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雲南の誇り・ヤンリーピン⑥

2010-02-14 15:26:47 | Weblog
写真はシーサンパンナ・チンホン周辺のタイ族の村で見た冬瓜。畑から外れて、蔓で絡まった冬瓜が大木からニュルリと垂れ下がる。それに思わず、竹で編んだ添え木で成長を待つタイ族の人の気持ちがあたたかい。

【映画界でも成功】
 ここでヤン・リーピンの経歴に触れておこう。
大理の白族出身。1971年、13歳で大理からシーサンパンナ歌舞団に入団。1980年に中央民族歌舞団に移籍する。
(つまり出世。ちなみに中国では地方から選出された人を中央へと集める中央集権システムが今でも機能している。子供の習い事の主軸である「少年宮」や幼稚園などに行くと、選抜試験の概要が、張り出されていました。)

 1986年、28歳の時にシーサンパンナの伝統的な孔雀の舞をヒントに、自ら創作、主演によるソロダンス「孔雀の精霊」で、第2回舞踊コンクールで創作、演技両部門で1等賞を獲得し、遅咲きの華を咲かせた。

 同年、雲南の少数民族であるタイ族、ワ族、チンポー族、ハニ族の舞踊をプログラム化した「ヤン・リーピン舞踊晩餐会」を開き、確固たる地位を確立。これが、現在へと続く「雲南映像」の原型ともなった。

 また彼女は舞踊家以外の才能にも恵まれていた。
1997年、映画「太陽鳥」を脚本・監督・主演し、カナダモントリオール国際映画賞・審査員特別賞を受賞した。

 内容は少数民族出身の娘が一流の舞踏家となり、そして・・、という彼女の自伝的要素の濃いものだ。音楽は「黄色い大地」「紅いコーリャン」「さらばわが愛、覇王別姫」のチャオ・チーピン。現代を青、過去を黄色い大地と赤い血で染め上げたような、なんとも不思議な映画であった。(中国語学校の「日中学院」の図書室に、古びたビデオがあり、「火の鳥」と書かれていたのを、手塚治虫アニメと勘違いして借りました。再生してみて愕然としたものです。)

*この回が思いの外、長くなってしまっております。雲南の芸能事情を、と詰め込んでまして。お付き合いくださり、本当にありがとうございます。

*2月13日(土)『世界! ふしぎ発見』で雲南および、ヤン・リーピンさんを取り上げてました。シャングリラの松讃林寺や文山自治州付近の龍舞など、雲南を垂直移動。高度4000メートルから140メートル付近まで、レポートにでかけ、体当たりで踊るミステリーハンターさんは、体力勝負だなあ、と改めて感心しました。
 私は松讃林寺の高地では酸素不足と紫外線に負け、ベンズランというヒマラヤ山系の山間にある低地ではそこにたどり着くまでの山のくねくね道に酔い、という記憶がまず、思い起こされます。だからこそ、見るもの聞くものへの執着が増すのかもしれませんが・・。
 番組ででてきたベンズランのチベット族の方々が一晩中踊るダンス。ミステリーハンターが一生懸命、足裁きを教わってがんばっていました。一見、足しか動かしてないし、見た目、ゆるやかに横に移動しているだけで、簡単そうなのですが、あれは本当に、動きが複雑で、リズムも難しいのです。簡単だよ、と、現地の方に手を取られたのですが、どうがんばっても一つとして満足にはできませんでした。

 かつては(今でも! シャングリラの街中で薪を囲いながら、夜、次々と若者が吹き出てきて、あの、踊りを輪になって踊る祭りに遭遇しました。楽しそうだし、みんな真剣な感じで、とても近寄れませんでした。)そんな踊りの輪の中で恋人を決めたそうなので、あの世界では、私は一生、相手にされないことでしょう。
コメント
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