「越前に行くなら丸岡城は日本で二番目に古い城なので是非、寄ってきて!」
そんな電話を旅の途中、姪から受けましたので東尋坊へ行く前に寄る事に致しました
(因みに古い順から犬山城、丸岡城、松本城です)
丸岡城は一向一揆に備え信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせた城です
ここは度々霧が発生するらしく別名、霞ヶ城とも呼ばれているそうですが
そんな所から此処も「天空の城」と言えそうですね
(クリックして頂きますと画面が大きくなります)
この急な階段は戦いを意識しての作りなのでしょうか?
今はロープを頼りに登れますが、もしロープが設置して無かったならどうでしょう
とても前を向いて下りる事など出来そうにない傾斜です
攻め入る敵に石を浴びせた石落し(上の写真)
でも今は戦国の世では有りません
景色の眺めは当時の武将とは違い平和な眺めが広がっておりました
残念なのは昭和の福井震災で一部が壊れ修理してしまったため
国宝から重文に格下げされてしまった事です
気の毒としか言いようが有りません
ですが小さいながら威厳を放つ存在感たっぷりの城で有る事に変わりは有りません
東尋坊へ向かう途中、117円と言う安さのガソリンスタンドを見つけました
現在(12月)は全国的に安値となり私も114円で給油しておりますが
当時は134円が相場でした
勿論、給油して行きました
20数年前、東尋坊を見物しようとした時はトンネル事故が起きた直後で路線は通行止めでしたので
私にとりましては初めての見物です
周辺に観光客の姿は沢山見られましたが誰も近寄る者の姿なし
あんな近くまで行って大丈夫なのかしら・・・と言いつつ
少しずつ
また少しずつ・・・あ~背筋がゾクゾクしてきます
そしてまた一歩 足がムズムズしてきます
約1m手前までがやっと
一体、岩壁の高さはどの位あるのでしょう
そこから思い切り手を伸ばして ・・・でも、もう限界
右の岩を見れば やだ 絶壁の上に人の姿が・・しかも立ってる
此方は比較的、危険な岩も少ない地みえ観光客の姿もグッと増えました
今は打ち寄せる波もそれほど激しくは有りませんが日本海の冬の海はかなり荒れるのだとか
激しさと切なさが入り混じった海・・・なのでしょうか
陽が大分、西に傾きました
金波に溶け込む様に数人のシルエットが戯れています
自身の遠い日と重ねながら東尋坊を後にしました
次に私達が訪れたのは東尋坊から20分ほど先にある吉崎御坊
上の説明にも有りますが吉崎の千歳山に浄土真宗第8代法王・蓮如が道場を開きました
ここが蓮如の布教活動の拠点となったわけです
ちょうど観光バスが到着し30人程のツアー客が御坊に向かいましたので私達も後に続きます
この寺に伝わる「嫁威しの面」と言うのが有りますが、それは一体どんな面なのでしょうか
昔、吉崎に夜ごと蓮如上人の教えを聞きに出かける嫁を妬んだ姑が
面を被り嫁を待ち受けていたところ被った面がとれなくなってしまいました
驚いた嫁は「御姑さんをほったらかしていた私が悪かったのです」とひたすら謝ります
するとビクともしなかった面が外れた
目出度しで締めくられる訳ですが、住職さんのその語り口がまるで寄席で一席 聞いているよう
約一時間弱の説教もこんな楽しいもので有ればシビレも忘れますね
住職さんの、あの有り難くも可笑しいお説教
とにかく、この住職さんにかかると信長も信ちゃん、秀吉は秀ちゃんになってしまいますから
そうそう、こんな話も有りました
住職さんが四国へ出かけた時の事
「オッシャン、吉崎ごぼうとはブランド物の牛蒡の事かね」・・・
ふと思い出しては爆笑してしまう道の駅「坂井」への道すがらでした
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