雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン42 水が問題⁈ ①

2024-07-28 15:31:45 | Weblog
ロンドンの老舗ハンドクリーム「アストラル(Astral)」。

【ちりめんのお肌】
ロンドンで過ごして一週間。明らかにお肌の調子がおかしい。

そもそも日本の「れんげ」化粧水を愛用していて、どこを旅するときも、たとえ国内の温泉旅館で一泊するときでもかかせないお肌のお手入れはこれ一本でした。それと手には、オリヂナル社の「ももの花」。祖母、母と我が家三代で愛用しているハンドクリームです。この二つさえあれば、お肌は万全で、他の化粧品は一切なしで過ごせます。

日本で愛用しているハンドクリーム「ももの花」。
オリーブオイルとスクワランオイルが入っていて、
最初はべたつくが肌なじみが私にはよい。

 ところが、ロンドンで予想以上のスピードで使ってしまうのです。原因はロンドンの水だと、考えました。明らかに風呂に入るたびに肌の乾燥が進行していく感じで、気がつくと湯水のように化粧水を使わざるを得ない事態に。
家人は

「ウインブルドンも行ったし、よく外、歩いているから、紫外線じゃない?」

といって私の肌の調子なぞ気に留めてはいない様子。

雲南にいたときも「れんげ」が底をつき、地元の化粧水を使っていたのですが、強い陽射しだったこともあり、以来、ほほにシミが。とはいえ雲南は一年に対して、ロンドンはほんの数日。底をつくのが早すぎる!

そして冒頭にお伝えしたように滞在1週間目になると、肌がピリピリしてきたのです。

 いよいよ手持ちの化粧水と「ももの花」がなくなったので、ロンドンの薬局へ行ってみました。

「ロンドンではもっともポピュラーで、顔でも手でもなんでも使えますよ」

と青いパッケージが印象的な「アストラル(astral)」という白いクリームのごく普通の製品を紹介されました。調べると1953年創業の保湿ハンドクリームでたしかにイギリスの「ももの花」的存在のようです(https://astralmoisturiser.co.uk/stories/)

 早速使ってみましたが、改善のきざしはみえず。それどころか翌日には顔が真っ赤にはれてお岩さんのようになってしまいました。
(けっしてアストラルのせいでないことは、日本に帰ってから使うと、普通にハンドクリームとして役に立ったことから証明されています。)

 この期に及んでも家人は

「日焼けした?」

 とのんきなもので心配する様子はなし。

翌朝、さらに顔が赤くなり、かゆさも加わってつらい。さらにその翌朝には顔にちりめんのようなしわまで出てきて、もうパニックです。

 ここまできて、ようやく家人が持っていたれんげとベビーオイルを貸してくれました。塗っても肌は相変わらず突っ張る感じなのですが、ベビーオイルが効いたのか痛みは、かゆみ程度におさまってきました。
 ちなみにこのベビーオイルは日本から持っていたジョンソン&ジョンソンのベビーオイル。米国製ですね。こちらは1938年から発売されている、やはりザ・ポピュラー。そして、私も時折、日本で使っていたもの。

 その後もロンドン滞在中は顔の表面がザラザラし、赤みがあるまま過ごすことになりました。洗顔のときにはミネラルウオーターを使ってから「れんげ」とベビーオイルでお手入れ。こんなに苦労したのに症状は完治せず。
 帰国したら皮膚科に行こうと考えていたのですが、帰国したらその必要もなく、あっという間に症状は治まりました。やはり原因は水だったのかしら?
                          (つづく)
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二度目のロンドン41 真夏の夜の夢2

2024-07-21 12:06:02 | Weblog
【真夏の夜の夢】
リージェンツパークを下見した5日後、いよいよパーク内の野外劇場へ観劇する日となりました。

日中は大英図書館で過ごして、いったん、シェアハウスに帰宅。昼寝をして体調を万全にしてから劇場へ向かいます。劇の開始は午後7時45分ですが、午後6時半にいくと開場されていて、人もずいぶんと集っていました。

写真は野外劇場のあるクイーン・メアリーズ・ガーデンズ(Queen Mary's Gardens) の入口にあるジュビリー・ゲート(Jubilee Gates) 

入場ゲートから劇場に行くまでの空間はツタの楽園で緑の植栽もほどこされていて、とってもおしゃれです。さすが元王立植物園予定地。
雰囲気のいいバーや食事処もありました。

 持参したサンドウィッチとバナナにバーで生ビールをプラスして、このおしゃれ空間の木の机に広げて、ゆったり過ごしました。食事処が充実していると知っていれば、持参することもなかった、とは思ったのですが、おおらかな雰囲気で持ち込み可のようでありがたい。

食べ終えてもなお頭上にはまだ青空が広がっています。とはいえ日はさすがに斜めになって赤が多めの光線になってきました。
さて劇場へ。すり鉢状の客席の中央に石の舞台が見えます。さながらローマの野外劇場のよう。舞台の後ろにはそのままパークの高い木々がそびえ深い森を予感させ、とても神秘的。

1240席(リージェンツパーク発表https://www.friendsofregentspark.org/)ある広い劇場の中で私の席は後ろの方、つまりすり鉢のヘリに当たります。空間の一番高いところに座ることになるので、見晴らしは最高。劇は見えないかな、と思ったのですが、はじまってしまえば杞憂でした。

開始時刻が近づくと日が弱くなり、風が急に冷たくなってきました。うまい具合に売店でおしゃれな足掛け毛布を売っていたので購入。観劇中、寒そうにしていたお隣のおばあさんにも掛けてあげたら、

「よい選択をされたわね。寒いわね」
 と喜ばれました。

劇はシェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」。演出は斬新で中世を現代風に移し替えていました。劇中の人物が大きなナイロンのリュックサックを背負って現れたり、服もジーンズだったり、竹馬に乗っていたり。センスもテンポも心地よく、英語がちょっとしかわからなくても十分、楽しめました。

観劇も終わり、帰ろうとするとひざ掛けを共有したお隣の銀髪のおばあさんに

「あなた、セリフわかる?」

と聞かれたので「少しだけ」と答えると

「あら、私と同じね。今は使わない古語だから、イギリス人が聞いてもよくわからないのよ」

 ウインクされたお顔がとってもチャーミングです。

「雰囲気で笑っちゃうのよね。それがシェイクスピアの不思議さね」

 とほほ笑んでおられました。つまり日本の歌舞伎のようなものなのかしら?
 この劇は行って正解。寒いので、防寒対策はしっかりされることをおすすめします。
              (つづく)
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二度目のロンドン40 真夏の夜の夢1

2024-07-07 09:41:13 | Weblog
写真はリージェンツパークのインナーサークルの植栽。どれも植物園かとみまがうような美しさだった。

【リージェンツパークと野外劇場】
 今回、ロンドンについて最初に行った場所はベイカー街のシャーロックホームズ博物館でした。それは、すぐ近くのリージェンツパークにも行っておきたかったからでもありました。

リージェンツパークは166ヘクタールの面積をもつ王立公園で、だれでも無料で散策できます。もともとヘンリー8世(1491年~1547年)が離婚問題に端を発して、修道院から接収し、以後、長らく王室のお狩場だったところ。1811年に摂政王太子だったころのジョージ4世(1762年~1830年)が当時貴族の土地だったこの地を買い戻して、お抱え建築家のジョージ・ナッシュによって周辺の都市計画も含めて設計し、1845年に公園として整備されました。

イギリス王室の歴史はクセがツヨめに感じるのですが、この公園の整備を命じたジョージ4世もなかなか独特な方。放蕩三昧で借金を重ねる人生を送った、スキャンダラスな人物らしい。
ただその教養と美意識はたしかで、今なおリージェンツパークはロンドンで最も美しい庭園との評判を獲得しているし、今も使われているウインザー城の再建や、バッキンガム宮殿の大幅な改装を命じたのも彼、スコットランド風タータンチェックの復活などファッション面でも大きな功績を遺しておられるのでした。また今回、調べるまで気にもとめなかったのですが、トラファルガー広場の中心など、目立つところに屹立する銅像の多くがジョージ4世なのだとか。当然、命じたのはご本人。芸術面に秀でた人物というのは、生活面ではいかに浮世離れしてしまうのかがよくわかる話です。

話がそれました。

さて、そこに野外劇場があり、夏になると、おもにシェイクスピアの演劇が上演されることで有名です。1932年創立以来、数々の演劇賞を受賞するほどレベルの高い作品が生み出されています。

家人はその有名な劇場の上演チケットをインターネットで購入していました。野外劇は夜。当日に場所が暗くてたどり着けないのでは、それに治安はどうなのだろうと不安になって、下見のために公園に行ったのでした。

ホームズ博物館側にほど近い入口から入ると、よく手入れされた花々が植栽された庭園があり、やがてインナーサークルと呼ばれる直径330メートルの手入れされた空間のなかにつたに絡まった野外劇場が見えました。入口はまだ昼間なので閉まっています。

なにより整った庭園という感じで、大木が生い茂るハイドパークとは違った雰囲気です。ザ・イングリッシュガーデンとでもいいたくなる園芸植物が丁寧に植えられた空間が続いていて、バラ園もありました。
とても落ち着いた空間なので、これなら夜でも大丈夫そう。

 ちなみにリージェンツパークの北側にはかの有名なロンドン動物園があります。それは1826 年に設立された動物学会(ZoologicalSociety)にその土地がリースされ、その付属施設として1828年に動物園が設置されたことに由来します。
 一方、公園の中心からやや南に位置するここインナーサークルは1841年、王立植物学会(Royal Botanic Society)に植物園設置の目的で貸与された場所でした。整った園芸空間はそういう歴史も反映されているのかもしれません。

その日は公園から続くリージェンツストリートをずんずん歩いて観光客でごったがえすピカデリーサーカスまで行きました。ロンドンの名所って、簡単に歩けるんだなとその時思ったのですが、まさにリージェンツパークとその道は最初から都市計画でまるごと作られた空間だったとわかると、納得の歩きやすさは偶然ではなかったわけです。

参考文献:芝奈穂「リージェンツ・パーク設計の政治学―王室エステート計画から一般開放へ―」『ヴィクトリア朝文化研究』15、2017.11
※災害級の暑さがやってきました。次週の更新はお休みします。みなさま、くれぐれも体調に気を付けてお過ごしください。
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