写真上は安寧温泉近くにある曹渓寺。宋代の風格を残した建築といわれている。仏像を収めた宝華閣の檐(ひさし)の穴からは差し込む中秋の名月が、中の仏像の鼻からへその部分をまっすぐ照らすように設計されている。写真下は寺内にわく泉。
【明代から有名な湯治場】
インド大陸がぐぐっとユーラシア大陸を押す力で盛り上がったヒマラヤ山脈。その山脈の先が連なる雲南は、中国でも地震の多い土地柄です。当然、温泉も各地で湧いていて、昔から湯治場として栄えた地域も数多くあります。
昆明の西40キロ、路線バスで一時間のところにある安寧温泉もその一つです。
紀元前の漢の時代には知られていたそうですが、実際に温泉地として開発されたのは明の永楽年間(1403~1424年)、つまり雲南出身の鄭和が大艦隊を率いてアフリカ東岸まで到達するプロジェクトが行われるなど、中国全土が開発ブームに沸く頃のことでした。
明代、中央政府を批判して雲南に左遷され、この地で役人の傍ら、沢山の書物や詩を著した楊愼や、雲南の旅を著した地理学者・徐霞客ら文人墨客が安寧温泉を訪れては、文字に記したため、全国に知られるところとなりました。(楊慎は嘉靖22年(1542年)ほか何度も。徐霞客は崇禎11年(1638年)10月に訪れています。)
安寧市東4キロの法華寺には大理国時代に仏像を石に刻んだ石窟が残るなど、明以前の当地に暮らす少数民族が残した、全国的に見ても珍しい石窟芸術もあります。
有名な泉もあります。明代より水が「あまい」と尊ばれた曹渓寺の泉です。どんな時でも涸れることのない泉として知られていたのですが、2004年ごろより乾期になると「曹渓寺の泉が涸れた」と、1面を飾るようになりました。どんな畑が干上がる写真を見るよりも、地元の人にはショッキングな光景となっています。
自然に湧きでる温泉池も数カ所あるのですが、今年(2013年3月)の乾期も、すっかり干上がったと大騒ぎになりました。これには気象の変化ばかりではなく、流入する蟷螂川の改修工事や付近を通る高速道の建設などの影響もあるようです。
(つづく/次回はその温泉に入ってみましょう!)
参考資料
邱宣充主編『雲南名勝古跡辞典』(雲南科学技術出版社、1999年)
雲南電視台報(2013年3月5日)http://news.yntv.cn/content/15/201303/05/15_702173.shtml