雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

高倉健と麗江2

2014-11-29 12:07:38 | Weblog
日本の富士山よろしく麗江の開けた場所ならどこからでも見られる玉龍雪山。麗江古城より撮影(2004年6月撮影。)最高峰は5596メートル。麗江の街は標高2,400メートルなので、雪を頂いて澄み渡った山が聳え立つ姿は本当に美しい。近年、ケーブルカーで標高4,506メートルまではわりと簡単に登ることができる。ごく最近ではそのような厳しい場所にスキー場もつくられた。標高なれしていない日本人は高山病に要注意だ。私の知り合いは高山病になり、周辺を見渡すどころではなかったという。

【日本人を形容する最高表現】
 中国の文化大革命後、はじめて中国人がみた日本映画が高倉健主演の『君よ憤怒の河を渡れ』だったと過日の追悼ニュースにありました。じつは日本映画初どころか文化大革命後初の外国映画第一作だったのです。

このインパクトは今の私たちには想像のできないほど大きなものだったことでしょう。そもそも過去の人間社会が積み上げた文化を否定し、新たな毛沢東の革命へと導く文化を創造する一面を持つ文化大革命。この「文化の革命」が、おもしろみがなく、ぞっとするものだということは、中国で販売されている文化大革命中につくられた映画を一本でも見ればわかるはずです。京劇俳優のように目をぎょろりとさせ、簡素な農民服を身につけ身体全体から粘りけのある妙な緊張感を発するもの、しみじみとした情愛よりも、革命を賞賛する壁新聞づくりを賞賛するものなど、物語のメリハリより、教科書的な描写が目立つ、時間だけが長く感じる映画群なのです。

そんななか、警察官に追われる逃亡者、なんの脈絡もなくドンパチ、派手なアクション、突然襲いかかる熊、ヘリコプターでのド派手な脱出劇など刺激的で息もつかせぬ展開を見たら、もう、コロリ。そして誰もが知る大ヒットに。その後も高倉健の映画は上映され続け、人々の心にカッコイイ俳優として、しっかりと焼き付いたのでした。

この作品がえん罪を晴らす話だったことも、えん罪による死亡が多発していた文革の記憶が染みついていた人には身に染みる話だったのかもしれません。

 いまから20年前の上海の街角で、上海ならどこにでもある小龍包の店で、たまたま日本の男性とツーショットで小龍包を食べていると、一人の中国人がニコニコ顔で近づいてきました。

「いま、日本語を勉強しています。ちょっといいですか?」
 もちろん、と応えると、四角い下駄のような顔をした男性を見て
「あなたはタカクラケンにそっくりですね」
 思わず、茶を吹き出す男性。

 そして私を見るなり
「あなたはヤマグチモモエにそっくりですね」

もちろん、日本人が喜ぶであろうと想定した褒め言葉なことは理解できるのですが、現状認識のあまりのゆるさに苦笑するしかなかったのでした。

 雲南大学の学生と話していたときも、高倉健の話がでました。ちょうど雲南で映画撮影中だったのですから、この話の流れは自然です。その人にとって「高倉健」は、姓が「高」名が「倉健」だったのでした。中国には漢字一文字の名字のほうが普通ですから、高倉健は、中国人と地続きの発想だったのでしょう。このように考えている中国人はじつは多いのです。

 中国でも高倉健永眠のニュースは大きく報道され、いつもは鉄面皮の政府の報道官も目を若干、潤ませながら追悼の辞を述べていましたが、これほど、真実、愛された日本人がいたことを、誇りに思うと同時に、その期待を裏切らなかった生き様は、今後も永遠に語り継がれることになるでしょう。
(おわり)
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高倉 健と麗江1

2014-11-22 15:37:49 | Weblog
写真は麗江の保存住宅の前で組紐を編むナシ族の女性たち。細やかで華やかな花などをモチーフにした刺繍や織物など、魅力的な手仕事は見ていて飽きない。組紐の作り方は、かつて私のおばあちゃんが群馬でやっていたモノと作り方がまったく同じで、懐かしさを覚えた(2004年6月撮影)

【単騎、千里を走る】
2008年4月25日の当ブログ「閑話休題・中国語の力」の回で2004年に高倉健主演、チャン・イーモウ監督による『単騎、千里を走る』が雲南で撮影された話にチラリと触れました。今回は追悼として割愛した部分を取り上げます。

麗江での撮影時にはマスコミが高倉健のショットを一枚でも撮ろうと文字通り殺到し、涙ぐましい努力にもかかわらず、あまりのガードの固さに「高倉健が朝、コップを持って部屋から出てきた」などのしょうもない隠し撮りがせいぜい。

10年間ラブコールを送り続けたチャン・イーモウ監督
(『紅いコーリャン』でベルリン国際映画祭金熊賞受賞など。北京オリンピック開会式、閉会式のチーフディレクターもつとめた)
 は、『単騎、千里を走る』の撮影前にも雲南を仕事で訪れていました。雲南を代表する舞踏家ヤン・リーピン率いる「雲南印象」のメンバーを雲南の紅い大地の上で撮影した躍動感溢れるタバコのCMなどはすばらしい仕上がりです。
 CM撮影時、雲南マスコミは世界のチャン監督と対等に和気藹々とアイディアを出し合い、演出をするヤン・リーピンに尊敬のまなざしを向ける記事が目立っていました(2004年他)

 こうしてロケハンをして作り上げた映画はほぼ素人のみの役者陣のなかに、ポンと高倉健を放り込んだ作りで、高倉健の存在そのものが周囲へ及ぼす化学反応をフィルムに収めたような不思議な映画となっています。監督の高倉健への尊敬と信頼が生み出した映画といえるでしょう。

また映画初出演のほぼ素人に近い日本語通訳役の女性とのツーショットの写真を撮ろうものなら、「これからの活躍に期待」「未来のチャン・ツイイー」(章子怡:チャン・イーモウ監督の『初恋の来た道』で脚光を浴び、その後『グリーン・ディスティニー』『ヒーロー』など多数の映画に出演)とまで持ち上げていた彼女へのコメントが一転、冷たい反応になったのも、心底、高倉健が中国人に愛されていた証拠だと驚いたものです。    (つづく)
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大理の干し柿2

2014-11-14 12:27:23 | Weblog
写真はシーサンパンナの中心都市・景洪の農貿市場にて撮影(2005年2月。)写真左上に写りこんだ秤用のアルミ皿の大きさを見ても、今日の話題とする瓜がいかに小さいかがわかる。
【三道茶】
さて、先週、干し柿の細切りを入れるお茶を2杯目に出すという三道茶ですが、中身は様々で中国のウィキペディアでは一杯目には炙りすぎたほうじ茶を煮立てたようなお茶、
二杯目にはクルミの細切りに乳扇と呼ばれる白族に伝わるチーズを薄く干したようなものと黒砂糖(紅糖)、
三杯目には蜂蜜と山椒の粒(花椒)
を入れたお茶が代表して書かれています。要は1杯目が苦く、2杯目が甘く、3杯目が複雑な味なら、いいのでしょう。

三道茶は人生を表すお茶とされ南詔時代(唐の時代のころに大理にあった国)に宮廷で出されていたものが、やがて庶民にも広まったといわれています。南詔は仏教国だっただけに、蒼山の麓に住む木の細工師のお師匠さんと弟子の禅問答形式として三道茶のルーツの話も残されています。

大理もご多分にもれず、観光地化が進みました。

大理風情を表す商品として、まず手をつけたのが「三道茶」でのおもてなし。洱海遊覧船の中でも、大理古城内でのお店でもたくさん「三道茶」の看板を見かけました。
 私が訪れた一〇年前ですでに、看板だけ出ていて、ごく普通のお茶がでてくる、というところもありました。観光のために新たにつくったお茶の作法なのかしら、と思うほど形骸化していたのです。

【柿餅瓜】
さて、干し柿を中国語では「柿餅(シーピン)」といいます。そして雲南のタイ族料理の一つに「清炒雲南柿餅瓜」があります。このメニューを読むと、柿餅(つまり干し柿)と何らかの瓜の炒め物、と思えるのですが、違います。雲南には「柿餅瓜」という名前の瓜があるのです。

 これは坊ちゃんカボチャぐらいの大きさの小さめのかぼちゃで、雲南の中部から南部に行くと、スープに入れたり、細切りにして炒め物にして、よくメニューに供されます。

 日本のカボチャのように甘さを期待するのではなく、あくまでさっぱりとした瓜としていただきます。私も、シーサンパンナや文山では、よく食べました。昆明ではあまり見かけませんでした。

 しかし、このカボチャが押しつぶした干し柿に形がそっくり、と思う発想が、なんだかかわいらしい気がします。日本では、味も品種も違うけどカボチャに「坊ちゃん」とつけていますね。これも、やはりかわいらしさと親しみやすさを表すネーミングとして定着したのでしょう。
 ちなみに中国語でトマトは「西紅柿」。西からきた赤い柿。様々な野菜の名前に柿が付く所から見ても、柿がいかに中国に古くから根付いていたかがよくわかります。
                               (この章おわり)
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大理の干し柿1

2014-11-09 10:18:04 | Weblog
写真のつぶれた円盤状のものは、大理の干し柿です(2005年2月・大理の市場にて撮影)

中国全土、干し柿といえばこの形。別に、柿が日本と違う形状をしているというわけではなく、つくる段階で、縦に押しつぶして平たくし、効率よく乾燥するための昔ながらの製法なのです。
 日本に流通する干し柿の1割以上が中国産になっているそうですが
(丸果石川中央青果ホームページhttp://www.maruka-ishikawa.co.jp/fruits/items002/hoshikaki.htmより)山東省など最初から日本向けに生産するところでは、日本流でつくられています。同じ柿なのですから、仕上がりは日本のものと同じになります。

 雲南では干し柿の名産地といえば大理。
 地元紙「春城晩報(2010年1月26日)」によると、初秋に柿がなりはじめ、青から赤く色づきはじめる頃、ちょうど外皮がほとんど緑色の中に黄色の帯が入る程度の頃に柿を収穫します。当然、食べてもまずいです。柿を洗い、皮を取り去った後、竹籠に並べて日にさらします
(3日ほど経った頃に、柿を押しつぶす作業が入るのですが、これは中国では当たり前すぎて書かれていません)。
 だいたい一週間ほどで出来上がり(それ以上、干していても可)。シュロの葉で5から10個ずつにまとめ上げて乾燥した木箱に入れれば、あとは市場に出すだけとなります。

 このまま食べてもいいのですが、大理では普通は調味料として用いられています。糖分が高いので砂糖がなかなか手に入らない時代では蜂蜜とならんで貴重な甘みとなりました。

 大理の白族では「頭苦、二甜、三回味」と称される三道茶と呼ばれる大切な客をもてなすお茶の作法があります。お茶は3杯出され、1杯目は苦いお茶、2杯目は甘いお茶、3杯目には、これらを思い出す甘辛両党が入った滋味あふれるお茶を出すというのです。この2杯目の甘いお茶に干し柿の細切りを使うのです。

 また、干し柿は漢方では、ビタミンAやタンニン、食物繊維、糖分が豊富に含まれているため咳止め、解熱作用、病後回復、二日酔いの回復、腸内の改善によいとされています。そのため白族では病後や産後の回復期には干し柿と氷砂糖と棗と卵、もしくは干し柿と卵、白玉のようなお餅(湯圓)を入れて煮立てて食べるそうです。

 ちなみに干し柿は寒性の食べ物なので、冷え性の人や胃の弱い人は食べ過ぎないように。タンニンは鉄分の吸収を妨げ胆汁の分泌を阻害するので胆嚢炎や胆石の人はご注意を。
                                (つづく)
*今回は肩の力を抜いて、お読みください。

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「折」される人々・下

2014-11-01 14:05:12 | Weblog
写真は浙江省金洲集団股分有限公司(金孔雀旅遊集団)が経営するミャンマー国境にある町打洛にあるシーサンパンナ原始森林公園内の目玉である「独樹成林」。一本の樹から林になった樹だ。高さ70メートルほど、幅120メートルほどの樹木の絡まり。樹齢1000年になるという。1960年代の文革はこのミャンマー国境近くのこの樹にまで及び、もう少しで切り倒されるところだったという。

現在、樹自体は打洛曼掌村が管理している。
スローガンは「原始森林、野生動物、民俗風情」
このスローガンのもとに孔雀繁殖基地、森林ウオーク、アイニ族の家の展示、民族歌舞演場での民族の踊り、レストランなどが16000万平米(東京ドーム約1300個分)の敷地に点在する。
 民間企業が手がける広さではないが、この業者の手がける公園は昆明でも郊外の野生動物園など数多くある。

【富士急ハイランドと「古城」】
 雲南南部のシーサンパンナに10年前に行ったときは、よりひどい状況でした。
ときは2005年、行くところ行くところ寂れてサルしかいないようなテーマパークばかり。もしくは観客より演者や作業員の方が多いところばかり。シーサンパンナは昆明より早くテーマパークブームがきて、そして去っていったのです。
 地元政府は開発業者の味方をし、農民は少ないお金で生活の保障もないまま追い立てられる。開発業者は10年もしないうちに去っていったり、売却したり。
ちゃんとテコ入れして継続させているところもありますが、ますますテーマパーク風のつくられた感が増してしまうような。
その開発業者はまず間違いなく地元とは縁もゆかりもない浙江省や重慶などからきたテーマパーク請負会社なのです。
日本のテレビでもよく特集されていますが、これは雲南だけに限ってことではないにしても、どうも少数民族風情という要素で村おこしできるがために、テーマパークをつくる割合が他省よりかなり多いようです。この開発も含め、比較的おとなしい昆明周辺の農民が死者もいとわないのはよほど、道理がひどかったのでしょう。
よく、晋寧県の事件がマスコミに報道された、と思いますが、もしや中央政府の引き締めキャンペーンの一環ではないか、と勘ぐってしまいます。実際、第一報は付近の政府、そして報道は地元新聞ではなく、北京の記者によるものでした。
ちなみに中国のユーチューブにあたる優酷(ヨウグー。たぶんyou goodの音をとった名称)で「旅游古城」と検索をかけると、歴史を伴った古城や張りぼてのニセモノ古城が、その宣伝映像やテレビの特集をアップした形でずらりと並んでいました。多くは四川と雲南。そこに日本の富士急ハイランドも同列に扱われていました。いかに「古城」が本物から遠ざかっているかがわかりますね。
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