雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル111 トレドのレストラン

2023-07-30 11:49:50 | Weblog
写真はレストラン・ラ・オレザのアーティチョークのグリル。上には生にいくらが添えられている。イカなどの魚介類の風味がなんだか懐かしい味がした。

栄枯盛衰が激しいので、お役に立つかわかりませんが、トレドでよかったレストランを紹介します。

【レストラン ラ・オルザ( LA ORZA)】
エル・グレコ美術館の近くにあり、テラス席からかつてのユダヤ人地区が一望できる。ミシュランガイド掲載店。ランチの時間に20分以上並んで案内されたテラス席は眺望抜群でしたが、アンダルシアの3月の日差しはすでに鋼のような強さなのに、太陽の角度は低いので店のパラソルは役にたたず、帽子を外すことはできませんでした。
メニューは郷土料理を主体としながらも、新たな料理の技術を取り入れた華やかで珍しい取り合わせが目につきました。
ワサビやからしを効かせた「TATAKI」は、ローストビーフ風。中近東でよく食されるナツメヤシの実「デーツ」のサラダにもドレッシングに、わさびが効かせてありました。アーティチョークの上に「いくら」がこぼれるように乗せられた料理も。つまりいろいろなメニューに日本食の影響が感じられました。
郷土料理の炭火焼きローストは、カリカリに焼きこんだ皮目とジューシーな赤身肉のうえに酸味のあるフルーツとトマトのソースがかけられていて最高の仕上がり。値段はトレドの中でも、お高め。地元客も多い店でした。

豚肉のロースト。


スイーツの盛り合わせ。いかにテラス席の日差しが強いかが、わかる。

【アサドール ラ・チュレタ(ASADOR LA CHULETA)】
大聖堂とアルカサール(軍事博物館)の中間あたりの入り組んだ細路地の石畳の庭にテーブルとイスが置かれたレストランです。値段の安さが一番の魅力。アサドールはグリルのことなので、当然、メニューは焼き物中心。リゾットやパンの上にレバーペーストを載せたバル系食材が人気です。


ピザはしょっぱかったのですが、上の具材(マッシュルームやサラミ)はふくらみのある味でした。ミネラルウオーター「ネバタの水」がスペイン料理独特の汁感の少ない口に、水分をもたらしてくれました。街歩きで疲れた観光客がゆっくり座れて、寒い人にはひざ掛けの提供があるといったサービスにほっとしました。

【まとめ】
トレドの旧市街のレストランは、グリル料理と生野菜のサラダが中心です。私は鍋料理やみそ汁文化で育ったせいか、料理の水分量が少なく苦戦しました。スープは野菜をすりつぶしたぽってりとしたポタージュ系が多く、口の中の水分を持っていかれてしまう。お茶文化はなく、料理とともに飲むものはアルコール類となります。アルコールが飲めない方はワインと同等か値段が高いミネラルウオーターになります。

※来週の更新はお休みします。
 猛暑、腹の力を保って、乗り切りましょう!
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新刊紹介『戦国日本を見た中国人』 海の物語『日本一鑑』を読む

2023-07-23 10:36:08 | Weblog
スペインの話の途中ですが、今回は新刊のご紹介です。じつはスペインが日本にも触手を伸ばした大航海時代ともかかわっておりまして・・。
(長文ですので、小見出しをご覧くださってもよろしいかと。)

【倭寇前夜】
戦国時代の日本といえば、織田信長ほか戦国武将が有名です。彼らの必須アイテムは鉄砲。そのためには火薬がかかせません。
 火薬は硫黄、硝石、炭粉でできています。硝石は日本で産出しなかったので、輸入が必要でした。一方、硫黄は輸出するほどありました。

ところが貿易をしようにも、お隣の中国は明(ミン)朝の時代で海を閉ざす海禁のまっただなか。そのため正式には10年に一度、国の盟主同士がものを贈りあう朝貢しかありませんでした。あとは全部、密貿易になってしまうのです。

 本書では、これらが本格化する前段からはじまります。

 日本では室町幕府が衰えていき、朝貢貿易のノウハウがうまく伝えられなくなった結果、1523年に「寧波事件」と呼ばれる日本人武士による抜刀事件が中国の港町・寧波で起こりました。以降、日本人は「凶暴」というイメージが固定化されました。実際、1550年代に入ると、倭寇(わこう)と呼ばれるザンバラ髪の武士のような集団が中国の沿海部を襲うようになります。

 
写真は本のカバーより。左のほぼ裸で戦う人たちが倭寇。
(「抗倭図巻」中国国家博物館蔵。)

【草莽の士、海を渡る】
そんななか、自らの意思で(海禁中なので「国の許可を受け」)中国の民間人が日本へ渡りました。名は鄭舜功(てい しゅんこう)。日本を理解し、日本国王に倭寇対策を行わせようと強い決意を抱いていました。

1556年、広州を船で出発し、九州は豊後の有力大名の大友義鎮(宗麟)のもとに滞在。そこから部下を京都に派遣して見聞を広げ、倭寇政策について了解の文書ももらいました。

この任務は大成功、と思ったのですが、じつはそのころ明の朝廷の権力闘争はし烈を極めており、別の勢力に倭寇対策のトップが入れ替わってしまいました。そして、そこからも日本に人が派遣されたのです。

これを知った鄭舜功は、ライバルに先を越されることを恐れ、京に派遣した部下を待つことなく、1557年1月に慌ただしく帰国することにしました。

【待ち受ける悲運と幸運】
ところが海難事故のため、漂着。さらに中国で官憲にとらえられ、7年間、投獄されてしまいます。反対勢力に倭寇取り締まりの総督が代わっていたため、彼の潔白は証明されなかったのです。

日本での見聞記録も破棄され、京に派遣した部下2人も中国で官憲につかまり、死刑となりました。
 帰国の際に豊後の大名の命令で鄭舜功とともにした日本人僧侶・清援は、なんと中国の内陸部の四川に流罪となりました。彼が鄭舜功にあてた手紙に書かれた詩が、本書には収録されています。なんとも痛切!

そんな逆境の中で鄭舜功は、獄中、日本での見聞をまとめました。これが『日本一鑑』です。残念ながら刊行されることはありませんでした。
ただし奇跡的にも写本などが断片的に残されました。現在、研究者の間で当時の日本の国情を知る一級史料として評価されています。

本書では『日本一鑑』に記された、日本の当時の風俗習慣や刀や陶磁器の見極め方、日本人には秩序があり、話し合いで十分に友好が保てること、などの具体的な内容を紹介しています。序文の鄭舜功の熱い志はしびれました。


写真は、椿泊湾。戦国時代に名を馳せた森水軍(阿波水軍)の拠点であった。今も森家歴代の墓が湾を見渡せる山の上に連なっている。

【ビジュアルから魅力的な海賊たち】
本書のもう一つの柱が倭寇です。ここには海を舞台にしたもう一つの歴史がうねっていました。日本人をよそおった中国や東南アジアの人々も海で暗躍していたのです。

本書でもっとも印象的だったのがこの、いわば「海賊」です。

おもな舞台は中国南岸の杭州湾の外縁に浮かぶ舟山群島。片目のリーダー陳思盻、僧侶姿で日本人にも中国の女性にもモテモテの徐海など、魅力あふれる海賊たち。とくに徐海が大小さまざまな島が浮かぶ舟山群島で1000以上の船を率いて進み、最後には官憲に砲弾で打たれる様子は目に浮かぶよう。ここは歴史学者の筆なので、やや抑え気味ですが。

【海洋ルートの詳細もわかる】
中国から日本に向かう船のルートも具体的に記されていて、とくに日本の領域内に入ってからの記述は興味深いものがあります。九州の南をまわって、瀬戸内海を通って大阪まで抜けるルートは『村上海賊の娘』などで知っていましたが、外洋船ならではのルートで四国沖を通って、四国と紀伊半島の間を通って大阪に至るルートは初めて知りました。

徳島の東南の海に抱かれた椿泊や淡路島の南にそびえ立つ沼島など、かつてのルートは昔の海賊の拠点でもあります。

現在、徳島には「海賊料理」という名でガイドブックなどに書かれている名物料理があります。ところが地元に人に話すと「水軍料理ね」と即座に言い直されるのです。地元の人にとっては、当然のように今でも「賊」ではなく「軍」なのです。

このルートは、大航海時代のポルトガル、スペインの商人も利用していたらしいです。

暑い夏、潮の香りがぴったりな本書で、まったり過ごすのはいかがでしょう?
『戦国日本を見た中国人』  海の物語『日本一鑑』を読む
講談社選書メチエ
上田 信著
1700円(税別)
 
参考;椿泊漁港の位置
https://www.bing.com/search?pglt=41&q=%E6%A4%BF%E6%B3%8A%E6%BC%81%E5%8D%94+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80&cvid=78b1c5c4a5e348399ea2dda66019f773&aqs=edge..69i57.24178j0j1&FORM=ANNTA1&PC=TBTS
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スペインとポルトガル110  サービスって難しい!?

2023-07-15 11:06:39 | Weblog
トレドで宿泊したセルコテル・アルフォンソ6世(Hotel Sercotel Alfonso VI)。トレドの世界遺産の地区のど真ん中にあり、アルカサル(軍事博物館)も近い。4つ星だが、プランを選べば、宿泊料も抑えられる上、部屋も整っていて空間にも余裕があった。

【ふらりと入った店で】
トレドの見どころの次は、食事処についてご紹介しましょう。

ミシュランのシールもいたるところに貼られていて、味よし、サービスよしの店にも行ったのですが(値段は観光地ど真ん中だけあって、ややお高め)、トレドの初日は、疲れのせいか、立て続けに不思議な店に当たってしまったので、まずはその話から。

トレドが最終目的地だと思うと、疲れがどっと出てしまい、食事をとる店を考えることも面倒くさくなりました。そこでふらりとホテルを出てすぐに看板がみえたレストランに入りました(普段だと、たとえば、地元の人でにぎわう店を探します)

店は道に面して窓が長ーく付いているにもかかわらず、ほのぐらく感じます。外側には料理名つきの料理の写真が所狭しと貼られていて、疲れた観光客の心にわかりやすく提示してくれるのです。店の入り口の囲う木枠の彫刻も雰囲気を醸し、老舗感もただよいます。

メニューは地元の特色料理のオンパレード。店の名前にある「Parrilla」はスペイン語のグリルのこと。その名の通り子豚やウサギのロースト、ウズラの焼き物など、炭火でじっくり焼いたグリルを心ゆくまでいただきました。塩気がきいてハーブとのバランスも良く、おいしいのですが、なにか落ち着きません。
たまたまだったのかもしれないのですが、やとわれた店員ががんこそうで、せっかちで戦闘的なのです。

たとえば客が帰ったあとのテーブルの片づけの最中に、店員がワイングラスを落として割ってしまいました。

日本だったら「失礼しましたー。」などといって、ささっと躊躇なく片づけるところなのですが、この店では落とした店員が、その状態になんのアクションもないまま、厨房に入っていき、次の瞬間、何食わぬ顔で別のテーブルの客のための料理を持ってきて、サーブしているのです。

割れたワイングラスはというと、しばらくたってから別のおばさんがあらわれて片づけていったのですが、それもなんだか雑。

翌日、別の店でのこと。メニューを頼むと、「本当にそれだけ?」という圧を目ににじませ、顔をくしゃっとされ申し訳ない気持ちに。たしかに旅の疲れで、食事量は減っていたのですが。

お隣のテーブルで「デザートは?」と訊かれたお客さん、明らかに最初、断りを入れていたのですが、店員に下から這うような声で「NO?」とダメ押しされ、勢いに負けてデザートを頼んでいました。料理の値段は少しお高めでした。

やっぱりマドリードから電車で30分の古都は、観光客が殺到するせいか、サービスが雑になるのか? 普段はおいしい店を見分ける私自身のセンサーが鈍っているのか? 

といいつつ、トレド最終日にも最初にいった郷土料理店に行きました。ホテルからのアクセスのよさと味には、捨てがたい魅力があったのでした。
(つづく)
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スペインとポルトガル109 エル・グレコの最高傑作といわれる絵を見る 

2023-07-09 07:11:23 | Weblog
トレドの夜の街角。日中、大勢いた観光客が夜にはほとんどいなくなる。(マドリードから一日観光で訪れる人が多いためだろう。)夕食をとろうとレストランに入ると、いかにも、な観光客向けの店以外は、地元の人が集うディープな空間になっていた。スペインにしては店が閉まるのも早めだ。

【サント・トメ教会(Iglesia de Santo Tomé)】
トレド最終日の月曜朝。
何度もポルトガルとスペインを訪れている研究者のKさんから

「とにかく混むので、朝いちに行ってください!」

とアドバイスされていたサント・トメ教会に行きました。
開場前の朝9時50分だというのにすでに行列ができています。

ここにはエル・グレコの最高傑作のひとつ『オルガス伯爵の埋葬』があります。教会のためではなく、その絵1枚のための列なのです。

この教会はイスラム勢力からトレドを奪還したアルフォンソ6世が12世紀に建てたもの。13世紀末には荒廃していたため、当時の領主だったオルガス伯が私財を投じて再建しました。さらに伯爵は遺言で恵まれない人のために、ものや寄付金を教会に納めるように命じ、自身も遺産を教会のために遺したそうです。

16世紀半ばに、同教会の司祭がいろいろな意味を込めて、彼の死のときに現れた奇跡の絵をエル・グレコに依頼。1586年から1588年にかけて描かれたのが本作です。

さて順路にしたがって進むと、すぐに縦4.8m、横3.6mの巨大にして縦長の絵が礼拝堂脇のテラスを覆ってつくったような場所に恭しく飾られていました。この絵以外にはなにもない不思議な順路。

絵を見て、何も考えずに順路を進むとあっという間に外に出てしまいました。あまりにあっさりした順路に驚きました。ちゃんと探せば礼拝堂も見られるようです。

 画のほうはエル・グレコの最高傑作と形容されるだけあって、生生しいというか、神々しいというか。黒を基調にたくさんの神を含めた人々の顔が悲し気に白く浮き上がっています(政策当時のトレドの人々の顔やエル・グレコ、エル・グレコの息子も書き込まれているそう)。大きな絵なのに緻密で、緊張感がみなぎっています。それにしても彼の絵は手のかたちが本当に美しい。細くて繊細で、色白、で、なまめかしい。

門外不出だそうなので、現地でしか見ることができないという貴重さもこの列を生んでいるのでしょう。そして、絵を見る場所が少ししかないので、入場制限がかからざるをえないのでしょう。

カテドラル(大聖堂)の内部。このような手の込んだ芸術的でワビ・サビの対極にあるような空間があらゆるところで展開している。とても豪華。話はとぶがセブ島(フィリピン)で1566年に創建されたサント・ニーニョ教会の祭壇と雰囲気が似ていた。少しの余白も怖れるような豪華なしつらえや金の使い方の感性は時代なのかもしれない。

【カテドラル(大聖堂)】
この後、昼食をとって、カテドラル(大聖堂)へ。広く、薄暗く、金がふんだんに使われていて、彫像も彫刻もこれでもか、というほどふんだんにあり、圧倒されました。宗教画も数多く納められていて、エル・グレコの絵もありました。

大勢の参観者がいましたが広いので、ゆったりと日が傾くまで見学することができます。サント・トメ教会では一枚の絵に集中するだけでしたが、同じ集中力でカテドラルに対しようとしたら、あまりの質と量に気力が追い付かず、へとへとに。さすがスペイン・カトリックの総本山。まいりました。

参考:
 https://spainzatsugaku.com/arte-el-greco-santo-tome/ 2023年7月8日閲覧

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スペインとポルトガル108 ユダヤ教の教会と博物館(トレド)

2023-07-01 17:18:04 | Weblog
写真はトランシト教会とセファルディ博物館の外観。エル・グレコ博物館の前にある。

【トランシト教会(Sinagoga del Tránsito)】
14世紀に建てられたユダヤ教会です。トレドにはかつてセルビアと並ぶユダヤ人街があり、その中心に建てられていました。エル・グレコはその一角に住んでいたのですね。

街のあちこちにはめ込まれたユダヤ人街(1492)
と書かれたタイル。

1492年のユダヤ人追放令以降キリスト教の騎士団の教会となり、現在はセファルディ博物館というユダヤ教に関する関連物を集めた博物館が併設されています。

中に入ると、薄暗く、イスラム建築の色濃い影響を受けたムデハル様式で建てられた建物に、大勢の人が見学に訪れていました。

トランシト教会の内部。細やかな装飾が美しい。

教会を出て隣接の博物館へ向かうときに地下に不思議な空間がありました。じめじめしていて座敷牢のように見えたのですが、じつは2000年代初頭にシナゴーグの基礎部分を発掘したところみつかったイスラム浴場・ハマームの集合施設とのこと。つまりスパです。

ローマ時代から脈々と受け継がれた生活に欠かせないお風呂文化は、不思議なことにキリスト教世界では完全に排除されました。このシナゴーグには、イスラム建築そのままの部分も今も数多く残っている中で、この部分は基礎部分に埋もれていたわけですから、ローマ帝国とイスラム世界には根づいていたお風呂文化が彼らのお気に召さなかったかがわかるような気がしました。

【セファルディム博物館(Museo Sefardí)】
教会脇の博物館。ユダヤ教の帽子や聖書、十字架や秘物が所せましと並んでいます。ドイツでも現役の、ここよりずっと大きいシナゴーグ(ユダヤ教会)はありましたが、ここは詳細かつ、あっけらかんと並んでいて、気持ちが落ち込むことがありません。

なんとなく見てはいけないようなものまで、並んでいて不思議な感じ(貞操を守るためにつけるものなど)。なんというか大げさに肩ひじ張った感じのない、博物館だもん、と腹をくくったからこそ感じられる、ゆるさがありました。

もちろん、ユダヤ教徒が1492年にスペインより追放令が出た後、どのように移動したか、伝播したか活躍したかといった詳細な歴史も地図とともにパネル展示されています。

元ユダヤ教会として、近くにサンタマリア・ラ・ブランカ教会もあって、こちらにもたくさんの観光客がつめかけていました。
         (つづく)
参考:
https://es.wikipedia.org/wiki/Sinagoga_del_Tr%C3%A1nsito (2023年7月1日閲覧)
https://worldheritagesite.xyz/contents/sinagoga-del-transito/(上期日閲覧)
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