雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル73 カルモナ⑤ にごりのあるオリーブオイル

2022-09-30 09:47:53 | Weblog
写真上は「ラ・ムラーラ」のテーブル上に置かれていたオリーブオイル。この白濁感。

【うまみたっぷりオリーブオイル】
 お昼時。セビリア門の前にある小さなお店「ラ・ムラーラLa Muralla」で、勧められるままに2,3品頼みました。そして待つことしばし。出てきたものは、昨日のレストランで食べたものとまあまあ、かぶっていました。カルモナのアンダルシア料理は限られているのでしょう。

 ここで印象深かったことは、モロヘイヤとヒヨコ豆のカレー風味やラタトゥイユなど、ごく普通の料理にテーブル上のオリーブオイルをかけると、一段上のおいしさに簡単に変わること。まさに日本の料理にしょうゆをつける感じです。オリーブオイルは少し白濁していて、そのままでも舌に溶け込んでいくような柔らかいふくらみがあります。

ラタトゥイユの上に目玉焼きが載っていた。

 日本にいるときはオリーブオイル独特の香りが苦手だったのですが、そのふしぎな薬くささがまったくありません。ただただ自然、ただただ、おいしい。

テーブルの上に置かれていたオリーブオイル。近くで見ると、白濁しているのがわかるのだが。

 そういえば、カルモナのホテルに置かれたパンフレットに、オリーブオイル工場見学がありました。車で10分、と書かれていました。瓶に書かれたラベルを見ると、セビリア州のLORA DEL RIO と書かれています。調べるとカルモナから23キロ北東のとなり街で、車で20分ほどの距離です。

 アンダルシア地域といえばオリーブオイルの生産量世界一の場所。日本に輸入されるものの多くは日持ちする、純度の高い高級なエキストラ・バージンオイルが主で、私はちょっと苦手。でも、ここのものは、昔ながらの絞り機を使っているとか、何かあるのでしょう。その結果、オイルはしっかりと濾して純度を高める方向ではなく、日持ちはしないけど、オリーブの実の成分が混濁している。でも、これが地元が好む本来の味。お店にしょうゆのように置かれている理由が、ちょっとわかった気がしました。


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スペインとポルトガル72 カルモナ④ 

2022-09-24 15:45:46 | Weblog
写真上はカルモナ市場の簾。セビリアの街でも分厚く麻のような植物繊維で織った簾が家々の扉にかかっていた。これくらい厚くないと、アンダルシアの強い日差しはさえぎれないのだろう。織り方が独特で、まるで昔の船の帆のようにも見えた。

【アンダルシアの日】
 カルモナといえば、ひまわり畑だそう。季節は冬なので、当然、ひまわりはないのですが、記念写真用のパネルが見晴らしのいい崖に設置されていました。スペイン人もパネル好きなのかとびっくり。ご丁寧にも手にもつ「#カルモナ」と書かれた看板もあります。旅先でテンションも上がっているので、娘をモデルにして、ついついカシャッ。


さらに各国語に交じって日本語の案内板もありました。なのに、街中を歩くと、地元の人にジロジロと見られます。アジア系は珍しいのでしょうか?


 今日は木曜。さっそく市場に行こうと張り切って行ってみると、なんとお休み。祝日でした。アンダルシアが1980年2月28日に住民投票で自治州になったことを記念した「アンダルシアの日」だったのです。

街は静かでスーパーマーケットすらも閉まっています。ところが街の中心に開けたサンフェルナンド広場に行くと、静かな街なのにバルだけ大賑わい。朝から地元のおじいさま方がお気に入りのアルコール片手にゆっくりと腰をゆらして踊ったりしています。陽気だけど低いだみ声はアルコールで声がつぶれたせいなのか? これは日常なのか、祝日の憩いなのか?

 城門から外に出ると、広い芝生のついた庭で小さな子供のいる家族がバーベキューの準備をしていました。絵にかいたような白黒ブチの犬が庭を駆け回っています。馬は静かに草を食んでいます。

 さて、城門に戻りましょう。

 紀元前219年から紀元前201年にかけての第2次ポエニ戦争の際にカルタゴ人が建設したセビリア門は今も街の入口としての役割を果たしていて、一人2ユーロで上まで登ることができます。歴史の重みなのか、黄色い砂岩質の門には、なにやら削られてできたくぼみが多数。そこに、はとがつがいで各々の穴に収まっていて、せっせと繁殖行動にいそしんでいました。不思議で平和な光景です。

 セビリアへと戻るバスは門の外のターミナルから出発するはず。昨日、着いたときにチェックした12時発を目指してホテルをチェックアウトしてバス停にいったのですが、待てど暮らせどバスは来ません。
 祝日なので本数が減らされていて、次に来るのは13時45分だとわかりました。時間が空いてしまったので、門の内側で開いていた小さなお店「ラ・ムラーラLa Muralla」でお昼を取ることにしました。
(つづく)
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スペインとポルトガル71 カルモナ③ パラドールへ

2022-09-18 12:33:13 | Weblog

写真上は、スペインでも人気の高いパラドール ド カルモナの入口。馬蹄型のマルチェラ門(Alcázar de la Puerta de Marchena) をくぐってパラドールに入る。写真下は門の外から見えるパラドールの屋根。ホテルは改装部分と遺跡としても価値の高い部分が見事に調和している。

【アンダルシアのCorvina 】
カルモナの夕飯はパラドール(Parador de Carmona)へ。ドレスコードをばっちり決めていきました。

写真はパラドールの中庭。

カルモナは紀元前8世紀より前に活躍したフェニキア人の時代から、次々と民族が入れ替わって城塞を築いてきました。今夜のパラドールは一番、高い場所にあり、遠くまで見渡せる崖に建つアラブの城塞を14世紀にペドロ一世が愛妾のために改装した居城。ペドロ一世といえばセビリアのアルカサールが有名ですが、カルモナでも同じ手法を用いていたのです。どれだけムスリム建築が好きだったのでしょうか。

 ここには戦国時代の日本のサムライが滞在し、レコンキスタのグラナダ攻略時にイザベル女王や夫フェルナンド王も滞在しました。
 その後、地震で荒廃したものの、1976年に大改装し、敷地の東側に新たにムスリム様式の建物を建設して、ホテルにしました。

 さて、ドーム型の高い天井をもつレストランはイスラム風。それを活かすためなのか、サーブする人々はアラブ系かインド系の顔立ちの方々のみ。そして料理はパプリカとタコのマリネなど魚介類が多めです。汁気が少なく味がはっきりしていて、シェリー酒とよく合います。

 お勧めされた「コルビーナ(CORVINA)」という白身魚。説明によると、本来はアルゼンチン産だったのが、最近はスペインでもさかんに養殖されるようになったという今日の目玉なのだとか。

 酒蒸しのような料理として出てきたのですが、一口食べただけで、うまみとコラーゲンがぎゅっと詰まった高級系だとわかりました。つまり、すっぽんを筆頭に、中国で食べた鰱魚、ハモなどと同じ、なにかがあるのです。何度か書きましたが私は、急速に血流がよくなるものを食べると、流れがどこかで詰まるのか、たいへん苦しむことになるのです。それはいつもとびっきり高い食材の時に起こります。うれしくない反応で高級食材を見分けてしまう悲しさ。

 案の定、しばらくすると肩が暖かくなり、やがて左の頭(?)から目、やがておへその左側、そして太もも、とうっ血しているところを刺激してきました。おいしいのです。でも、それ以上は自制しました。連れ合いが二人分、おいしそうに食べていました。

 あとで日本語名を調べると市場名が「銀ムツ」とか「メロ」。魚名は「アジェランアイナメ」とでてきました。日本ではごく普通の魚ですが、私の身体に与えた影響から考えると、スペインでは日本で流通しているものより高級魚ではないかと思います。

 肝心のパラドールの話が抜けていました。ここは着飾った方々で満席。間接照明も美しく、館内は装飾も含めてエキゾチック。街で一番高台にあるので、遠くの道を行く車の列も天の川のように見えてきます。ここでの朝焼けはきっと、日本のサムライたちが見た景色と、いまもほとんど変わっていないことでしょう。

(つづく)
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スペインとポルトガル70 カルモナ②

2022-09-10 15:13:44 | Weblog
写真はカルモナ市立博物館の入口。

【カルモナ市立博物館】
カルモナの街はコンパクトな中空の街でした。ちょっとわかりにくい例えかもしれませんが、群馬県の沼田市のような感じ。街に入るにはどうやっても、崖のような道を登らないといけない。そのかわり、街の上からみた眺望は抜群です。
 元伯爵邸だったホテル・アルカサール ラ レイナ(Alcazar de la Reina Hotel)の内装は落ちついた大ぶりの家具がそろい、窓は大男でも入れそうな高さ。娘はごきげんです。

 みやげもの屋のない、地元の人が時折、通り過ぎるだけの石畳の道をブラブラと歩いて街の中心にある市の博物館に行きました。16世紀以来のマルケサ・デ・ラス・トーレス宮殿の一角を利用したところです。狭いけど趣のある中庭がアンダルシアの雰囲気。少し荒れてはいましたが。

https://turismo.carmona.org/en/museo-de-la-ciudad/

 市の博物館では、旧石器時代の発掘物からローマ時代の遺物やすばらしいモザイク画の床、大理石の彫刻などを見学しました。18室に分かれていて、最初のローマ時代までは驚くべき物量と丁寧な解説で並んでいたので、これは全部見るのに午後一杯かかると覚悟を決めたところ、中世に入ったあたりで力尽きたように展示が簡単になり、空の部屋と現代美術が雑然と並んで終了となったのでした。

 ここで特筆すべきなのが、博物館併設のレストラン「ABACERIA MUSEO」です。窓はガラスではなく、木戸なので、物理的に暗く、入ると、客が一人、ちょうど食事を終えたところでした。時間は15時近く。じつはここに到着した13時ちょうどにいい匂いがして、入ろうとしたのですが、まだ開店してない様子だったので、この時間になったのでした。

 調理場に向かって声をかけると、奥からバタバタとオーナーシェフが現れて、サーブから料理づくりまですべて一人で行ってくれました。
 スペイン語のメニューしかなかったので勘を頼りに注文しました。
 いずれも家庭料理のような気取りのない、やさしい味。スペインで一番、口にあったかもしれません。そのメニューの一端をご紹介しましょう。

スペイン風オムレツ
 
チョリソーとポテトのオムレツの上に生ハムのせ。どちらかのハムのしっかりと発酵した味わいと塩味が絶妙

バカリャオ(タラの干したもの。ポルトガル語ではバカリャウ。スペイン語ではバカリャオという)のマヨネーズのせ。

トマト煮添えも美味。

牛肉のホロホロ煮。

ポルトガルと違って固いが、しっかりとビール(?)で煮込まれている。フライドポテトも固いが、味がよい。

食後酒(娘はノンアルコールのレモン風味)もサービスされました。たいへん美味でした。
(つづく)

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スペインとポルトガル69 カルモナ①

2022-09-04 10:18:18 | Weblog
 カルモナは、中空都市だった。ロバが群れになって草をはみ、当たり前のように、崖を上り下りしていた。

【カルモナへ】
 天正遣欧使節団や前回ふれた慶長遣欧使節団もセビリアからトレドへと向かう途中に宿泊したのがカルモナです。セビリアから38キロ東にあり、アルカサール宮殿を現在の形に改築したペドロ一世が青年期までくらし、その後は愛妾のためにアラブの城から改築したカルモナの城。ここに日本から来たサムライたちも宿泊しました。

そこで現在、パラドールとなっている王城を目指して(宿泊は高かったので、街の旧伯爵邸だったホテルに泊まり、パラドール内のレストランで夕飯を取ることにして)、セビリアを出発しました。公共の交通機関はバスのみで、カルモナからは、またセビリアに戻るしか方法がないので大半の荷物をセビリアのホテルに預けての旅です。

 そのカルモナ行きのバス停ですが、ホテルの人に聞いても、よくわからない、といいます。頼りは『地球の歩き方・スペイン』編なのですが、そのアクセス欄に「セビーリャのサン・ベルナルド駅近くにあるバス停からCasal社のバスで約50分」と書かれているのみ。バス運行会社のホームページを見てもバス停のある位置を書いた地図は見当たりません。

 そこで、ともかくタクシーでサン・ベルナルド駅に向かいました。

 不安は的中してバス停が駅周辺には見当たらない。タクシーの運転手も、近くにあるはず、といって、次の仕事にさっさと行ってしまいました。

 列車用のサン・ベルナルド駅は地下にあるし。困ったなあと、うろうろしていると、少し離れたアンダルシア美術大学の前にバスが止まっているのを見つけました。運転手に「カルモナ?」と聞くと「オーケー」。ほっとして乗り込みました。きつい冷房のガラガラのバスは、やがて静かに動き出して、カルモナへ。

 こうして着いたカルモナは、古い城壁の残る、静かで美しい街でした。観光客はほとんどなく、人々は農作業にいそしみ、バルでのんびりと酒を飲み、ロバは時折、遠くを眺めつつ草をはんでいます。草原の向こうには黒ヤギの群れ。
 今まで世界遺産ばかり渡り歩いていたせいか、人の多さに疲れている自分に気づきました。ようやく落ち着いた旅の気分に浸れたのです。のんびりとした空気はバカンス感をもたらし、ゆっくりと寝ることができました。
 (つづく)
 
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