雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のこんにゃく①

2012-02-26 15:23:42 | Weblog
写真は昆明の市場で買ったこんにゃく。味噌売り場のおばさんがいつも、赤い洗面器に水を張り、中に数個のこんにゃくを浮かべて売っていた。味は日本のこんにゃくとたいして変わらない。気泡が多いせいか、味のしみこみがよく、やわらかい。

【雲南では当たり前】
 雲南には、植物の原産地と呼ばれるものが多い。お茶、米、桜草、ある種のバナナなど。沖縄西表島を中心とした低緯度帯に、海抜74メートルから標高6740メートルまでバラエティに富んだ地理環境があり、加えて適度な降雨、深く切り込んだ谷間などが様々な種類の植物をはぐくんだのだろう。こんにゃくもその一つ、といわれている。

 いわゆる中華料理にはこんにゃくを使う料理はないのだが、中国西南部地域、とくに四川省、貴州省、雲南省には、ごくごく普通に、存在する。

里芋の大親分のような、ちょいとグロテスクなこんにゃく芋を磨りつぶし、あるいは粉状にして水に溶いてのり状にし、灰や石灰などのアルカリで凝固させ、火を通した日本でおなじみのあの、こんにゃくである。

 日本人にとっては「こんにゃくでしょ? それがなにか。」といわれそうだが、中国ではじつはとっても珍しい存在なのである。かつて北京出身の中国人にこんにゃくの話をしたことがあるが、「中国で見たことがない」と一蹴されてしまった。『中国食物事典』(柴田書店)などの食物の本や一般の辞書を見ても、「コンニャクは中国全体でみても重要な野菜ではない」「コンニャク食の少ない中国では、工業用原料と輸出用が主である。最近北京の市場で日本のコンニャクと(中略)まったく同一のコンニャクを見た。」と記されるほどなのである。

 じつは雲南料理と銘打った伝統料理の数々を調べ上げても、こんにゃくを使った料理名はほとんど見あたらない。だが、気取らない家庭料理に、当たり前の顔をしてさりげなく入っている。

 昆明では不思議と大型スーパーでは、見つけにくいのだが、一般の市場なら、必ず味噌などの調味加工品区コーナーを見れば売っている。

 手でちぎったようにざくっとした手触りの、肉まん程度の大きさの団子状のものか、洗面器で固めた不定形なものを500グラム単位で切りわけてくれる。日本のような、わざわざヒジキなどの海藻を混ぜて体裁を整えているあの黒い粒々はなく、灰色に切り分けると中がほんのり黄色みがかったような色をしている。食感も日本で機械生産された一般的なこんにゃくほど固くはなく、ふわっ、ぐにゃっとした食感。家族経営のように作っているところが多いので気泡も多く、やわらかくて味のしみこみがいい。鍋に入れたり、炒め物に加えたりして使われる。

 一年間、中国で暮らそうと考えていた時、住む場所の選択の決め手となったのが、じつはこんにゃくだった。

 「北京や上海などでは見かけないこんにゃくが、雲南の市場では普通に売っていた」と家人が見てきて、これなら、日本料理の素材を揃えて日本料理の自炊で一年間は体調の維持ができる、と踏んだのである。

 雲南省南部のシーサンパンナでは、刻み唐辛子と香菜ふうのなにかの草入りのこんにゃく玉も売られていた。日本でこのようなこんにゃくは見たことがなかったので、そういえばそういう加工法もあるのだなあ、と感心してしまった。私は見たことはないが、四川省には、こんにゃくを凍らせて、水分を抜いた「凍みこんにゃく」もあるそうだ。        (つづく)
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雲南のお豆⑦

2012-02-12 16:57:41 | Weblog
雲南省中東部の文山付近の農村の食事。枝豆などの豆料理がふんだんに取りそろえられる。

【豆類の作付面積、全国一】
さて、この1946年の中国全土の収穫物の調査資料を基に、独自に収穫物に占めるそら豆とえんどう豆の比率を計算してみました。すると以下の通りになりました。

「全糧食作付け面積統計の中でそら豆とえんどう豆が占める作付面積の割合の主なもの。

黒竜江省10%、遼寧省14%、吉林省10%、山西省14%、河北省2%、山東省1%、河南省5%、浙江省13%、湖北省14%、湖南省12%、福建省2%、広東省2%、四川省17%、貴州省13%、雲南省24%」
(上記は『民国時期糧食安全研究』(任新平著、2011年、中国物資出版社)で掲載された資料をもとに、筆者が作成)

 このように中国西南地域においてそら豆とえんどう豆の作付け面積が多く、なかでも雲南が全国一だったことがわかります。ちなみに資料を精査すると、当時、遼寧省ならコウリャンが全国一、吉林省は大豆全国一、河南省は小麦が全国一、広東省は稲が全国一となっており、それぞれの地域の主食の特徴がはっきりとあらわれていました。
 このように他省と比べても、雲南では普段の食生活が豆に依存する献立となることが作付面積からも裏付けられました。

 食料が不足していた文化大革命時代は、水の比率を高めた「今で言うと粗悪な米線」に蒸し上げられたものを食べて飢えをしのいだ、というエピソードもありますから、それよりも豆類に依存した食生活の方がはるかにましな献立だったのでしょう。
現在では、ある程度のお金を出せば、黒竜江省など中国東北地方からの優良なお米が手軽に手に入る時代。「豆悶飯」などは、雲南料理の店に行ってようやく食べられるものとなっていますし、人々は米線もしっかりとお米の風味のある最高においしい米線が食べられる「豊かな時代」を満喫しています。
それでも、豌豆粉などの豆類料理が他省とは独自の味の展開を見せ、独特の存在感を放つのは、その地域性や歴史が深くかかわっているからでしょう。
(「雲南のお豆」の章、おわり。次週の更新はお休みさせていただきます。)

*次回のテーマはこの回の料理写真にもでていた「こんにゃく」。おたのしみに。
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雲南のお豆⑥

2012-02-05 14:36:46 | Weblog


写真上は雲南省北西部の維西のチベット族の村でのおもてなしのお茶うけ。お米をあげたスナックとクルミ、ひまわりの種、果物、栗の実が並ぶ。
写真下は麗江特産の鶏豌豆粉。えんどう豆に黒い色素が多く含まれているため、別名・黒豆腐とも。鶏えんどう豆を水とともにつぶして、じっくりと鍋で火を通す。地元の人々の憩いの一杯となっている。(2005年、麗江にて。)いずれにしても、よくよく考えると食事の中での豆の比重の高さに驚かされる。

【そら豆の値段】
 1945年当時の人々が普段、何を食べていたのも調査されました。結果は、

貧農 雑糧つまりそら豆などと小麦が主食
中農 米と雑糧が主食
富農 米が主食
  とあります。
つまり、主食が米なのは富裕層だけで庶民の食事を主に支えていたのは豆類なのでした。
「多くの住民はそら豆を水に浸けた後、米と蒸す『豆悶飯』が日の半分を占めた。(中略)豆と米、麦を混合して食べるのが伝統になっていた。」とも記されています。
ちなみに
「1946年3月の市場価格では米1升が1200元、そら豆1升が420元。」(胡慶鈞著『漢村与苗郷』天津古籍出版社2009年より)
ということですから、米以外で嵩を増やしたくなる気持ちも、よくわかります。

【緑あざやかな豆ごはん】
 ちなみに「豆悶飯」とは日本の赤飯の、うるち米バージョンのようなもの。雲南でも伝統的な雲南料理を食べさせてくれるお店で、今でも味わうことができます。そら豆の黄緑が白いごはんに映えて、見た目もさわやかで、ふくらみのあるおいしさでした。
日本にも豆ごはんは昔からありますが、豆とご飯を炊飯器に入れるだけ、のお手軽豆ごはんなら、現代の薬膳本やダイエット本で、よく見かける人気のメニューです。わが家でも、娘のリクエストでよく豆を入れて炊き込みますが、ちょっとの手間で上品な味わいとなります。ただし、その場合の豆の比率は、米の1/20程度。それ以上を超えると、豆っぽくなりすぎて、ご飯を食べる感覚が薄くなり、主食としては物足りなくて寂しい味になります。おそらく、調査当時の「豆悶飯」は収穫量から考えても豆のお米が同量、もしくは豆の量が勝るようなものだったのでないでしょうか。
私の父は第2次世界大戦時に日本で幼少期を過ごしていますが、当時、ご飯よりもサツマイモやカボチャを食べさせられたため、今でもこの2つはきらいな食べ物となっています。今ではおいしい「豆悶飯」も、当時の雲南では豆の味ばかりで、子ども達の豆嫌いを加速させることもあったようです。
(つづく)

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