雲南、見たり聞いたり感じたり

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スペインとポルトガル95 愛すべきコルドバ気質

2023-03-26 15:26:52 | Weblog
写真はコルドバ初日に偶然入ったレストラン「エル・カパール・ロホ」の中庭入口。店内には有名人が来店した写真が掲げられていた。若かりし頃の現天皇や現上皇、さらに首相だったころの海部氏がそれぞれ来店された時の写真もあった。

【グラナダからコルドバへ】
昼にグラナダをあとにし、バスでコルドバへ。
とはいえグラナダ駅ではバスの到着が遅れ、中学生ぐらいの女の子は不安でついには泣き出してしまったものの、そのほか乗客は、ひたすら静かにおだやかに待っていたのが印象的でした。3月7日の話です。

2時間40分の道中、道路が荷馬車一台分ほどの狭さで、車窓からは羊の群れと低めのオリーブ林しか見えません。畑すら一度も見ることはなく、大地は乾ききっていました。

それだけに3時ごろコルドバに近づくと街がみえ、たっぷりと水の流れる川もあり、それが斜めの日差しに映えて感動もひとしお。セビリヤなどの大都市とは違った異国のおだやかな風情が漂っています。

コルドバは8世紀から11世紀初頭にかけてイスラームの後ウマイヤ朝の首都でした。最盛期の人口は50万人。コンスタンティノープル(イスタンブール)と並ぶヨーロッパ大陸随一の大都市です。文化レベルも高く、アラビア語に翻訳された古代ギリシャやローマの文献を見るために中世ヨーロッパ各地から学究の徒が集まっていたとか。

現在では、高校世界史の教科書などで、美しさとエキゾチックさが際立つ「メスキータ」を中心にして街全体が世界遺産に登録されています。
とはいえ、ここもやはり人通りの決して多くない、商店のシャッターの目立つ、黄昏の街となっていました。

【街の歴史がエネルギー?】

写真はグアタルキビル川にかかるローマ橋。
橋の上ではきままに演奏する人が数グループいて自由を謳歌していた。

グアタルキビル川にかかる優雅なローマ橋をわたって黄昏の静かな街を散策していて、気づいたことがあります。コルドバ気質、というものがあるのか、なにか独特なのです。

あまりうまくないバイオリンをアラブ調に奏でる人、それにノリノリで踊り始めるおじいさん、アコーディオンの悲しい調べをどや顔で弾くおじさん。みんな、自分に没入していて、だれかに見せたり、聞かせたり、ましてや稼いだりするつもりは一ミリもなさそうです。でも楽しそう。
八百屋に行っても、肉屋に入っても新規の客(私)を一顧だにすることなく、お得意さんと話し込む店主。こだわりの食材をじっくりと吟味し続ける地元のお客たち。

極めつけは夕食にふらりと入ったレストランでのことです。

小さな通りに面した隠れ家的レストラン「エル・カパール・ロホ(EL CABALLO ROJO)」。従業員6人プラス厨房にコックさんが、たぶん1人。対して客は我々のみ。

テーブルにやってきた一人の従業員に白ワインを頼むと、自信たっぷりにそれに見合ったコップを選んでどや顔で持ってくる人、と、白ワインを選んで持ってきてボトルを見せ、「ブランコ(白)」とよくとおる声でのたまわってから、しずしずと注ぐ人が、同時にテーブルにやってくるのです。

また、たまたま選んだメニューが彼らの真のお気に入りだったときなど、遠くからじーっとこちらの食べる様子を見続け、一口食べて顔がほころぶと、納得顔でうなずくおばさん従業員も。さらに食事がすすんで別の皿にこちらが挑もうとしていると、すっと近づいて「このソースがいいんだよ」と自慢げに誇る人まで。こういった従業員がさみだれにテーブルに近づいては、小さな用事を済ませて去っていくのでした。

漫画チックというか、なんだかとぼけてておもしろい!

 このあともいろいろなレストランに行ったのですが、コルドバの人は自分がおいしいと思っているものを客が頼むと、必ず我がことのように喜びます。   人口は多くはないのですが、とても人の心が安定した街のようです。

地元の人のつがなりがきちんとある、歴史ある小さな街の、ある種の形なのかもしれません。住みよい街の予感がしました。
                       (つづく)
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スペインとポルトガル94 もてなしのグラナダ

2023-03-11 10:52:17 | Weblog
アルハンブラ宮殿を囲む森の急坂を降りると街にでる。途中、日本のガイドブックを見ても出てこないビバランブラ門がどこにも接続することなく、静かにたたずんでいた。(グラナダ門でもワイン門でもザクロ門でも裁きの門でもなかった。)スペインのホームページによると、1933年に紆余曲折を経て再建された門のようだが、歴史も深さを否が応でも感じてしまう。

【アルハンブラを囲む森】
山の上にあるアルハンブラ宮殿の周囲は手入れされた森でした。急な下り坂を速足で降りていると、ところどころに門があり、まったく人通りがないのがもったいないほど気持ちのいい一本道です。

宮殿周辺の森の中にはリスもいた。

『旅名人ブックス アルハンブラ宮殿』(谷克二他著、日経BP)によると、イスラム勢力の時代は裸山で、守備兵の視野をさえぎることのないようにしていたのを、レコンキスタ後に皇帝となったカール5世(スペイン王カルロス1世)が命じて、坂道沿いにポプラ並木を植樹。さらにフランスのナポレオン1世を廃帝に追い込んだ英国の英雄ウェリントン将軍が全山に樫、楡、プラタナスなどを植えさせたのだとか。

【もてなしの実力】
 山の上でも、その下の食事をした店でもスマホの聞き込みに余念のない私。インフォメーションセンターで再度、聞くと、センターの女性がほうぼうに届け物がないか、問い合わせてくれたり、地元の人が集うレストランでは店主が店の中の人に大声で聞いてくれ、その上で「ないなあ」と回答をくれたりと、親切に対応してくれました。

お昼は庶民的な居酒屋ボデガス・カスタネーダ(BODEGAS CASTANEDA )。翌日、スマホ探しにも協力してくれた。

上記の居酒屋のサラダ。スペインでは小さい白菜のような野菜を4分の1に切り、そのまま、生で添えられることが多かった。生白菜の外側の葉の味がした。

 駅に向かうタクシーは、たまたまピカピカのメルセデスベンツ。運転手は珍しく英語を話し、感じのいい音楽まで流れています。さらに我々がコルドバに行くと聞くと、
「このタクシーなら180ユーロだよ」
と陽気に売り込みをかけてくる、すごく仕事にやる気のある、できる人でした。
 商品ジャーナリストの北村森氏のコラムに「訪れた人をもてなす雰囲気が、その地域に根づいているか」は「タクシーに乗った時の印象」でわかると書かれていてなるほど、と思ったことがあります(2023年3月2日東京新聞朝刊)グラナダは、たしかに「もてなし」が根づいている街でした。
(グラナダの回は終わり。次回、コルドバに行きます。)

※来週の更新はお休みします。春は、いろいろと変化のある季節です。ときにはゆっくり深呼吸して、月や花をめでて、心と体を大切に。
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スペインとポルトガル93 アルハンブラ宮殿の思い出

2023-03-04 12:47:02 | Weblog
写真はアルハンブラ宮殿の壁面。白大理石に彫り込まれた彫刻の細やかさと美しさに圧倒された。

【美しさ、の代償】
グラナダの目玉はなんといってもアルハンブラ宮殿です。外観は少しの装飾をのぞけばのっぺりとした土の壁ですが、中に入ると、彫りこんだ凸凹装飾の美しさに心を奪われてボー。人混みに押される感じで進んでいると、「ライオンの中庭」で日本人の小集団に解説する日本語が聞こえてきました。

「12頭の白大理石で作られたライオンの背に乗る12角形の水盤。端正でしょう? ここでくり広げられた血なまぐさい歴史をお話ししますと・・」

白髪にジーンズ姿の初老の日本人男性ガイドの話はおもしろく、久々に聞く日本語解説に聞きほれました。(ただ聞きはご迷惑だったことでしょう。ご勘弁を。)

それから、庭を中心にした回廊や部屋の空いている場所でしゃがんでみました。すると景色が目にピタッとはまり迫ってくるのです。細やかなイスラム装飾は壁面と天井にとくに力が注がれていて、それらはちょうど絨毯に座った位置にぴったりセットされていたのです。

 我が発見に感動して、ふと写真を撮ろうと手を伸ばすと、ポケットに挿していたスマホがありません! あわてて、経路をたどりなおしたものの見つからず。

出口のお土産コーナーでたたずむと聞き覚えのある物悲しいギターの音色が心に沁みてきます。今の気分にぴったりです。それがギターの名曲「アルハンブラの思い出」だったと、あとで知りました。

一つの王朝が終焉を迎えた悲しい場所。その象徴の曲が個人的な悲劇の思い出の曲ともなってしまいました。

我に返って、アルハンブラ宮殿のインフォメーションセンターにスマホの落とし物届をだしました。そして、こちらの連絡先を伝え(家人の電話番号やメールアドレス)帰りました。

帰った先もアルハンブラ宮殿。パラドールとして一角を開放していたのです。スペインでもっとも高い宿泊費でしたが、これはよかった!

アルハンブラ宮殿の早朝。雨上がりの空気がすがすがしい。
いつも混んでいるこの宮殿に泊まると夕方から早朝にかけて、
ゆっくりと宮殿の空気を堪能できる。

見学時間が終了すると訪れる静寂。夕暮れのアルハンブラ宮殿は宿泊者と従業員だけの世界。鳥の羽の音まで聞こえてきます。山の端から夕日が真っ赤に輝いてそれがアルハンブラ宮殿を赤く染めあげました。ちょうど雨上がりで空気も澄んでいて絶景。「アルハンブラ」がアラビア語で「赤い城」を意味することを実感したのでした。

その夜、テレビをつけると、バルセロナをのぞくスペイン全土が久々の雨に大はしゃぎしていました。各局が中継していたのです。この時期の雨は相当、珍しかったのでしょう。

しかし私も相当、疲れているみたい。セルフでお灸をして休もう。
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