*本稿は筆者が1990年から1992年までマレーシアのボルネオ(サラワク州ミリ市)で石油開発のため駐在した時期に思いつくままをワープロで書き綴り日本の友人達に送ったエッセイです。四半世紀前のジャングルに囲まれた東南アジアの片田舎の様子とそこから見た当時の国際環境についてのレポートをここに復刻させていただきます。
第2信(1990年4月29日)
今、世界中の目はソ連と東ヨーロッパに注がれていますが、閑話休題と言うことでちょっとマレーシアの話に耳を傾けてください。
ソ連は多民族連邦国家としてかつてない危機に瀕していますが、マレーシアも実は多民族連邦国家なのです。ここにはマレー人、中国人、インド人のほかボルネオには20以上の少数民族が住んでおり、それぞれ固有の文化を今に受け継いでいます。しかしソ連のような心配は無用です。各民族は争うことなく共存しています。それは多分自然が豊かで食べるに事欠かず、またアジア民族が一般的に性格穏和なためと思われます。「衣食足りて礼節を知る」の例え通り、生活が満たされれば人間は本質的に争いを避けるものです。ソ連・東欧をはじめ世界の紛争の多くは一般の生活が貧しく、少数民族あるいは大衆の不平等感がそれを増幅しているからではないでしょうか。日本のような余りにも豊かで平等な社会(異論はあるでしょうが)に住んでいると、このことを理解するのはむずかしいことです。
話をマレーシアに戻しましょう。多民族国家で一体感を持たせる有力な武器は言語の一体化です。この国は英国植民地の時代が長く、これまで学校教育は英語で行われてきたので英語が共通語として普及しています。しかも英語は国際語として地位を益々高めつつあり、今後この国が国際化するに際し、大変なメリットだと思われます。(受験英語だけで会話がダメな小生にはうらやましいかぎりです)
ところがマレーシア政府は20年ほど前から学校教育のマレー語化(バハサ・マレーシア)を推し進めています。一見、時代に逆行するようですが、英語は植民地政府が押し付けた外来語であり、マレーシア固有の文化を守るためにはマレー語の復権が不可欠だ、というのが政府の言い分です。これにはもう一つ隠された意図があります。と言うのは都市部にすむ教育熱心な中国人やインド人が子弟に英語の教育を受けさせた結果、社会・経済の中枢部はこれら中国人やインド人が押さえてしまい、マレー人は多数派でありながらなかなか支配層に入り込めず、政府は彼らの不満を無視できないのです。
小中高校のマレー語一貫教育の結果、最近の若者の中にはマレー語しか話せない者が増え、国際化の面で問題になりそうですが、中国人の家庭ではもっと深刻です。教育を受ける機会が無かったために中国語しか話せない一世の老人、英語教育を受けた二世の父親、マレー語は堪能だが中国語も英語も不得手な三世の子供―同じ血を受け継ぎながら世代間の会話に不自由するこんな状況をご理解いただけるでしょうか。特に二世の父親たちの苦悩は深く、政府がマレー語化と同時に進めているブミプトラ政策(マレー人を優先雇用させる中国人に不利な政策)ともあいまって、彼らは子弟を競って海外留学させ、カナダ、オーストラリア、米国等へ移住させることすら本気で考えているのです。異なる民族が平和裡に共存するというのは実に難しいことだと痛感します。
(続く)
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