写真上は清代に塩の生産で栄えた雲南省の四川省よりの山間にある黒井(2005年撮影)。この地も清代に開発が進み、その後、現代まで開発の波より忘れ去られ、保存された。
写真下は福建省中部の山間にて(2001年撮影)。山水画のような山々と底を滔滔と流れる川には珍しい動植物がいっぱいいた。だが、この付近まで清代には中国の大都市で食い詰めた「棚民」と呼ばれる人々が訪れ、未開の地を開拓し、山菜を採ったり、畑にしてくらしはじめた。訪れた時点では、山の木を使ったキノコ栽培と100円ショップ工場の他は、人の姿はほとんどない自然の宝庫に戻っていた。
【落語・葛根湯】
風邪の症状さえ、見極められれば、「桂枝湯」か「麻黄湯」の方が、よく効くはずなのに、私を含め、日本人は「葛根湯」が大好き、やはり、これほど好まれるのは、理屈はともかく、日本の風土と体質に合っていたのではないでしょうか。となると、体質からして日本人というのは中庸で、どっちつかずの感じが身についているのでしょうか?
そういえば落語に「葛根湯」という噺があります。どんな病気の人にもとりあえず、葛根湯を処方して治す、というやぶ医者の話なのですが、葛根湯が古来より、日本人に愛されていたことがよくわかります。
【日本にない「温病学」】
ちなみに、今や中国漢方の、とくに風邪の症状では主流となっている「温病学」ですが、これは中国の明代(1368年 - 1644年)に興った学問です。
とくに清代(1644年-1912年)には温病と総称される急性伝染病が明代に引き続いて猛威をふるい、1688年から1860年までの214年間にじつに80回を越える疾病が蔓延したとか。腸チフス、コレラ、赤痢、マラリア、天然痘、はしか、ペスト・・、今なお恐ろしい病のオンパレードです。
清代というと中国は領土をチベットにまで拡張し、鉱山開発や山畑開発がさかんになることで、未開の地に大勢の人が入植、さらに、世界的な貿易ルートからの未知のウイルスの輸入もあって、いままで中国になかった病気への新たな対処が必要になりました。
そのような中で確立された学問なのです。
一方、そのころの日本は江戸時代。鎖国の影響なのか、中国で当時、新潮流となっていた温病学は輸入されることはありませんでした。
そのため「(日本では)ほぼ重視されなかったので、適当な方剤が乏しい。」と現代の漢方学の本にも書かれるほど、日本では欠落した分野となってしまったのです。
おかげで今なお、中国でウイルス系の風邪に処方されている「葱鼓湯」や「銀翹散」といった温病学系統の薬は、日本では保険適用のエキス剤がない、ということです。(『中国医学の歴史』、傅維康著、川井正久編著、東洋学術出版社、1997年) (つづく)
*9月中旬までさかんに日本から中国のツアーに同行していた添乗員さんの話。今は、お客さんのキャンセルがすごくて、当面、全中国ツアーがなくなっちゃったけど、9月15日に各地で反日デモが起こったときに敦煌あたりを回っていたときは、全然、なんにもなかったよ、とのこと。しかも「どこから来たの?」と地元の方が聞くので「日本」とおずおずと答えると、満面の笑みで「遠いところから、よく来たね」と言われて驚いたとか。
中国は広くて、人口も日本の13倍もあるので、反応は様々なようです。
*風邪がはやっています。我が家も大流行。さっそく「葛根湯」を飲んで、治しつつあります。皆様もお気を付けください!