写真は、西安の噴水広場。2004年時は毎日、お祭りのようにレーザー光線に音楽に噴水が夜8時に行われていた。これは、雲南各地でも年を追うごとに増えていった景色である。これらは西安、武漢といった西部の大都市から徐々にはじまり、雲南へと同じ形のものが取り入れられていった。
日本より巨大に中国での西部大開発の順番にも、政治力が見えてくる。
【湖北の人】
どろどろがいろいろ続いてうんざりしますが、あと、ちょっと。政界の話はどうしても生ぐささがつきまとってしまいます。
姿をくらまし、貴州省へ突如、去ってしまった副書記に代わって、12月に着任したのが湖北省の省都・武漢市からやってきた阮成発でした。
湖北省出身の漢族で、武漢大を出て法学博士号も取得している人物です。湖北省や武漢市書記をつとめた後、すぐに雲南の省副書記になり、同時に雲南省の副省長、代理省長といった役職も引き受けます。
今までの流れだと、突如の辞任などの場合は、省の生え抜きから順繰りに上がるはずなのに、中国西部のくくりの中からやってくるあたりからすると、前副書記の鐘勉が辞めるのは突然ではなく、中央政府からの勧告でもあったというのが真実なのでは、と感じます。
歴史の流れを検証すると見えてくる流れ、なのかもしれません。だとすると、雲隠れした、という中国のマスコミの報道は間違っている、ということになります。
阮成発はやり手ではあるけれども、ちょっと曰く付きの人でした。
というのも、武漢市書記(日本でいう市長)の時に武漢市の大型建設を推進し、その数なんと5500カ所に昇りました。2011年就任からわずか3年間でのプロジェクト数です。
そのため2013年10月に市民は「満城挖」(城【武漢市の中のこと】は掘り起こされた穴で満ちる)とその惨状を叫び、
「阮成発は恥知らず!」
との抗議が殺到。
それに対し、阮は
「抗議はおそれない。なぜなら2011年6月に武漢に3回もおそった大雨で全城が水浸しになり、6月18日には88カ所で浸水被害を起こしたからだ」
と話し、その後、地下鉄建設、渋滞の緩和策、ETCの設置などを次々と完成させました。
それらがほぼ、完成に近づいたころに雲南の副書記となったのです。
(つづく)
日本より巨大に中国での西部大開発の順番にも、政治力が見えてくる。
【湖北の人】
どろどろがいろいろ続いてうんざりしますが、あと、ちょっと。政界の話はどうしても生ぐささがつきまとってしまいます。
姿をくらまし、貴州省へ突如、去ってしまった副書記に代わって、12月に着任したのが湖北省の省都・武漢市からやってきた阮成発でした。
湖北省出身の漢族で、武漢大を出て法学博士号も取得している人物です。湖北省や武漢市書記をつとめた後、すぐに雲南の省副書記になり、同時に雲南省の副省長、代理省長といった役職も引き受けます。
今までの流れだと、突如の辞任などの場合は、省の生え抜きから順繰りに上がるはずなのに、中国西部のくくりの中からやってくるあたりからすると、前副書記の鐘勉が辞めるのは突然ではなく、中央政府からの勧告でもあったというのが真実なのでは、と感じます。
歴史の流れを検証すると見えてくる流れ、なのかもしれません。だとすると、雲隠れした、という中国のマスコミの報道は間違っている、ということになります。
阮成発はやり手ではあるけれども、ちょっと曰く付きの人でした。
というのも、武漢市書記(日本でいう市長)の時に武漢市の大型建設を推進し、その数なんと5500カ所に昇りました。2011年就任からわずか3年間でのプロジェクト数です。
そのため2013年10月に市民は「満城挖」(城【武漢市の中のこと】は掘り起こされた穴で満ちる)とその惨状を叫び、
「阮成発は恥知らず!」
との抗議が殺到。
それに対し、阮は
「抗議はおそれない。なぜなら2011年6月に武漢に3回もおそった大雨で全城が水浸しになり、6月18日には88カ所で浸水被害を起こしたからだ」
と話し、その後、地下鉄建設、渋滞の緩和策、ETCの設置などを次々と完成させました。
それらがほぼ、完成に近づいたころに雲南の副書記となったのです。
(つづく)