写真は昆明で売られている中国製のナッツの袋。「天天実恵 始終如一
独特なこラげいで制作する為、味が純正であるきみの 余暇時に良友で」というじつに味わい深い日本語がひらがなとカタカナと漢字を駆使して書かれている。
(写真と本文とは相変わらず関係ありません)
【身の上を同情されたはずが】
③2004年10月に行われた婦女誘拐事件での救出は、テレビ・中央電視台の人気番組「午間関注」でも大きく取り上げられ、世間の耳目を集めた。
昆明の東側に接する曲靖市富源県出身の田さん(18歳・女性)。1995年に父親が盗みを働き殺され、98年には母親がアヘンの運び人の嫌疑で投獄されたため、彼女は12歳で弟と孤児同然の生活を送ることとなった。
2003年11月24日、持ち金の20元のうちの16元を使い、弟の中学進学に伴う学費を稼ごうと列車で昆明へと向かう。昆明駅へ到着すると、仕事を募集している男性がいた。彼についていくと、河南省安陽市に連れて行かれた。
そこで見知らぬ男性との結婚を迫られ、ようやく自分が誘拐されたことに気づく。すきをうかがい、その結婚式の準備のドサクサに紛れて逃げ出した。帰りの列車は検札がなく、ただ乗りで帰ることができたという。
翌年の4月12日、再び列車で昆明駅へ。そこにいあわせた中年女性に身の上を同情され、すっかり心を許した時、山東省の衣類工場での仕事を紹介され、行くことに。これがまた嘘で、売られてしまった。今度は監視が厳しく、逃げ出せなかった。
と、ここまでは今までの誘拐された女性達と同じなのだが、ここから先が少し違った。彼女を買った‘夫’は、ひたすら彼女に尽くした、というのだ。
「私は毎日、家の中でテレビを見ていた。彼は親切でテレビの前で食べ物もくれた。服も洗ってくれた」
と彼女は話した。今までそのような生活をしたことがなかったので、今思うと幸せな生活だったのかもしれない、と。
やがて妊娠。彼女は外に出られない生活に嫌気がさし、“夫”と言い争いとなった。すると“夫”はテレビを壊し、目の前で農薬を飲んで死んでしまった。
彼女は後悔したが、親切な“夫”が生き返るはずはない。そこで村を飛び出して、やがて駅にたどりついて大泣きしていたところを、数名の人に声を掛けられ、その人達が事情を聞いて、警察に通報。山東省の省都・済南市の社会収容駅に移され、民政局の人が問題視したことにより山東電視台、中央電視台で大きく報道された。これが山東省の人々の注目を集め、ようやく雲南省へ戻ることができたのである。
雲南に帰った彼女は、帰路の列車でも「腹の子をうちすえたい。そうしないと弟の学費の工面のために働けない」といっては泣き、「手術にはお金がかかるし、しても体が耐えられないだろう」といっては泣いた。結局、富源県が彼女の手術台として1000元、救済金として数百元を支払ったという。
また驚いたことに彼女は、半年ほど暮らしたはずの村の名どころか“夫”の名前も知らなかった。夜道をやみくもに走ったために、場所すら検討がつかない。当然ながらお腹の子の父親探しも困難となっている。
(「春城晩報」10/25、「雲南信息報」10/28)。
独特なこラげいで制作する為、味が純正であるきみの 余暇時に良友で」というじつに味わい深い日本語がひらがなとカタカナと漢字を駆使して書かれている。
(写真と本文とは相変わらず関係ありません)
【身の上を同情されたはずが】
③2004年10月に行われた婦女誘拐事件での救出は、テレビ・中央電視台の人気番組「午間関注」でも大きく取り上げられ、世間の耳目を集めた。
昆明の東側に接する曲靖市富源県出身の田さん(18歳・女性)。1995年に父親が盗みを働き殺され、98年には母親がアヘンの運び人の嫌疑で投獄されたため、彼女は12歳で弟と孤児同然の生活を送ることとなった。
2003年11月24日、持ち金の20元のうちの16元を使い、弟の中学進学に伴う学費を稼ごうと列車で昆明へと向かう。昆明駅へ到着すると、仕事を募集している男性がいた。彼についていくと、河南省安陽市に連れて行かれた。
そこで見知らぬ男性との結婚を迫られ、ようやく自分が誘拐されたことに気づく。すきをうかがい、その結婚式の準備のドサクサに紛れて逃げ出した。帰りの列車は検札がなく、ただ乗りで帰ることができたという。
翌年の4月12日、再び列車で昆明駅へ。そこにいあわせた中年女性に身の上を同情され、すっかり心を許した時、山東省の衣類工場での仕事を紹介され、行くことに。これがまた嘘で、売られてしまった。今度は監視が厳しく、逃げ出せなかった。
と、ここまでは今までの誘拐された女性達と同じなのだが、ここから先が少し違った。彼女を買った‘夫’は、ひたすら彼女に尽くした、というのだ。
「私は毎日、家の中でテレビを見ていた。彼は親切でテレビの前で食べ物もくれた。服も洗ってくれた」
と彼女は話した。今までそのような生活をしたことがなかったので、今思うと幸せな生活だったのかもしれない、と。
やがて妊娠。彼女は外に出られない生活に嫌気がさし、“夫”と言い争いとなった。すると“夫”はテレビを壊し、目の前で農薬を飲んで死んでしまった。
彼女は後悔したが、親切な“夫”が生き返るはずはない。そこで村を飛び出して、やがて駅にたどりついて大泣きしていたところを、数名の人に声を掛けられ、その人達が事情を聞いて、警察に通報。山東省の省都・済南市の社会収容駅に移され、民政局の人が問題視したことにより山東電視台、中央電視台で大きく報道された。これが山東省の人々の注目を集め、ようやく雲南省へ戻ることができたのである。
雲南に帰った彼女は、帰路の列車でも「腹の子をうちすえたい。そうしないと弟の学費の工面のために働けない」といっては泣き、「手術にはお金がかかるし、しても体が耐えられないだろう」といっては泣いた。結局、富源県が彼女の手術台として1000元、救済金として数百元を支払ったという。
また驚いたことに彼女は、半年ほど暮らしたはずの村の名どころか“夫”の名前も知らなかった。夜道をやみくもに走ったために、場所すら検討がつかない。当然ながらお腹の子の父親探しも困難となっている。
(「春城晩報」10/25、「雲南信息報」10/28)。