
写真はテムズ川からみて左から国会議事堂と右・ビッグベン(修復中)その奥にそびえるのがウェストミンスター寺院。すべてを包括しているのがウェストミンスター地区となる。
【二人の女王】
見どころは数あるなかで、私が一番驚いたのが、かのエリザベス一世とスコットランド女王メアリ・スチュワートの墓がお隣同士だったということです。
大航海時代に英国を一等国に押し上げたエリザベス1世、その彼女が死に追いやったいとこのスコットランド女王メアリ・スチュアート。
その二人の墓碑が通路を挟んだ両側に対峙していたのです。
じつは、メアリ女王の息子が、エリザベス一世の次の代のイングランド王(ジェームス1世)になった後で、母親の墓を立派に作りなおしたのでした。
その時にエリザベス一世より少し高い位置に据え、エリザベス一世より豪華なつくりにして、さらに「彼女が王になるべきだった」と墓碑に記したのです。
その墓碑を見たとき、歴史のため息が聞こえるような、なんともいえない思いがこみあげてきました。この二人に限らないのですが、王家の墓には生前の姿を彷彿とさせるような等身大の石灰岩の精巧な石像がお棺の上に安置されているのですが、その美しさからもただならぬものを感じます。
ちなみに最初にメアリ女王が埋葬されたのは、ロンドンの北115キロの場所にあるフォザリンゲイ城の近くにあるピーターバラ大聖堂でした。同城は彼女が最後の幽閉生活を送ったところで、1587年2月8日に処刑された場所。のちに息子であるジェイムス1世が、この城を跡形もなく破壊するよう命じ、ほぼ実行されました。
メアリーは死の数年前にラテン語で「 《 Virescit Vulnere Virtus 》 我が終わりに我が始まりあり」という文言と、火の中で甦る鳥フェニックスを刺繍に残していました(※)
彼女の息子が英国王となり、1612年にウェストミンスター寺院に再埋葬され、その系統が今の英国王にまで連綿と続いていることは、予言の成就にほかなりません。
二人の女王についてはあまりにも多くの小説や戯曲となっているので、いろいろと恐ろしい話や脚色が調べれば調べるほど出てきてしまうのですが、上記のことは実際に遺されているものから事実といえます。いやはや、濃い。
墓碑を見ていると、時の経つのを忘れてしまうほど、今も歴史の只中にある寺院なのです。
また、別料金ですが、ウェストミンスター寺院の上部の回廊をめぐることもできます。私は行っていないのですが、今度、機会があれば、上から見る景色にもチャレンジしてみたい。一足ごとに歴史を「踏む」だけではなく「眺め」られそうです。
参考文献:
ウェストミンスター寺院(『スケッチブック』ワシントン・アーヴィング Washington Irving著 吉田甲子太郎訳 1870年7月イギリス版初出、1957年新潮文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001257/files/59898_70731.html
※メアリー・スチュアート 1 | ルーヴルアンティーク アンティークジュエリー&オブジェhttps://www.louvreantique.com/column/mary-stuart-queen-of-scots-france-16th-century-and-elizabeth-england-history-antique-jewelry-74/
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https://www.japanjournals.com/feature/holiday/16172-westminster-abbey.html?cookie_7322f43f046a00f75ec149fe9a9d99a8=accepted
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