ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

日本語の乱れ論争と異文化非許容の危険性

2007年05月27日 | 雑記
日本語の乱れという話をよく聞く。

有名なら抜き言葉のほかでもっとも例に挙がるのが、ファミレス言葉だろう。
「ご注文はピザでよろしかったでしょうか?」
「ピザのほうお持ちしました」
「1万円からお預かりします」

確かに聞いていて引っかかるものがある。
でも、年寄りは引っかかるから不快を感じて噛み付くわけで、これは実は非常に危険な思想だと思う。

そもそも言葉なんてなにが正しくてなにが間違っているなんてないように思う。
日本語の乱れを指摘する場合、なにを正としているのだろうか。
昭和初期?江戸時代?
日本においては明治時代に東京方言を公官庁が採用し、それが標準語となっているわけだが、その明治初頭の東京方言を今後未来永劫守りぬくことに日本文化になにかすばらしい意味でもあるのだろうか?

言葉というものは自然と同じで、人為的な手が加えられないかぎり正しく自然淘汰が行われる。絶滅したり発生したりすることは当たり前のことなのだ。逆に人為的に手を加えることのほうがおかしな結果を生んでしまうのではないか。
実際、マスコミニケーション誕生以前には誰にも言葉の保存活動なんてできなかった。そうした中で言葉の発生以来変化を繰り返してきたのが現代の日本語だろう。人為的に明治初期の東京方言に固定する必要があるのだろうか?

色々考えてみると、言葉の乱れに対する批判というのは実は単に自分の文化を侵害されて不愉快だ、ということだけなのだ。
しかし、こうした相手の文化を認めない姿勢は危険な民族主義を生む。

「ピザのほう」って言葉遣いは文化なんて呼べないだろう?とおもったあなた、それが危険なんです。自分が理解できないものは文化と呼ばない、この考えかたがひいては人種差別まで発展する。

95年だったか、米が不作でタイからタイ米を輸入したことがある。まずいといって結局あまり消費されずに捨てられてしまったが、そのこと自体は責められない。ジャポニカ米を食べるのが日本の文化で、インディカ米を食べるのがタイの文化、というだけのことだったのだ。種類の違う穀物の輸入を決めた政府が大馬鹿だったのだろう。

怖いのは、この騒ぎの中で「タイ人はまずい米を食べていて可哀想だ」というようなことを真顔でいう人が結構いたことだ。こうした思想は本当に危険だ。異文化を理解する、理解できないまでもその存在を認めるという考え方がない限り、本当の世界平和はやってこない。

AvisレンタカーにWiFiサービス

2007年05月27日 | ITS
レスポンスによれば、アメリカのAvisレンタカーはこの夏からレンタカーの一部に車内Wi-Fiコネクションを設置し、移動しながらインターネットを楽しめるサービスを開始する、という。記事リンク
この記事を読んでびっくりしたのは、以下のくだり。

「Wi-Fi機器を提供するオートネットモバイル社によると、全米の95%の道路がカバーされ、トンネル内でも途切れることなくインターネット接続が提供可能だと言う。」

本当かよ。95%の道路が既にWiFiでカバーされているなら、アメリカのテレマティクスインフラはもう完成している、という事になる。

ところが、ちょっと調べてみると「世界初の自動車向けインターネットサービスプロバイダー」と称するオートネットモバイルが提供するのは単に12V電源をもつEV-DOまたはHSDPAネットワーク無線LANモデム。「車内にWiFiネットワークを作れる」ということであり、全米95%の道路でWiFi接続が出来るわけではないのだ。

EV-DOまたはHSDPAということは、要は3G携帯通信で、その通信業者は未公開ながらVerizonらしい。確かにVerizonのネットワークなら95%はいっていると思うが、実際に道路上で95%の実用接続が出来るのだろうか。

ということで、記事だけ読んだらびっくりするような内容だが、3G携帯使って車の中でインターネットをするのと大差ない。

むしろ理解しにくいのは、何で車内に無線LANのネットワークが必要なのか、ということだ。助手席の奥さんはノートブックでネットサーフィン、後席の子供たちはPSPでネット対戦、ってな状況ぐらいしか思い浮かばない。

この(めったにはありそうもない)状況を実現するために、月50ドルを払う個人ユーザーがどれほどいるだろうか。

いたとしたら、よっぽど献身的なお父さんだ。お父さんは黙々と運転しなくちゃいけないんだから。