写真は雲南中部にある谷あいの街・個旧。谷の中心にある70ha(東京ディズニーランド1.5倍の大きさ)の金湖を囲むようにがっちりとコンクリートで固められたビルが建ち並ぶ。
【涼しい・・】
今回、バンコクと昆明に行って感じたのは「日本の異常な夏ぶり」です。日本ほど、気温も湿度も、しつこいほど暑苦しい国はない。バンコクですら涼しく感じる恐ろしさ。昆明では連日20度を割り込み、湿度も20%を切っているだけに夏の服装しか用意していなかった身としては「しまったー」と思えるほどの涼しさ。あわててウオルマートで厚手のズボンを買い込まねばならないほどでした。
また雲南では雨期のど真ん中とあって例年以上に各地で、浸水、崖崩れの被害が続出。ベトナムに台風が接近しているのがその原因とのことですが(雲南はベトナムと国境を接している)、こちらもゲリラ雷雨となっていました。昆明も連日の雨に鬱々としましたが「雷雨」の予報が出ていたにもかかわらず、いきたかった雲南省中部にある「過橋米線」の発祥地の街を転々と歩き回った結果、うまく雨の隙間に移動することとなり、水没したアスファルト道路などには直面しましたが、大雨にも、土砂災害にも遭わずに、無事、過ごすことができました。
【雲南中部の都市・個旧と蒙自】
さらに、昆明の建設ラッシュはさほどではなかったものの、雲南の主要都市は目を見張るばかりの発展ぶりには驚かされます。昆明から南へ行くことおよそ200キロ、雲南省中部の都市・個旧は、新聞では、友人を持っていた果物ナイフで刺して殺した、といった血なまぐさい事件でよく取り上げられています。
そこで、どんな街なのかといってみると、明・清時代から現在まで中国を支える錫の主産地で今も目つきの鋭い鉱夫の闊歩する街でした。人々の動作がどこかキビキビしていて料理店にしても作業場は清潔に保たれています。ただひたすら愛想がないだけ。バスターミナルに降りるなり「リーベンレン(日本人)」というささやき声が聞こえ、タクシーに乗ろうとしても「俺は長距離ねらいなんだ。そんな短距離は自分で歩け」と言ってのける20世紀初頭のアメリカのウエスタン映画に出てきそうな気風をたたえた街です。
この錫で潤っているのか、小さな街にはオリンピックもできそうな紅いアスファルトで作られた立派な陸上トラックが3つ、プールが一つあり、街全体も不自然なほどアスファルト道路と新しいビルと公園で成り立っていました。
そこから乗り合いバスで1時間もかからない蒙自はかつて銀の採掘と交通の要衝地としてにぎわったという街です。かつて科挙の合格者が続出した豊かな街だったとはいっても、飛行場もなく、昆明からも遠い。どんな不便な街でもガマンガマン、と覚悟を決めて乗り込むと、意外にも手入れの行き届いた植栽並木の続く、緑したたる美しい街でした。
新市街にはプールや麻雀室、会議室なども整えた、中国観光局が定める最高級の「5つ星ホテル」が。ピカピカに磨き込まれ、白鳥と黒鳥が優雅に泳ぐ美しい庭園を持つ居心地のいいホテルが一泊2人部屋で240元(約3500円)。また大学もあり、さらに文化的な施設が無料で見学できるという、ものすごく恵まれた都市だったのでした。
【涼しい・・】
今回、バンコクと昆明に行って感じたのは「日本の異常な夏ぶり」です。日本ほど、気温も湿度も、しつこいほど暑苦しい国はない。バンコクですら涼しく感じる恐ろしさ。昆明では連日20度を割り込み、湿度も20%を切っているだけに夏の服装しか用意していなかった身としては「しまったー」と思えるほどの涼しさ。あわててウオルマートで厚手のズボンを買い込まねばならないほどでした。
また雲南では雨期のど真ん中とあって例年以上に各地で、浸水、崖崩れの被害が続出。ベトナムに台風が接近しているのがその原因とのことですが(雲南はベトナムと国境を接している)、こちらもゲリラ雷雨となっていました。昆明も連日の雨に鬱々としましたが「雷雨」の予報が出ていたにもかかわらず、いきたかった雲南省中部にある「過橋米線」の発祥地の街を転々と歩き回った結果、うまく雨の隙間に移動することとなり、水没したアスファルト道路などには直面しましたが、大雨にも、土砂災害にも遭わずに、無事、過ごすことができました。
【雲南中部の都市・個旧と蒙自】
さらに、昆明の建設ラッシュはさほどではなかったものの、雲南の主要都市は目を見張るばかりの発展ぶりには驚かされます。昆明から南へ行くことおよそ200キロ、雲南省中部の都市・個旧は、新聞では、友人を持っていた果物ナイフで刺して殺した、といった血なまぐさい事件でよく取り上げられています。
そこで、どんな街なのかといってみると、明・清時代から現在まで中国を支える錫の主産地で今も目つきの鋭い鉱夫の闊歩する街でした。人々の動作がどこかキビキビしていて料理店にしても作業場は清潔に保たれています。ただひたすら愛想がないだけ。バスターミナルに降りるなり「リーベンレン(日本人)」というささやき声が聞こえ、タクシーに乗ろうとしても「俺は長距離ねらいなんだ。そんな短距離は自分で歩け」と言ってのける20世紀初頭のアメリカのウエスタン映画に出てきそうな気風をたたえた街です。
この錫で潤っているのか、小さな街にはオリンピックもできそうな紅いアスファルトで作られた立派な陸上トラックが3つ、プールが一つあり、街全体も不自然なほどアスファルト道路と新しいビルと公園で成り立っていました。
そこから乗り合いバスで1時間もかからない蒙自はかつて銀の採掘と交通の要衝地としてにぎわったという街です。かつて科挙の合格者が続出した豊かな街だったとはいっても、飛行場もなく、昆明からも遠い。どんな不便な街でもガマンガマン、と覚悟を決めて乗り込むと、意外にも手入れの行き届いた植栽並木の続く、緑したたる美しい街でした。
新市街にはプールや麻雀室、会議室なども整えた、中国観光局が定める最高級の「5つ星ホテル」が。ピカピカに磨き込まれ、白鳥と黒鳥が優雅に泳ぐ美しい庭園を持つ居心地のいいホテルが一泊2人部屋で240元(約3500円)。また大学もあり、さらに文化的な施設が無料で見学できるという、ものすごく恵まれた都市だったのでした。