雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

女性救出キャンペーンも3

2007-06-29 23:19:41 | Weblog
写真は昆明で売られている中国製のナッツの袋。「天天実恵 始終如一 
独特なこラげいで制作する為、味が純正であるきみの 余暇時に良友で」というじつに味わい深い日本語がひらがなとカタカナと漢字を駆使して書かれている。
(写真と本文とは相変わらず関係ありません)


【身の上を同情されたはずが】
③2004年10月に行われた婦女誘拐事件での救出は、テレビ・中央電視台の人気番組「午間関注」でも大きく取り上げられ、世間の耳目を集めた。

 昆明の東側に接する曲靖市富源県出身の田さん(18歳・女性)。1995年に父親が盗みを働き殺され、98年には母親がアヘンの運び人の嫌疑で投獄されたため、彼女は12歳で弟と孤児同然の生活を送ることとなった。

 2003年11月24日、持ち金の20元のうちの16元を使い、弟の中学進学に伴う学費を稼ごうと列車で昆明へと向かう。昆明駅へ到着すると、仕事を募集している男性がいた。彼についていくと、河南省安陽市に連れて行かれた。

 そこで見知らぬ男性との結婚を迫られ、ようやく自分が誘拐されたことに気づく。すきをうかがい、その結婚式の準備のドサクサに紛れて逃げ出した。帰りの列車は検札がなく、ただ乗りで帰ることができたという。

 翌年の4月12日、再び列車で昆明駅へ。そこにいあわせた中年女性に身の上を同情され、すっかり心を許した時、山東省の衣類工場での仕事を紹介され、行くことに。これがまた嘘で、売られてしまった。今度は監視が厳しく、逃げ出せなかった。

 と、ここまでは今までの誘拐された女性達と同じなのだが、ここから先が少し違った。彼女を買った‘夫’は、ひたすら彼女に尽くした、というのだ。

「私は毎日、家の中でテレビを見ていた。彼は親切でテレビの前で食べ物もくれた。服も洗ってくれた」

 と彼女は話した。今までそのような生活をしたことがなかったので、今思うと幸せな生活だったのかもしれない、と。

 やがて妊娠。彼女は外に出られない生活に嫌気がさし、“夫”と言い争いとなった。すると“夫”はテレビを壊し、目の前で農薬を飲んで死んでしまった。

 彼女は後悔したが、親切な“夫”が生き返るはずはない。そこで村を飛び出して、やがて駅にたどりついて大泣きしていたところを、数名の人に声を掛けられ、その人達が事情を聞いて、警察に通報。山東省の省都・済南市の社会収容駅に移され、民政局の人が問題視したことにより山東電視台、中央電視台で大きく報道された。これが山東省の人々の注目を集め、ようやく雲南省へ戻ることができたのである。
  
 雲南に帰った彼女は、帰路の列車でも「腹の子をうちすえたい。そうしないと弟の学費の工面のために働けない」といっては泣き、「手術にはお金がかかるし、しても体が耐えられないだろう」といっては泣いた。結局、富源県が彼女の手術台として1000元、救済金として数百元を支払ったという。

 また驚いたことに彼女は、半年ほど暮らしたはずの村の名どころか“夫”の名前も知らなかった。夜道をやみくもに走ったために、場所すら検討がつかない。当然ながらお腹の子の父親探しも困難となっている。
(「春城晩報」10/25、「雲南信息報」10/28)。
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女性救出キャンペーンも2

2007-06-22 14:47:06 | Weblog
写真は、前回に引き続き国際園芸博の日本館の一角。日本舞踊として紹介されているビデオにはペラペラのポリエステルの着物風衣装を着たアジア系の人が盆踊りを踊るようすが流れていた。確かに盆踊りも「日本の舞踊」ではあるのでしょうが。
 日本のDVD販売コーナーにはこのビデオと並んでスマップのものが。中国では、とくに木村拓哉は人気がある。スマップのコピー風アイドルグループも上海を中心に多数活躍。ブレイクする日がくるかもしれない。
(写真と本文とは関係ありません。若い女性が踊っている、ということで・・)

*ようやく、日本でも中国の奴隷労働に近い、誘拐事件がニュースで取り上げられるようになりました。さて、女性誘拐事件の続きです。

【妊娠が脱出のチャンスという悲しみ】
 婦女誘拐の記事は、連日の児童誘拐事件報道が一段落した9月半ばごろから、ポツポツと出始めた。ちょっと長くなるがその実例を3つ、紹介しよう。

①禄勧イ族苗族自治県大松樹郷出身の張さん(31歳・女性)
 彼女は、既婚で子供はない。
 2004年1月に昆明に出稼ぎにきたところ、雲南省外の男性に「外にいい仕事がある」と声を掛けられ、列車に乗った。着いた先は中国内陸部の安徽省固鎮県の農村。呆然としているうちに30数才の見知らぬ男性の“妻”として売られていた。以後、男性の父母とその妹に監視されて近所すら歩けない生活に。
 
 やがて妊娠したが、もらえる食料は毎日、饅頭一個のみ。お腹がすいて目眩がした。寝る場所は板の上で掛け布団もない。‘夫’は彼女を次世代用の道具以上には扱うことなく、罵られどうしの日々となる。

 8月にお腹が目立つようになると、監視が緩んだ。夜、トイレに行く機会をうかがって派出所に通報。9月10日に雲南省警察が安徽省に迎えに行き、妊娠8ヵ月の身重の女性を昆明経由で、地元の村に送り届けた。

②禄勧イ族苗族自治県大松樹郷出身の人、龍さん(16歳・女性)。
 昆明に姉とともに出稼ぎにきた。彼女は市内の招待所(宿泊施設)に職を得た。
 あるとき2名の男性が数日、宿泊した。その時は何もなかったが、彼らが2回目に泊まりにきた時、彼女は身分証を盗まれてしまう。そして一晩、部屋に監禁された。翌日、彼らは目を覚ました彼女に四川省に行くよう告げる。

「そうしなきゃ身分証は返さないし、あんたは何もできなくなるぜ」。

 彼女はその言葉を鵜呑みにしてしまい、恐怖にこわばったまま、四川省岳池県へ。そこでさらに彼らに2日間、手込めにされた後、付近の村で32歳の男性に3600元(約57000円)で売られてしまった。

 その後の状況は張さんと似たり寄ったりで、8月に7カ月の身重になり“夫“が出稼ぎに出た隙に、隣家に駆け込み電話で姉に連絡し、救出された。

 彼女らの救出にあたっては、どこからも公的な経費がつかなかったため、県の党幹部らがポケットマネーで救出作戦を敢行した。

 龍さんの救出時には、“夫の家”の人達が鋤やこん棒で追ってきて、暴力事件まで発生したという。(「春城晩報」2004年9/19)
 誘拐して結婚するのも異常だが、その後の生活に一遍の愛情すら感じない殺伐とした事件に身震いするばかりである。 
 つづく(次回は、愛情を感じた、あと、の事件です)
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女性救出キャンペーンも

2007-06-15 23:18:57 | Weblog
写真は、昆明の国際園芸博跡地の公園で売られている、怪しい化粧水の宣伝。たしか「丸子」というブランドだった。足マッサージの店名には日本式を売りにした「良子足底」というのもあった。日本のものはなんでも品質がよいと人気がある。
日本女性が人気があるかどうかは不明。ちなみに私はいつも「韓国人?」と聞かれていた。(本文とは関係ありません。若い女性の絵、ということで・・・)

【昆明を舞台に婦女誘拐事件も多発】
 昆明では、子供ばかりか若い女性も誘拐のターゲットになっている。目的は、前にも書いたように嫁の来てのない農村男性へ売りつけるためだが、なぜ雲南の女性が狙われるのかというと
「気だてがやさしく、顔立ちもよく働き者だから」
とは誘拐団の証言。

 私も昆明で暮らすなかで、ここの女性はよその地域の中国女性より、自己主張が控えめではにかみ屋、ベンチに座る時もハンカチでパッとはたいてから座る、といった中国では新鮮な光景が見られることに驚いていたが、その気性が誘拐を呼び込むとは夢にも思わなかった。

 悲惨なことに女性は売られた家では、まずは次世代をつくるための道具として扱われる。妊娠するまでは、逃げださないように家族や地域ぐるみで監視。
 妊娠してお腹が目立つようになると「これで逃げ出さないだろう」と安心してようやく監視を緩める。そのすきに誘拐婦女は逃亡して救出されることが多いのだが、その結末は児童誘拐事件より重苦しいものとなっている。

 まず被害者の多くは、農村から昆明に出稼ぎにきた女性だ。彼女たちは貧しい。そのため、せっかく救出されても、お腹の子をどうにかする資金的余裕がない。

 その後、村に帰っても、村人の目もあるし、その後の生活も、結婚も不利とならざるをえない。かくして先の見えない不安に情緒不安定となってしまうのだ。

 また捜査しても被害女性が、誘拐されたことを認めないこともあれば、逆に警察側としても合意の上での結婚だったのが、いやになり逃げ出したのでは、という疑念をはらすだけの証拠が見つかりにくい。したがって児童誘拐事件のようには全容解明が難しく、またメンタル面でも複雑になってしまう。
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中国一、子供が誘拐される街、8

2007-06-09 00:10:21 | Weblog
写真は昆明の街角で子守りをする女性。ジーンズにサンダル履きの人が多く、このような女性たちを、よく見かけた。
 平日の公園に行くと、子供を連れた若い女性が集っている。彼女たちは陽気にアイスキャンディーを食べながら、おしゃべりに夢中。子供がもよおすと、トランポリンの網の隙間などでも平気でさせたりして、ぎょっとすることもあった。その人たちのマナーに、昆明はどうなっているのじゃ、と頭を抱えたものだが、よくよく話を聞くと、子育てママではなく、子守りに雇われた出稼ぎの女性たちだった。
 日本円で月6000円も出せば、住み込みで子供の面倒を見てくれるとあって、共働きの家では、わりと気軽に子守りを雇う。

【女の子も売られる】
 誘拐事件では昆明市が全国的にも突出しているが、省全体の人数も相当なものだ。2000年から2005年までにわかっているだけで、若い女性と子供をターゲットにした未解決の誘拐事件が2646件起きているというのだから。

 さらに、捕らえた容疑者は6169名、壊滅させた誘拐団は648、救出した女性と児童は4795名に達するとのことだ(雲南省公安機関の調べ。女性の事件は後で述べる。)

 他省でも誘拐事件による人身売買は頻発しているが、その意味合いは地域によって異なっている。

 1998年から2005年まで広西省、安徽省、河南省で誘拐、または現地の医局員、農村助産婦より買いとった女の嬰児200余名が、河北省、山東省、河南省にある南楽、清豊、内黄、湯陰などの地に売られていた。60数名からなる誘拐団が摘発されて、明るみとなったのである。

 この事件では雲南のケースとは違って女の子が主に売られている。また売り手も買い手も、どちらかといえば貧しく、外部の街から閉ざされた寒村である。

 事情通の中国の人にこの辺りの状況を聞いてみた。彼は
「まず広西省などの少数民族地区では一人っ子政策がゆるいので、計画外に生まれた子も少なくありません。その子供らを経済面で多少なりとも裕福な地域に売ることがあるのではないでしょうか」と推測する。

 中国の、とくに農村部では老後の保険制度が未整備なので、人々の老後の不安は計り知れない。だから男女平等思想が根づいたところでは、女の子も老後の頼りとされているのだという。つまり売られた女の子は将来の介護の担い手であり、経済を担う働き手として期待されているのだ。

 あと、もう一つ理由がある。将来の「嫁」だ。中国では清朝以前はとくに嫁取りにはお金がかかった。だから貧しい農村では、なかなか嫁がもてない。そこで昔から、より貧しい家などの女の子を予め家に置いて、将来の息子の嫁として確保する「童養媳(トンヤンシー)」と呼ばれる習慣があった。

 もちろん、嫁とするまでの幼少時も無駄飯を食わせるものかと、牛馬のようにこき使う。このような時代錯誤の慣習が根強く人々の意識に染みついている地域もまだまだあるのである。

(次回は幼い子供ではなく、嫁となる女性を誘拐する事件の話です。お付き合いください。また、こんな話が聞きたいな、というリクエストがありましたら、お寄せください。)
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中国一、子供が誘拐される街7

2007-06-01 23:33:38 | Weblog
 このシリーズ、長くなっておりまして、すみません。もうしばらく、お付き合いください。もうそろそろ、一度、閑話休題を入れようかな、と思います。つまり、それほど長いのです。

写真は福建省都の福州のとあるお寺。中国のどこの寺院でも、金ぴかの像とひざまずいておがむ人々、大きなロウソクと線香など、変わらない光景がある。

【誘拐村 その後】
「警察の摘発後、数年が経った。村人は他の商売を覚え、ごく常識的な村に変貌を遂げていた。多くの人々は人身売買を家業として認識していたため、さしたる罪の意識を持っていなかった」

 地元新聞に載っていた誘拐村のその後の様子は、拍子抜けするほど平和な光景となっていた。それにしても誘拐を悪びれもせずに行っていたということがはっきりするだけに、問題の根深さに背筋が寒くなる。

 さて、キャンペーン期間中に新たな誘拐事件が起こったら派出所長は首、という念書まで書かされ、省一丸となって背水の陣でこの100日キャンペーンに取り組んだ結果、8月1日には広東から昆明へと列車に揺られて21名が戻ってきた。さらに21日には8名、9月10日には7名と「成果」は続いた。キャンペーン以前の捜査分を含めると、計76名が帰ってきた計算になる。

 彼らはDNA鑑定に掛けられてから親元へと引き渡されるのだが、誘拐時に0歳だった子や現在赤ん坊の子が相当数いるため、親を探す苦労は並大抵ではなかったらしい。
 
 9月に「6人の身元が判明せず」と報道された。するとたちまち、今度は「里親騒動」がはじまった。各地から里親になりたいとの申し出が続々と寄せられたのだ。
 子が遺伝病なので健康な子がほしい、妻が妊娠しない、といった人からの要望はきりがなく、お隣の湖南省からも依頼がくる状況となった。

 一方、暑い中、捜査員が苦労して連れ戻した子供たちだが、なかには誘拐から3回も連れ戻されたことがあるという「ツワ者」もいた。親の元へと帰しても、また親から「放置」されるのでは、どうにもならない。

 そこで政府は、9月に他の保育園よりも格安の月98元で子供を預かれる保育園を問題の地域に数カ所、設置することにした(ちなみに娘が通った幼稚園の月謝は3食付きで300元ほどだった)。それでも預けられない人は近所の人と共同で子供を見るように、との呼びかけも始めた。
 価格を抑えた割にはきちんとした施設の中できちんとした保育士が保育する様子がテレビで写っていたので、市か省が相当、拠出しているのではないだろうか。

【国を越えて】
 その後、2007年の今日まで、大規模な誘拐摘発キャンペーンは行われていない。
 だが、その時、捕まった誘拐団の裁判は続いていて、2005年8月の「新華毎日電訊」では福建省安溪県で活動していた誘拐団の裁判のもようが掲載されている。それによると、さらった子供のうちの82名は福建から、さらに不正規のパスポートを入手してシンガポールへと売られていることが判明した。シンガポールの子のない家庭へと、8000シンガポールドル(約3.85万元)で売り渡されるのだという。中国では1~2万元で売買されている子供が、である。

 それら子供のうち48名は実の父母から直接買い取ったもので、その父母たちは福建人であった。福建では最初に女の子が生まれても、一人っ子政策のため、2人目は生めない。そこで密かに身ごもった子供が男の子の場合、先に生まれていた女の子供を誘拐団へと売り飛ばすのだそうだ。

 雲南からさらってきた男の子を福建の家庭が買い取り、その家の女の子を新たに売り飛ばす行為も多く見られた。すべてはその家の「ご先祖さまからのろうそくの火を絶やさないため」なのである。

 また残りの34名は来歴不明だが、多くは雲南でさらってきたとのことだった。

 このように真実は少しずつ明らかにされてきているものの、その後も、昆明市内に消えた子供を捜す親が書いたと思われる手刷りのポスターを何度か見かけた。
 市の周縁部から学校の帰り道へと、場所もターゲットも少しずつ移っているように思われた。雲南では「誘拐」という現象は、そう簡単には根絶できるものではないようだ。
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