雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル48 リスボンの魚市場

2022-03-27 11:10:51 | Weblog
写真はカサゴ(ミナミアフリカユメカサゴ)と右奥が黒タチウオ。魚の名前を一つ一つ表示してあるのがスゴイ! 魚はこのように起てて置かれるものが半分ほど。新鮮ゆえか。

【あやしい地下鉄】
 いい音楽は睡眠の質を上げてくれるようで、ファドから帰った翌朝は8時に自然に目が覚めました。そこで地下鉄1駅でいけるメルカド(市場)に行くことにしました。

ところが、地下に降りると券売機やホーム、はては列車の中にまで、あきらかに客を物色している様子の人々がウロウロ。たった一駅だけなのに、私にもついてこられた気配を感じました。怖かったので帰りは歩いてホテルに戻ることにしました。

いいこともありました。地下鉄駅のホームで、反対車線に停まった電車に、ファドにご一緒したMさんが乗っていたのです。車窓越しに、静かにほほえんで小さく手を振っているのが見えます。LINEで行き先を尋ねると、文書館に行くのだとか。彼女はリスボンの知人宅に泊まっているので、私とは宿泊先は別。広いリスボンで不思議なこともあるものです。

【いよいよ魚市場へ】
 さてピコアス(Picoas)駅で降りると、すぐ、左手に葉付きニンジンの束、右手に青物野菜をぶら下げて速足で歩く人を見つけました。市場が間近な証拠です。
「市場まであと2分」と書かれた看板が見え、その先にスチールの箱のような建物がありました。メルカド31・デジャネイロ(de Janeiro)市場です。

 なかからは強烈な生魚の匂いが漂っています。どうやら魚主体の市場のようです。9時半は市場がそろそろ終わる時間なのか、パンにハムを挟んだものをほおばっていたり、水をジャブジャブ流して掃除を始めていたりする人もいました。魚部門の人々はみな、ニコニコして写真撮影をOKしてくれました。ここがリベイラ市場のような有名どころではなくて、観光客が珍しかったこともあったのでしょうが、うれしかったです。

 ちなみにホームページではこの市場の終了時刻は午後2時です。でも魚の卸売時間はここまでなのでしょう。これは築地の魚市場でも同じです(今は豊洲ですね。)

違うのは、ここは女性の売り手が多かったこと。彼女たちは細指で手早く魚のうろこを削り取り、器用に3枚におろします。胸を張って誇らしげです。


干し塩タラのバカリャウを売るブースも何区画もありました。ビンテージもののバカリャウは分厚くて、やや黄色みがかっていて、今までで一番、風格がありました。ポルトガルの食の中心にバカリャウがあるのだなあ、と実感。

 当たり前のように魚が新鮮です。表面はぬるぬると光っていて、目ににごりは一切なし。太刀魚(タチウオ)は銀色に輝き、ポルトガル特産の黒タチウオは黒々して、デカくて太い! ほかにタイ、アジ、ヒラメ、何種類ものイカ(墨を取るのが主体のイカもありました)、タコにタラ・・・。イワシとサバは日本で見るよりだいぶ小さかった。これはすでにいいものが売れて、残ったものだからなのでしょうか?

 中身がよく見えるように腹を裂いて置かれたアンコウ、サケやマグロも切り開かれて置いていました。脂のノリがすごいのがよくわかります。アサリやカキも大ぶりでした。とにかく種類が豊富です。

ちょうど旬だったのか、目を引いたのが桃色のソーセージのような大きさに橙色のひびのような血管風のひびのようなものが入った大きなたらこ。とってもおいしそう。

 日本でも見られる魚が8割方を占めています。全体に魚の色は黒々としている傾向にありました。

とくに見た目のグロテスクな、もっちり、ヌルヌル系の魚(深海魚系)がたくさんあって、うれしい。魚好きの国なのだと実感しました。ポルトガル料理が日本人の舌に合うわけだ。
(つづく)

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スペインとポルトガル47 ファドハウスへ④

2022-03-19 14:58:25 | Weblog
写真はファドハウスの天井部分。ファドの伴奏に使われてる楽器。左の琵琶のような形をしたものがギターラと呼ばれるポルトガルギター、中央がヴィオラという名のクラシカルギター。二つの音色がファドの歌を時に陽気に、時に物悲しく響かせる。

【ファド・二人目】
10時近くになると、あの重たそうな木のドアを開けて、食事なしで予約した人も入ってきました(食事なしでもいいんだ!)今、思い出すと歌手たちの立つ舞台の後ろが入場門という理不尽さなのですが、歌に集中していて、その時はその空間の使い方に疑問を感じることすらなかったのです。

さらに夜が更けると地元の人が続々と入ってきました。どうやら本番は11時を回ってからのようです。

男性歌手の歌が終わると、次に若くて髪の長い女性がレストランの奥から入口に出てきました。黒い、ウエストを強調するような薄手のドレスがとても似合っています。曲名を告げ、短い挨拶を済ますと、目をつぶって歌いだしました。

ビロードの声。額と鼻の前に響かせる謡い方。悲し気で情緒的な歌でもメロディーを紡ぐように丁寧に歌い上げ、感情に流されない誠実さ。音量はさきほどの男性のほうが上なのですが、この女性の歌声から丘の上の風に吹かれているような風圧を感じ、圧倒されました。

深夜0時を過ぎて、さらに入っている地元の人たち。ますます熱気を帯びる歌と演奏。これからさらに、という状況は明らかだったのですが、未成年の娘も連れていて、さすがに私も眠さが勝ってきたので、後ろ髪を引かれつつ、店を後にしました。

素晴らしい夜でした。お誘いくださったMさん、ありがとう。

(ファドハウスの回おわり。次回はリスボンの市場です。)
https://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g189158-d1950252-Reviews-Mesa_De_Frades-Lisbon_Lisbon_District_Central_Portugal.html
写真は夜霧にぬれたアルファマ地区の路上の敷石。
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スペインとポルトガル46 ファドハウスへ③

2022-03-12 17:17:23 | Weblog
写真上はファドハウス「ミザ・ド・フラッジ」店内のアズレージョ。


アルファマ地区の建物はいずれもたんなるヨーロッパ風と一言では片づけられない雰囲気がある。

【アルファマ地区の丘を下る】
まだ時間があるので、次に丘をずんずん下ってみました。すると昼とは違って対岸のみえない、まるで海のような風景のテージョ川がありました。この高低差が270年ほど前の津波被害を防いだのです。
街灯はほぼなく、人影もなし。ただ、停泊する中型船の明かりだけが水面に映って、夜の寂しい景色に花を添えていました。

夜8時半に近づいたころ、広場に戻ると、例の木のドアが開いていました。人々が入っていきます。ようやく本番です。私たちもチケットを見せて入りました。

【ファド・一人目】
元教会を改装したというレストラン「ミザ・ド・フラッジ(MESA DE FRADES)」は高い天井に漆喰と太い木の梁が差し渡されていて隠れ家的雰囲気。奥が厨房、手前の客席のある空間はアズレージョのある壁によってゆるく二つに分かれていて、奥の方が歌手と演奏者の控えの間になっていました。

壁に沿った席に座ると、テーブルの上には空のお皿が置かれていました。

 目の前の壁ちなっているアズレージョは白地に青、黄や土色で彩色されており、3畳ほどの大きさ。そこにはローマ式回廊のような空間でゆったりと議論したり、祈りをささげたりする人々が描かれていました。散歩のときにも感じたのですがアルファマ地区のアズレージョは黄色系統が入って、エヴォラで見た青の白の2色による図柄とは、また違った、豪華な感じ。イスラームの影響でしょうか? 

 最大30席はありそうですが、現状、10人ほど。
 食事は座るなり運ばれてきて、ワインから始まり、前菜、メイン、デザートまで続きます。ヤギ肉のパイ、白身魚のムニエルなど、けっこうな量ですが、少し冷めかけたものもあり、レストランがメインではないな、といった印象を受けました。

 食事が続く1時間ほどの間、クラシックギターや、琵琶のような形をしたポルトガルギターをポロンとつま弾いたり、歌手らが店主と談笑したりする様子が聞こえてきて、まるで楽屋におじゃましているみたいです。終始、リラックスムードで期待が高まります。

 やがて食事が終わるころ、背の高いカウボーイのような服を着た男性が入口の木のドアを閉め、その前に立ちました。次いでギターの人たちもその横に座ったと思うと、唐突に歌が始まりました。これがファドか、と思う力強さ。先ほどの横丁で聞いた歌とは違って、元気が出てくる謡い方です。だのに、しばらく浸っていると鼻の奥がツーン。泣きそうな気分になるのです。歌の意味も分からず、ただ聞いているだけだというのに。
                            (つづく)
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スペインとポルトガル45 ファドハウスへ② アルファマ地区

2022-03-06 10:07:11 | Weblog
 写真はアルファマ地区の小高い丘の上に立つドーム型のアズレージョ。裏付ける記述に今のところないのだが、イスラムのハマム(高級蒸し風呂)をのちにキリスト教勢力が教会の付属施設に改造したように思われる。
 高い柵に囲まれ、ドーム内に入れないようになっていた。

【迷路をさまよう】
丘をうねりながら上がっていく石畳の細道は、葉脈のようにさらなる細道へと枝分かれしていきます。どの道もオレンジ色の街灯が灯っていて、白い石で敷き詰めた石畳は怪しい光沢を放ち、雰囲気抜群。

すっかり日がくれ、星が見え始めたころからは、細道に時折、現れるポルトガル風居酒屋から、悲し気なギターのつま弾く音や明るいけど、ちょっと哀愁を漂わせたしわがれた男性の歌声が響いてきました。これらの居酒屋は開け放たれたドアやゆがんだガラス窓から中の様子を容易に伺うことができます。見ると白いちょび髭に陽気な赤ら顔の男性が、深紅のシャツに黒のスカートでグラスを傾けつつ立つ女性に向かって霧にむせぶような声で歌っていました。なんというか大人の色気が窓から漏れ出てきそう。

他の店からも歌声が響いてきます。そこにはすでに数人の客がいて、歌い手の横には、ギターの弦を奏でる伴奏者が付いていました。奥には店主らしき人が腕組をして、なにやら一言、話したりして仕切っている様子です。歌い終わると、また、次の人が前に出て歌いだしました。どうやら生演奏のカラオケシステムのような店もあるようです。

これらの店には観光客の姿らしき人は見られず、みな、顔を知っている人が集まる親しさが感じられました。いやあ、雰囲気だけで酔いそう。

路地の分かれ目にはおしゃれな蛇口の下にシャコガイの貝殻のような形の水盤がついている水飲み場もありました。また、白地のタイルに青や黄土色の色彩の絵画を焼き付けたアズレージョで守られた不思議な白いイスのようなものも。

そこには、王冠を被った赤子を王冠を被った豊満な女性が抱え周囲をエンジェルや雲、波が取り囲んでいるというキリスト教的世界観が描かれていました。どれほどの年月が経っているのでしょうか? 

あとで調べるとアルファ地区は1755年のリスボン大地震とその後直後の津波被害でもあまり被害を受けなかったところ。それ以前のイスラム支配時代の影響も色濃く残しているそうです。アラビア語で「アル」は定冠詞、「ファマ」は「ハマム」の音型変化だとすると、お風呂や泉を意味します。つまり、水の豊かな街ということ。迷路のような街並みと激しい高低差、時折、見かけた水飲み場は、まさに歴史の産物といえるでしょう。
(つづく)
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