雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

メラミン入り牛乳2

2008-09-26 22:46:52 | Weblog
写真は中国の南西部・硯山市付近で近年まで他地域と隔絶した暮らしをしていた苗族の村の子供。赤ちゃん時代を過ぎると農村の子供は立派な働き手に。就学前の子供でも子守などの仕事を当たり前のようにこなしていた。

【パンダのミルクは外国製】
 中国の乳製品市場は「戦国時代」に突入しています。内蒙古自治区の中心都市・フフホトに本拠を持つ「伊利」と「蒙牛」が、絶対的なブランド力で地方の乳製品会社をなぎ倒している印象。

今回、牛乳でメラニンが検出されたという上記2社と上海に本拠を持つ「光明」だけで中国の牛乳市場の7割を占め、そのなかで「蒙牛」が、その5割以上を独占するという寡占ぶりです。

 そもそも「光明」は1949年の中華人民共和国の成立とともに生まれた老舗企業。52年にのちに国家主席となる江沢民が工場長に就任し、ブランドを確立。2002年に上海証券取引所に上場されました。しかし熾烈な競争のなかで、2005年には「三鹿」に売上高が抜かれてしまいます。

 一方、「伊利」は「改革開放」の波にのって93年に設立された民営企業です。96年に上海証券取引所に上場し、長らく売上高で中国乳業界のトップに君臨しています。

「蒙牛」は98年に「伊利」副総裁が数人の部下とともに独立し、99年に設立した新興企業。その後、急伸を遂げ、2003年には純利益では「伊利」を抜き、業界1位となっています。同年香港株式市場に上場し、注目株となりました。

 またメラニンによる腎臓結石赤ちゃんを多数生み出した、黒竜江省の「三鹿集団」は、粉ミルクメーカーでは中国トップ企業です。

 このような激しいつばぜり合いを演じる乳業界ですが、問題は以前から起きていました。2003年には必要な栄養がまったく不足した粉ミルクによって、栄養失調になった乳幼児の死亡事件が河南省を中心に起きています。このときは名もない小企業が起こしたものでした。

 この反省をもとに2005年3月25日付け「第一財経日報」では乳幼児の粉ミルクに関する規制法を施行する予定と発表。しかし、法制化が進まないなかで、今度は2007年に北京で「大腸菌汚染粉ミルク」事件が起き、さらに今回、となったわけです。

 大人たちの拝金主義の影で、もっとも弱い存在の、赤ちゃんばかりが犠牲となっています。ちなみに娘が通った昆明の幼稚園では毎朝、どんぶり1杯の豆乳が出ていました。また中国の至宝であるパンダの赤ちゃん用粉ミルクは外国製ということです。

【激増する需要と温家宝首相の思い】
 これらメラニン混入事件の原因の一つには急速に伸びる乳製品需要があるでしょう。
独立法人農畜産業農政機構の「畜産の情報」2007年3月の特別レポートによると、アメリカ農務省が発表した統計では、中国の最近10年間(96年から2006年)で、搾乳牛頭数(牛乳を出す牛の数)が3.9倍、生乳生産量が5.6倍にも増加しています。
また内蒙古自治区に限ると2000年から2004年の5年間で牛(雄も含めて)の頭数が年間10.0%しか伸びていないのに、生乳生産量(牛のみ)は年間平均58.0%も伸びています。

 この驚異的な急伸についてレポート作成者の長谷川敦、谷口清、石丸雄一郎氏らは疑問を抱き、「これまで把握できなかった部分の数値が統計に表れてきた可能性などもあるのではないかと推察される」と述べています。

 おそらく牛乳生産量が需要に追いつかないため、文字通り「水増し」する。そこで薄まった乳製品でも国の検査ではタンパク質含有量を窒素量で測定するため、窒素密度の高い「メラミン」を入れて検査をパスする、という構図が大企業の指示でできあがったのではないでしょうか。

さらに、もう一つ。

 温家宝首相が2006年4月23日、視察先の重慶市の乳牛農場のノートに「私には夢がある。それはすべての中国人、まず子供たちが、毎日500グラムの牛乳を飲むことだ」と記し、大きく報道されたことがあります。これが酪農関係者のスローガンとなり、乳業の発展にますます拍車をかけていくきっかけとなったようです。いや、夢はすばらしい。

 でも中国の人口は桁外れなので、小中学生だけでも2億人以上、日本の全人口をはるかに超えています。ですから、この夢を本気で実現しようとすると、たとえメラミン入りで水増しされた現在の中国の生乳生産量でも、今なお、まったく足りない事態となってしまいます。中国のトップが語る言葉の重みは日本よりはるかに重い、というわけです。

コメント (4)
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メラミン入り牛乳

2008-09-21 17:33:20 | Weblog
写真は昆明市内のミルクスタンド。街角で冷蔵設備を備えたミルクスタンドは雲南では「雪蘭」だけ。

2007年8月10日「偽装食品の見分け方5」と2007年8月24日「おいしい乳製品2」でこのブログでも乳製品を取り上げていましたので、今回の三鹿集団、蒙牛、伊利、光明から検出された「粉ミルクと牛乳(いまのところ)へのメラミン混入問題」も考えてみたいと思います。

【雲南製品は安全宣言】
 わが家で毎朝、飲んでいた牛乳。たいていは昆明で作られる生乳の「雪蘭牛乳」でした。昆明では一番人気の牛乳です。大手スーパーマーケットでは、たいてい夕方までには売り切れてしまうので、手に入らないこともしばしば。

価格もだいたい1リットル5.8元で安定していて特売価格になることはありません。冷蔵設備のあるところにしかなく、賞味期限も3日と短い設定です。見た目は白く、味は日本の160円台の安めの牛乳と同じ、さらりとしたのどごしの、ごく普通の味でした。

 一方、多くの売り子を使って、スーパーの特売になるのが「蒙牛」「伊利」でした。製品はロングライフ牛乳です。常温で保存でき、賞味期限も5~6ヶ月と長めの設定なので、冷蔵設備のない雑貨屋でもよく置かれていました。

やや黄みがかった色で、粉ミルクのような甘みがありました。甘みは「蒙牛」のほうがより顕著だったのを覚えています。気軽に買えるので旅先でよく買っていました。価格は1リットル入り2本が9元台となることもありました。破格です。

伊利のアイスキャンディーもよく買っていました。他のアイスよりもは(製品的には)ましだろうと思ったからです。もともと伊利の本業はアイスクリームの製造会社です。日本製品からも「伊利」の乳製品を使っていたとして回収した会社がありましたし、香港で売られていた伊利のアイスキャンディーからもメラミンが検出されたそうです。参っちゃいます。

 「雪蘭」で印象的だったのが、とある大手スーパーでのこと。商品が品薄になったなと思うが早いか、真っ先に店頭から消えたのが「雪蘭」でした。その一ヶ月後、そのスーパーは不渡りを出して倒産。回収不能となった卸しの会社の困り切った様子が報道されていました。「雪蘭」は、この事態を見込んでいたかのようでした。 
 ちなみに先月泊まった昆明の最高級ホテル「翠湖賓館」ではヨーグルトも牛乳も「雪蘭」でした。

 このように日常的に飲んでいたので、この事件はひとごとではありません。幸い、雲南省工商局の9月19日の検査では雲南製の牛乳「雪蘭」「欧亜」「前進」いずれからも問題物質の検出はなく、安全と認可されました。
(雲南新聞網、2008/9/20付けhttp://www.yn.chinanews.com.cn/html/shehui/20080920/69754_2.html)

これを機に、省内の牛乳会社は、大々的な販促活動を始めるとのことです。

【宇宙で、オリンピックで】
ちなみにコマーシャル競争でも「伊利」と「蒙牛」は抜きんでていました。

  2003年10月、中国が有人宇宙船の打ち上げに成功し、中国のメディアが大いに沸いた頃。「蒙牛」がお金を積んで宇宙飛行士専用ドリンクの指定を取り付けていたところから、当の飛行士が牛乳を飲んで、「蒙牛飲んで、宇宙へ行こう」というコピーが流れるCMをゴールデンタイムに何度となく目にしました。見るたびに、その宇宙飛行士へのあまりに軽い扱いに、のけぞっていました。

(そもそも、飛行士が地球のまわりを14周して内蒙古の草原に着陸した際、草原の中を宇宙関係者より先にマスコミ陣が駆けていって、宇宙カプセルの周囲にカメラを構え、カプセルからヨタヨタとでてきた飛行士を助け起こしながら、「いかがでしたか?」とインタビューする様子に目を丸くしていました。
NASAの飛行士だって、宇宙から帰ってくると、まず身体を検査して、それから公式インタビューに応じるなど特別な措置をとりますよね。)

一方、「伊利」は乳製品会社で唯一、北京オリンピック公式スポンサーの地位を獲得。当然、絶大なコマーシャルと信用を勝ち得ていたのです。じつに戦略に長けています。
(つづく)
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雲南はいま4・発展する中規模都市・蒙自

2008-09-12 22:47:45 | Weblog
ご好評をいただいたので、話は「蒙自」に戻ります。

【おだやかな人々】
 蒙自の落ち着いた街並みには驚かされましたが、そこで暮らす人々のおだやかな暮らしぶりにも目を見張りました。夫婦仲良く手もつながんばかりの雰囲気で市場から家路へと急ぐ老夫婦や、トイレの番人すらもタブロイド紙ではなくなにやら、難しげな本を読むような落ち着きぶり。

 カメラを提げていると、労働者は「どうせ撮るなら、俺たちを撮ってくれ」とポーズをとり、ほかの人々も写真を撮っていいかと聞くと、笑顔でうなずいた上に、こうやったほうがもっとよく撮れるだろうと商品の角度を変えてみたり、分からない食べ物の名前を聞くと、「私らは字は書けないよ」といって、私のノートが見知らぬ人々の手をリレーされて、字の書ける人が書いて戻ってきたりと、本当に親切で知的な人々でした。

 さらに市場でいつの間にか私の後をついて歩く物乞いの子供がいました。仕方がないので、その子の目をしっかりと見て「私はお金はあげないよ。食べたいのなら、買ってあげるよ」と話すと、その子はとまどったようにお金を入れてもらうお皿を下げ、去っていきます。それを見た周辺の地元民が、さらに私に対してうち解けてくれるといった、じつに居心地のいい場所でした。

 一方で思いこみも激しい人達なのか、あまり美しいとはいえない、富栄養化いちじるしい南湖で、真っ裸で飛び込みに興じる子供たちや、ひたすらもくもくと遠泳のような水泳に打ち込むおじさん方の姿が当たり前のように浮いています。湖には至る所に「水泳禁止」の立て札があるというのに。バスで1時間ほど先の個旧ならプールが至るところにあるのですが、ここには市営プールはないのでしょうか・・?

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雲南はいま3・バブルな風景

2008-09-06 12:13:16 | Weblog
宗教の教祖風の日本人ブローカーが主催する「ジャパンライフ」の会合で、体にいいとされる家庭用磁器型治療器の説明を受け、パンフレットとプレゼントの磁器用品を手にうれしそうに家路に着く人々。そのまま、ホテルに宿泊する人々も大勢いて、朝食時には日本人の「○○総裁」が握手してまわり、信者でない人にまでつい握手をして「あ、この人は違った」とあっさりと手を引っ込め、お詫びもせずに立ち去っていった。

【昆明の「帝国ホテル」を使う人々】
 昆明では、タクシーの運転手にも「他に泊まったほうが絶安いぞ」などと口説かれてしまうほど、お高い、繁華街にほど近いにもかかわらず落ち着いたたたずまいの翠湖の畔に建つ翠湖賓館へはじめて一泊しました。格付け的には昆明の帝国ホテルのようなところです。

 そこで目にしたのは、怪しい宗教風の健康器具を販売する目的らしい日本人ブローカー主催の「ジャパンライフ」と呼ばれる会合や、不動産投資を勧める投資説明会の合宿風景でした。参加者はもちろん、お金の余っていそうな金持ちばかり。学校の夏休みのため、子連れの人もけっこういます。

 説明会が一段落した夕暮れどきには家族で仲良く、寒さに震えながらホテルのプールで泳ぎ、朝食には家族でテーブルに座って、昆明の街ではついぞお目にかかれない、焼きたての香ばしいフランスパンに、本格的に燻製された各種ハム、チーズ、または寿司などが並ぶホテルのバイキング朝食をたいらげ、一粒種の我が子の手をとってマイホームパパは「ファーザーイ!(発財。金儲けするぞ、という意味)」と大声を上げ、おそろいの投資パンフレットの入った紅い紙袋を下げて、説明会会場へと朝から気合いを入れて向かうのです。冗談のような本当の話です。

 ああ、せっかくのお金を人に導かれるままに使ってしまって・・、と心底、その脳天気ぶりを心配せずにはいられませんでした。

 

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