エピローグ
1.東と東の遭遇
イスラエルとの戦争でヨルダン川西岸のパレスチナの地を追われ東隣のヨルダンに逃げ延びたパレスチナ難民たちは、生活のため1960年代前後に石油ブームに沸くクウェイト、サウジアラビアなど豊かな湾岸諸国に出稼ぎ者として移り住んだ。そこはヨルダンからさらに東方であり、この時期パレスチナ難民は東へ東へと向かったことになる。彼らはもちろん湾岸の地を終の棲家にしようとしたわけではない。湾岸諸国は彼らの永住を認めなかったし、彼ら自身も石油の富を鼻にかけた無能で尊大なだけのベドウィンの国は我慢できなかった。パレスチナ人の多くは国際社会の仲介でイスラエルとパレスチナが平和協定を締結し二国家共存体制になれば祖国の地に帰還できると期待していた。
しかし度重なる中東戦争でパレスチナ独立の夢はむしろ遠のいた。それに追い打ちをかけたのが1990年のイラクによるクウェイト進攻であった。世界中がフセイン政権の暴挙を非難し、とりわけサウジアラビアなど湾岸の王制国家はクウェイトの次の餌食になるのではないかと強い危機感を抱いた。ところがヨルダン政府とPLO(パレスチナ解放機構)はイスラエル打倒を叫ぶフセインを支持したのである。その結果湾岸戦争の後、当然のことながらクウェイト及びサウジアラビア政府は出稼ぎのヨルダン人及びパレスチナ人全員を国外追放処分にした。
クウェイトとサウジアラビアの国境地帯で操業していた日本の石油開発会社で働く3人のアラブ人たちも決断を迫られた。ヨルダン人のカティーブはパレスチナ人のザハラを誘って、実家のあるアンマンに帰ることにした。出稼ぎ中に貯めた資金を元手にカティーブはアパート経営を、ザハラは自動車修理工場を立ち上げるつもりであった。残るもう一人のパレスチナ人シャティーラは米国で働く弟を頼って移り住むことにした。東へ東へと向かっていたパレスチナ人たちは、一転して西へと移動し始めた。
ある一夜、日本人の同僚が3人のために送別会を開いてくれた。日本人専用の社宅のためサウジアラビアでは御法度のアルコールもふるまわれ一同は思い出話にふけった。勤務年数は最も長いシャティーラで30年、カティーブでも21年に達し人生の壮年期を日本企業で働いたことになる。出稼ぎ者の彼らがこれほど長く一つの会社に勤めることは珍しい。普通のクウェイトやサウジの企業であれば、オーナーの気まぐれで首になったり、或いはオーナーの横暴に耐えかねて転職していたに違いない。しかし日本人の会社は落ち着いて働ける会社であり、職場環境は居心地が良かった。政府と会社の利権契約が2000年までであり、彼らはできればその時まで働き続けたいと思っていた。しかし歴史に振り回されてきたパレスチナ人たちは今回の国外追放も運命の一つとして淡々と受け入れたのであった。
彼らは温厚で誠実な日本の企業で働くことができたことに素直に感謝していた。そして第二次世界大戦に敗れ焦土と化したその国が奇跡的な復興を遂げ、今では自分たちの身の回りに自動車、テレビ、カセットレコーダー、冷蔵庫など日本製品があふれていることに驚異と称賛を惜しまなかった。さらに日本人たちが人種の差別なく平等に扱ってくれることがうれしかった。それはこの会社に入るまでには無かった経験であった。
会話が弾む中、背後のカセットレコーダーから聞き覚えのない澄んだ女性歌手の歌声が流れてきた。メロディーはどうも中国の歌曲のようである。シャティーラが隣席の日本人に聞くと、歌手は有名な台湾女性で歌曲名は「ホー・リー・チン・ツァイ・ライ(何日君再来)」と言うらしい。愛する人との別れを惜しみ、いつの日か再会できることを願う歌だそうだ。
人生難得幾回醉,不歡更何待!
(人生で幾度も酔えるものではない、ためらうことなく今を楽しみしましょう)
來、來、來,喝完了這杯再説吧。
(さあ、さあ、さあ、まずこの一杯を飲み干しましょう)
今宵離別後,何日君再来?
(今宵別れたら、君はいつまた来るの?)
パレスチナ人にとって「君」とは「平和の女神」であった。「平和」はいつも彼らのもとを足早に通り過ぎる。甘く切ないメロディーと歌声がアラブ音楽とはまた一味違う郷愁を呼び起こした。中東(Middle East)と極東(Far East)の名も無い人々の心が触れ合う一夜。それは東と東が遭遇するひと時であった。
パレスチナからヨルダンさらに湾岸諸国へと東に移動したシャティーラは今度は一足飛びに西半球の米国に移住したのであった。彼はそこで豊かとは言えないが、平和な生活を手に入れた。キリスト教国の米国でイスラーム教徒が生活することは決して楽なことではなかったが、米国はやはり平和と安全に守られた世界一の国であった。
米国とヨルダンの間で手紙と電話が頻繁に交換された。遠く離れたヨルダンに住む両親やかつての同僚とはこれから先、顔を合わせることができるかどうかはわからない。それでも彼らの「血」の絆がゆらぐことはない。父親からの手紙でかつての隣人アル・ヤーシン家の娘ラニアがカイロ留学から戻り、ジャーナリストとして活躍している時、ハシミテ王家の皇太子に求婚され現代のシンデレラになったと知らされた。パレスチナ人の血とイスラームの始祖ムハンマドに連なる由緒ある家系ハシミテ家の血が一緒になったのである。それは新しい時代を予感させる出来事であった。
(続く)
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荒葉一也
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第6章:現代イスラームテロの系譜
10.シリア情勢:敵の敵は味方か敵か?
シリア内戦は基本的にはアサド政府とその退陣を求める反政府組織の軍事闘争である。国際的な力学関係でみるとアサド政府を支援しているのがイランとロシア。イランはアサド一族がアラウィ派(シーア派の一派)であることが主な理由であり、ロシアはシリアに中東で唯一の軍港を保有している。ロシアにとって冬季に凍結するバルト海に比べ黒海からボスポラス海峡を抜けて地中海に至る航路は軍事的に重要な意味があるためアサド政権側に立っている。これに対して米国など西欧諸国は反政府組織を支援している。独裁政権を打倒し自由な民主主義政権を樹立することが反政府組織支援の大義名分である。またサウジアラビアなどのアラブ諸国とトルコも一致して反政府支援である。こちらはシーア派のアサド政権及びこれをバックアップするイランに対する対抗措置である。
ところがシリアの反政府組織は一枚岩ではない。それどころか思想信条を異にする呉越同舟の集団である。構成メンバーの勢力の消長は激しいが、主なものとしてはクルド人民防衛隊(YPG)と複数のアラブ系反政府勢力から成るシリア民主軍(SDF)並びにヌスラ戦線がある。そして政府組織、反政府組織のいずれとも異なる第三勢力としてIS(イスラム国、別称ISIL、ISIS、ダーイシュ)がある。
SDF内の有力な勢力であるYPGはシリア北東部に住むクルド人による軍事組織である。クルド人はシリア、トルコ、イラン、イラク4か国に分布しており民族独立を掲げてそれぞれの政府と対立している。シリア民主軍はスンニ派の世俗軍事勢力として米国、トルコ、サウジアラビアなどが支援しているが、トルコはクルド人の独立運動を警戒してYPGを排除しようとしている。
ヌスラ戦線(現ファトフ軍)は国際的テロ組織アル・カイダの流れを汲んでおり、イスラム原理主義、サラフィー主義を標榜する宗教的色彩の濃い勢力である。このヌスラ戦線から枝分かれしシリアとイラクにまたがる国家の建国を宣言したのがISである。当初「イラクのイスラム国(ISI)」を名乗ってテロ活動を展開していたが、2013年12月に米国オバマ大統領がイラク戦争の終結と駐留米軍撤退を宣言すると、活動をシリアにも広げ「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」と改称、さらに2014年には「イスラム国(IS)」として独立宣言するまでに強大化したのである。但し国家とはいってもその内情は残虐なテロ集団、夜盗集団であり、ISを国家として認めた国は皆無である。
これら多種多様な勢力に対して外国勢も肩入れの仕方が猫の目のように変わる。米国は反政府勢力の中のリベラル民主勢力であるシリア民主軍を応援するため武器を供給し軍事訓練を行おうとした。しかし西欧的民主主義イデオロギーが希薄な中東では、リベラル勢力はひ弱で武器や資金援助も結局砂漠に水を撒くように雲散霧消している。
サウジアラビアなど湾岸の世俗君主制国家もシリア民主軍に肩入れするが、こちらは消去法での支援選択である。つまりGCC諸国はヌスラ戦線やIS(イスラム国)のようなサラフィー主義(イスラム過激主義)は自分たちの体制を危うくするが、イランの支援を受けるシリア政府はもっと受け入れがたい。本音ではリベラル勢力を警戒しているが、欧米と歩調を合わせておけば絶対君主体制はひとまず安泰であるため、消去法の選択肢としてシリア民主軍に賭けているのである。しかし欧米の武器支援と湾岸諸国の経済支援を受けているにもかかわらずシリア民主軍の実戦能力は他の反政府勢力と比べて格段に劣っており、彼らは自分たちの身を守るだけで精一杯である。
イスラーム過激派勢力であるヌスラ戦線(現ファトフ軍)とイスラム国(IS)は宗教意識が強く自己犠牲をいとわないため戦闘能力は高い。しかし宗教をバックとする勢力は指導者次第であり簡単に分裂する。ISIL(イラクとシリアのイスラム国)の指導者バグダディはヌスラ戦線と袂を分かち中央政府に対する反政府活動ではなく、外国の支援に頼らない自らの国家「イスラム国」を樹立した。彼らは西欧勢力が植民地時代に線引きをした現在の国境(サイクス・ピコ協定)を認めない。彼らは理想のカリフ制イスラーム宗教国家を目指し、インターネットを利用して外国に住む若者を巧みに誘い、戦闘員に仕立て上げている。
独立自営型の「IS(イスラム国)」、アル・カイダのネットワークに頼るヌスラ戦線、クルド人兵士に支えられ欧米と湾岸諸国の援助に頼るシリア民主軍。これら乱立する反政府組織と対峙するのがロシアやイランに支えられるシリア政府軍。基本的にはアサド政権を支えるロシア・イランと反政府勢力をバックアップする中東及び欧米諸国という対立構造の中で諸勢力が群雄割拠してシリア情勢は混乱を極めている。
しかし最近になって諸外国の共通目標がIS(イスラム国)の壊滅に絞られた。これに対して劣勢に立ったIS(イスラム国)が欧米やロシアに住むムスリム(イスラーム教徒)に自爆テロを呼びかけている。さらにIS戦闘員が自国に戻ってテロ活動を行う恐れも大きい。前者はホームグローン・テロ、即ち「ご当地テロ」であり、後者は「里帰りテロ」ということになる。これら「ご当地テロ」と「里帰りテロ」を防ぐためにもできるだけ早くISを壊滅しなければならない。そのISに今対抗できるのはシリア政府の正規軍とシリア民主軍のクルド人部隊しかない。ただクルド人部隊は米露トルコいずれも支援する立場にない。
結局奇妙なことに米国など欧米諸国は空爆でIS(イスラム国)の拠点を叩くだけで、アサド政権退陣の要求はひとまず棚上げし、シリア政府とロシアの軍事行動を黙認することになる。シーア派のアサド政権が最大の敵であり、消去法で已む無くリベラル反政府勢力のシリア民主軍を応援してきたサウジアラビアなど湾岸諸国は米国からはしごを外された格好である。
敵の敵は味方か、それとも別の敵か? 混迷深まるシリア情勢は先の見えない中東情勢そのものと言えよう。
(続く)
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