写真は大理の夜の舞台「胡蝶の夢」の一場面。派手な音響と光と衣装とアクロバティックの洪水。そもそも、大理に、若い男女の悲恋物語として「胡蝶の夢」という民話があることから、作られた舞台となっている。
【丹増の文化事業】
先に書いたように副書記には同時に数人が任命されていて、それぞれに役割があります。現在の書記に不祥事がおきると、副書記のなかから書記が選ばれることもよくありました。
当初から胡錦濤勢力の一端と思われる雲南省長の徐栄凱からは
「丹増同志は雲南文化産業と雲南文化事業の総監督、総首領を担当してもらっている。彼は非常に抜きんでていて、我々は丹増同志にたいへん感謝している。」
といわれていて、彼の役割が文化事業であったことがわかります。
丹増は一流監督の招聘に限らず、あらゆる文化事業の推進に邁進しました。
舞台事業もその一つです。
日本での公演に限らず世界中で舞踊家、演出家としても大成功している雲南の舞踊家ヤンリーピンの舞台「雲南印象」の宣伝にも一役買いました。
この舞台は昆明に常設の劇場で毎夜、ヤン・リーピンを中心にほぼ連日、開かれていたのですが、この宣伝をホテルや街角のポスター、タクシーの後部座席にシールを貼るなどして大宣伝を行いました。
タクシーの運転手やホテルのフロント、旅行会社の添乗員に頼むと、簡単にチケットを購入できるシステムになっていて、雲南旅行の際のオプションとして大活用されました。地元新聞でも連日、記事として取り上げられ、文化面の目玉となっていました。
このシステムの大成功によって、観光誘致のための夜会的な舞台が中国各地で行われるようになりました。
大理では「胡蝶之夢」、シーサンパンナでは「モンパラナシー」、シャングリラでは「シャングリラ」、麗江では「印象・麗江」と「麗江金沙」という雑伎舞踊劇を市の旅行産業と連携して行い、それぞれに成功を収めたのでした。
(つづく)