1.カタール首長が出席してGCCサミット開催
年明け早々の1月5日、サウジアラビア西北部のAlUlaでGCC定例サミット(首脳会議)が開催された。AlUlaはサウジアラビアで最初にユネスコ遺産に指定された古代ナバテア人の遺跡があり、ムハンマド皇太子(通称MbS)がVision2030で力を入れている観光産業の目玉でもある。
定例サミットは通常毎年12月に開催されるが、今回は1月に延期された。今回の会議が従来と異なる点は二つある。一つは首脳が一堂に会したことである。昨年初めから全世界に流行し今も猛威を振るう新型インフルエンザ禍(COVID-19)のため、G-7をはじめ国際的な会議はいずれもTV会議方式で行われている。サウジアラビアがホスト国となったG20も同様であり、また同国が中核となっているOPECあるいはOPEC+の会議もリモート方式で行われている。今回GCC首脳が一堂に会したことは異例のことと言える。
二つ目はカタールのタミーム首長が3年ぶりに出席したことである。2017年6月、サウジアラビアは突然カタールに国交断絶を通告した。同じGCC加盟国のUAE、バハレーンもサウジに追随し、エジプトも同調した(カタール・ボイコット)。以来タミーム首長はサミットを欠席し続けた。しかし今回の会議でカタール・ボイコットを解消するAlUla宣言が採択されサウジとカタール両国首脳の仲直りが演出されたのである 。
2.カタール・ボイコットの原因とその後の経過
サウジアラビアなど4か国はカタールがシーア派のイランと気脈を通じ、またスンニ派テロ組織と見なすイスラム同胞団を支援しているとしてカタールと断交したのが事の始まりであった。4か国の中で特に強硬なUAEが主導し、カタールにイラン、ムスリム同胞団との関係を断つこと、アルジャジーラTVを閉鎖することなど13項目の要求を突き付けた 。カタールは当然それらの要求を拒否したのであった。
孤立したカタールはトルコに助けを求めて軍隊の駐留を仰ぎ、同国から食料品など生活必需品を輸入した。またカタール航空がサウジ上空の通過を妨げられた代替策としてイランに領空利用を求めた。経済不振のトルコあるいは孤立するシーア派のイランにすれば豊かなスンニ派国家カタールからの要請はまさに「漁夫の利」であったろう。カタールがすぐに屈服すると見込んだサウジとUAEの思惑は外れた。GCCの内紛が加盟国にとって何の利益もないことは明らかであり、クウェイトが懸命に仲介を試みたがカタール・ボイコットは数年にわたり膠着状態を続けた。
昨年後半に事態が動いた。米国トランプ大統領はイスラエルとUAE及びバハレーンの国交正常化と言う大きな成果を得ると、続いて娘婿クシュナーをGCCに派遣し結束の回復を訴えた 。米国が乗り出したのはGCCがイランを抑え込む重要な前線基地だからである。米国はカタールにウデイド空軍基地を、またバハレーンには海軍第五艦隊の基地を有し、カタールには1万人の米兵が駐留している 。UAEとバハレーンがイスラエルと和平条約を締結、イスラエルの脅威は今やイランのみとなり、米国は対イラン防御網としてGCCが欠かせないのである。
3.サウジアラビア外交の敗北と愛想づかしをしたUAE
サウジアラビア自身もカタール・ボイコット終結のタイミングを狙っていた。イエメン内戦の泥沼の中でサウジはアデン正統政府と南部独立派の内紛に悩まされた上に、自国内への反政府フーシ派のロケット攻撃におびえている。さらにカショギ事件でMbSの評判は地に堕ち外交面で失地回復の手を打つ必要に駆られていた。サウジアラビアは13条件を棚上げしてカタールとの関係回復に踏み切ったのであった。
仲介に奔走したクウェイト首長がサミット直前に亡くなったこともサルマン国王の決断を促した。皇太子MbSもサミットに出席したカタール首長を空港に出迎えて抱擁、首長と個別会談を行うなどのパフォーマンスを繰り広げ自身のイメージ回復を図った。このようにサウジアラビ側が大きく譲歩したのに対してカタール側の譲歩はサウジあるいはUAEに対する国際機関への提訴を取り下げる約束にとどまっている。サウジ外交の一方的な敗北と言っても過言ではないであろう。
しかしUAEには大きな不満が残った。UAEにとってカタールからイラン及びムスリム同胞団の影を抹殺することがボイコットの最大の眼目だった。実際サミット直前、UAEのオタイバ外相はカタール問題がすぐに片付かないであろうとの見方を示し安易な妥協にくぎを刺していた。ところがGCC盟主の座を守りたい一心のサウジアラビアは形だけでもGCC結束を世界に示そうと十分な見返りもなしにカタールの復帰を急いだのである。
米国のクシュナーがわざわざGCCサミットに参加したのは、AlUla宣言の共同調印式に立ち会う自己の姿を世界のメディアに宣伝するためだったはずである。イスラエルとUAEの和平ではトランプ大統領が両国トップをワシントンに招き、ホワイトハウスの庭で大々的な調印式を行っている。それと同じ構図でMbS、UAE及びバハレーン政府トップ、エジプト政府代表、カタール首長等と並んでAlUla宣言署名式にクシュナー米大統領顧問が立会人として並ぶ写真が予定されていたことは間違いない。
UAEはサウジアラビアに愛想が尽きたのであろう。今回のサミット最大の成果であったはずのAlUla宣言署名式は行われず、クシュナーとエジプト代表の参加は無駄足になった。
サウジアラビア外交の罪は重い。
本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
荒葉一也
Arehakazuya1@gmail.com
年明け早々の1月5日、サウジアラビア西北部のAlUlaでGCC定例サミット(首脳会議)が開催された。AlUlaはサウジアラビアで最初にユネスコ遺産に指定された古代ナバテア人の遺跡があり、ムハンマド皇太子(通称MbS)がVision2030で力を入れている観光産業の目玉でもある。
定例サミットは通常毎年12月に開催されるが、今回は1月に延期された。今回の会議が従来と異なる点は二つある。一つは首脳が一堂に会したことである。昨年初めから全世界に流行し今も猛威を振るう新型インフルエンザ禍(COVID-19)のため、G-7をはじめ国際的な会議はいずれもTV会議方式で行われている。サウジアラビアがホスト国となったG20も同様であり、また同国が中核となっているOPECあるいはOPEC+の会議もリモート方式で行われている。今回GCC首脳が一堂に会したことは異例のことと言える。
二つ目はカタールのタミーム首長が3年ぶりに出席したことである。2017年6月、サウジアラビアは突然カタールに国交断絶を通告した。同じGCC加盟国のUAE、バハレーンもサウジに追随し、エジプトも同調した(カタール・ボイコット)。以来タミーム首長はサミットを欠席し続けた。しかし今回の会議でカタール・ボイコットを解消するAlUla宣言が採択されサウジとカタール両国首脳の仲直りが演出されたのである 。
2.カタール・ボイコットの原因とその後の経過
サウジアラビアなど4か国はカタールがシーア派のイランと気脈を通じ、またスンニ派テロ組織と見なすイスラム同胞団を支援しているとしてカタールと断交したのが事の始まりであった。4か国の中で特に強硬なUAEが主導し、カタールにイラン、ムスリム同胞団との関係を断つこと、アルジャジーラTVを閉鎖することなど13項目の要求を突き付けた 。カタールは当然それらの要求を拒否したのであった。
孤立したカタールはトルコに助けを求めて軍隊の駐留を仰ぎ、同国から食料品など生活必需品を輸入した。またカタール航空がサウジ上空の通過を妨げられた代替策としてイランに領空利用を求めた。経済不振のトルコあるいは孤立するシーア派のイランにすれば豊かなスンニ派国家カタールからの要請はまさに「漁夫の利」であったろう。カタールがすぐに屈服すると見込んだサウジとUAEの思惑は外れた。GCCの内紛が加盟国にとって何の利益もないことは明らかであり、クウェイトが懸命に仲介を試みたがカタール・ボイコットは数年にわたり膠着状態を続けた。
昨年後半に事態が動いた。米国トランプ大統領はイスラエルとUAE及びバハレーンの国交正常化と言う大きな成果を得ると、続いて娘婿クシュナーをGCCに派遣し結束の回復を訴えた 。米国が乗り出したのはGCCがイランを抑え込む重要な前線基地だからである。米国はカタールにウデイド空軍基地を、またバハレーンには海軍第五艦隊の基地を有し、カタールには1万人の米兵が駐留している 。UAEとバハレーンがイスラエルと和平条約を締結、イスラエルの脅威は今やイランのみとなり、米国は対イラン防御網としてGCCが欠かせないのである。
3.サウジアラビア外交の敗北と愛想づかしをしたUAE
サウジアラビア自身もカタール・ボイコット終結のタイミングを狙っていた。イエメン内戦の泥沼の中でサウジはアデン正統政府と南部独立派の内紛に悩まされた上に、自国内への反政府フーシ派のロケット攻撃におびえている。さらにカショギ事件でMbSの評判は地に堕ち外交面で失地回復の手を打つ必要に駆られていた。サウジアラビアは13条件を棚上げしてカタールとの関係回復に踏み切ったのであった。
仲介に奔走したクウェイト首長がサミット直前に亡くなったこともサルマン国王の決断を促した。皇太子MbSもサミットに出席したカタール首長を空港に出迎えて抱擁、首長と個別会談を行うなどのパフォーマンスを繰り広げ自身のイメージ回復を図った。このようにサウジアラビ側が大きく譲歩したのに対してカタール側の譲歩はサウジあるいはUAEに対する国際機関への提訴を取り下げる約束にとどまっている。サウジ外交の一方的な敗北と言っても過言ではないであろう。
しかしUAEには大きな不満が残った。UAEにとってカタールからイラン及びムスリム同胞団の影を抹殺することがボイコットの最大の眼目だった。実際サミット直前、UAEのオタイバ外相はカタール問題がすぐに片付かないであろうとの見方を示し安易な妥協にくぎを刺していた。ところがGCC盟主の座を守りたい一心のサウジアラビアは形だけでもGCC結束を世界に示そうと十分な見返りもなしにカタールの復帰を急いだのである。
米国のクシュナーがわざわざGCCサミットに参加したのは、AlUla宣言の共同調印式に立ち会う自己の姿を世界のメディアに宣伝するためだったはずである。イスラエルとUAEの和平ではトランプ大統領が両国トップをワシントンに招き、ホワイトハウスの庭で大々的な調印式を行っている。それと同じ構図でMbS、UAE及びバハレーン政府トップ、エジプト政府代表、カタール首長等と並んでAlUla宣言署名式にクシュナー米大統領顧問が立会人として並ぶ写真が予定されていたことは間違いない。
UAEはサウジアラビアに愛想が尽きたのであろう。今回のサミット最大の成果であったはずのAlUla宣言署名式は行われず、クシュナーとエジプト代表の参加は無駄足になった。
サウジアラビア外交の罪は重い。
本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
荒葉一也
Arehakazuya1@gmail.com