*本稿は筆者が1990年から1992年までマレーシアのボルネオ(サラワク州ミリ市)で石油開発のため駐在した時期に思いつくままをワープロで書き綴り日本の友人達に送ったエッセイです。四半世紀前のジャングルに囲まれた東南アジアの片田舎の様子とそこから見た当時の国際環境についてのレポートをここに復刻させていただきます。
第一信(1990年1月7日)
1990年の正月をいかが迎えられましたか? 昨年末の東欧での一連の動きは90年代の激動を予感させますが、ここ東マレーシアの一地方都市は日々平穏に過ぎています。
私の友人の一人がブラジルのサンパウロに単身赴任しており、彼の地のことを「サンパウロだより」なるワープロレポートとして友人知己に伝えてくれています。私も石油開発の仕事で当地に来て三カ月が経ち、ようやく生活にゆとりを見いだせるようになりましたので、彼の真似をして当地のことをお伝えしようと考えた次第です。当地の正確な名前はマレーシア連邦サラワク州ミリ市なのですが、南シナ海に面したボルネオ島の一都市、と言った方が皆様方には分かりやすいと思います。「ボルネオ」と言うと、熱帯ジャングル、オランウータン、首狩族等、文化果つる未開地を連想されるかもしれませんが、実際は日本製の自動車が我が物顔で走り回り、電気製品を始め日本商品が街中にあふれる、世界の他の都市と殆ど変らない街なのです。(現代の首狩族 – Head Hunter – は本当は東京やニューヨークにいるのです!)
さてマレーシアについてですが、面積は約33万平方KM(日本の9割)、人口は1,400万人で、マレー人が50%、中国人が30%、インド人その他が20%を占める複合民族国家です。このうち中国人、インド人はこの国がまだ英国の植民地であった19世紀の初めに、当時の東インド会社(この名前は歴史でおなじみと思います)が、錫鉱山を開発するために連れてきたのが始まりです。実は、この歴史的背景と複合民族国家であることが、この国の大きな魅力の一つなのです。言葉はマレー語が公用語ですが、中国語、ヒンズー語も広く使われており、英語は誰でも話せる、と言った具合で、テレビでは英語のニュースのすぐ後に、中国語の映画、ヒンズー語のドラマと続きます。また宗教も多様で国教であるイスラム教を始め、キリスト教、中国仏教、ヒンズー教のほか、ボルネオ先住民固有の宗教もあり、一年中どこかでお祭りがあります。
自然環境についても、この国は豊かな自然を持っています。赤道直下の熱帯性多雨気候で、一年を通じ気温は殆ど変わらず、日本の梅雨明け頃の気候とお考えください。雨が緑豊かな森林とそこに生きる様々な動物を育み、南シナ海が豊かな海の幸を運んでくれます。
マレーシアは観光客の誘致に力を入れており、特に今年は“VISIT MALAYSIA, 1990”の標語のもとに国を挙げてPRし、観光客の利便を図っています。政府のお先棒をかつぐつもりではありませんが、ヨーロッパ観光に飽きた方、香港買い物ツアーを済まされた方々には是非この国をご覧になることをお薦めします。豊かな自然に恵まれているため物価も驚くほど安く、また人々の心も穏やかで政治も安定していますので何の不安もありません。
今回はマレーシア紹介、と言うことで良い面ばかり触れましたが、旅行者として来られれば、きっとこのことを実感され満足されること請け合いです。但し物事には表があれば必ず裏があるわけで、この国に住んでみると複合民族国家或いは豊かな自然環境は今、大きな問題をはらんでいることを知らされます。前者は言葉の障壁の問題であり、後者は熱帯雨林乱伐による環境破壊の問題です。これらについては、次の機会にお伝えしたいと思います。
(続く)
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