とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

今年の漢字は「暑」

2010-12-11 22:18:10 | ニュース
「日本漢字能力検定協会」が、毎年発表しているその年の世相を表す漢字が決まった。今年最も応募が多かった漢字は「暑」だった。たしかに、夏は例年以上の猛暑で外に出るのも怖いくらい暑い日が多かった。人生において、これほど暑かった年はなかったかもしれない。他の理由としては野菜の値段が高騰したことや南米チリの鉱山の落盤事故で、閉じこめられた33人が暑さに耐えて救助されたこと、惑星探査機「はやぶさ」が地球へ突入する際、1万度の高熱をくぐり抜けて帰還したことなどが理由に挙げられているという。

そして、2位が上海万博や尖閣諸島問題で注目を集めた中国の「中」、3位が天候や政治、景気が不安定だったことや、行方不明の高齢者が各地で相次いだことで「不」だったそうだ。

因みに「日本漢字能力検定協会」以外でも、今年の漢字を発表している団体がある。インターネットのアンケートによる「ネット今年の漢字2010」では1位「呆」、2位「漏」、3位「愚」、4位「流」、5位「嘘」だったそうだ。すべてネガティブな漢字ばかりである。私も「呆」と「漏」の字を特に推したい気がする。今年は、怒りを通りこして呆れるニュースが多かった年だった。

また、学生が選ぶ今年の漢字は「迷」だった。「就職に迷っている」「世界中が迷走しているから」などが理由だそうだ。2位は「変」、3位は「暑」、4位以下には「乱」「難」「苦」などで、就職活動や不景気など、学生を取り巻く環境の厳しさを表す漢字が並んだようだ。

それぞれ1位は異なるが、明るく希望が持てるような漢字は一文字もない。来年は、ポジティブな漢字が並ぶことを期待したい。


中国のノーベル平和賞への対応は異様だ。

2010-12-10 21:28:27 | 政治
9月にあった尖閣諸島中国漁船衝突事件以来、中国という国に対する日本人の見方は相当悪いほうに偏ってきているだろう。日本の巡視船に意図的に体当たりしてきた中国漁船を、正当化する発言や、漁船の船長を逮捕したことに対する露骨な報復措置など目に余る対応が目立つ。その後も、大国の力で思い通りにしようとしている様は、大国としての節度ある行動とは思えない。

そして最近では、ノーベル平和賞を受賞した中国人の民主活動家、劉暁波氏に対する弾圧が世界の注目を浴びることになってしまっている。劉暁波氏は中国共産党の一党独裁体制を批判する民主化憲法草案を起草したために、共産党政権の法律によって、獄中にいる。ノーベル平和賞の受賞が決まると、授賞式への出席を妨害するため妻を自宅軟禁状態にすると共に、関係者の出国も妨害して誰も出席できないような工作も行っているという。これだけみても如何に言論の弾圧が行なわれているのかが伺える。

しかも、関係各国にも圧力を加え、授賞式に出席しないよう呼びかけもしたようだ。結果的には、ロシアやイラン、イラクなど20カ国前後の代表が出席を見合わせるらしい。欠席する国は、人権問題に関して中国と似たような対応を取っている国々ばかりだ。世界には、日本のように自分の意見を自由に言うことが出来ない国がまだまだ多いということでもある。

中国は、経済力、軍事力でも突出した国になってきてはいるが、民主主義の国家とは大いに異なり、異質な国家と言わざるを得ない。このような出来事が続くと、中国に対する脅威論がますます増大していく気がする。隣国である日本は、常識的な対応だけではこのような国とは対峙できないだろう。主張すべきことは主張し、国家の尊厳を貶めるような外交関係だけは持つべきではない。北朝鮮や韓国などの関係を含め、日本は外交問題にも迅速にかつ周到に対処して欲しいものである。


 

2010奈良マラソン 後半

2010-12-09 20:25:14 | マラソン
天理教白川地区の私有地を出て、白川ダム湖畔を通る。このあたりも、以前走ったことがあり道に迷い苦労した場所だった。


名阪国道上にかかる白川大橋を渡る。奈良に向かう際、この下の名阪国道を通過している。


白川大橋の先も紅葉がきれいな道が続く。


やがて坂を下っていくと、目の前に天理市が見えてきた。天理教独特の大きな建物が見えてくる。日本で唯一宗教団体の名称が市名となっており、市の中心部には天理教関連の施設が集中する宗教都市である。


天理教関連のでかい建物をいくつも通り過ぎて、天理教総本部前を通過する。新興宗教とはいえ、これだけの敷地と建物を有する天理教のパワーを感じた。


サルビアの花が植えられた花壇の横を通り、折り返し地点に向かう。正面に見える大きな建物は天理小学校だ。


天理小学校の下を通過した先で、「ぜんざい」の振舞いがあった。けっこう行列が出来ていたが、急ぐ訳でもないし、お腹もへっていたので「ぜんざい」にありつく。25キロ近く走ってきたので丁度いい給食ポイントである。ところで「お汁粉」と「ぜんざい」の違いって何だろう?最初は「お汁粉」がある!と喜んでいたのだが、みんな「ぜんざい」と呼んでいたので、関西の大会に敬意を表し「ぜんざい」と表記することにした。


天理高校ブラスバンドも手を振って応援してくれた。


天理高校手前が、25キロの折り返し地点だ。


ふたたび元来た道を戻り、天理教総本部南門前を通過する。


後半になると、ボランティアの人たちの応援が一際大きくなっていた。ゼッケンのニックネームを叫びながら応援してくれる人が多くて嬉しくなった。奈良市内に入ると、センターラインに、ぎっしりピンクの上着を着たボランティアの人たちが立ち並んでいる。それぞれが、ハイタッチや拍手等で熱く応援してくれていた。第1回の大会ながら、とてもいい雰囲気である。大会関係者の熱い意気込みが充分感じられた。


春日大社付近では、鹿たちがあまりの人(ランナー)の多さに驚いたのか、道路横断できずに立ち往生していた。


東大寺前に戻ってきた。


奈良県庁前を曲がる。


残り1キロを切り、鴻ノ池陸上競技場に近づいた。


陸上競技場内に入る。FINISHのアーチが見えてあと僅かだ。


残りあと100m。なにやら、見覚えのあるピンクのウェアの女性が見える。


やっぱりQちゃんだった。奈良マラソンでも、帰ってくるランナー一人一人にハイタッチで出迎えていてくれた。スタートからゴールまで、金メダリストの熱い声援に頭が下がった。


そして、ゴール。いろいろ遊んで走っていたので、どうかなとは思ったがネットタイムでは5時間を切ることが出来た。10月の島田大井川マラソンの時よりは、余裕があったかもしれない。第1回の大会となると、いろいろ気になることが多いものだが、細かいことは気にしない。奈良という地の利を生かし、4000人というボランティアの人たちの熱い声援に元気付けられた素晴らしい大会だった。

2010奈良マラソン 前半

2010-12-08 19:04:26 | マラソン
奈良マラソンスタート当日となった。ホテルから鴻ノ池陸上競技場まで歩いて向かった。道路は、会場に進むランナーでごったがえしていた。道路も大渋滞である。会場の一角に陣取りスタートの準備をする。この大会では、申し込み時にゼッケンにニックネームを入れてくれるというサービスがあった。200円かかるのだが、面白そうなので同行者は全員ニックネーム入りのゼッケンにした。今までこんなことができる大会は聞いたことがない。ちょっと字が大きくて気恥ずかしかったが、そんなに見てる人もいないだろうと思いしっかり胸に止めて参加することにした。


フルマラソンの参加者は約1万1千人である。申告タイムごとにAからHのブロックに分かれた。我々はFブロックだ。鴻ノ池陸上競技場の外周を取り囲むように並ぶためスタートゲートはまったく見えない。ブロック内でスタート時間の午前9時を待った。


9時を過ぎてもなかなか前に進まない。やがてぞろぞろと前に進みだした。スタート地点を通過したのは7~8分後くらいだった。なかなか進まなかったのは、スタート地点付近に高橋尚子さん(Qちゃん)やせんとくん、蓮花ちゃんが応援してくれていたからのようだ。みんな大きく手を振り応援に答えていた。


競技場を出ると、広い大通りに出た。はるか先まで、ランナーで埋め尽くされているのが良くわかる。


奈良市内のメイン通りを走る。せんとくんを背中に貼り付けたランナーも見える。


センターライン付近を走っていると、後ろから歓声が聞こえてきた。Qちゃんが凄いスピードでランナーにタッチしながら走ってきたのだ。もちろん私もハイタッチ。あわててカメラを構えたら、もうQちゃんの背中しか見えなかった。


ほぼ5キロほどで折り返しとなる。


折り返し地点の少し手前は、平城宮跡の朱雀門前である。前日下見に来たばかりだ。マラソンでは、一瞬見えるだけなので前の日にじっくり見ることができてよかった。そして、天平衣装に身を包んだ美女たちがせんとくんと一緒に応援してくれていた。



興福寺、奈良県庁の前を抜け奈良公園へと向かう。


東大寺前でも天平衣装の女性たちが応援してくれていたので、おもわずカメラを向けた。女性たちが記念に一緒に撮りましょうと言ってくれたのでちゃっかり記念写真に納まる。


東大寺大仏殿の屋根が見えたところで、道が曲がる。


春日大社の広大な庭の横を前に進む。


14キロ付近で、トップランナーを先導する白バイとすれ違う。さすがにトップは我々の倍以上のスピードである。この後、トップランナーが独走して行った。


住宅街を抜け、自然豊かな田園地帯へと向かう。


忌野清志郎っぽいメークをした男性が、ロックをかけながら元気に応援してくれていた。


弘仁寺付近を過ぎ、ゲートが開かれた道路に入っていった。しばらくは、私有地の中を走るらしい。天理教の私有地のようで普段は入ることが出来ないようだが、マラソンの為に開放していたようだ。このあたりは紅葉がまだ残っており、気持ちよく走ることが出来た。そして、天理和太鼓倶楽部の人たちが豪快に叩く太鼓の音に元気付けられた。


坂を登りきると天理市に入っていくことなる。まだ、20キロ手前である。
続きは後半へ。

奈良観光 その2

2010-12-07 19:19:52 | 観光
正倉院からしばらく歩くと街中にでた。鴻ノ池陸上競技場までは、歩きで15分くらいだ。車で移動しても道路は混んでいるようだし駐車場もなさそうなので、ずっと歩きで行くことにした。10分ほど歩くと、奈良少年鑑別所の前に出た。赤レンガの目立つ建物なので、すぐに思い出した。数年前、京都から奈良へ走る「いにしえの道 京都奈良100キロ遠足」に参加した時のコースだった。ここを通過して、東大寺、春日大社を経ていにしえの道に進んだ懐かしい道であった。

奈良少年鑑別所の横を入り、住宅街を抜けると鴻ノ池陸上競技場に到着した。既に大勢のランナーが集まっており、受付を済ませたり、飲食ブースやランニンググッズブース等で買い物に励んでいる人たちでごった返していた。



今回のマラソンは、我々夫婦と娘、娘の友人姉妹の5人でエントリーしていた。まだ現地に来てない娘たちの分の受付を代行したので荷物が増えてしまったが、とりあえず受付は完了した。まだ時間は充分あったので、荷物を背負いながら奈良県庁の駐車場まで歩いて戻った。車に戻り、荷物を降ろすと楽になった。せっかく奈良に来たので、このままホテルに行くのももったないので、ランニングウェアに着替えて、平城宮遷都1300年祭の会場となった平城宮跡を走って見に行くことにした。朱雀門までは、片道4キロ程なので往復すれば丁度いい足慣らしになるし、翌日のマラソンコースの下見にもなる。

妻と二人で、やっくり走り始めた。奈良市役所を過ぎ、高架のバイパスの下を抜けるとあっけなく朱雀門の前に出た。朱雀門は平城宮の正門に当る。朱雀門前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったり、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあったという。平城宮遷都1300年祭のときは大いに賑わっていただろうが、この日は閑散としていた。でも、大きくて立派な門である。テレビや写真でしか見たことがなかったが、初めて本物を見ることができて感激だ。


平城宮跡にある建物は、朱雀門と奥にある大極殿しかない。あとはだだっぴろい広場となっている。しかも敷地内を線路が通っているのだ。踏切を渡らないと大極殿には行くことができない。


何にもない広場を走り大極殿に着いた。大極殿は平城宮最大の宮殿であり、当時の天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていたという。そして、重要な儀式の際には、前の広場に大勢の貴族が立ち並んだと言われている。まさに、天皇が立ったと思われる場所から、朱雀門を臨むとその広さが良くわかる。


朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿である。


平城宮跡はやたらに広い。ほとんど空き地か草むらであるが、東側に皇太子の宮殿があった場所があり「東宮」あるいは「東院」と呼ばれている。その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園だ。天平文化を感じさせる見事な庭園である。



一通り、平城宮跡を巡り、もと来た道を走り駐車場に戻った。平城宮跡も広かったので10キロ以上走ったに違いない。ほぼ一日中歩いたり走ったりしていたのでさすがに疲れた。翌日は、「奈良マラソン」本番である。マラソンの様子は、明日に続く。

奈良観光 その1

2010-12-06 22:47:36 | 観光
奈良マラソン参加のついでに、奈良の観光もすることにした。観光の一番の目的は、興福寺の国宝館にある阿修羅像を見ることであった。事前に、国宝館の混雑状況を調べたら、入館は9時だが、入館のチケットを購入するのに8時くらいから行列が出来て9時からでは、1時間2時間待ちは当たり前になるような話だった。そんなこともあって、前日夜立ちで奈良まで来て、午前7時に奈良県庁の公共駐車場に車を止め、すぐに興福寺に向かった。

幸い、まだ人影は少なく開館時間にはまだまだ時間が余っていた。とりあえず、周辺を散策しようと興福寺周辺を歩くことにした。まずは、南側にある猿沢の池に寄る。興福寺が行う「放生会」の放生池として造られた人工の池である。猿沢の池には、こんな七不思議があるそうだ。
·澄まず
·濁らず
·出ず
·入らず
·蛙はわかず
·藻は生えず
·魚が七分に水三分

猿沢の池越に眺める興福寺の五重塔は、なかなか絵になる風景である。


猿沢の池から石段を上がり、興福寺の境内に入る。境内に入るとすぐ右側に世界遺産に登録されている南円堂がある。堂の扉は閉ざされたままとなっており、1年のうち1日しか開けられないそうである。朱色に塗られた外回りは、特別な建物という趣を感じさせてくれる。



南円堂の奥には、三重塔がありこれも国宝になっている。


北円堂の横を通り、五重塔と東金堂の前に出る。五重塔(国宝)は、高さ50.8メートルあり木造塔としては東寺五重塔に次ぎ日本で2番目に高いそうだ。また東金堂(国宝)は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式で、堂内には本尊の薬師如来をはじめ日光・月光(がっこう)菩薩像、木造維摩居士(ゆいまこじ)坐像(国宝)木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)等、国宝がずらっと安置されている。特に薬師如来を守護する十二神将の躍動感溢れる姿と配置は見ごたえがある。ただ、この時点ではまだ開館してなかったので中の拝観は、国宝館拝観後に立ち寄った。


一通り興福寺内を見て回ったが、国宝館の開館まではまだ時間があった。8時を回っていたが、行列ができる様子もないので近くの奈良公園まで足を伸ばし時間を潰すことにした。奈良公園といえば鹿で有名だ。いたるところで鹿がゆうゆうと歩きまわっている。公園内には約1200頭もの鹿がいるという。鹿は春日大社の神使であり、古くから手厚く保護されてきており、餌付けされていない野生による繁殖で増えているという。ただ、鹿せんべいを買ったりすると観光客に大群でねだりにくるので気が抜けない。



公園内には、明治期の洋風建築の代表例として国の重要文化財に指定されている奈良国立博物館がある。なかなか洒落た建物である。毎年秋に実施される「正倉院展」の会場でもあるそうだが、開館時間には早いので建物だけ見て興福寺に戻った。


8時40分頃、国宝館の前の様子を見に行くと、数人が開館を待っているのが見えた。しかし、行列というほどでもない。大混雑するという予想は外れ一安心したが、開館時間も近いので待つことにした。9時丁度に開館し中に入った。いよいよ阿修羅象に対面できると思うとワクワクした。最初の展示物から、解説を読みながら進んでいくといつの間にか、たくさんの人が入場していた。あっという間に大混雑である。開館時間に合わせて、観光バスで大勢の人が来館して来たようだ。それでも開館と同時に入場できて大正解だった。混雑はしていたが、展示物の解説を読みながら展示物をそれぞれじっくり見て回ることができた。高さ5.2mもの巨大な木造千手観音立像(国宝)、板彫十二神将像(国宝)、法相六祖坐像(国宝)、木造金剛力士立像(国宝)、木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)といった国宝が立ち並び、お金を払って拝観するだけの価値があるすごい作品ばかりであった。

そして、一番見たかった八部衆立像(国宝)は国宝館の最後の場所に展示されていた。五部浄は胸から下が失われているが残りの7体は完全に立像で残っている。沙羯羅、鳩槃荼、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅とそれぞれの立像は個性的で仏像とは違い、攻撃的な衣装をまとい興味深い作品である。ただ、最も攻撃的な戦闘神とされる阿修羅は、唯一武具をまとわず優しげで憂いや悲しみを感じさせる表情を持ち多くのファンができたのも頷ける作品であった。今までテレビで見ただけであったが、本物を見ることができて大満足であった。ただ、残念ながら写真撮影が禁止されていたので生写真はない。

国宝館から外に出ると、見学者の行列はなく一頃のブームは去っていたようだ。これから行く人は、じっくり見ることができそうだ。


興福寺の見学が終わると、奈良公園から東大寺に向かった。門前では、若草山をバックに修学旅行の記念撮影が行なわれていた。中学生の時の修学旅行もこんな感じで写真撮っていたのだなと思うと懐かしかった。


東大寺の大仏殿に向かう。「世界最大の木造建築」と言われるだけあって、さすがに大きい。


大仏殿に入ると、真正面に高さ約14.7メートルの大仏様が鎮座している。


東大寺大仏殿の中には当然、何本かの柱がり、その中の1本に穴が開いている。ここを通り抜けると幸せになるとか、無病息災だとか言われているようで、細い女性が通り抜けていた。


東大寺を出て、正倉院へ向かった。正倉院の周辺の紅葉はまだ残っていた。


正倉院も見学したかったのだが、土曜日曜は開館しておらず平日だけとのことで、塀越しの中を垣間見ながら、奈良マラソンの受付会場である鴻ノ池陸上競技場へと歩いて向かった。

その2に続く。



メールが溜まってた。

2010-12-05 22:20:16 | 呟き
奈良マラソン、無事完走してきました。
天気が良すぎて、暑かったくらいですが、楽しく走ることが出来ました。
奈良遠征のレポートは、後日アップするつもりです。
コメントの返事については、今日は気力がないので明日以降にさせてもらいます。

さて、二日家を空けていたので、メールが溜まりに溜まっていた。
このところ一日だけでも100通くらいは来ている。
この二日間では300通くらい来ていたようだ。

とはいえ、そのうちの8割くらいは迷惑メールである。
迷惑メールフィルターで引っかかったのが200通くらい。
残りがフィルターに引っかからず、そのままメールソフトで受信していた。
受信したうちの、そのまた5割くらいが迷惑メールだったので、
フィルターの精度を上げたほうがいいかもしれない。

そして、残りが迷惑ではないけど、あまり重要ではないメールマガジンや
商品案内のメールである。はっきりいってこれもゴミみたいなメールだ。
本当に必要な知人からのメールはごく僅かであった。
本来は、そんなにたくさんのメールは来ていない。
毎日が、迷惑メールとゴミメールの削除に追われている。
特に、英文のメールが増えて厄介である。
アドレスを替えたほうがいいのだろうが、たくさんの人に浸透してしまったので
なかなか替えにくい。当分、メール削除の仕事はなくなりそうもない。


奈良に来てます

2010-12-04 17:19:09 | 観光
奈良マラソンに出場するため今奈良に来てます。
午前中は、興福寺や東大寺に参拝し、マラソンの受け付けを済ませました。
午後は、足ならしを兼ねてランニングで平城宮に行ってきました。
明日も天気よさそうだし、楽しんで走ります。

2010流行語大賞

2010-12-02 22:11:01 | ニュース
今年も「2010ユーキャン新語・流行語大賞」が発表された。
そういえば去年は何だったろうと思ったが、なんだか思い出せなかった。
気になって調べてみたら、「政権交代」だった。
今となっては、これもむなしい流行語だった感が強い。

さて、2010の流行語大賞は「ゲゲゲの~」だった。流行語とはいえ、やたらには使えない言葉だ。使えないけど、耳には大いに入ってきた言葉ではあった。「ゲゲゲの鬼太郎」「ゲゲゲの女房」と本、映画、ドラマ、コミックとたしかに今年は大いにブレークした言葉に違いない。ドラマは良かったし、本も買ってしまった。境港の水木しげるロードも見学してきた。水木夫妻の生き方に、たくさんの人たちが共感を覚えたことに違いない。

他に選ばれた言葉は

「いい質問ですね!」これは、フリージャーナリストの池上彰氏がテレビ番組で頻繁に使った台詞だ。これはなかなか使える。誰かに尋ねられた時、ちょっと使ってみようかな。
「イクメン」これは、育児を積極的に行なう男性のことだそうだ。こんな言葉で呼ばなくても、男も育児には関心を持たねばいけない。
「AKB48」意味は良くわかっているが、はっきりいって興味はない。名前も良く知らなければ、顔の判別もできない。
「女子会」こんなふうに呼ばなくても、いつも女子だけで集まってるのではないだろうか。
「脱小沢」今まで如何に小沢氏に支配されていたのだろうか。
「食べるラー油」食べたことないけど、売れてるみたいだ。
「ととのいました」こんな言葉も流行っていたのか?
「なう」ツィッターで良く使われているらしいが、あまり好きな言葉ではない。
「無縁社会」嫌な言葉だが、今の日本を象徴するような言葉だ。

以上の言葉が、今年を代表する流行語ということだが「ゲゲゲの~」以外は、広い世代で流行っていたとも思えない。2010年の世相を表した言葉ということで取り上げられたのであろう。来年になったらすぐに忘れてしまいそうだ。