いつも、長い文章にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございます。
写真は麗江の広場にて。麻雀に興じるおばさまは雲南の都市部ではどこででも見られる光景だが、麗江では、納西(ナシ)族の民族衣装で統一されているのが、特徴的。
ナシ族のお年寄りは7つ星がついた背当てが付いている。背当てが毛皮製の人も多い。冷え対策なのだろうか。この格好で子守も水くみも農作業も行う。
【真田広之の流ちょうな中国語】
中国では、日本人人気俳優といえば、今でも男性なら「高倉健」、女性なら「山口百恵」が2大俳優とされている。
高倉健が、チャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る」の撮影で世界遺産にも指定されている麗江の市内に訪れたときは、大フィーバーが巻き起こった。もちろん、撮影チームのガードが堅く、ちらりと後ろ姿を撮影するのがせいぜいだったのだが、それでも連日、高倉健の文字が新聞を飾った。
そのときに驚いたのが、高倉健の相手役、といっても恋人ではなく、通訳の役の女性を、麗江について、高倉健とツーショットの風景が見られたとたんに、記事のトーンが彼女に好意的でなくなったことだ。それまでは彼女が北京の中央芸術学院出身の新人、として期待をこめた記事が並んでいたのだが、その変わりように中国の人は心底、高倉健が好きなのだなあ、と妙に感心してしまった。
真田広之も中国で名優として知られているが、彼がチェン・カイコー監督の「プロミス~無極」で雲南に到着したときの記事も、じつに好意的だった。というのも、彼が雲南省副主席・丹増氏主催の歓迎パーティで、堂々と中国語で挨拶し、記者の質問にも通訳を介せずに話したことに驚きをもって、迎えられたためだ。
彼は記者の質問に対し「(撮影場所の)元謀の料理はおいしい。大好物だ」と語っていたが、その言葉がそのまま、記事の見出しになっていたことからも、その歓迎ぶりが伺える。(『生活新報』2004年5月7日)。
当時、それほど中国語が堂々と話せなかった私にとっては、真田広之がまぶしく、うらやましく感じたものだ。
私の父が20数年前に中国で理科系の学会報告したときにも、同じようなことが起こった。
発表に際して、父は自分で書いた日本語の文章を中国語にして、挨拶したい、とふと、ひらめいた。もちろん、中国語は話せない。そこで私は仕方なく、父の文章を中国語の先生に翻訳していただき、それを私が中国語で発音してテープに吹き込み、それを父が一ヶ月、猛特訓してカタカナ羅列のアンチョコを作り、本番にのぞんだ。
どう聞いても、私には不思議なカタカナの羅列か、新種の念仏にしか聞こえないのだが、中国では満場の大拍手で迎えられ、その後、中国の人に父は挨拶の列と質問攻めに会い、実際には一言も中国語を話せない父はうれしいやら、困惑するやら、という事態となったのだそうだ。
日本では、英語を話す人の方が偉いようにも思われがちだが、やはり中華思想の国では少しでも中国語を話すと、ぐっと株が上がるようだ。
(次回は「英雄の作られ方」の話です)
写真は麗江の広場にて。麻雀に興じるおばさまは雲南の都市部ではどこででも見られる光景だが、麗江では、納西(ナシ)族の民族衣装で統一されているのが、特徴的。
ナシ族のお年寄りは7つ星がついた背当てが付いている。背当てが毛皮製の人も多い。冷え対策なのだろうか。この格好で子守も水くみも農作業も行う。
【真田広之の流ちょうな中国語】
中国では、日本人人気俳優といえば、今でも男性なら「高倉健」、女性なら「山口百恵」が2大俳優とされている。
高倉健が、チャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る」の撮影で世界遺産にも指定されている麗江の市内に訪れたときは、大フィーバーが巻き起こった。もちろん、撮影チームのガードが堅く、ちらりと後ろ姿を撮影するのがせいぜいだったのだが、それでも連日、高倉健の文字が新聞を飾った。
そのときに驚いたのが、高倉健の相手役、といっても恋人ではなく、通訳の役の女性を、麗江について、高倉健とツーショットの風景が見られたとたんに、記事のトーンが彼女に好意的でなくなったことだ。それまでは彼女が北京の中央芸術学院出身の新人、として期待をこめた記事が並んでいたのだが、その変わりように中国の人は心底、高倉健が好きなのだなあ、と妙に感心してしまった。
真田広之も中国で名優として知られているが、彼がチェン・カイコー監督の「プロミス~無極」で雲南に到着したときの記事も、じつに好意的だった。というのも、彼が雲南省副主席・丹増氏主催の歓迎パーティで、堂々と中国語で挨拶し、記者の質問にも通訳を介せずに話したことに驚きをもって、迎えられたためだ。
彼は記者の質問に対し「(撮影場所の)元謀の料理はおいしい。大好物だ」と語っていたが、その言葉がそのまま、記事の見出しになっていたことからも、その歓迎ぶりが伺える。(『生活新報』2004年5月7日)。
当時、それほど中国語が堂々と話せなかった私にとっては、真田広之がまぶしく、うらやましく感じたものだ。
私の父が20数年前に中国で理科系の学会報告したときにも、同じようなことが起こった。
発表に際して、父は自分で書いた日本語の文章を中国語にして、挨拶したい、とふと、ひらめいた。もちろん、中国語は話せない。そこで私は仕方なく、父の文章を中国語の先生に翻訳していただき、それを私が中国語で発音してテープに吹き込み、それを父が一ヶ月、猛特訓してカタカナ羅列のアンチョコを作り、本番にのぞんだ。
どう聞いても、私には不思議なカタカナの羅列か、新種の念仏にしか聞こえないのだが、中国では満場の大拍手で迎えられ、その後、中国の人に父は挨拶の列と質問攻めに会い、実際には一言も中国語を話せない父はうれしいやら、困惑するやら、という事態となったのだそうだ。
日本では、英語を話す人の方が偉いようにも思われがちだが、やはり中華思想の国では少しでも中国語を話すと、ぐっと株が上がるようだ。
(次回は「英雄の作られ方」の話です)