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第二章 パーティーにて(1)
軍事情報の収集という仕事に比べ在米ユダヤ人など民間人との交際は『シャイ・ロック』の苦手であった。軍事関連の話題なら流暢に受け答える彼も、世間的な話題になると途端に舌が滑らかに動かない。元来口下手なだけに多弁でジョーク好きなアメリカ人を相手にすると一方的な聞き役に終わってしまう。相手から人気のテレビ番組についてどう思うか、と感想を聞かれても満足に答えられない。何しろ彼は騒々しいだけのテレビのホームコメディには興味が無いうえ、毎晩本国への報告書作りに追われテレビを見る時間など無いのである。米国のテレビ番組をチェックするのは本国の外務省から派遣された職業外交官に任せれば良い、と彼は思っている。
しかし大使は『シャイ・ロック』にパーティーに出て米国の民間人と積極的に交われ、と命令した。米国の誰もが第三次中東戦争をわずか6日間で終わらせ圧倒的に勝利したイスラエル、そしてその立役者となったイスラエル空軍の活躍ぶりを知りたがった。その中心にいたのが今回赴任してきた駐在武官である、という噂はワシントンの外交団や国会議員、果ては在米ユダヤ人にまで瞬く間に広がった。
彼の話が聞きたいという声が大使のもとに殺到した。彼は「歩く広告塔」だった。大使は着任早々の彼を執務室に呼び命令した。
「先の戦争における貴官の活躍ぶりは当地にも鳴り響いている。貴官の戦闘体験が米国人達に多大な感銘を与えることは間違いない。米国人は単純で勧善懲悪の話が大好きだ。つまり今回の戦争ではイスラエルが善人でアラブが悪人だ、と言う筋書きほどヤンキーたちに解りやすい話はないのだ。」
その時『シャイ・ロック』は大使の言葉に多少の違和感を覚えた。彼とてアラブと戦う自分達が間違っていないと信じている。しかし戦争に善も悪もないという気持ちもある。戦争は勝つか負けるかしかない。だから戦う以上は勝たなければならない。彼はそう思った。
「それだけではない。在米ユダヤ人たちが君の話を聞けば奮い立ち、全米からさらに多くの献金を集めてくれるだろう。本国の財政は苦しく米国にいる豊かな同胞は何よりの味方だ。彼らの財布のひもをゆるめさせることが貴官の駐在武官としてのもう一つの役割だ。そのことをよく肝に銘じてもらいたい。」
『シャイ・ロック』の違和感もそれまでだった。もともと上意下達の軍隊の世界で育ってきた彼には上官の命令は絶対である。大使館はまさに軍隊と同じで、大使は最高権力者であり、大使の命令にはナンバー2と言えども逆らえない世界である。外務省出身者が幅を利かす大使館では、国防省から派遣された武官の彼など一兵卒に過ぎない。大使の命令に服従するのは自然な帰結だった。
(続く)