写真はベルリンのイシュタル門。室内とは思えないほど巨大なため、全容写真を取り損ねてしまった!
【ペルガモン博物館へ】
ベルリンでは、ぜひとも見ておきたいものがありました。家人はベルリンの壁。私はイシュタル門。
1990年8月5日夕方、私はイラクのバビロン遺跡にいました。そこには青いレンガの壁にライオンやキリンのような動物のモニュメントが黄色く浮き上がった美しい門があり、その先には同じ素材の壁に囲まれた巨大な道路が直線的に伸びていました。
ちょうど一週間ほど前、TBSテレビ「世界・ふしぎ発見!」でリポーターの竹内海南江さんが手を真横に広げたまま後ずさりする独特のスタイルで「世界初、テレビが入りました」と解説していた門でした。白土と青空を背景にそびえる青い門がことのほか美しく、「いつか、行ってみたいなあ」と思ったものです。
そして直後に、一年以上前から計画していたヨーロッパ旅行へ。コツコツと貯めたお金で8月1日に成田発フランクフルト行きのイラク航空に乗りました。格安ツアーが選んだ飛行機です。その結果、8月2日にたまたまトランジットでバグダットに降りたちました。ほんの数時間のはずだったのですが、当時のフセイン大統領がクエート侵攻を開始し、それにともなって空港閉鎖を命じたために、その場にいた外国人は全員、ゲストと呼ばれる人質となり、結果として偶然にも見ることができた景色でした。
バビロン遺跡の青く分厚い壁を持つイシュタル門を抜け、そこから延々と続く青タイルと黄色い動物の壁を見ていると、現地の方が「本物はベルリンにある」と言いました。それは、その前に立ち寄ったバグダッドのネブカドネザル2世博物館でも何度もつぶやかれていた言葉でした。私の心には、呪いのように、宿題のようにその言葉が沈殿していったのです。
本物のイシュタル門は東ベルリンの領域だったシュプレー川の中洲にあるペルガモン博物館の中にあります。イラクのバビロン遺跡のものはペンキで塗られたような、新しくて派手な色合いでした。浮き上がったキリンのような形の浮き彫りも、よく見ると、少し安っぽいような作りに感じられたのですが、本物はやはりすごい。色合いが自然で、より堂々として、たしかに威圧するような風格がありました。
ここが博物館の中か、と思うほど、巨大にそびえる門は、高さ11.4メートル。その先の行列通りとよばれる大通りも現地の180メートルのうちの30メートルを再現したという大がかりなものです。壁から浮き上がるライオンのレリーフも本当にライオンが行進しているような足先の動きを感じるようななめらかさがあり、いつまで立っていても飽きることがありません。大きさもバビロンのものよりはるかに巨大です。
(つづく)
※お気づきの通り、内容がタイトルの雲南から離れて行ってしまっておりますが、しばらくは世界放浪となります。現地に行った際に役立つ情報を他のブログにない指摘を入れ込むようにはする予定です。
きまま旅をお楽しみいただければと思います。
※ご要望、ご指摘などございましたら、コメントなどにお寄せください。
【ペルガモン博物館へ】
ベルリンでは、ぜひとも見ておきたいものがありました。家人はベルリンの壁。私はイシュタル門。
1990年8月5日夕方、私はイラクのバビロン遺跡にいました。そこには青いレンガの壁にライオンやキリンのような動物のモニュメントが黄色く浮き上がった美しい門があり、その先には同じ素材の壁に囲まれた巨大な道路が直線的に伸びていました。
ちょうど一週間ほど前、TBSテレビ「世界・ふしぎ発見!」でリポーターの竹内海南江さんが手を真横に広げたまま後ずさりする独特のスタイルで「世界初、テレビが入りました」と解説していた門でした。白土と青空を背景にそびえる青い門がことのほか美しく、「いつか、行ってみたいなあ」と思ったものです。
そして直後に、一年以上前から計画していたヨーロッパ旅行へ。コツコツと貯めたお金で8月1日に成田発フランクフルト行きのイラク航空に乗りました。格安ツアーが選んだ飛行機です。その結果、8月2日にたまたまトランジットでバグダットに降りたちました。ほんの数時間のはずだったのですが、当時のフセイン大統領がクエート侵攻を開始し、それにともなって空港閉鎖を命じたために、その場にいた外国人は全員、ゲストと呼ばれる人質となり、結果として偶然にも見ることができた景色でした。
バビロン遺跡の青く分厚い壁を持つイシュタル門を抜け、そこから延々と続く青タイルと黄色い動物の壁を見ていると、現地の方が「本物はベルリンにある」と言いました。それは、その前に立ち寄ったバグダッドのネブカドネザル2世博物館でも何度もつぶやかれていた言葉でした。私の心には、呪いのように、宿題のようにその言葉が沈殿していったのです。
本物のイシュタル門は東ベルリンの領域だったシュプレー川の中洲にあるペルガモン博物館の中にあります。イラクのバビロン遺跡のものはペンキで塗られたような、新しくて派手な色合いでした。浮き上がったキリンのような形の浮き彫りも、よく見ると、少し安っぽいような作りに感じられたのですが、本物はやはりすごい。色合いが自然で、より堂々として、たしかに威圧するような風格がありました。
ここが博物館の中か、と思うほど、巨大にそびえる門は、高さ11.4メートル。その先の行列通りとよばれる大通りも現地の180メートルのうちの30メートルを再現したという大がかりなものです。壁から浮き上がるライオンのレリーフも本当にライオンが行進しているような足先の動きを感じるようななめらかさがあり、いつまで立っていても飽きることがありません。大きさもバビロンのものよりはるかに巨大です。
(つづく)
※お気づきの通り、内容がタイトルの雲南から離れて行ってしまっておりますが、しばらくは世界放浪となります。現地に行った際に役立つ情報を他のブログにない指摘を入れ込むようにはする予定です。
きまま旅をお楽しみいただければと思います。
※ご要望、ご指摘などございましたら、コメントなどにお寄せください。
湾岸戦争時にイラクの人質になっていたのですか!凄い驚きです。無事でなによりです。バクダッドは行ってみたいと思っても行けそうにないし。世界一周旅行したときダマスクスに寄っておけばよかったと後悔してます。
なんといっても人質になって、最初にヨーロッパに脱出したチームだったためです。大使館員の方とその奥様方がいろいろお伺いに来たり、おにぎりを作ってくれたりしてくださいました。それでもバグダッドにいたときには、とくに人質の年上の方々が不平不満を山のように言っていましたよ。