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石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

荒葉一也SF小説Part II「エスニック・クレンザー(民族浄化剤)」(2)

2011-01-23 | 中東諸国の動向

(お知らせ)
荒葉一也のホームページ「OCIN INITIATIVE」が開設され、小説「ナクバの東」として続きを連載中です。
http://ocin.web.fc2.com/

退役将軍「シャイ・ロック」(2)
しかし問題はエルサレムとその一帯の土地であった。ユダヤ人にとってそこは神に約束された土地であり、2千年前の「ディアスポラ(大離散)」で心ならずも追われた祖国の地である。英国政府は戦争協力と引き換えに祖国再建を約束したのだ。一方アラブ人もエルサレム地方は有史以来連綿として自分達が住み続けた土地であり、オスマントルコから独立して民族国家を創ることが夢であった。英国に協力して第一次大戦の勝利に貢献した以上、アラブ民族によるパレスチナ国家を樹立することは当然の権利と考えた。
英国はユダヤ人とアラブ人に二枚舌を使ったのである。第一次世界大戦終了後の結果は明白であった。ユダヤ人とアラブ人がともに独立運動を展開し、エルサレム一帯はのっぴきならない状態になった。窮した英国はパレスチナを委任統治領としてユダヤとアラブ双方を抑え込もうとした。当時インド及びマレー半島など東南アジアに広大な植民地を持っていた英国にとってパレスチナ地方はスエズ運河とともにアジアの植民地運営の中継基地として必要だったのである。

『シャイ・ロック』の父親達はユダヤ人の祖国イスラエル建国のため、ある時はアラブ人と戦い、またある時は植民地政府の英国と戦った。パレスチナが英国の委任統治領であって正式な国家ではない以上、そこでの戦いは反政府運動ではなく秩序なき戦いであった。強いものが勝つ。ユダヤ人にとって負ければ2千年来の祖国再興の夢は潰え去る。彼らは手段を選ばず時にはテロ活動も辞さなかった。
『シャイ・ロック』が物心の付いた9歳の1948年にイスラエルは独立を宣言した。彼はその時父親が自分を抱き上げて体中で喜びを見せたことを今でもよく覚えている。しかしその喜びもつかの間、周辺のアラブ諸国が新生国家イスラエルになだれ込んできた。世に言う第1次中東戦争であり、ユダヤ人達はこれを独立戦争と呼んだ。天は必死の彼らに味方した。と言うか、欧米列強特に米国がイスラエルを物心両面で強力に支持したのに対し、アラブ側はソ連の助けが無いうえ内部も烏合の衆だったため敗北したと言うのが実情である。当時のソ連は第二次大戦後の自国の再建に手を取られアラブを助けるどころではなかったのである。「衆寡敵せず」という言葉があるが、中東戦争に関する限り全く逆であり、少数派のイスラエルが圧倒的多数のアラブを敵に回して独立を勝ち取った。アラブ側は完敗し、彼らはこの戦争を「ナクバ(破局)」と名付けた。その後数次にわたる中東戦争でアラブ側はイスラエルに一泡吹かせようとしたが未だ一度も成功していないのである。

 (続く)

(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)

荒葉一也:areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

 

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