昆明市北市街からさらに先にいった2010年夏当時の昆明市街のへり。ここから先は紅茶けた大地と農村となる。2004年のころの昆明市北の市街地よりさらに8キロほど広がっていた。
ちなみに市の南側の拡がる様はもっとすごいことになっていた。
【昆明市のみずがめへ1(当時の取材ノートより)】
2010年夏、昆明市内中心部からおよそ18㎞の松華坝ダムへ向かうことにした。このダムは昆明市民のいまや主要飲料水となっているのだ。
拡がり続ける昆明市街地からは距離にして10㎞もないほど近い。頑張れば歩いても行けそうだ。だが、迷うことのないようにタクシーを使うことにする。
ところが例によってタクシーがつかまらない。載せてくれるのは「わからないが、とにかくいってみよう。」というあやしさ全開の車だけ。あぶないので断る。
次に書店にいって地名のはっきり入った地図を買う。その地図を見せながら「この場所に行きたいのですが」と言えば文句はあるまいとの目算だ。ところが「とおいなあ」の一言で2台も断られる。行ってはいけない場所なのか、と聞くと、そうでもないらしいが、とにかく一般の観光客や市民が行きたがる場所以外は考えることすらイヤらしい。
さらに何人かに断られた後、ダムのある上坝村までなら、という条件で載せてくれるタクシーに出会う。フー。運転手自身がその村付近の出身のようだ。
市内中心部から出発したタクシーは、地下鉄工事の進む北京路を北へ進み(その3カ月前に着工したばかり。2012年秋開業の予定だった。交通整理もなく、はげしく渋滞していた。タクシーの運転手は「工事が始まってからはいつでもこう」とあきれていた。)開発中の20階建て以上の乱立するビル群を抜けて、北東に道を折れた。
(私が暮らした、その6年前までは、ここも農村だったのに、そのおもかげはなし。こんなに作って、水や下水は大丈夫なのだろうか? そもそも売れるのか? これ以上先は昆明を囲む山々を開発しないと拡大しようがないほどに膨張していた。
また昆明の地下鉄は、現在、2013年の春節2月10日開業を目指してなお準備中。ただ先週1月8日の試運転時にトンネル上部の防火扉の脱落による脱線事故を起こして、運転手一人が死亡、1人が負傷したので、開業がさらに遅れるとの観測も。)
折れた先の道からは、のどかな空間になった。緑の木々が茂るなか、まっすぐに伸びた盤龍江上流にあたる細い水路が北東を目指して進む。水路の両脇には土の道路が挟む。さらにその両脇は農業科学院研究所展示センターや、建設資材の工場、ひなびた釣り上げた鱒を食べさせる食堂などが木々の間の合間に見え隠れする。
と、上坝村に着いた。
(つづく)