26日に走ってきた「姫街道マラニック」の様子である。走友であるDさんの呼びかけで、集まったのは8人の女性と4人の男性の12人だった。最初は女性だけに呼びかけていたようだが、回り回って私のほうにも耳に入り急遽参加させてもらうことになった。当日にならないと、誰が来るかわからないという話であったが、集まったのは顔見知りの人たちばかりであった。
さて「姫街道」とは、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道である。東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名があり約60キロほどある。今回は、その全てではなく、浜松市有玉の自動車学校前駅から豊川稲荷を経て近くの温泉「コロナの湯」までの約45キロのコースを走ることになった。当初Dさんの話では、30~35キロくらいだと聞いていたが、自分でもコースを確認のため調べてみたら、45キロくらいになったので、取り急ぎDさんに連絡した。再度確認してもらったら「そのくらいあるかも」との返事だった。しかし、10キロくらい増えても動じることはなく「まあっ、いいか」ということで決行である。
遠州鉄道「自動車学校駅」に集合し、まずは全員で集合写真の撮影である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/d1/dbd76e559c634124cd00a2b00c15a481.jpg)
予定の8時半より遅れ、8時45分に駅をスタートする。前日からの寒波で朝から底冷えする天気であった。まずは、遠州鉄道の踏切を渡り西へ進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/74/b703d6f9e0a35e1d7a31023dfafd831e.jpg)
152号線を横断して、馬込川に架かる五枚橋を渡り、住宅街の細い路地の坂道を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/6a/0ed6262013f96161b99d2c88463ef6f7.jpg)
坂道を上りきった右手で、県道に合流する手前に「最古の道標」と書かれた石碑がある。「右 きが かなさし 左 庄内道」と刻まれいて姫街道では最古の道標である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/b5/2726893dc43cac1df37cd5b9f30ba2a0.jpg)
県道に再び合流してさらに西へと走る。257号バイパス(満州街道)の広い交差点を車に気をつけながら渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/fb/4b5eaf9e4a4695fc4460fc4fd7dd961f.jpg)
257号の元追分の交差点に到着する。時間は9時15分。走り出してから30分ほどである。前方には、松並木が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/b6/bc4024bc59e163ab7c94b7754c427071.jpg)
松並木の道が、姫街道である。松の手前には遠州姫街道の行灯が置かれている。横の建物の壁には、姫街道を通った姫たちの様子が描かれているが、あまりも美しすぎる姫様である。しばらくは、松並木沿いの道を進むことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/07/186dbf18bd7bb74ea0ddac933ca60981.jpg)
松並木の県道261号線をさらに進み、権七、大山、大谷橋を過ぎるとY字路となり左手のガードレールで遮断された細い道に入る。ここから261号線と分かれる。しばらく進むと六地蔵が祀られた場所にでる。この裏側に竹藪があり、昔、処刑場だったと言う。処刑された人の霊を慰めるために建てられたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/52/6f76463e98a9d86b2fa373a64df30522.jpg)
交差点から、700mのところで道が別れ右手へすすむ。しばらく行くと、大きなタンクが見えてくる。大きなタンクの側面には、姫様の絵が描かれている。このまま右に行ってしまいそうになるが、左側に入りタンクの近くまで行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0e/344fbbed4a45ba76aa0d125f12fce8e8.jpg)
タンクの脇に、本当にここでいいのかと迷うような細い道があった。これが、まさしく姫街道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/93/f7489ca9c5bca515f1e1d33d27ad7d29.jpg)
落ち葉の道を下る。この辺りの下り坂を長坂というらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/09/eb86aac0ca42df5a0a42ba150f987949.jpg)
車がほとんど通らないような細い道を抜け、県道261号に再び合流する。すぐ先は、都田川に架かる落合橋となる。当時の姫街道には、橋がなく渡し舟で都田川を渡ったらしい。今回は、止むを得ず落合橋をそのまま渡り、気賀の街中に入る。宿場通りを進み細江神社に向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/aa/9d04b9054ca8ba7a0a484b0d21409086.jpg)
細江神社で、マラニックの安全を祈願する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/f4/d50e1c8774fc442d51bb5adce6ed2f44.jpg)
本来の姫街道は、細江神社から中村本陣跡、正明寺と進み気賀関所に寄るのだが、この日はDさんのやりのこした「犬くぐり道」を行くことにした。「犬くぐり道」とは、気賀関所の取り締まりのため、付近の住人の通行に不便をきたしたため、領主が作った裏道である。道の途中にむしろ1枚をたらし、立って歩く人間は通れないが犬がくぐるのはさしつかえないという、法の抜け道だったのである。細江神社の奥にある姫街道歴史民族資料館の先にある細い道を探し当て、そこを進むことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/07/761d76916d36af27945ab621c67d8d44.jpg)
ところどころに「犬くぐり道」の看板が出ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5e/c9292a86a157a5b218d8452e681a5be9.jpg)
墓地の中も抜けていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/f9/19c9184a5a258434d74e3c5fc6da6d0b.jpg)
「犬くぐり道」を抜けると、本来の姫街道に戻る。呉石田園公園でトイレ休憩をする。公園前には、「呉石學校の跡」碑と二ノ宮尊徳像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/8e/a08558c90c59b7f08bd02adca674c917.jpg)
その後も、舗装された広い道が続く。姫街道の案内標識がいたるところに立てられているので迷うことはない。一面のみかん畑を上り詰めた所の右手に尉ケ峰ハイキングコースの入口があり、「姫街道 清水みのる 尋ねようもない幾年月の中で姫街道は今も静かに息づいている。」と書かれた石碑があった。清水みのるは昭和初期~中期に活躍した浜松出身の作詞家である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a2/e223a13ab7b2239411ea6bfd8c722730.jpg)
そして左手を見ると、浜名湖の素晴らしい景色が見えた。この街道でも随一の景観のよい場所で小引佐と呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/57/bf4bbb1af996f66443e5ae83cf5ebceb.jpg)
小引佐から5分ほどで、薬師如来像が安置されている薬師堂に到着する。その隣には、秋葉山常夜灯が立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/66/731970fe12f09ebe9eb08edbf184ce69.jpg)
農道を進み、姫街道の標識がある石畳の道を上る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/0f/211aa4227e729490a922d2fd8929e6f6.jpg)
上から見るとこんな場所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/58/d24648a07f12c70e5f31483c889b870d.jpg)
薄暗い林の中の石畳の道を進むと、屋根のある休憩所に出た。その隣には、八畳ほどの平らな岩があり「姫岩」と呼ばれている。昔、姫様の行列がここで休み「お姫様、お駕寵からお降りくだされ」と駕龍からお姫様がお降りになると「まあ、よい景色」と言って、しばらく景色を眺めながら石畳の道を歩いたといわれる場所である。この上に座ると良いことが起こるとも言われており、マラニックのお姫様たちもこの岩の上で良いことが起きることを願ったみたいだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/af/9165de4d6fb9c1e23b0d1d021befbbd3.jpg)
階段を上りきったところが引佐峠である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cc/0957e5696fb40595d3e494758e8a5830.jpg)
引佐峠で少し休憩したのち、石畳の道を下っていく。この下り坂は「象鳴き坂」と呼ばれ、1729年ベトナムより献上された象が、京から江戸に行く途中、あまりの急坂に悲鳴をあげたと言われる場所である。短い区間だが、象が悲鳴をあげたのも納得できるほどの急坂だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/c1/3b31a05e65cf2ef89cc1bb90473fb553.jpg)
更に先へ進むと、「石投げ岩」を通る。昔の旅人が、この岩に石を投げて旅の無事を祈った場所だ。我々も石を投げてマラニックの無事を祈った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/57/74fe1fcb214842fb671afdeabebad0f5.jpg)
時間は12時を少し回ったところである。距離にして20キロくらいだ。まだ全行程の半分も来ていない。続きは後半へ。
さて「姫街道」とは、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道である。東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名があり約60キロほどある。今回は、その全てではなく、浜松市有玉の自動車学校前駅から豊川稲荷を経て近くの温泉「コロナの湯」までの約45キロのコースを走ることになった。当初Dさんの話では、30~35キロくらいだと聞いていたが、自分でもコースを確認のため調べてみたら、45キロくらいになったので、取り急ぎDさんに連絡した。再度確認してもらったら「そのくらいあるかも」との返事だった。しかし、10キロくらい増えても動じることはなく「まあっ、いいか」ということで決行である。
遠州鉄道「自動車学校駅」に集合し、まずは全員で集合写真の撮影である。
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予定の8時半より遅れ、8時45分に駅をスタートする。前日からの寒波で朝から底冷えする天気であった。まずは、遠州鉄道の踏切を渡り西へ進む。
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152号線を横断して、馬込川に架かる五枚橋を渡り、住宅街の細い路地の坂道を上がる。
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坂道を上りきった右手で、県道に合流する手前に「最古の道標」と書かれた石碑がある。「右 きが かなさし 左 庄内道」と刻まれいて姫街道では最古の道標である。
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県道に再び合流してさらに西へと走る。257号バイパス(満州街道)の広い交差点を車に気をつけながら渡る。
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257号の元追分の交差点に到着する。時間は9時15分。走り出してから30分ほどである。前方には、松並木が見える。
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松並木の道が、姫街道である。松の手前には遠州姫街道の行灯が置かれている。横の建物の壁には、姫街道を通った姫たちの様子が描かれているが、あまりも美しすぎる姫様である。しばらくは、松並木沿いの道を進むことになる。
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松並木の県道261号線をさらに進み、権七、大山、大谷橋を過ぎるとY字路となり左手のガードレールで遮断された細い道に入る。ここから261号線と分かれる。しばらく進むと六地蔵が祀られた場所にでる。この裏側に竹藪があり、昔、処刑場だったと言う。処刑された人の霊を慰めるために建てられたそうだ。
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交差点から、700mのところで道が別れ右手へすすむ。しばらく行くと、大きなタンクが見えてくる。大きなタンクの側面には、姫様の絵が描かれている。このまま右に行ってしまいそうになるが、左側に入りタンクの近くまで行く。
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タンクの脇に、本当にここでいいのかと迷うような細い道があった。これが、まさしく姫街道である。
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落ち葉の道を下る。この辺りの下り坂を長坂というらしい。
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車がほとんど通らないような細い道を抜け、県道261号に再び合流する。すぐ先は、都田川に架かる落合橋となる。当時の姫街道には、橋がなく渡し舟で都田川を渡ったらしい。今回は、止むを得ず落合橋をそのまま渡り、気賀の街中に入る。宿場通りを進み細江神社に向かった。
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細江神社で、マラニックの安全を祈願する。
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本来の姫街道は、細江神社から中村本陣跡、正明寺と進み気賀関所に寄るのだが、この日はDさんのやりのこした「犬くぐり道」を行くことにした。「犬くぐり道」とは、気賀関所の取り締まりのため、付近の住人の通行に不便をきたしたため、領主が作った裏道である。道の途中にむしろ1枚をたらし、立って歩く人間は通れないが犬がくぐるのはさしつかえないという、法の抜け道だったのである。細江神社の奥にある姫街道歴史民族資料館の先にある細い道を探し当て、そこを進むことにした。
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ところどころに「犬くぐり道」の看板が出ている。
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墓地の中も抜けていく。
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「犬くぐり道」を抜けると、本来の姫街道に戻る。呉石田園公園でトイレ休憩をする。公園前には、「呉石學校の跡」碑と二ノ宮尊徳像がある。
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その後も、舗装された広い道が続く。姫街道の案内標識がいたるところに立てられているので迷うことはない。一面のみかん畑を上り詰めた所の右手に尉ケ峰ハイキングコースの入口があり、「姫街道 清水みのる 尋ねようもない幾年月の中で姫街道は今も静かに息づいている。」と書かれた石碑があった。清水みのるは昭和初期~中期に活躍した浜松出身の作詞家である。
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そして左手を見ると、浜名湖の素晴らしい景色が見えた。この街道でも随一の景観のよい場所で小引佐と呼ばれている。
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小引佐から5分ほどで、薬師如来像が安置されている薬師堂に到着する。その隣には、秋葉山常夜灯が立っている。
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農道を進み、姫街道の標識がある石畳の道を上る。
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上から見るとこんな場所だ。
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薄暗い林の中の石畳の道を進むと、屋根のある休憩所に出た。その隣には、八畳ほどの平らな岩があり「姫岩」と呼ばれている。昔、姫様の行列がここで休み「お姫様、お駕寵からお降りくだされ」と駕龍からお姫様がお降りになると「まあ、よい景色」と言って、しばらく景色を眺めながら石畳の道を歩いたといわれる場所である。この上に座ると良いことが起こるとも言われており、マラニックのお姫様たちもこの岩の上で良いことが起きることを願ったみたいだ。
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階段を上りきったところが引佐峠である。
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引佐峠で少し休憩したのち、石畳の道を下っていく。この下り坂は「象鳴き坂」と呼ばれ、1729年ベトナムより献上された象が、京から江戸に行く途中、あまりの急坂に悲鳴をあげたと言われる場所である。短い区間だが、象が悲鳴をあげたのも納得できるほどの急坂だった。
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更に先へ進むと、「石投げ岩」を通る。昔の旅人が、この岩に石を投げて旅の無事を祈った場所だ。我々も石を投げてマラニックの無事を祈った。
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時間は12時を少し回ったところである。距離にして20キロくらいだ。まだ全行程の半分も来ていない。続きは後半へ。