写真のはねつるべ状牛綱木装置は、水路脇に設置されている。よくよく観察すると、水路脇の設置が多いような気がする。見学した時期が乾期の2月なので、土がゴツゴツと思えるほど乾燥しているが、雨期の時期には水田の光景となる。そしてマラリアの発生地としても有名な場所にもなる。
【『荘子』のはねつるべ】
さて、中国で紀元前からあったと書きました。じつは中国では跳ねつるべといえば、この小話、というぐらい有名な話が『荘子』天地編第12の7番目に出てきます。ちょっと長いですが、紹介しましょう。
《孔子の弟子の子貢が漢水の南を通りかかったとき、ひとりの老人を見た。その老人は畑作りをするため、坂道を掘って井戸に入り、甕に水をくみ、抱えて出ては畑に水をそそいでいる。
そこで子貢は老人に声をかけた。
「水をくむよい機械がありますよ。はねつるべといって、軽々と多くの水をくみ出すことができます」
すると老人は笑っていった。
「わしはこういうことを聞いた。機械をもつものには、必ず機械にたよる仕事がふえる。機械にたよる仕事がふえると、機械にたよる心が生まれる。機械にたよる心が生まれると、心の純白さが失われ、霊妙な生命のはたらきも失われ、道から見放されてしまう、とさ。
わしもその機械のことを知らないではないが、けがらわしいから使わないのだよ」
これを聞いた子貢は恥じ入って顔を赤くし、そのまま孔子のもとに帰った。
この話を孔子にすると、孔子はいった。
「その老人は渾沌の術をちょっとばかり生かじりした程度の人間だよ。その一を知って、その二を知っていない。心の内を治める道だけはしているようだが、外の世界に処する道はまったくわかっていないよ。
もし真に渾沌の術を学びとり、人為をすてた素朴の状態にかえり、自然のままの性をいだきながら、しかも世俗の世界に遊ぶものがあったとしたら、おまえはもっとびっくりしたに違いない」》
(森三樹三郎著『老子・荘子』講談社学術文庫より引用。)
このエピソードは1932年に物理学でノーベル賞をとったハイゼンベルグほか、多くの哲学者が機械文明の危険を説いたものとして引用しています。ある意味、『荘子』の中で、現代に影響を与え続けるという意味で、もっとも知られている一節といえるでしょう。
といっても、最後の孔子のコメントは除かれた形で引用されることが多いのですが。
さて、荘子は戦国時代の紀元前360年から紀元前310年頃に宋の国の蒙という場所で漆園の管理人をしながら、独特の寓話を用いて儒教の対極にあるような思想を説いた人です。後に老荘思想として中国の大きな思想の一つとなってきますが、やや利己主義ともとられるほどの運命に逆らわない感じが、がんばりすぎる現代人には響くところがあるようです。歴史的には禅や浄土宗などを通して日本人にも多大な影響を与えました。
『荘子』の中でも天地編が組み込まれた外編は、荘子が亡くなった後、荘子学派の後継者たちが書き継いだ部分なので、書かれた年代は紀元前4世紀よりは、もう少し今に近くなるものの、紀元前にかかれた書です。
つまり、そのころ、跳ねつるべはわりと新しくできた便利な機械で、しかも多くの人が知っているものだったというわけです。今でいうところのたとえば「スマホ」の位置付けでしょうか。
便利な機械に自分が支配されないようにという恐れと戒めは、昔からあったのですね。
それに対する孔子のコメントの深いこと。新技術をただ批判するのではなく(それでは物語の老人レベル)、「外の世界に処する道」ができることがさらなる段階だという提示。いろいろな事柄について、いまこそ考える時機と深く感じ入りました。 (この章おわり)
*夏休みプレゼントともいえる、深いい話のご紹介させていただきました。
来週からアジア調査旅行のため、2週間更新はお休みさせていただきます。お盆の時期に更新再開の予定。もうちょっと書く話がありますので、もうしばらくおつきあいください。
【『荘子』のはねつるべ】
さて、中国で紀元前からあったと書きました。じつは中国では跳ねつるべといえば、この小話、というぐらい有名な話が『荘子』天地編第12の7番目に出てきます。ちょっと長いですが、紹介しましょう。
《孔子の弟子の子貢が漢水の南を通りかかったとき、ひとりの老人を見た。その老人は畑作りをするため、坂道を掘って井戸に入り、甕に水をくみ、抱えて出ては畑に水をそそいでいる。
そこで子貢は老人に声をかけた。
「水をくむよい機械がありますよ。はねつるべといって、軽々と多くの水をくみ出すことができます」
すると老人は笑っていった。
「わしはこういうことを聞いた。機械をもつものには、必ず機械にたよる仕事がふえる。機械にたよる仕事がふえると、機械にたよる心が生まれる。機械にたよる心が生まれると、心の純白さが失われ、霊妙な生命のはたらきも失われ、道から見放されてしまう、とさ。
わしもその機械のことを知らないではないが、けがらわしいから使わないのだよ」
これを聞いた子貢は恥じ入って顔を赤くし、そのまま孔子のもとに帰った。
この話を孔子にすると、孔子はいった。
「その老人は渾沌の術をちょっとばかり生かじりした程度の人間だよ。その一を知って、その二を知っていない。心の内を治める道だけはしているようだが、外の世界に処する道はまったくわかっていないよ。
もし真に渾沌の術を学びとり、人為をすてた素朴の状態にかえり、自然のままの性をいだきながら、しかも世俗の世界に遊ぶものがあったとしたら、おまえはもっとびっくりしたに違いない」》
(森三樹三郎著『老子・荘子』講談社学術文庫より引用。)
このエピソードは1932年に物理学でノーベル賞をとったハイゼンベルグほか、多くの哲学者が機械文明の危険を説いたものとして引用しています。ある意味、『荘子』の中で、現代に影響を与え続けるという意味で、もっとも知られている一節といえるでしょう。
といっても、最後の孔子のコメントは除かれた形で引用されることが多いのですが。
さて、荘子は戦国時代の紀元前360年から紀元前310年頃に宋の国の蒙という場所で漆園の管理人をしながら、独特の寓話を用いて儒教の対極にあるような思想を説いた人です。後に老荘思想として中国の大きな思想の一つとなってきますが、やや利己主義ともとられるほどの運命に逆らわない感じが、がんばりすぎる現代人には響くところがあるようです。歴史的には禅や浄土宗などを通して日本人にも多大な影響を与えました。
『荘子』の中でも天地編が組み込まれた外編は、荘子が亡くなった後、荘子学派の後継者たちが書き継いだ部分なので、書かれた年代は紀元前4世紀よりは、もう少し今に近くなるものの、紀元前にかかれた書です。
つまり、そのころ、跳ねつるべはわりと新しくできた便利な機械で、しかも多くの人が知っているものだったというわけです。今でいうところのたとえば「スマホ」の位置付けでしょうか。
便利な機械に自分が支配されないようにという恐れと戒めは、昔からあったのですね。
それに対する孔子のコメントの深いこと。新技術をただ批判するのではなく(それでは物語の老人レベル)、「外の世界に処する道」ができることがさらなる段階だという提示。いろいろな事柄について、いまこそ考える時機と深く感じ入りました。 (この章おわり)
*夏休みプレゼントともいえる、深いい話のご紹介させていただきました。
来週からアジア調査旅行のため、2週間更新はお休みさせていただきます。お盆の時期に更新再開の予定。もうちょっと書く話がありますので、もうしばらくおつきあいください。