雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

中国一、子供が誘拐される街、6

2007-05-25 21:31:38 | Weblog
写真は雲南の馬。競走馬を産するアラビア系とは違って、小型で頑丈、急峻な崖も荷を載せて登り降りでき、人間に対して柔順でおとなしいのが特徴といわれている。

【美人がだいなしの入れ墨】
 なぜこのような村が公然と存在できたのか。現代の日本からは想像すらできないが、中国の奥地は、まだなお前近代だということを示した事件ともいえる。

 このブログの感想を寄せてくださった方から
「日本の昔ばなしでも『神隠し』として子供が消える話はよくでてきますね。日本でも人さらいはあったのでしょう」
 という指摘をいただいた。雲南の「人さらい」についても昔の人の確かな記述があったので紹介しよう。

 明治35年、貴州省と雲南省を踏破した日本人に人類学者の鳥居龍蔵がいる。日本が日清戦争に勝ち、さまざまな人材を中国各地に送り出した時期である。日本の人々は中国人を見下し、中国の人も日本人に対して「日本鬼子(リーベングイズ」や「東洋鬼(ドンヤングイ)」などと悪くいいはじめた頃でもあった。

 そんな中、彼は馬の背にしがみついて毎日50キロ以上を移動し続け、野宿あり、風呂なし、ときには地元の警察の協力をえて山賊の跋扈する丘陵地帯を進むこともあった。
 
 その清朝末期を活写した紀行文に、じつにさりげなく、誘拐され、奴隷として使役されるあわれな人々が登場している。鳥居は、「一度、誘拐された人は奴隷として子々孫々までこき使われる」と書いている。

 またごく最近まで雲南の山岳地帯に住む独竜(ドゥーロン)族には、女性にだけ顔に入れ墨をする風習があった。理由は、わざと醜い顔にして誘拐を予防するためなのだという。

 1990年代に雲南に調査に出かけたある地理学者もそれを目撃し
「ほんま、美しい顔の人が、ごっつう醜くなってまうんや」
 とひどく残念そうに語っていた。それほど中国西南地区では誘拐は日常なのだ。

 今回、公安が重い腰をあげて摘発した村も、誘拐を生業としていたのは少なくとも清朝(1616年~1912年)にまでさかのぼるというが、雲南の裏面史を知れば、とくに驚くことでもないのである。
コメント (2)
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中国一、子供が誘拐される街5

2007-05-18 17:23:19 | Weblog
写真は雲南省北部のとある村。雲南北部はインド亜大陸とユーラシア大陸のぶつかりで生じた険しい山岳地帯がひだのように続く。ひだの間にある東西40キロほどの距離に長江、メコン河、サルウィン河といった大型河川の最上流部が接近して南北に流れている。そのため、村々は険しい山間にポツリポツリと天空の城のように作られる。

【誘拐村の存在】
 さて、子供は昆明で誘拐された後、どのようにして沿海地区へと売られていくのだろうか。そこには信じがたいことだが、誘拐村ともよぶべき強固な組織が関わっていた。

 その村の人々は「誘拐」を生業する。村ぐるみの組織は人さらい実行戸、養育戸、売りの専業戸などと細かな専門分野に分けられていて、3世代にわたって誘拐及び売買を生業とする家も珍しくない。周辺住民はその村の人達が丸ごと昆明で人身売買を行う専門集団であることを知っている。

 こういった誘拐村は一つではなく、摘発され実態があばかれたところでは省東北部の昭通市塩津県と曲靖市会澤県にあった。いずれも四川省と貴州省にはさまれた山岳地帯にあって雲南省都とを結ぶ、古くからの交通の要衝だ。誘拐村はひと目で分かるそうで、周囲の貧しい村々とは対称的に多年にわたる「経営」で新築された家や新車の購入など豪奢な暮らしぶりが目立つという。

 まず昆明で誘拐された子供は、いったん雲南の山奥に点在するそれらの「誘拐村」に集められる。そこで一定期間、女性の養育係が世話をする。子供を落ち着かせ、また素性が分からないように昆明なまりの口音を変化させるためである。

 ここで数カ月養育された後、乳母役の女性たちが子供を広東省や福建省に連れていく。子供達が運搬役の女性になついているため、道中、多くの人目に触れても、よもや誘拐された子供達とは周囲は気づかれない。そうして無事に、商談の成立した家へと売られていくのである。

 子供の価格は、0歳の男子が一番高く、最初の下手人の手取り100元が、人さらい村への手付け金3000元~5000元へと跳ね上がり、以後、転売に次ぐ転売で最終的には2万~3万元の売値に達するという。これは雲南では少なくとも公務員の年収に相当する。
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中国一、子供が誘拐される街4

2007-05-10 15:36:55 | Weblog
 写真は昆明でよく売られている砂糖にあんこをはさんだお菓子。甘いお菓子も誘拐の道具に使われる。
 お菓子には意味不明の日本語がよく印刷されているが、ひらがなは「かっこいいもの」で、日本のものは「いいもの」と認識されているためだ。
 袋がパンパンに膨れているのは昆明の海抜が高いため。低地で袋詰めされた菓子が気圧の変化で膨れてしまうのだ。昆明ではよく見られる現象である。

【酷暑にばてる捜査員】
 公安もなかなか実態にたどりつけないので、誘拐された子の奪還は困難をきわめた。そこで8月も半ばになると弁解記事のようなものが新聞に登場するようになった。それは、こんな内容だ。

 「2004年夏、涼しい高原の昆明から酷暑の福建、広州へ子供の奪還のため出張した公安の人々。暑さで次々にばてながらも、捜査を進めている。ようやく誘拐された子供の家を突き止め、訪れても、小さな男の子の赤ちゃんを必死に抱きかかえて逃げる女性や、近所の人々の「もともとあの家の子だ」という嘘の証言に阻まれ、なかなか捜査が進まない。」

 捜査員が暑さでばてきった状況が目に浮かぶ。またこんな記事もあった。

 「奪回した赤ちゃんの面倒を見るため、制服姿の若い『マーマ』がミルク飲ませや寝かしつけに大忙し。」

 日本では暑かろうと寒かろうと、警察というものは捜査をするのが仕事、当たり前のことだと思うだろう。だが、昆明の人たちはこれらの記事を「弱音を吐くなんて情けない」と憤るどころか、「大変なのだなあ」という同情心を持って読んでいるのだ。昆明をよっぽど居心地のよいところ、と感じているのだろう。
 タクシーの運転手にも「私は他省から来ましたけど、昆明は最高ですよ。暑くもなければ寒くもない。有史以来、台風も地震もなかったっていうじゃありませんか」と自慢されたことがある。
 ちなみに昆明では地震がないが、雲南省全体では大きな災害をもたらす地震が毎年、数件起きている。

 ところで同情記事ではなく、誘拐のからくりを解き明かすような骨太の記事はたいてい北京発の新聞からの転載だった。昆明の記者も、暑さには弱いらしい。
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中国一、子供が誘拐される街3

2007-05-05 01:39:40 | Weblog
写真中央は、雲南の一般的なおぶいひも。常に乾燥しているため、暑い夏でも子供には重ね着が当然、赤ちゃんも分厚い布ですっぽり覆われることになる。民族ごとに特有の刺繍がほどこされ、美しい。

【家父長制がもたらす犯罪】
 なぜ、子供が、とくに男の子が誘拐されるのか、というと、中国の特殊な事情が浮かんでくる。一つは「子は宝」、という素朴な子どもへの愛情。それは他人の子であっても、変わらない。日本での子どもに対する邪魔者扱いとも思える冷淡な風に耐えてきた子連れの私にとっては、本当にありがたい世界だ。

 その生来の子供好きに、独特の「家」意識である「延続香火」(線香、つまり家の火を絶やさないことが最重要とされる封建思想)が結びつき、犯罪にまで行き着いてしまったのだ。

 公安の調べによると、多くは沿海地区の広東や福建の家へ売られていた。これらの地域では、今なお家を継ぐ男子の有無が最重要課題となっている。

 まず沿海地域は中国のなかでも経済発展が著しい。つまり、お金持ちが多い。だから、子を買う余裕も育てる余裕もある。また自分中心主義のため、買うことに罪の意識もない。
 一方、地域では子のない夫婦への同情の念が、ことのほか強い。だから、しばらく子をなさなかった奥さんが妊娠を装い、突然、子供が出現するという不自然な状況が起こったとしても、事情を察して地域で一丸となって夫婦をかばい立ててしまうのである。

 戸籍登録は、事務方に心付けを渡して目配せすればオーケー。公安が尋問をしても地域全体で口裏をあわせるので、確たる供述も得られない。正式な戸籍登録があり、犯罪に結びつく供述が売られた先では得られないとなると、現行犯以外の立件は難しくなるというわけだ。(つづく)

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