雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

番外編:雲南の誇り・ヤン・リーピン⑧

2010-02-28 12:08:32 | Weblog
写真は、昆明で売られていたクルミのおやつ。右上にはなにやら不思議な日本語が・・。(「代の佳品 味す具体化する 健康栄養美食・・」)

【美の秘訣】
 ヤン・リーピンさんは、「貧しい子に修学援助」などの記事で雲南の新聞や雑誌に写真付きで、しばしば登場します。その際、いつでも髪をアップにまとめ、赤や青色を配したタイ風民族衣装とたっぷりとしたドレープの入ったスカートや黒のズボンで颯爽と登場。小顔で色白、最近こそ、ライティングによってはやや疲れた表情のことはあっても、驚くほど若々しい。プロポーションにも崩れがないし、舞台に立つときの生足はすらりと白くてきれい。同性ながらドキリとさせられます。

 女性の歳に触れるのはちょっと失礼かもしれませんが、あえて触れます。1958年生まれ、ということは52歳のはず。(文革時代が子供時代とぴったり重なるのですね。その中で芸術を極める、というのは、親も含め、相当、大変だったはず。雲南映画でヒロインとして中国中を虜にした女優さんは、じつに口に出せないほどのむごい目に遭い、今も精神錯乱状態でご存命です。)
 それなのに、あの若々しさ。何か秘密があるのでは、と思うのは、人として当然でしょう。

 ヤン・リーピンさん自身は、じつに厳しく自己管理に励んでいるらしい。その秘訣をインタビュー記事から、ご紹介しましょう。(2009/12/21『都市時報』より)

「(明代に作られた漢方の教科書的存在の)『本草綱目』をよく見ています。冬瓜は痩せられる、クルミは髪を伸ばすのによい。ほうれん草は癌を防ぎ、キノコやニラは毒出しによい、という具合にね。

 毎日、早起きして、まず体重計に乗って増減をチェックしています。
 必ずしていることは、野菜と果物をたっぷりとること。ぶどうやトマト、ほうれん草、クルミ、なつめ、ブロッコリーなどを、いつも食べるようにしています。
 とはいえダンサーは運動をするわけですから、精の付くものも、たくさん食べなくてはなりません。栄養価の高い、魚、えびは一週間のうちに少なくとも2回は摂ります。毎朝、豆乳を飲み、夜には牛乳を飲みます。

 私はおなかが空くと、すぐに食べます。『本草綱目』は、先祖代々から伝わるもので、誰でも見ることができる書物です。それさえ読んでいれば、私には有名化粧品も、それほど必要とはしないのです。」

 なるほど察するに、魚は食べても肉をあまり食べない、というのも、ポイントの一つのようです。主食は雲南なので、やはり米でしょう。『本草綱目』は注釈も含めると、枕3つ分にはなりそうな、大著です。それを本気で読み込むことは、実際には難しいとしても、ヤン・リーピンさんのまねっこぐらいなら、お金もかからないし、実践できそうです。皆さんもいかがですか? 
         (「雲南の誇り・ヤン・リーピン」の巻、了)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲南の誇り・ヤン・リーピン⑦

2010-02-21 10:06:45 | Weblog
シーサンパンナ・モンフンの市場にて。写真はかごを売るタイ族の女性たち。市場の主役は買い手も売り手ももちろん女性。男性はヒヨコをつついたり、ビリヤードに興じたりと、なんとなくのんびり。

【「孔雀の舞」の系譜】
 さて、「孔雀の精霊」は、いまでも彼女の重要演目の一つだ。腕から指先までの関節を自在に使った指遣いなど独特のテクニックはシーサンパンナや徳宏タイ族で継承されてきた独特のもの。それをどのようにして、ヤン・リーピンが舞台化していったのかを考えてみたい。

『雲南文化芸術詞典』(雲南省民俗芸術研究所など編、雲南人民出版社、1997年)によると、「孔雀の舞」の正式な踊り(神事など)は、男性のみによって演じられる。自然界でも、もともと優美な羽根でダンスする孔雀は雄なのだから、考えてみれば当然である。ちなみにタイ族にとって、「孔雀」は幸福の象徴だ。

 その踊りは優雅というよりは、水を飲む、森林を散歩する、飛ぶ、といった生態模写風。服装も緑色の服に、塔形の帽子をかぶって孔雀の格好とする。地域によっては菩薩の面をつけることもあるらしい。

 女性の踊りは調べた限りでは見あたらないが、「ない」のではなく、神事以外の場で踊られていたのだろう。

 これらの素材に舞台化が成功したのが、1957年のこと。中央歌舞団の演出家・金明が、集団で行う女性舞踊「孔雀の舞」を発表し、モスクワの舞踊大会で金賞を獲得した。同時に同歌舞団の雲南タイ族出身の男性ダンサー・毛相も、二人舞の「孔雀の舞」を発表して同大会で銀賞を獲得し、周恩来に絶賛された。こうして「孔雀の舞」は有名になり、伝統の舞の一つとなった。

 20年の時を経てヤン・リーピンが、その型を継承、発展させてウエディングドレスのようなふくらみのある白のドレスを着て優雅に舞って見せたのである。これに人々はしびれた。
 そして今やインターネットやちょっとした雲南ガイドで「孔雀の舞」といえば、ヤン・リーピンの舞う姿がスタンダードとして取り上げられるまでに定着していった。このように雲南の伝統的な舞のスタンダードが彼女の影響力によって、ゆるやかに改変され、昆明の「雲南民族村」や本場、シーサンパンナの民族生態村などで古くから伝わる踊りとして、上演される事態となってしまったのである。

 現在、雲南は浙江省など沿海地区の実業家による資本投下で大々的に観光化している。各地の観光村の踊りは、観光化が進むほど、本来の形から変容している。たとえばイ族の踊りにかかかせないバンジョーのような楽器には弦がなく、ただ弾くまねだけ、とか、衣装は手縫いの刺繍ではなく、ポリエステルに模様をプリントしただけ、といった有様だ。振り付けもバレエ風なこともある。

 その一方で伝統的な祭りを復活させようとするアツい動きも、ないわけではない。2005年、維西にほど近い山奥の村で、文化大革命前(1970年前半までの10年間)の記憶を持ち寄って、村の元校長や村長らを中心として、伝統的な祭りと踊りを復活させた。とくに地元のマスコミは関心を示さなかったが、日本人研究者が数名、取材に訪れている。

 ヤン・リーピンも農村に伝わる本来の手作りの衣装を着、本来の踊りを残す方向で努力を重ねている。それは雲南各地の伝統から外れつつある観光村を見た人達には「本物の迫力」として確かに伝わるものがある。だが、舞台に載せた時点で、厳しいようだが、やはり変容するものはでてきてしまう、ようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲南の誇り・ヤンリーピン⑥

2010-02-14 15:26:47 | Weblog
写真はシーサンパンナ・チンホン周辺のタイ族の村で見た冬瓜。畑から外れて、蔓で絡まった冬瓜が大木からニュルリと垂れ下がる。それに思わず、竹で編んだ添え木で成長を待つタイ族の人の気持ちがあたたかい。

【映画界でも成功】
 ここでヤン・リーピンの経歴に触れておこう。
大理の白族出身。1971年、13歳で大理からシーサンパンナ歌舞団に入団。1980年に中央民族歌舞団に移籍する。
(つまり出世。ちなみに中国では地方から選出された人を中央へと集める中央集権システムが今でも機能している。子供の習い事の主軸である「少年宮」や幼稚園などに行くと、選抜試験の概要が、張り出されていました。)

 1986年、28歳の時にシーサンパンナの伝統的な孔雀の舞をヒントに、自ら創作、主演によるソロダンス「孔雀の精霊」で、第2回舞踊コンクールで創作、演技両部門で1等賞を獲得し、遅咲きの華を咲かせた。

 同年、雲南の少数民族であるタイ族、ワ族、チンポー族、ハニ族の舞踊をプログラム化した「ヤン・リーピン舞踊晩餐会」を開き、確固たる地位を確立。これが、現在へと続く「雲南映像」の原型ともなった。

 また彼女は舞踊家以外の才能にも恵まれていた。
1997年、映画「太陽鳥」を脚本・監督・主演し、カナダモントリオール国際映画賞・審査員特別賞を受賞した。

 内容は少数民族出身の娘が一流の舞踏家となり、そして・・、という彼女の自伝的要素の濃いものだ。音楽は「黄色い大地」「紅いコーリャン」「さらばわが愛、覇王別姫」のチャオ・チーピン。現代を青、過去を黄色い大地と赤い血で染め上げたような、なんとも不思議な映画であった。(中国語学校の「日中学院」の図書室に、古びたビデオがあり、「火の鳥」と書かれていたのを、手塚治虫アニメと勘違いして借りました。再生してみて愕然としたものです。)

*この回が思いの外、長くなってしまっております。雲南の芸能事情を、と詰め込んでまして。お付き合いくださり、本当にありがとうございます。

*2月13日(土)『世界! ふしぎ発見』で雲南および、ヤン・リーピンさんを取り上げてました。シャングリラの松讃林寺や文山自治州付近の龍舞など、雲南を垂直移動。高度4000メートルから140メートル付近まで、レポートにでかけ、体当たりで踊るミステリーハンターさんは、体力勝負だなあ、と改めて感心しました。
 私は松讃林寺の高地では酸素不足と紫外線に負け、ベンズランというヒマラヤ山系の山間にある低地ではそこにたどり着くまでの山のくねくね道に酔い、という記憶がまず、思い起こされます。だからこそ、見るもの聞くものへの執着が増すのかもしれませんが・・。
 番組ででてきたベンズランのチベット族の方々が一晩中踊るダンス。ミステリーハンターが一生懸命、足裁きを教わってがんばっていました。一見、足しか動かしてないし、見た目、ゆるやかに横に移動しているだけで、簡単そうなのですが、あれは本当に、動きが複雑で、リズムも難しいのです。簡単だよ、と、現地の方に手を取られたのですが、どうがんばっても一つとして満足にはできませんでした。

 かつては(今でも! シャングリラの街中で薪を囲いながら、夜、次々と若者が吹き出てきて、あの、踊りを輪になって踊る祭りに遭遇しました。楽しそうだし、みんな真剣な感じで、とても近寄れませんでした。)そんな踊りの輪の中で恋人を決めたそうなので、あの世界では、私は一生、相手にされないことでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲南の誇り・ヤン・リーピン⑤

2010-02-06 18:27:53 | Weblog
              

              

写真上は大理で毎夜、開かれる『胡蝶の夢』の南詔国の儀仗隊の場面。
写真下は、大理で発掘された、おそらく南詔国の楽隊の像。(大理の博物館にて撮影。)

【雲南映像の遺したもの】
 残念ながら「雲南映像」は終了したが、この成功は、雲南観光業に多大なる影響を及ぼした。まず、雲南各地の主要観光地(*注)に、似たような大がかりな夜公演が開かれるようになった。いずれも観光客がホテルやタクシーの運転手に一言、行く意思を告げれば、流れるようにチケットが用意され、場合によっては夜のお迎えまでつく。

 実際、どこに行っても、ご高齢の日本人観光客に出会った。

「一日中、旅行会社設定のハードな旅程をこなし、雲南料理のフルコースで胃を重くして、夜の舞台見物か・・。」
 とため息が出たものだ。(私なぞの体力ではとても無理!)

 2005年2月から始まった大理の「胡蝶の夢」を例に挙げよう。

 大理にかつて栄えたという南詔国の儀仗隊と白族の争いをモチーフにした踊り、というフィクションがひたすら繰り広げられ、派手な音楽と光とアクロバティックな要素も加わった一大スペクタクル。ヤン・リーピンの「月光」とそっくりの踊り、ちょっとディズニーシーあたりで見たようなデジャブーにもおそわれる・・。

 踊りの形式は雲南の少数民族とは縁もゆかりもない、西洋バレエを基礎としたもので、北京の有名演出家が指揮し、中国各地から集まったプロの劇団員98名が踊るというもの。

 中国では先駆的だった、ヤン・リーピンら民間の独自運営、本物の「雲南少数民族」にこだわった『雲南映像』とは違い、市の中心部に「胡蝶の夢芸術劇場」という特設スタジオを持ち、2匹目のドジョウを狙う政府後援のものなので、その性格も自ずと異なってくる。

 大理を旅した中国の若者のブログを見ると、「胡蝶の夢」のような舞台は北京でいくらでも見られる、と評判は今ひとつだが、2005年11月に行われた第5回中国舞踊荷花賞では、舞踊詩銀賞ならびに最優秀舞台美術賞を受賞している。さすが中国第一級演出家の舞台といえよう。

 ただ、このことからも分かるとおり、観光向けの企画に特化するあまり、見せ物的で、ただ美しいだけの、スペクタクルな踊りばかりが目立つようになってきた。当然、雲南の伝統的な踊りそのものにも、大きな影響を与えている。(このことは次回に。)

 ちなみに「胡蝶の夢」など、現在も公演は続行中。政府がバックについているから、と経営が甘くなる、どこぞの航空会社のようにならないことを祈りたい。

 とはいえ、日々の舞台の中心はあくまで若手劇団員。夜10時過ぎに舞台が終了するやいなや、劇団員が疲れも知らずに一生懸命に稽古をする姿は、向上心に満ちあふれており、不意に本編以上に感動してしまった。

*注 ほかには麗江『印象麗江』『麗水金沙』、シーサンパンナ『モンパラナシー(勐巴拉那西)』など。
               
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする