写真は、セビリア大聖堂のなかにあるコロンブスの棺。
【カスティーリャの王に担がれた棺】
次に、お向かいにある大聖堂へ行きました。こちらも世界遺産です。
外側には地球の上に立つ勝利の女神らしき銅像。それを眺めながら中に入ると太い柱がいくつもそびえ、どこが見どころかわからないほど広い。金ぴかの装飾が祭壇中を覆っています。
大聖堂としての大きさはローマ・バチカン市国のサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ世界第3位。ローマもロンドンも国の首都ですが、セビリアにその規模のものがあるのです。
もともとイスラムのモスクだったところを、当時の慣習にしたがってキリスト教会として使用。1366年の大地震で罹災したときに教会参事会が
「後世の人々が、我々が狂気を発したと思うような巨大な聖堂を建てようではないか」
と決議しました。そして1402年に着工、117年後の1519年に完成しました。(『旅名人ブックス64 アルハンブラ宮殿 南スペイン3都物語』、谷克二・文、日経BP、2004年ほか)
このころ、1347年からヨーロッパではペストが大流行。セビリアでも深刻でした。またレコンキスタ完成前のイスラムとの争いも続いていた時期です。「狂気を発した」という言葉にはその時代の空気もあるのでしょう。
ここで強く印象にのこったものは2つ。
一つはコロンブスの墓。普通に安置されているのではなく、スペインの4つの王国カスティリャ、アラゴン、レオン、ナバラの王がコロンブスの棺をうやうやしく担いでいるのです。等身以上の大きさの石像たちが神々しい。たっぷりとしたドレープをまとう王たちと立派な石棺からもコロンブスが、いかに大切にされているかが伝わってきます。
ところがその棺に肝心のコロンブスが入っていないかもしれない説を発見!
ドミニカ共和国が「ほんものはこちらだ」と主張し、立派なコロンブスの安置所もあるのです。こちらは1506年5月20日に亡くなったクリストファー・コロンブスの遺言に従って棺が安置されたものを継承しているとのこと。(https://wondertrip.jp/79977/)
ドミニカ共和国の言葉に基づいて、様々な雑誌やネットにもドミニカ共和国にあるコロンブスの棺の紹介が書かれています。なんと、セビリアから送られた、という話までありました。
ところがよくよく調べてみると、1777年に棺はドミニカ共和国からキューバのハバナ大聖堂に移されていました。1796年「バーゼルの和平」に基づいてスペイン領だった同地をフランスに割譲したためです。
さらに1892年にスペインは米西戦争にやぶれキューバをも手放すことになりました。その時にコロンブスの棺をスペインに持ち帰り、セビリア大聖堂に納めたのでした。
こうして棺の履歴書をみると、ドミニカ共和国でうその棺とすり替えられたなどの事件がない限り、まずセビリアで間違いないように思います。
しかし、コロンブスの棺は、スペインにとって本当に大切なものなのですね。
(つづく)