【米線文化圏】
Nakachunさんより以下のコメントをいただきました。
「この米線店の名前ですが、なぜ桂林が含まれるのでしょうか?雲南と関係ないような気がしますが・・・。確かに上海で桂林米線の店をみたことがあり、桂林と米線の関係はあるような気がします。でも橋は渡っていなかったような・・・?また桂林では特に米線がはやっている印象はなかったと記憶しています。」
コメント欄で回答するには長くなってしまったので、本編でコメントします。
いわゆる米線文化圏、というか、販売統計を見ますと、福建、広東、広西、湖南、湖北、雲南と、淮河より南方の地域で米線がよく消費されていることがわかります。広西の桂林も米線がよく食べられている地域というわけです。
食べ方は様々で、雲南でとくに有名になっているのは「過橋米線」ですが、桂林でさかんなのは、日本でいうところのビーフン=米粉、それも生麺での食べ方。
つまり、香港でおいしかったこのお店は米の粉でできたメンを使って、雲南風に香菜などを入れ、また桂林風に雲南では取り入れていない豚の腸やハムなども入れてしまおう、味付けには雲南の過橋米線では豚か鳥のパイタンスープだけど、味噌を入れたりして味にバリエーションを出して、より進化させてしまおう、という、いいとこ取りのお店、というわけです。
そもそも香港の料理というのは(私が語るのもおこがましいですが、)中国全土が1949年に共産党支配下になったときに、唯一、「中華料理」として、世界と対等に味を競い合えた地域なので、広東料理をベースにして中国の各地域のいいとこ取りで料理を完成させていった、といえるわけです。
今回、香港で「外れかな?」とも思える料理も食べましたが、どうも、それらは世界の料理、たとえば最先端フランス料理との融合中だったり、などと中途半端さが否めないお味。そんな中、雲南と桂林の米線文化を立派に完成へと導いた「雲南桂林過橋米線」はたいしたお店といえるのでしょう。英語名ではっきりと「TRADITIONAL CHINESE NOODLE」、つまり「伝統的な中国メン」と表明しているあたりからも、店の立ち位置がわかる気がします。
ところで同じ通りに「八王子」という名前のお店があったのですが、あれはなんの料理だったのだろう、といまさらながら気になっています。もしや東京の西にある八王子駅から山に入ったところにあるお店の「スズメの焼き物」料理なんかを出しているのでしょうか? それとも「8人のプリンス」の意味?
ちなみに香港の料理の歴史については
勝見洋一『中国料理の迷宮』(2009年、朝日文庫。2000年講談社現代新書で出版されたものの復刻版が手に入りやすいです。)をご覧ください。ムチャクチャおもしろいです。
蛇足ながら「過橋米線」のルーツは雲南に限ったわけではないようです。
たとえば1949年以前の蘇州の美食のあり方を活写した陸大夫の小説『美食家』で、とある美食家が毎朝、米線店に人力車で行って、その食べ方の指定を細かくするのですが、最後の決めぜりふが「過橋!」となっているところから、江南地域で発達した、食べ方の一つが、雲南で遺風として残された、とも考えられます。
詳しくは拙論文で「雲南の食の世界~過橋米線のふるさとを訪ねて~」『ヒマラヤ学誌』(№11:258-269,2010)をどうぞ。住所がわかればお送りします。では。
Nakachunさんより以下のコメントをいただきました。
「この米線店の名前ですが、なぜ桂林が含まれるのでしょうか?雲南と関係ないような気がしますが・・・。確かに上海で桂林米線の店をみたことがあり、桂林と米線の関係はあるような気がします。でも橋は渡っていなかったような・・・?また桂林では特に米線がはやっている印象はなかったと記憶しています。」
コメント欄で回答するには長くなってしまったので、本編でコメントします。
いわゆる米線文化圏、というか、販売統計を見ますと、福建、広東、広西、湖南、湖北、雲南と、淮河より南方の地域で米線がよく消費されていることがわかります。広西の桂林も米線がよく食べられている地域というわけです。
食べ方は様々で、雲南でとくに有名になっているのは「過橋米線」ですが、桂林でさかんなのは、日本でいうところのビーフン=米粉、それも生麺での食べ方。
つまり、香港でおいしかったこのお店は米の粉でできたメンを使って、雲南風に香菜などを入れ、また桂林風に雲南では取り入れていない豚の腸やハムなども入れてしまおう、味付けには雲南の過橋米線では豚か鳥のパイタンスープだけど、味噌を入れたりして味にバリエーションを出して、より進化させてしまおう、という、いいとこ取りのお店、というわけです。
そもそも香港の料理というのは(私が語るのもおこがましいですが、)中国全土が1949年に共産党支配下になったときに、唯一、「中華料理」として、世界と対等に味を競い合えた地域なので、広東料理をベースにして中国の各地域のいいとこ取りで料理を完成させていった、といえるわけです。
今回、香港で「外れかな?」とも思える料理も食べましたが、どうも、それらは世界の料理、たとえば最先端フランス料理との融合中だったり、などと中途半端さが否めないお味。そんな中、雲南と桂林の米線文化を立派に完成へと導いた「雲南桂林過橋米線」はたいしたお店といえるのでしょう。英語名ではっきりと「TRADITIONAL CHINESE NOODLE」、つまり「伝統的な中国メン」と表明しているあたりからも、店の立ち位置がわかる気がします。
ところで同じ通りに「八王子」という名前のお店があったのですが、あれはなんの料理だったのだろう、といまさらながら気になっています。もしや東京の西にある八王子駅から山に入ったところにあるお店の「スズメの焼き物」料理なんかを出しているのでしょうか? それとも「8人のプリンス」の意味?
ちなみに香港の料理の歴史については
勝見洋一『中国料理の迷宮』(2009年、朝日文庫。2000年講談社現代新書で出版されたものの復刻版が手に入りやすいです。)をご覧ください。ムチャクチャおもしろいです。
蛇足ながら「過橋米線」のルーツは雲南に限ったわけではないようです。
たとえば1949年以前の蘇州の美食のあり方を活写した陸大夫の小説『美食家』で、とある美食家が毎朝、米線店に人力車で行って、その食べ方の指定を細かくするのですが、最後の決めぜりふが「過橋!」となっているところから、江南地域で発達した、食べ方の一つが、雲南で遺風として残された、とも考えられます。
詳しくは拙論文で「雲南の食の世界~過橋米線のふるさとを訪ねて~」『ヒマラヤ学誌』(№11:258-269,2010)をどうぞ。住所がわかればお送りします。では。