写真はシーサンパンナの棟上げ式にて。人々はビールを瓶から直接飲んでいた。
【次々と異業種を吸収合併し巨大化したビール会社】
その頃、雲南ビール界のもう一方の雄、瀾滄江ビールはどう動いていたのでしょうか?
まず、ざっとこの会社の歴史を振り返ってみます。
鄧小平の改革開放の号令によって共産党員の劉光漢が1985年に国営企業として創業。
1990年に初めてビールを製造し、1997年に瀾滄江ビール企業集団を設立。臨滄市雲県を中心に1998年から2003年にかけて次々と周辺のビール工場を合併。
多角経営にも乗り出して、2006年には1万3000ヘクタール以上の茶畑を確保して、緑茶や紅茶、プーアル茶などの茶葉・飲料の製造を開始。
さらに2007年には白酒の生産も始めました。白酒とは、蒸留酒つまり、焼酎のことを指します。これは2014年末で生産能力はビール80万トン、白酒10万トンで、さらに現在では葡萄酒など100種類以上の商品展開を行っているようです(「食品商務網」http://lcjlsh.21food.cn/company/cominfo148147.html)
ビールだけに頼らない戦略と、大都市・昆明からは距離があったこと、「大理ビール」の元総経理の楊氏ほど、市場動向の先行きに悲観的ではなかったため、「大理ビール」とは、真逆の独立独歩の道を進んでいます。
実感として、接待や目上の人への手土産品として赤い箱にうやうやしく入った、この会社が製造する白酒の「雲南老窖」は他省の銘酒よりは若干安い上に、箔がつくので接待の時には重宝されていました。
ただ、これほどの他品種展開の中で、会社としてどれほどの利益があるのか、やや疑問があるのですが、内実は公開されておらず、わかりませんでした。
いずれにせよ、はっきりいえるのは、雲南ではビールだけではどうにも心許なく、雲南で中国市場に対抗でき、利益が出るのは茶と白酒(焼酎)なのだ、ということです。
次回からは雲南の白酒を見てきましょう。(つづく)
【次々と異業種を吸収合併し巨大化したビール会社】
その頃、雲南ビール界のもう一方の雄、瀾滄江ビールはどう動いていたのでしょうか?
まず、ざっとこの会社の歴史を振り返ってみます。
鄧小平の改革開放の号令によって共産党員の劉光漢が1985年に国営企業として創業。
1990年に初めてビールを製造し、1997年に瀾滄江ビール企業集団を設立。臨滄市雲県を中心に1998年から2003年にかけて次々と周辺のビール工場を合併。
多角経営にも乗り出して、2006年には1万3000ヘクタール以上の茶畑を確保して、緑茶や紅茶、プーアル茶などの茶葉・飲料の製造を開始。
さらに2007年には白酒の生産も始めました。白酒とは、蒸留酒つまり、焼酎のことを指します。これは2014年末で生産能力はビール80万トン、白酒10万トンで、さらに現在では葡萄酒など100種類以上の商品展開を行っているようです(「食品商務網」http://lcjlsh.21food.cn/company/cominfo148147.html)
ビールだけに頼らない戦略と、大都市・昆明からは距離があったこと、「大理ビール」の元総経理の楊氏ほど、市場動向の先行きに悲観的ではなかったため、「大理ビール」とは、真逆の独立独歩の道を進んでいます。
実感として、接待や目上の人への手土産品として赤い箱にうやうやしく入った、この会社が製造する白酒の「雲南老窖」は他省の銘酒よりは若干安い上に、箔がつくので接待の時には重宝されていました。
ただ、これほどの他品種展開の中で、会社としてどれほどの利益があるのか、やや疑問があるのですが、内実は公開されておらず、わかりませんでした。
いずれにせよ、はっきりいえるのは、雲南ではビールだけではどうにも心許なく、雲南で中国市場に対抗でき、利益が出るのは茶と白酒(焼酎)なのだ、ということです。
次回からは雲南の白酒を見てきましょう。(つづく)