つ多くの農民の姿が道路脇に延々と続いていました。唐辛子城からあぶれた自由市場だったのかもしれません。

さて、この「城」、今や湖南、広東、福建、と当地のとうがらし商40数戸が取引に参加し、彼らの手を経て、ブラジル、アメリカのサンフランシスコ、ロサンゼルス、カリフォルニアの人々の口に届いているとか。(まだ雲南では色の鮮やかさを保った状態での乾燥技術や、安定して需要に応えられる生産量などの点で日本の要求には応えられていないそうです。)

 日本の輸入とうがらしの90%以上が中国産。その多くは貴州や湖南省産なのですがいつかは知らないうちに、日本で文山の自慢の唐辛子を口にする日も来るかもしれませんね。

*「唐辛子」は調べると奥が深い食品でして、長くなっております。もうしばらくお付き合いください。とうがらしは意外と、まだまだ未知の植物なのですね。なぜ、辛いものと辛くないものができるのか、大きいもの、小さいもの、しわしわのもの、とそもそも分類学的にも見解が分かれているようです。
 一番の消費国はなんと、中国でもインドでも韓国でもなく、ハンガリーなんです。ピーマン系の俗に言う「パプリカ」なので、日本人の感覚では「唐辛子じゃないでしょ」と思うのですが、FAO(国連食料農業機関)の統計では少なくとも、そのように分類されています。ちなみにとうがらし文化を奥深さが分かる本として、以下の本がおすすめです。
・アマール・ナージ『とうがらしの文化誌』晶文社、1992年
・山本紀夫編『とうがらし讃歌』八坂書房、2010年

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雲南のとうがらし5

2011-01-09 11:48:38 | Weblog
        
写真は文山州邱北県に接する広南県の山奥の村の昼食(2004年撮影)。日本から来た客のために肉を使った料理などでもてなしてくれた。
 一番左下の皿には唐辛子を塩漬けし、乳酸発酵させた副菜が添えられている。ご飯がすすみ、ビタミンCもとれ、子供のおやつにもなる優れものとして農家の食卓では欠かせない。
 食卓中心下のタレも唐辛子ベースである。このように雲南では、四川料理などのように料理すべてを唐辛子のピリ辛料理に染め上げるのではなく、タレとして浸けたりして必要な人が選択できるようになっているので、辛さの苦手な日本人でも食べやすい特徴がある。

【文山とうがらしが名産となるまで】
 邱北県と硯山県の唐辛子は昆明の食べ物屋に行くと、その真価は一目でわかります。地元の記事で、有名な「豆花米線」(おぼろ豆腐の載った米ヌードル)の店の料理の旨さを説明する文章には「拓東の醤油を使い、唐辛子は邱北産・・・」という説明が続きます。これだけで昆明ッ子のお腹はグーッとくるわけです。ピリッと辛くて香りもある、というあの味が。

 このように雲南では文山の硯山でとれるとうがらしは特別なのですが、現在の名声を獲得するための努力の歴史があったのです。

 もともとこの地に唐辛子が植えられたのは300年以上前とのこと。コロンブスが大西洋を横断し最初にアメリカ大陸に到達したのが1492年。唐辛子がヨーロッパに持ちこまれ、大航海時代とともに100年とたたないうちに世界をかけめぐりました。

 通説では日本には1600年代に持ちこまれ、日本から朝鮮半島へ、また日本と同時期に中国に持ちこまれたとのこと。つまり、東アジアに唐辛子が伝来した初期の段階から雲南のこの地域に持ちこまれていた、と考えられるわけです。

 想定されるルートとしては、明の時代に南京に集められた屯田兵が雲南に農産物の一つとして持ちこんだ、もしくはヨーロッパ・アラビア商人ルートで東南アジア(硯山ならおそらくベトナム)から持ちこまれた、というあたりが思い浮かぶのですが、それを確かめる資料は今のところ見つかりません。

 さて時は流れ、中華人民共和国となって以降の話。農業中心の政策の結果、文山の唐辛子は1960年代には「雲南小辣椒(とうがらし)」として賞賛を得ていました。
ところがその後は、昆明以北でとれる大ぶりの唐辛子に人気を奪われ、次第に品質も劣化、生産量も低下の一途をたどっていったのです。

 これではいけないと、1992年に文山壮族苗族自治州の硯山県と邱北県の2県合同で「雲南小辣椒」の標準化試験示範基地として開拓することとなり、再起をかけることとなりました。じつはこの地域周辺は、現金収入が中国全土の中で最も低い地域の一つでもあるのです。
こうして早くも翌年の2000年に「中国辣椒(とうがらし)の郷」の称号を中国農学会より受け、現在に至るわけです。(硯山県が観光客向けにPRするインターネットサイトには大きく「中国とうがらしの郷」との文字が躍っています。)
                  


写真上は文章の上の写真の料理を作っている台所。家の端の簡単な土間に三つ足の鉄の台を置き、その上に中華鍋を載せて、枯れ枝を熱源に座り姿勢で料理する。日本の現代の台所を思うと、これで食事を作る女性に驚嘆の思い。
 戦前生まれの私のおばあちゃんが「日本がまた大変なことになったら、裏の庭にカマドを作って、料理するだけのことだろ」と言っていた言葉を思い出した。

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