雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のお豆⑤

2012-01-29 16:37:27 | Weblog


上の写真は、先日、上海の空港でみかけた陳皮(干しオレンジの皮:漢方ともなる)と砂糖で漬けたオリーブ(陳皮攬)の伝統的なおやつのパッケージ。「テソオソ」は「テンネン」と書きたかったのかも。本文とは縁もゆかりもないけど、妙に癒されたので。
下の写真は先日の雲南料理講習会で使用した成都産のえんどう豆の粉のでんぷん。真っ白な粉だ。これで「豌豆粉」の料理が簡単に作ることができると思ったのだが、甘かった・・。

【75年前の昆明周辺の食生活】
 1945年から1947年にかけて雲南省呈貢県竜樹大河村で、食生活も含めた大規模な実地調査がありました。呈貢といえば、昆明市のすぐ隣。今や昆明市街地に組み込まれて激しい開発ラッシュとなっているところです。その、昔々の話です。

 そこで目にしたものとして調査員は、
「村の中心地に、米線売り、豌豆粉売りと瓜子(ひまわりとかぼちゃの種)や落花生売りなどの小さな店が2,3軒並んでいた。これらが村民の小喫(おやつ)を満足させていた。」
(胡慶鈞著『漢村与苗村』天津古籍出版社、2006年10月)

 と記しています。今も、雲南では街中ならば小腹の満たすアイテムに事欠きませんが、当時も食生活において「おやつ」は大切な位置を占めていたようです。ひまわりとかぼちゃの種といった豆系の比率の高さも注目されます。

 主食の調査では、えんどう豆とそら豆の占める比率が、中国のどの地域より群を抜いていました。

 「春に収穫される作物は全体で2600工(1工は一人一日分の労働の単位)あったが、そのうち小麦は700工、えんどう豆は600工だった。(米の収穫はなし。)
 秋に収穫される作物は水稲1721工、そら豆1300工、小麦700工、えんどう豆600工だった。」(前掲書)

 上記より、年間を通すと米の収穫量と同量程度の収穫が、小麦とえんどう豆、そら豆にあるということがわかります。なかでも長い冬を越えて収穫される春作物は、食べ物が潰える時期だけに重要なのですが、そこではえんどう豆が小麦と並んで収穫されていることが注目されます。 (つづく)

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報告・雲南料理実践講座

2012-01-22 17:16:34 | Weblog
写真は四谷地域センター(東京・新宿)で仕上げた汽鍋鶏(上)と米線(中)と豌豆粉(下)。料理を盛りつける前か、一渡り食べ、食べ終わる直前でパチリ。驚くほど豪華に仕上げて、並べたのだが、主催者として、もてなすのが精一杯で、仕上がり写真を撮るのを忘れてしまった。残念である。

【手間と時間のかかる料理たち】
 2012年1月17日 (火)四谷地域センターにて雲南料理を作りました。参加者は9名。
 内容は過橋米線と豌豆粉、汽鍋鶏、乳餅の雲南ハムはさみ揚げなど。

 朝9時からのスタートでしたが、片付けまであわせるとたっぷり7時間かかりました。もちろん、講師の小松碧さんがチキンスープの仕込みを2日前から行い、私も昨晩から米線の乾めん戻しを、末広町の雲南料理「過橋米線」のシェフに教わったとおりに1晩かけて行い、材料もすべて事前に揃え、当日の作業の軽減を図っていたのですが、やはり手間がかかることは否めません。

 本格派の雲南料理店が開業しては消えていく理由がよくわかります。日本では手間暇かけたわりに豪華にできない、というのが最大の理由なのでしょう。

 じっさいに汽鍋鶏づくりに朝の10時から参加した、渋谷のとある料理屋のシェフは
「この手間じゃ、どんなに材料費を抑えても時間と人件費で一人3000円いただいてもペイするかどうか」と頭をかきむしっていました。
 飲食店関係者の比率が高かったので、おいしい雲南料理を食べられる店がこの会で増えるといいな、と思っていたのですが、ちょっと難しいようです。

 豌豆粉は、黄色い色素を持つ雲南産のえんどう豆が手に入らなかったので、雲南で買った「豌豆粉」というパッケージの、裏面に「ゆっくり水に溶いて火にかけるとできる」とさも、簡単に豌豆粉ができるかのようにかかれた四川省成都産のお粉で挑戦。見事に玉砕しました。

 豌豆粉でんぷん、つまり、えんどう豆の片栗粉状態のものを、火にかけるやすぐに塊りだして玉玉に。とあるシェフの機転で規定量の5倍の水を足して、ミキサーにかけ、さらに火でかきまぜて、なんとか形になったものの、黄色い豆腐状とはほど遠いものでした。

 いつも雲南の市場で買っていたのですが、作ったのはこれが初めて。難しさを実感しました。今度は豆からつぶして作ってみましょう。その方が時間はかかってもちゃんと出来上がりそうです。

 汽鍋鶏は絶品。過橋米線を食べるころには、参加者の顔からは、皆ひとしく汗が噴き出していました。花胡椒、ごま、とうがらし、しょうが、ニンニク、鶏の骨、乳酸発酵させた漬物の汁、香菜(これはピーコックで発見!)など、発汗作用を高める調味料がふんだんに使われていることも実証できました。
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雲南のお豆④

2012-01-14 14:33:38 | Weblog
写真の右側が乾燥させたそら豆。雲南では、ご飯に混ぜて食べたり、野菜として炒めたり、と、大豆、えんどう豆とともに、もっともポピュラーなお豆である。

【明の知識人が絶賛したそら豆】
 前回、明の首都・南京に勤務していたエリート知識人が

「そら豆は雲南の種のものが、飛び抜けてよろしい。」

と絶賛したことを書きました。
 雲南省宜良県の県志で

「そら豆は明の初期に江南地区から大量に移り住んだ屯田兵が持ちこみ、成功したものだ。」

と指摘されていることも。

 明の初期に雲南に中国各地から南京を経て呼び集められた人達たちが、屯田兵として数万単位で移住し、多くの持参した種を自分の開墾した農地に植えていったことが碑文などからわかっています。では、なぜ、「雲南の種が飛び抜けてよろしい」といわれるようになったのでしょうか?

 一つには、江南地区のそら豆の品質の高さがあります。今でも、たとえば、魯迅の故郷・紹興に行くと、夏場は、そら豆の醤油煮や煎り豆などを片手に紹興酒が飲まれています。日本でもとれたてのそら豆をゆがくと、本当においしいですよね。そのとびきりのおいしさを、江南の人々も愛していることが、一口味わえば、実感できることでしょう。

 その江南の人々が、そら豆の種を持ちこんだ、と考えられるのです。種はもちろん、おいしいそら豆づくりに情熱を燃やしたことは、想像に難くありません。

 もう一つは、雲南の気候・風土にあります。

 じつは豆類の中でも、えんどう豆とそら豆はとくに低温に強い作物なのです。とくに土壌的にもぴったりなのが、えんどう豆。

「石灰を多く含むやや塩基性の土壌を好む」(『豆類と栽培と利用』国分牧衛著、朝倉書店、2011年9月刊)特徴があるそう。塩基性ということはアルカリ性。そう考えると世界自然遺産にも登録された石灰岩のカルスト地形が特徴の石林付近は最適です。

「生育適温も10℃から20℃」(同掲書)という性質も重ねると、一年中、「春城」と呼ばれ、石灰岩質が広がる雲南中部(標高1300メートルから2000メートルぐらい)はぴったりとその条件にあてはまります。

 また、雲南中部の農業事情の上からも、かかせない作物でした。
1980年代以前までは稲の収穫を終えた9月以降に育つ作物はきわめて少なく、飢えとの戦いの日々でもありました。そんなとき、蛋白質と炭水化物を豊富に含む冬作物として低温に強いえんどう豆とそら豆はじつに有難い作物だったのです。

宜良県志によると、
「宜良のそら豆が雲南省内では誉れがもっとも高く、春節前後にもっとも好評を博した野菜であった。」と絶賛しています。             (つづく)
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雲南のお豆③

2012-01-08 11:30:08 | Weblog
写真は、おそらく芋類の蔓。女性はこの先の市場に売りに行くところ。(2004年、雲南の広南にて。)その日の夕食には、その植物の蔓を入れた、塩と胡椒のみであっさりと味付けされたスープが出された。それほど固くもなく、食べやすい味である。ちなみにその翌日は地元のカボチャの乱切り塩味スープ。そこにはカボチャの蔓が入っていた。固めの毛が口の中で意外な歯触りを生んで、これまたおいしく感じた。

【どこよりも多い、黄色色素】
 以前もブログで書きましたが、えんどう豆には、さやも含めて食べられる莢の軟らかいもの(スナップえんどうやさやえんどう、グリーンピースなど)と莢は固くて食べられないけど、乾燥させて豆は貯蔵できるもの、の2種類があります。

 豌豆粉はこの莢の固い方の豆を使います。莢の固い方はヨーロッパでは白いポタージュに、インドではひよこ豆となってカレーの具材に使われます。これらユーラシア大陸のものは一般的には白豆です。中国も同様です。
 ただ日本では、不思議なことに遣唐使がえんどう豆を持ちこんで以来、豆かんやみつ豆に使う赤豆、信州や山形のおやつの青豆などおやつ系が主流で食事としての白い豆は、現在まで広まりませんでした。

 そして、雲南。
 ご紹介した2005年のオーストラリアと中国の国際調査によって、雲南独自の種が多く存在し、それらには黄色い色素が多く含まれていることがわかったのです。

 つまり、雲南の豆を使って豌豆粉を作ると、自然と黄色になってしまうというわけです。黒色が強いものもあり、それは麗江で有名な「鶏豌豆粉」の黒い豆腐のようなものを生み出します。
このような特色のあるえんどう豆が、なぜ、雲南には存在しているのでしょう?

 その秘密を解き明かす記述を明、清代(1368年 - 1911年)の本に見つけました。

 明代に南京の太常寺に勤務した進士(エリート役人)の王世懋(1536~1588年)は

「そら豆は初めに熟すると甘い香りがする。種は雲南からのものが飛び抜けてよろしい。」(『学圃雑疏』)
 と書きました。南京在住の知識人が雲南のそら豆を絶賛しているのです。

 また、清の時代に南京から雲南に出向した進士(エリート役人)の檀萃(1724~1801年)は、

「滇(雲南のこと:筆者注)では豆が重要である。煮て菜とし、雑糧は炊いて飯とし、洗って粉とする。そら豆はハルサメ(粉条)にする。豌豆も同じようなたぐいで、洗って粉とし、滇人はその蔓も食べる。名を豌豆菜という。」(『滇海虞衡志』)

 と豆、なかでもそら豆とえんどう豆が雲南で食の中で重要だったことを指摘しました。食べ方も粉にしたり、ハルサメ状の麺にしたり、炊き込んだり、蔓まで食べるあたりも今の同じです。

 つまり、口の肥えた首都に暮らす人々に一目おかれる豆が、日本の室町時代ごろの雲南にはあったのです。そして有難いことに、あまり変化を望まない雲南の農民によって現在まで受け継がれてきた、というわけです。

 昆明に隣接する宜良県の県志では、
「そら豆は明の初期に江南地区から大量に移り住んだ屯田兵が持ちこみ、成功したものだ。雲南のものとは宜良を指す」
 と推測しています。
                             (つづく)

*明けまして、おめでとうございます。今年はよい年になりますように! 
 
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