第2章:戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界
1.対照的なフランスと英国の植民地支配
第一次世界大戦時のサイクス・ピコ秘密協定(プロローグ5参照)により、フランスはトルコ南部からシリア全域、さらにイラク北部及びレバノンを勢力圏に収め、英国はイラク南部、ヨルダン、サウジアラビア北辺及びクウェイトを勢力下においた。両国はそれぞれの地域に宗主国として君臨した。
しかし第二次世界大戦を境に各地で独立の機運が高まった。この時、フランスと英国が認めた各国の独立後の政治体制は対照的なものであった。レバノンとシリアはフランスが第二次大戦でドイツに占領され海外植民地まで手が回らなくなった間隙を縫って1941年に共和国として独立を宣言した。これに対して英国はフセイン・マクマホン書簡(プロローグ4参照)の約束に従いヨルダンとイラクを王国、しかも預言者ムハンマドにつながるハシミテ家の子孫を国王とする王制国家として独立させた。
フランスは共和制国家を樹立させ、英国は王制国家として独立させたことは興味深い事実である。一つの理由は両国自身の政治体制にあると考えられる。両国は共に議会制民主主義国家であるが、英国はその正式国家名「United Kingdom(連合王国、略称UK)」が示す通り王制(もちろん立憲君主制の)国家である。従ってヨルダンとイラクを王制国家として独立させることに抵抗はなかったと思われる。
これに対して1798年の革命でブルボン王朝を倒し共和制を樹立したフランスには共和制国家としての長い伝統がある。フランス共和国憲法第2条で「自由・平等・博愛」を国家の標語とし、それを象徴する三色旗(トリコロール)を高々と掲げる以上、シリア及びレバノンは共和制国家でなければならなかった。但しフランスは実質的な支配権は失いたくなかったため、シリアではシーア派少数部族のアラウィ派を権力の座につけた。植民地支配で少数派をバーチャルな(見かけの)支配者に起用するのは宗主国の常套手段である。フランスは外部の支援を必要とする少数派を陰で操り、多数派を弾圧あるいは分裂させることで自国に有利な権力構造を作り上げたのである。
「自由・平等・博愛」を標榜する表の顔と植民地を意のままに操ろうとする裏の顔はフランス外交の矛盾であり、その矛盾を突いたのがソ連である。第二次大戦後、唯一の社会主義国家としてソ連は世界中に階級闘争を展開し始めた。それは中東ではアラブ民族主義と並ぶもう一つの柱である社会主義運動として広まり、シリアの共和制はフランスの意図しない方向に走り出した。このような事態に対してフランスは自らの共和制という足かせに阻まれ強圧的な行動が取れない。フランスはすべてを混乱させたままで逃げ出すのである。後始末を引き受けるのは結局米国と言うことになる。ベトナム戦争でベトコン(ベトナム共産党)に敗れ後始末を米国に委ねたのと全く同じ構図である。戦乱の世でフランスが頼りにならないことは歴史の事実である。つまり中東では昔も今もフランスは問題解決の主役たりえないのである。
それに対して英国は大英帝国の長い植民地支配を通じて極めて老獪な知恵を生み出した。英国はイスラームの教祖ムハンマドの子孫でありながらマッカ太守の座をサウド家に追われたフサインの二人の息子を委任統治領のヨルダンとイラクそれぞれの国王に据えた。民主主義が広く普及した西欧社会では君主制はアナクロニズム(時代遅れ)に映るが、中東はまだまだ部族が幅をきかせる世界であり、何と言ってもイスラームが生活の中に根を張っている。西欧流の共和制あるいは議会制民主主義は時期尚早だった。英国は冷徹に中東の現実を見ていたのである。
1921年にマッカの太守フセインの二男アブダッラーを国王とするトランス・ヨルダン王国が成立、「アラビアのロレンス」で有名なT.Eロレンスが大英帝国の代表者として国王のアドバイザー(実際は支配者英国の回し者)となった。同国は1946年にヨルダン・ハシミテ王国として独立した。英国は貴族の子弟の帝王学養成所として名高いサンドハースト王立陸軍士官学校にヨルダン皇太子を留学させ、ハシミテ王家を英国に取り込んでいる。
ヨルダンの一般国民にとってハシミテ王家は英国が送り込んできた天下りの支配者である。しかし彼らにとって国王が預言者ムハンマドの子孫であることはかけがえのない「ありがたい」ことであったに違いない。首都アンマンのアラブ商人たちもハシミテ家を喜んで迎え入れた。第二次世界大戦開戦の1939年に生まれたカティーブはまだ7歳で王国独立の何たるかもわからなかったが、新国王を熱狂的に迎える父親の喜ぶ様子を鮮明に記憶している。
(続く)
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第1章:民族主義と社会主義のうねり
8.英雄ナセル:東西両陣営を手玉に取るアラブの星
アラブ世界で誰しもが認める英雄と言えば12世紀にイラクのティクリートで生まれたサラディン(サラーフ・アッ=ディーン)であろう。彼はエジプトを征服してアイユーブ朝を創設、また英国王リチャード1世による第3回十字軍と戦った勇士である。この時十字軍側が捕虜を皆殺しにしたのに対してサラディンは捕虜を殺さなかった。このことから彼は敵味方を問わずに愛され、英雄として歴史に名を残している。
サラディンから800年後の20世紀のエジプトに現れたナセル(ガマール・アブドゥル=ナセル)もアラブの英雄と讃えられている。サラディンが中世ヨーロッパのキリスト教十字軍と戦った英雄であったのに対し、ナセルはイギリスの保護国であったエジプトの王制をクーデタで打倒(1952年)、さらに西欧帝国主義国家の英仏を相手にスエズ運河の国有化を勝ち取っている(1956年)。
1918年にエジプト地中海沿岸の都市アレクサンドリアに生まれたナセルは陸軍士官学校卒業後スーダンに赴任、1948年のイスラエル独立宣言を契機に始まった第一次中東戦争では少佐として従軍した。この戦争でアラブが致命的な敗北を喫すると(ナクバ・大災厄)、彼は反英愛国の将校組織「自由将校団」を結成、1952年にクーデタでファルーク国王を追放した。エジプトは専制君主制から共和制に移行したのである。
この時まだ34歳であったナセルは大統領兼首相の座をナギブ将軍に譲ったが、1954年には権力闘争の末に自ら大統領に就任した。実権を掌握したナセルはその後汎アラブ主義を掲げエジプトをアラブの盟主の地位に押し上げる。汎アラブ主義は社会主義とアラブ民族主義が合体したものであり、その起源はシリアで生まれたバース党にある。汎アラブ主義はその性格上、英仏の植民地帝国主義あるいは米国資本主義と敵対する反面、ソ連社会主義に対しては親近感がある。
権力を握り理想に燃えるナセルがまず目指したのがスエズ運河の国有化であった。スエズ運河は19世紀半ばにフランス人のレセップスの手で開通したが、当初から経営への介入を狙っていた英国は放漫財政に苦しむエジプトから運河の株式44%を取得している。その資金源はこれまで同様ユダヤ人のロスチャイルドであった。こうして第二次大戦後までスエズ運河の管理権は英国とフランスが握っていた。
これに対してナセルはソ連のフルシチョフ書記長を味方に引き入れアスワン・ハイダムを建設、さらにスエズ運河の国有化を宣言したのである。英仏はこれに猛烈に反発、イスラエルを巻き込み第二次中東戦争が勃発した。戦闘そのものは軍備に勝る英仏イスラエル合同軍が主導権を握りイスラエルはシナイ半島を占領、スエズ運河は閉鎖された。アカバ湾突端の町エイラートは第一次中東戦争に続いて二度目の戦闘に巻き込まれ、戦争が終わってみれば周囲はユダヤ人ばかりでエジプト人たちは姿を消してしまった。エイラート郊外に住むパレスチナ人小作農のザハラ家は難民となり、8歳になった息子を連れて国境を接するヨルダンの港町アカバに逃れた。
第二次中東戦争は開戦の端緒となったスエズ運河の名前を受けて別名「スエズ戦争」とも呼ばれているが、米国を含めた国際世論は英仏及びイスラエルに終始批判的であった。この結果、ナセルは戦闘に負けたものの外交で勝利し、これによりアラブ世界で一躍ナセルの名声が上がった。彼は東西いずれの陣営にも属さない第三世界の指導者の一人に祭り上げられるのである。当時の第三世界の指導者にはナセルのほか、インドのネール首相、中国の周恩来首相、ユーゴスラビアのチトー大統領、インドネシアのスカルノ大統領などがおり、このうちナセル、ネール、周恩来、スカルノはアジア・アフリカの各国首脳に呼びかけ、1955年にインドネシアのバンドンで第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)を開催する。この頃がナセルの絶頂期であった。
(続く)
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3/30 BP BP and Kuwait Petroleum Corporation sign agreement outlining cooperation on oil, gas and petrochemicals http://www.bp.com/en/global/corporate/press/press-releases/bp-and-kuwait-petroleum-corporation-sign-agreement.html
3/31 国際石油開発帝石 「二酸化炭素地中貯留技術研究組合」の設立について http://www.inpex.co.jp/news/pdf/2016/20160331.pdf
3/31 BP BP and China National Petroleum Corporation sign BP’s first shale gas production sharing contract in China http://www.bp.com/en/global/corporate/press/press-releases/bp-and-china-national-petroleum-corporation-sign-shale-contract.html
4/1 JOGMEC 理事の交代について http://www.jogmec.go.jp/news/release/news_10_000230.html
4/1 JXエネルギー JXエネルギー 入社式における社長メッセージについて. http://www.noe.jx-group.co.jp/newsrelease/2016/20160401_01_0794529.html
4/1 出光興産 2016年度入社式 社長メッセージ http://www.idemitsu.co.jp/company/news/2016/160401_1.html
4/1 コスモエネルギーホールディングス 2016年度入社式の開催について http://ceh.cosmo-oil.co.jp/press/p_160401/index.html
4/1 昭和シェル石油 2016年度新入社員入社式における挨拶 http://www.showa-shell.co.jp/press_release/pr2016/040102.html
4/1 東燃ゼネラル石油 2016年入社式 新入社員歓迎スピーチ(骨子) http://www.tonengeneral.co.jp/news/press/uploadfile/docs/20160401_1_J.pdf
4/1 丸紅 本社事務所移転のお知らせ http://www.marubeni.co.jp/news/2016/release/00015.html